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不良債権の海と時代遅れの戦略杖

 旧帝都の最東端。

 かつては大陸全土からの物資が集まった巨大貿易港『黒水(こくすい)港』は、今や死臭と油の匂いが漂う完全な廃港――文字通りの不良債権と化していた。


 海面はどす黒い重油に覆われ、戦争末期に沈められた連合国艦隊の無数の残骸が、墓標のように突き出している。

 ゴルディオン通商連合の総督府はここを「立ち入り禁止のゴミ捨て場」として封鎖し、監視すら放棄していた。


「……なるほど。確かに、これは見事な『ゴミ』だな。当社が安値で引き取るに相応しい」


 バルタザールは連合国の役人から、港の完全な所有権と、沈没船の引き揚げ権――サルベージ権を、タダ同然の事務手数料のみで買い取る契約書にサインを済ませていた。


「物好きだな、アンタも。あんな魔物だらけのゴミ溜め、掃除するだけで破産だぜ」


 役人が嘲笑を浮かべて立ち去った後、バルタザールは痛む胃を宥めるような、冷酷な笑みを浮かべて海を見つめた。


「ゴミを適切に処理し、新たな価値――すなわち『資産』へ錬金するのが、当社の本来の業務ですので」


 彼には、オルデン銀山の裏帳簿から生み出される現金を中立国へ運び、外貨というクリーンな資金に換えるための、誰にも監視されない「自前の貿易拠点(密輸港)」がどうしても必要だったのだ。


   * * *


 霧に包まれた海岸に、ギルとバルタザール、そして背のホルダーで「200ギルの綿人形以下」のショックから未だに立ち直れず、沈黙を保っているルクレティアが立っていた。


 ギルが波打ち際に立ち、ガラス玉のような眼球の微細な動きだけで、荒波の下に潜む巨大な魔力の塊を正確に走査する。


「……対象を捕捉。旧帝国軍が遺棄した生体兵器、超巨大クラーケン。深度150。……直ちに完全償却(破壊)プロセスへ移行する」


 ギルの無機質な報告に反応し、背後のルクレティアが、長時間のフリーズから目覚めたように嫌悪感に満ちた念話を周囲に放射した。


『はぁ!? クラーケンって、あのデカいタコ!? イヤよ、私、タコなんて絶対に撃ちたくない! ぬるぬるして吸盤が銃身にくっついたらどうすんのよ! 生臭いし、私の優雅なブランド価値がさらに暴落するじゃない!』


「……対象の触手は十本。吸盤には鋭いカギ爪が確認される。色素細胞の配列、墨汁嚢の構造から推算し、生物学的な分類上は軟体動物門頭足綱十腕目――すなわち『イカ』だ。タコではない」


 ギルがホルダーからルクレティアを引き抜き、平坦な声で訂正する。


「対象の生態構造の誤認は、熱量計算および処理コストの算定に致命的な狂いを生じさせる。精密機器としての対象認知を速やかに修正しろ、備品」


『うっさいわね、この能面! 十本だろうが八本だろうが、墨吐くぬるぬる野郎なんてどっちも一緒よ! 私はもっとキラキラした宝石やドラゴンが撃ちたいの! タコなんてやめて、カジノのVIPルームへ戻りなさい!』


「……静かにしろ、備品。イカだろうがタコだろうが、これは当社の新しい密輸ルートという未来の資産を塞ぐ『ゴミ』だ。……ギル、カジノの利益で買い込んだ中価格帯の魔石を装填しろ。五百万ギル相当の特別損失だ」


 バルタザールが痛む胃の辺りを押さえながら、ルクレティアの排熱機構へ、深緑色に輝く魔力結晶を乱暴に叩き込んだ。


『……んんっ!? あぁああああっ!? この魔石ゴハン、悪くないわ……! 星石には遠く及ばないけど、カジノの安酒よりはずっとマシ! タコはイヤだけど、この魔力なら……! 私が海ごと消し飛ばしてあげるわ!』


 魔石のエネルギーを吸収したルクレティアの銃身が、真紅に輝く。

 ギルがルクレティアを構え、超長距離の水中弾道計算をコンマ数秒で完了させる。


「……深度150。海水の圧縮率、潮流による弾道減衰、全ての補正完了。消費魔力を最小限に抑えつつ、一撃必殺を達成する確率は99.99パーセント。……撃て」


 大気を極限まで圧縮し、一気に弾けさせたかのような衝撃波が海岸を揺らした。


 海を真っ二つに割るような、極大の熱線が放たれる。

 水中での精密な魔力収束と爆発。海面が不自然に盛り上がり、巨大な蒸気が立ち込める。一瞬にして限界温度を超えて蒸発したクラーケンの残骸が、泡と共に海面へと浮かび上がった。


『見た!? イカだろうがタコだろうが、私の前ではただのイカ焼きよ! さあ、バルタザール、次はもっと高級な宝石ゴハンを用意しなさい! じゃないとストライキ起こすわよ!』


 ルクレティアが勝利宣言を念話で撒き散らす。

 その一撃で、黒水港の「死の海域」は開通し、連合国の監視が及ばない、完璧なプライベート・ポートが当社の資産として計上されたのだ。


   * * *


 圧倒的な暴力による「海面開拓」が済んだ後、バルタザールは先のオルデン銀山の案件で債務奴隷とした元・鉄爪傭兵団の面々を容赦なく酷使し、沈没船のサルベージ作業を開始した。


「なんで元傭兵の俺たちが、こんなヘドロまみれの海でゴミ拾いなんか……! クソッ、あの化け物銃の熱線のせいで、海が熱湯みたいに沸き返ってやがる……!」


 全身をどす黒い重油とヘドロに塗れさせたガロアが、恨み言を吐きながら重厚な金庫を浜辺へと引き摺り上げてくる。


「文句を言うな、ガロア団長。君たちの強靭な肉体(労働力)は、我が社が抱える貴重な流動資産だ。負債の元本がわずかばかり減る喜びを噛み締めながら、休むことなく次のゴミを引き揚げたまえ」


 バルタザールがハンカチで鼻を覆いながら冷酷に言い放つと、ガロアはギルの背で未だに熱を帯びているルクレティアの銃口がこちらを向いているのに怯え、短い悲鳴を上げて再び海へと飛び込んでいった。


 彼らが泣く泣く引き揚げてきたのは、連合国の船の残骸に混じっていた、旧帝国の皇家魔導院の紋章が入った輸送船の金庫だった。


「……皇家魔導院の紋章か。沈んでいたのは連合国の船だけではなかったようだな」


 バルタザールが泥を払い、ギルの指先から放たれた微弱な魔力で厳重なロックを強制解除して、その金庫を開ける。

 中に入っていたのは、金貨や宝石ではなく、古びた、しかし強烈な魔力を秘めた「黒い杖」だった。


『……んあー、よく寝た。……おい、そこの帝国の魔力波長を持つ男。我を引き揚げたということは、ついに反乱軍(連合国)との戦局は最終局面を迎えたのだな? 皇帝陛下からの勅命か?』


 杖が喋った。

 ルクレティアのような甲高く俗物的な響きではなく、どこか冷徹で、老獪な知識の深さを感じさせる、ひどく傲慢な声色。


「……残念なお知らせだが、君の誇り高き帝国はとうの昔に敗戦して滅びた。ここは旧帝国のゴミ捨て場であり、君はたった今、我が社の『サルベージ資産(備品)』として引き揚げられたところだ」


『なっ……!? 帝国が、滅びただと……!? しかも我が、一介の薄汚い企業の備品だと……!?』


 時代に取り残された杖が絶句する中、背後からルクレティアの容赦ない嘲笑が飛んだ。


『あははは! いつまで昔の戦争ボケ引きずってんのよ、このポンコツお爺ちゃん! 今は資本主義とおギルの時代よ! あんたなんか、ただの泥まみれの不良在庫じゃない!』


『やかましいわ、派手なだけの単細胞筒つつめ! 我は皇家魔導院の最高傑作たる戦略演算杖だぞ! 貴様のような、ただ魔力を垂れ流すだけの大味な魔力回路と一緒にされるとは、我の誇りに関わる!』


 バルタザールは、突如始まった「時代遅れの戦略杖」と「俗物的な狙撃銃」による、減価償却の終わった不良在庫同士の低レベルな煽り合いを聞きながら、さらにキリキリと痛む胃を強く押さえた。


「……ギル。そこの騒がしい骨董品を黙らせろ。返品は不可能だが、分解して市場に流せばいくらかの現金にはなるだろう」


「了解した。解体プロセスに移行し、素材別の時価を算定する」


『ま、待て! 我の演算能力は軍の一個師団に匹敵する! 分解などという野蛮な真似は……やめろ、そこの銀髪の無表情! 我に触るな!』


 彼の頭の中ではすでに、この新しい「極めて高度な演算資産(喋る杖)」と「港(密輸ルート)」を手に入れた決算が完了している。

 旧帝都復興(乗っ取り)へ向けた巨大なインフラが、また一つ、騒がしく整備された瞬間であった。

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