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暴走する需要と50億のぬいぐるみ①

 ゴルディオン通商連合の港湾区にそびえ立つ、海運会社の豪奢な社長室。

 分厚いマホガニーのデスクに、バルタザールは一冊の黒革の手帳を無造作に放り投げた。


「……流動資産の過大評価に、子会社を使った架空売上の計上。見事な粉飾決算だ。特に、旧帝国から安値で接収した豪華魔導客船『オフェリア号』の減価償却費を意図的に隠蔽している点は、実に悪質と言わざるを得ない」


「な、なんの……何の話だか全く……!」


 恰幅の良い社長は、額から滝のような冷汗を流して後ずさった。


「とぼけても無駄だ。公開されている財務諸表の数字を洗えば、1時間で裏の帳簿が透けて見える。お前の会社はとっくに債務超過に陥っているんだよ」


 バルタザールは仕立ての良い黒いコートのポケットに手を突っ込み、冷たい声で宣告した。


「俺がこの手帳を連合の監査院に持ち込めば、貴社は今日中に倒産し、あなたは特別背任で一生地下牢のネズミと同居することになる」


「ひっ……! た、頼む! それだけは! 望みはなんだ、金か!?」


「金などという端したものを要求する気はない。私はただの親切な会計士だ」


 バルタザールは悪魔のような笑みを浮かべ、あらかじめ用意していた1枚の契約書をデスクに滑らせた。

 「負債の塊である『オフェリア号』を、我がL.G.B.エンタープライズが10万ギルで買い取ってやると言っているんだ。そうすれば帳簿上の爆弾は消え、あなたは助かる。悪い取引ではないだろう?」


 選択の余地などない。

 社長は痙攣するように震える手でペンを握り、客船の譲渡契約書にむせび泣きながらサインをした。


「……毎度あり。さあ、俺の資産アセットを回収しに行くぞ」


 バルタザールは背後に控えていたギルに顎でしゃくり、社長室を後にした。

 武力やハッキングなどという安易な手段に頼らずとも、無能な経営者が残した帳簿の「隙」を突けば、莫大な資産は合法的に転がり込んでくる。


   * * *


 潮風の匂いが漂う巨大な港。

 第十二ドックには、白鳥のように優雅な曲線を描く旧帝国の豪華魔導客船『オフェリア号』が停泊していた。


「……対象の船体規模、全幅45メートル、全長220メートル。外装の劣化率は3パーセント未満」


 ギルはガラス玉のような双眸で客船を見上げ、平坦な声で分析した。

 動力炉の魔力機関だけでも、分解して裏市場に流せば10億ギル以上の価値になる。10万ギルの投資に対して、リターンが異常だ。合法的な強奪と呼ぶべきか。


「俺は人助けをしただけだ。ビジネスの基本は双方の利益ウィン・ウィンだからな」


 バルタザールが鼻で笑いながらタバコに火をつけようとした、その時だった。


「わぁっ! なにあれ、すっごくカワイイ!!」


 突如として、黄色い歓声が港に響き渡った。

 香水の甘い匂いと共に現れたのは、幾重にも重なるフリルがあしらわれた最高級のドレスを身に纏う十代の少女だった。


 その背後には、異様な威圧感を放つ重装甲の巨漢が、執事のように控えている。

 ゴルディオン通商連合のトップ層に名を連ねる超大富豪の令嬢、シャルロットだった。


「あの船、窓の形がお菓子の箱みたい! ねぇヴァルガス、私あれ欲しい! 今週末のパーティーであれに乗る!」


「かしこまりました、お嬢様」


 護衛の巨漢――ヴァルガスが恭しく頭を下げると、シャルロットはバルタザールたちの案内役として同行していた海運会社の社長に向かって、小さな鞄から無造作に紙束を取り出して叩きつけた。


「これで買うわ! パパの無記名債券、50億ギル分よ。お釣りはいらないから、今すぐ私のものにして!」


「ご、50億ギル!?」


 社長は目を剥き、そして一瞬で欲望に顔を歪ませた。

 バルタザールとの「10万ギルの契約」など秒で頭から吹き飛び、シャルロットの足元に這いつくばる。


「あ、ありがとうございますお嬢様! 今すぐ、今すぐお引き渡しいたします!!」


「おいふざけるな。その船の所有権はすでに俺の……」


 バルタザールが冷酷な声で抗議しようと一歩踏み出した瞬間、シャルロットの視線が、ギルの背中に背負われていた「白銀と真紅の魔導銃」に釘付けになった。


「ああっ! そっちの銃も、すっごくキラキラしててカワイイ!! ねぇ、それおもちゃ? アクセサリー? 私のドレスにぴったりだから、それも譲ってよ!」


 指を差されたルクレティアの銃身の魔力結晶が、怒りで真っ赤に明滅した。


『はぁ!? 誰がアクセサリーよ、この生意気な小娘! 私は帝国の最高傑作たる自律思考型・戦略魔導狙撃銃、ルクレティアよ! あんたみたいな世間知らずのガキのおもちゃになる気なんて……』


「えー、おしゃべりするの? ますますカワイイ! これ食べる?」


 シャルロットは文句を垂れるルクレティアを全く意に介さず、ハンドバッグから無造作に「大粒の最高級魔力結晶(市場価格で数千万ギル相当)」をいくつも取り出し、ルクレティアの銃口の前に突き出した。


『……っ!!』


 ルクレティアの音声出力がピタリと止まった。

 貧乏会計士の元で、毎日安物の銀鉱石や最低ランクの魔石ばかりを食わされている彼女にとって、それは目も眩むような「超絶VIP待遇」の提示だった。


『え、えっと……ちょっと待って。私を養うには莫大なお金がかかるのよ?』


「お金ならパパのカードがいっぱいあるから、そんなキラキラの石、毎日100個でも買ってあげる!」


『ま、毎日100個……っ!』


 ルクレティアの銃身が、歓喜と欲情にわななき始めた。


『……ギル、ちょっと私を下ろして。よく考えたら、私って高貴なお姫様に抱かれるのが本来の姿だと思うの。あっちの娘について行った方が、三食最高級の結晶クリスタル食べ放題なんじゃ……?』


「裏切るな金食い虫。お前は俺の会社の備品アセットだぞ」


 バルタザールが忌々しげに舌打ちをする。


「ギル。交渉は決裂だ。その船は俺のものだ。……物理的に権利書を奪い取れ」


「了解した。対象の契約違反を確認。武力による強制執行に移行する」


 ギルが感情のない声で応え、社長が握りしめている50億ギルの債券と権利書に向けて、音もなく地を蹴った。

 生体稼働コストゼロ、無駄を完全に省いた最速の踏み込み。


 あっという間に社長の懐に潜り込み、その指先が権利書に触れようとした瞬間――。


「お嬢様の所有物に触れるな、下賤の輩が」


 重厚な音声と共に、巨漢のヴァルガスがギルの横から割り込んできた。

 ギルは即座に軌道を変え、ヴァルガスの装甲の隙間を狙って完璧な関節蹴りを放つ。闘技場の魔獣を一撃で沈めた、必殺の打撃だ。


 だが、ギルの蹴りが届く直前。ヴァルガスの全身を、まばゆい黄金の光の盾が包み込んだ。

 数トンの衝撃を完全に吸収し、ギルの足を弾き返す。


「……対象の防御システムを解析」


 ギルは素早く後方へ跳躍し、ガラス玉のような瞳で巨漢をスキャンした。

 展開されたのは、1枚1000万ギル相当の『超高純度・使い捨て魔力シールド』。対象は、私の一撃を防ぐためだけに、今の一瞬で1000万ギルを消費した。


「いかがされましたか、お嬢様」


 ヴァルガスは微動だにせず、1000万ギルの盾を「紙屑を1枚消費した程度」の感覚で使い捨てていた。


「……ルクレティア。これ以上の交戦は、我が社の純損失ロスに直結する。撤退も視野に入れるべきか」


 ギルは無表情のまま、ヴァルガスが展開した黄金のシールドをじっと見つめた。


「ただの牽制のステップに対して、対象は念のためと『1000万ギルの使い捨て魔力シールド』をさらに3枚重ね掛けした。

 推定防衛コスト、合計4000万ギル。……理解不能だ。投下資本に対する防衛効率が破綻している」


『だから言ってるじゃない! あの成金お嬢様に私を売り渡しなさいよ!』


 ルクレティアがギルの背中で拘束を逃れようと身をよじるように魔力の明滅を繰り返す。

毎日最高級結晶クリスタル食べ放題のセレブ生活が私を呼んでるの! あんたたちみたいな貧乏な男2人と一緒にいても、私のブランド価値が下がるだけよ!』


「黙れ備品。お前は俺たちの減価償却が終わるまで手放さん」

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