幻の別荘とプライスレスな大赤字①
黒水港の清掃(という名の魔物殲滅)から数日後。
買い取った港の管理小屋で、バルタザールはカジノの利益を帳簿にまとめながら、引き揚げたばかりの喋る杖の身の上話に耳を傾けていた。
『――我はかつて、先の皇帝の叔父にあたる先代大公殿下に仕えた、皇家魔導院の筆頭演算杖である。戦局が悪化し、帝都陥落が現実味を帯びた際、大公殿下はご自身の莫大な私財……金塊や旧帝国の権利書の数々を、風光明媚な辺境の島に建造した秘密の別荘の地下金庫へ隠匿されたのだ』
『そして我は、その絶対に破れない地下金庫を開けるための、唯一の生体合鍵として輸送船に乗せられたのだが……あの忌々しい海魔の巻き添えで、海へ沈められたというわけだ』
杖が尊大に語り終えると、壁に立てかけられていたルクレティアが、鼻で笑うような念話を飛ばした。
『あーはいはい、お爺ちゃんのホラ話はもうお腹いっぱいよ。どうせ泥水啜りすぎて回路がショートしてんでしょ? そんな莫大なお宝が眠ってる別荘が、戦後何年も見つからないわけないじゃない。資産価値ゼロのガラクタね!』
「……いや。あながち嘘とも言い切れないぞ、ルクレティア」
万年筆の滑らかな動きを止め、バルタザールが面白そうに目を細めた。
「幻の皇族別荘……旧帝国が遺した莫大な簿外資産の噂は、連合国の裏社会や投資家界隈でも有名な都市伝説だ。これまで何人ものトレジャーハンターや悪徳業者が血眼になって海を探したが、誰一人としてその島を発見できず、海の藻屑となっている」
『ふん、当然だ。大公殿下の別荘がある海域は、極めて高度な認識阻害の結界で覆われている。あの霧の中ではあらゆる計器が狂い、空間そのものが歪む。正規の羅針盤たる我が導かなければ、連合国の最新鋭艦隊だろうが永遠に遭難するだけだ』
杖が勝ち誇ったように告げる。
バルタザールは静かに帳簿を閉じ、手元のティーカップを優雅に傾けた。
「……なるほど。高危険度で誰も手出しできない不良債権の、唯一の接続権《アクセス権》が今、私の手元にあるというわけだ。……ギル、カジノの資金で頑丈な小型船を調達しろ。投資の回収に向かう」
* * *
数日後。バルタザール一行を乗せた小型船は、黒水港を出て、旧帝国領の東の果てにある海域へと差し掛かっていた。
晴天だった空は突如として重苦しい乳白色に塗りつぶされ、数メートル先すら見えない、異常なほどの濃霧が船を包み込んだ。
「……視界の著しい悪化により、空間把握および外部魔力探知の精度が許容基準を大きく下回っている。海流の予測演算も不能。……バルタザール、現在の航路喪失確率は99パーセント。座礁による修繕費発生および全損の負債リスクが極めて高い」
舵を握るギルが、珍しく処理遅延の警告を吐き出すように淡々と告げる。
甲板に出たバルタザールでさえ、方向感覚が完全に麻痺していくのを感じていた。ただの自然現象ではない。物理法則すらねじ曲げる、凶悪な魔術結界だ。
『ちょっと、なによこの霧! 最悪の資産価値ね! 弾道計算のノイズがひどすぎて、どこを撃ち抜けばいいのか全然わかんないわ!』
ギルの背でルクレティアが焦燥を露わにし、明滅を繰り返す。
その時、バルタザールの手に握られた黒い杖が、待ってましたとばかりに低い笑い声を上げた。
『派手なだけの鉄砲玉と、機械仕掛けの人形には、この大公殿下の偉大なる結界術は理解できまい! 貴様らだけでは、ここで永遠に霧の中を彷徨い、餓死して不良債権の仲間入りだったな!』
『うるさいわね! だったらさっさと案内しなさいよ、この泥まみれの羅針盤!』
『口の減らん筒め。……男よ、我を船首へ向けろ。我が魔力をこの結界と同調させる!』
バルタザールが杖を船首へと突き出すと、杖の先端から青白い光の波紋が放たれた。
その光は分厚い霧を切り裂き、安全な航路だけを光の道標として暗い海面に描き出していく。
「……航法支援系の同期を確認。航路の再計算完了。……実に優秀な外部機器だ」
『ふん、当然だ。大公殿下の懐刀たる我の演算能力、とくと味わうが良い』
ギルが光の道標に従って無駄のない動作で舵を切る。
やがて、分厚い霧の壁を完全に抜け出した彼らの目の前に、太陽の光に照らされた美しい孤島と、その絶壁の上に建つ、手付かずの豪奢な別荘が姿を現した。
「……素晴らしい。連合国の連中がどれだけ探しても見つからなかったわけだ。完全な未開拓市場だな」
バルタザールは、これから手に入る莫大な不労所得に思いを馳せ、極めて上機嫌な笑みを浮かべた。




