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幻の別荘とプライスレスな大赤字②

 濃霧の結界を抜けた一行は、朽ちることなく優雅な姿を保つ大公の別荘へと足を踏み入れた。


 豪奢な調度品を横目に地下へと進むと、最深部に巨大な鋼鉄の扉が立ち塞がっていた。そしてその扉の手前には、大理石の床に巨大なチェス盤のようなマス目が刻まれ、精巧な魔法仕掛けの石の駒たちが静かに並んでいる。


『ふん、たどり着いたか。ここが大公殿下の隠し金庫だ』


 バルタザールの手の中で、黒い杖が尊大に語り出す。


『殿下は無類の盤上遊戯好きであらせられた。ゆえに、この金庫を開けるには我という物理鍵キーを扉に挿すだけでは足りん。この魔法陣に座し、殿下が遺した無敗の防衛騎士チェス・ゴーレムと知恵比べを行い、勝利して初めて封印ロックが解除されるのだ。ちなみに、負ければ床が抜け、溶岩の海へ真っ逆さまだぞ』


『はぁ!? なによその回りくどい趣味! 扉ごと私がぶっ壊してあげるわ!』


 ルクレティアが呆れ果てて銃身を赤く発光させるが、杖はせせら笑った。


『無駄だ。この空間は衝撃を完全に吸収する。力押しでどうにかなる相手ではない。……さあ、どうする? 殿下の手練手管が詰まった究極の遊戯、貴様らのような俗物に破れるか――』


「……ギル。時は金なり(タイムイズマネー)だ。人件費という名のアクティブな赤字をこれ以上垂れ流したくない。5分で終わらせろ」


 バルタザールが懐中時計を片手に無機質な指示を出すと、ルクレティアを背負ったギルが、一切の感情を交えぬ足取りでチェス盤の前の席に腰を下ろした。


「……了解した。遊戯規則ルールの入力完了。初期資産《初期配置》の確認完了」


 ギルが席に着いた瞬間、対面の空間が歪み、魔力で構成された半透明の老人の姿――大公の思考を模倣した防衛AIが具現化した。


 大公の幻影は優雅に会釈をし、初手を動かす。


『無謀な奴め! その防衛機構は帝国最高の宮廷棋士100人分の棋譜を記憶しているのだぞ! 素人が5分で――』


 杖が勝ち誇ったように叫ぼうとした、次の瞬間。


 ギルの異常なまでに澄んだ眼球が、盤面を舐めるように動いた。機械の感知器センサーではない。極限まで鍛え抜かれた生身の視覚神経と、人間の脳の限界を突破した生体演算。


「……敵の初期投資に対し、最も利益率の高い分岐経路を逆算。……展開パターン、約3億2,000万通り。……全てが冗長な計算資源の浪費だ。この遊戯構造には、致命的な欠陥バグが存在する」


 硬質な石が盤面を滑る音が、静寂の地下空間に冷酷なリズムを刻み始めた。


 ギルは瞬き一つせず、息をするのと同じくらい自然な動作で、一切の感情を交えずに自陣の駒を進めていく。


 大公の幻影が駒を動かしたコンマ1秒後には、ギルの手が動き、盤面の支配権を無慈悲に奪い取っていく。ゲームとしての娯楽性を徹底的に排除し、ただ最短で相手を破産させるだけの作業。大公の顔から余裕が消え、幻影の構成術式が演算処理に追いつかず、激しく明滅し始めた。


「……王手チェックメイト。所要時間、3分42秒。予定より早く業務を完了した」


 ギルが冷徹な声で宣告すると同時、大公の幻影が完全に活動を停止し、弾けるように霧散した。


 相手に遊戯を楽しむ隙など一切与えない、純粋な数学的暴力による完全論破。


『なっ……!? バ、バカな……! 殿下の遺した無敗の防衛機構が、こんな、こんなにあっさりと……!?』


 杖が信じられないものを見るように震える。


『あーあ。相手の娯楽を物理演算と暗記で完全否定するとか、あんた、絶対にカジノとか出禁になるタイプね。引くわー』


 ルクレティアでさえ、ギルのあまりの容赦のなさに呆れた念話を送る中、バルタザールは極めて冷静に肩をすくめた。


「だからこそ、先日のカジノでは完全に目をつけられて物理排除《出禁》になる直前に、利益を確定させてサクッと引き上げてきたわけだがな。……さて、無駄な遊戯の時間は終わりだ。休眠口座の残高照会といこうか」


 バルタザールは驚愕で固まっている杖を、重厚な鋼鉄の扉の鍵穴へと容赦なく突き刺した。


 無数の歯車が噛み合う重低音が響き、旧帝国の莫大な遺産を守り続けてきた金庫の扉が、ゆっくりと開いていく。


「さあ、拝ませてもらおうか。旧帝国の国家予算に匹敵するという、黄金の山を――」


 バルタザールが期待に胸を、そして痛む胃を膨らませて金庫の中へ踏み込む。


 しかし。


 そこには、金塊も、宝石も、権利書の山も存在しなかった。


 広大な地下空間はもぬけの殻であり、中央に置かれた豪奢な石座の上に、小さな魔力結晶が一つ置かれているだけだった。


「……ギル。私の視覚神経が濃霧のせいで異常を起こしているようだ。金塊はどこだ?」


「……バルタザール、残念だが対象の空間内に換金可能な有価証券、および貴金属の類は一切検知されない。金庫の中身は空だ」


 ギルが一切の感情を排した声で、冷酷な事実を突きつける。


 その時、石座の上の魔力結晶が淡く光り、一人の老境の貴族――先代大公の幻影が空中に投影された。それは防衛機構のような無機質なものではなく、あらかじめ記録されていた大公の遺言だった。


『――我が古き友にして、最高の演算杖よ。お前がこれを再生しているということは、あの結界と遊戯を越え、無事にここまで辿り着いてくれたのだな』


 大公の幻影は、立ち尽くすバルタザールたちには目もくれず、鍵穴に刺さったままの杖に向かって優しく語りかけた。


『許してくれ。お前には秘密の別荘の金庫の鍵だと嘘をついて船に乗せた。実のところ、私の私財など、帝都の民を逃がすための避難資金としてとうの昔に使い果たしていたのだよ』


『で、殿下……?』


『お前は兵器としての誇りが高く、帝国と運命を共にすると言って聞かなかったからな。……親友であるお前だけは、どうしても戦火から逃がしたかったのだ。金庫には何もない。だが、どうか自由を生きてくれ。長い間、私の話し相手になってくれて……ありがとう』


 大公の幻影は穏やかに微笑み、空気に溶けるように消え去った。


 あとに残されたのは、重苦しい静寂だけ。


『おお……おおおお……! 大公殿下……っ! 我のような一介の杖を救うために、ご自身の名誉すら偽って……っ! なんという、なんというご慈悲……!』


 杖が鍵穴に刺さったまま、魔力の光を涙のように明滅させ、激しく打ち震える。


 旧帝国の忠義と友情。時を超えて明かされた、君主と兵器の美しい絆の物語。


『……はぁ!? 何よこれ! ただの感動的な映像記録じゃない! 私のキラキラした宝石は!? 超特級の魔力結晶はどこ!?』


 ルクレティアが空気を読まずに金切り声の念話を飛ばす。


 そして、それ以上に空気を読まない――いや、読む余裕を完全に失った男が一人。


「……つまり」


 バルタザールが、キリキリと音を立てて痛む胃を両手で押さえながら、血を吐くような声で呟いた。


「小型船の用船料15万ギル、動力用魔力結晶の燃油代8万ギル、さらに我々の人件費と機会損失……ざっと見積もっても合計28万5,000ギルの完全な手出し。その全てを投じて回収できた利益リターンが……老人の感傷プライスレス、ただ一つ……だと……?」


「……当投資案件の回収率は0パーセント。それに伴う探索経費の全額が『特別損失』として確定した。完全な大赤字だ」


 ギルの無慈悲な決算報告が、君主と兵器の美しい絆に咽び泣く杖の横で、冷酷な対比となって地下金庫に虚しく響き渡る。


 バルタザールは完全に計算を狂わされた絶望と限界突破した胃痛により、その場に膝から崩れ落ちたのだった。



   * * *



 数時間後。大赤字という冷酷な現実を抱え、濃霧を抜けて黒水港へと帰る小型船の甲板。


 傷心のバルタザールが船室の長椅子で胃薬をあおって沈殿している間、ギルは舵を握りながら、傍らに置かれた黒い杖へ淡々と語りかけた。


「ところで」


『……なんだ、機械人形』


「対象《お前》の識別名インデックスを聞いていなかったな。今後の運用にあたり、固定資産としての台帳登録が必要だ」


 ギルが一切の感情を排した声で問いかけると、杖は魔力音を鳴らし、再び尊大な態度を取り繕った。


『ふん、我が名か。よかろう、大公殿下の懐刀たるこの我の真名は――』


 しかし。


 杖が名乗ろうとした瞬間、その魔力の明滅が唐突に凍りついた。


『……む?』


「どうした。音声出力のエラーか」


『……いや、おかしいな。……我の、名前……? 記憶領域の参照目録インデックス接続アクセスできないぞ……?』


 杖の声から先ほどの老獪な余裕が消え、微かな混乱が混じり始める。


『名前だけではない。我は……大公殿下のあの映像を見た後、何か、もっと重大な……殿下から託された別の何かを忘れている気がするのだが……』


 波のうねりだけが重く響く夕暮れの甲板で、自身の名と記憶の欠落に戸惑う演算杖の独白が、不気味な余韻となって海風に溶けていった。

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