忘却の帳簿と消えた大公
黒水港の一角に構えた、バルタザールたちの新たな仮拠点、密輸倉庫。
薄暗いその空間には、彼らが闇市場のブローカーからタダ同然で買い叩いてきた「旧帝国の極秘公文書」の山が、うず高く積まれていた。
敗戦時、連合国による押収を逃れるために帝国の役人たちが隠匿していた、いわば「死んだ国家の領収書と稟議書」の束である。
『ちょっと! なんで私がこんなカビと埃だらけの倉庫に付き合わされてるのよ! 銃身のツヤが悪くなるじゃない! 喉に埃が詰まるわ!』
「備品は静かにしていろ。……あの別荘での特別損失《赤字》を埋め合わせるためには、このボケた杖の『忘れてしまった重大な何か』を特定し、新たな利益の源泉を構築するしかないのだ」
文句を垂れるルクレティアを無視し、バルタザールはひたすら書類の山と格闘していた。
その対面では、ギルが異常な光景を展開している。
彼は一切の感情を交えぬ顔で、分厚い公文書の束を、まるで扇風機の羽のような速度で弾いては次々とめくっていた。
「……視覚情報の並列処理。1ページあたり0.2秒でテキストデータをスキャン。キーワード『先代大公』『演算杖』でフィルタリングを実行中……」
機械ではない。
極限まで鍛え抜かれた生身の眼球運動と、異常発達した脳の生体演算能力による、暴力的なまでの情報処理である。
その常軌を逸した光景を卓上のクッションから眺めていた黒い杖が、ふと訝しげな声を上げた。
『……おい、機械人形。いや、貴様……。先ほどから気になっていたのだが、その顔立ち、そして特異なガラス玉のような眼球……。まさか、皇太子殿下か!? いや、しかし殿下はとうの昔に戦火で……』
「対象の認識に致命的な誤りがある」
ギルは視線を書類から一切外すことなく、今更確認するまでもない事実として淡々と答えた。
「私は皇太子ではない。旧帝国皇家魔導院によって造り出された、皇太子の代替部品の生き残りだ」
『な、なんだと……!? 殿下の、御複製……!?』
杖が激しく震え出し、クッションから飛び降りると、机の上で平伏するように自身の先端を深く折り曲げた。
『こ、これは失礼を仕りました! 我は先代大公殿下の懐刀! 皇太子殿下の御血肉を分けた御方と知らず、数々の不敬な暴言……! どうか、どうかこの泥まみれの愚杖をお許しください、殿下!』
「……頭を上げろ。帝国という法人はすでに崩壊《解散》している。現在の私は皇族でも何でもない、ただの市場価値を失った不良債権に過ぎない」
ギルは平伏する杖に一切の感情を向けず、自らの重い出自すらも極めて事務的な経済用語で定義した。
「そして私の現在の債権《所有権》はバルタザールにある。私への忠誠は不要な維持費だ」
『な、なんと痛ましい……。帝国の正統なる御血筋が、このような借金取りの備品に……っ!』
『あーあ、お爺ちゃん今更気づいたの? 私はこいつがオークション会場に助けに来た初日に、殿下と完全に同じ魔力波長なのに中身がすっからかんの別人だって思い知らされたわよ! ……ま、おかげで私が皇室御用達の超高級狙撃銃っていうブランドを維持できてるから、細かいことはどうでもいいんだけどね!』
ルクレティアが優位性を誇示しつつ盛大に俗物っぷりを発揮する中、バルタザールは深くため息をつき、書類の山を指差した。
「……茶番は終わりだ。ギル、検索を再開しろ。ルクレティアは黙っていろ」
「……了解した。検索再開。……該当する記述を発見。15年前の皇家魔導院の特別予算案。……先代大公殿下専属、特務・戦略演算杖。識別名『ヴォルフガング』」
『おお! ヴォルフガング! そうだ、それが我の真名だ! 記憶のインデックスが復旧したぞ! 我こそは偉大なるヴォルフガング!』
自分の名前を取り戻した杖――ヴォルフガングが、先ほどの平伏から一転して魔力を誇らしげに明滅させる。
しかし、バルタザールの表情は晴れるどころか、ひどく怪訝なものに変わっていた。
「……ギル。先代大公に関する他の記録は? 彼が建造した『別荘』の建設費や、防衛AIの維持管理費、あるいは護衛部隊の人件費の記述はどうなっている」
「……それが不可解だ。バルタザール」
ギルが淡々と、しかし明確な異常を報告する。
「この15年前の予算案を最後に、大公およびヴォルフガングに関する国家予算の資金の流れが、一切の痕跡を残さず途絶えている。護衛の配置記録も、別荘への物資輸送の記録もない。……皇帝の叔父という最重要VIPでありながら、帝国末期の3年間、彼らは帳簿上から完全に消滅している」
「…………」
バルタザールは顎に手を当て、投資家としての鋭い嗅覚を働かせた。
「……記録が散逸したのではない。意図的に『粉飾された』のだ。国家の監査の目から、大公という巨大な資産そのものを隠蔽するためにな」
『な、なんだと? 大公殿下が、帝国を裏切って記録を消したとでも言うのか!?』
ヴォルフガングが動揺したように声を上げる。
バルタザールは冷酷な笑みを浮かべ、万年筆の先で軽く机を叩いた。
「裏切ったのではない。大公は、敗戦が濃厚となった帝国から『何か』を隠し通すために、自らの存在ごと帳簿から消し去り、君の記憶にも強力な封印を掛けたのだ。……あの空っぽの別荘も、連合国の目を引くためのただの囮に過ぎない」
バルタザールの胃の痛みが、いつの間にか巨大な含み益を嗅ぎつけた投資家の興奮へと変わっていく。
「……君が忘れている重大な何か。それは、帝国の隠し金庫などというチャチなものではない。国家の歴史から消さねばならなかったほどの、途方もない『お宝』だ」




