銀喰いの山と合法的な略奪②
麓の歓楽街は、薄暗い曇天の昼下がりであっても、欲望と酒の匂いが絶え間なく澱んでいる。
その一角にある一際大きな酒場は、本日『貸し切り』の札が掲げられ、外にまで下品な嬌声と怒号が漏れ出していた。
店内には、高価な香辛料をふんだんに使った肉の焼ける匂いと、樽ごと持ち込まれた年代物のエール酒の芳醇な香りが充満している。
長机を占領するように陣取っていたのは、武装した荒くれ者たち――鉄爪傭兵団の面々であった。
「飲め飲め! 今月もマルベリアの馬鹿から『特別危険手当』が満額振り込まれたぞ!」
上座で巨大なジョッキを呷り、赤銅色の顔をさらに赤く染めているのは、両腕に分厚い鉄のガントレットを装備した傷だらけの巨漢、団長のガロアであった。
下劣な笑い声を響かせながら、彼は卓上に散らばった金貨を無造作に鷲掴みにし、取り巻きの傭兵たちに向けて放り投げる。
「あの鉱山の馬鹿な労働者どもには、適当に百足の抜け殻でも見せてビビらせておけばいいんだ。俺たちは入り口に丸太を積んで、こうして麓で酒を飲んでるだけでいい。
誰も奥に入らなけりゃ魔物も増えねえし、俺たちは一生この村で王様気分が味わえるって寸法よ!」
ガロアの豪快な宣言に、傭兵たちから下劣な喝采が上がる。
彼らにとって、鉱山とは命を懸けて守るべき職場ではなく、永遠に金貨を吐き出し続ける都合の良い財布でしかなかった。
その宴の中心部へ、酒場の分厚い木扉が静かに、だが確かな威圧感を持って押し開かれた。
喧騒がわずかに途切れ、傭兵たちの視線がいっせいに扉へと向かう。
そこに立っていたのは、泥臭い歓楽街にはおよそ似つかわしくない、仕立ての良い漆黒のコートを羽織った男と、背中に長大な魔導狙撃銃を背負った無表情の青年であった。
「……なんだテメェら。今日は貸し切りだって表の札が見えなかったのか?」
ガロアが不機嫌そうにジョッキを置き、鋭い眼光を向ける。
しかし、バルタザールは足元に転がる酒瓶を革靴の爪先で優雅に避けながら、ガロアの座るテーブルの正面へと歩み寄った。
そして、懐から数枚の羊皮紙を取り出し、油まみれの卓上へ滑らせる。
「ご歓談中申し訳ない。私は今日からオルデン銀山の全権利を所有することになった管財人、バルタザールだ。新しいオーナーとして、諸君らに通知書をお持ちした」
「あぁ? 新しいオーナーだぁ?」
ガロアは鼻で笑い、羊皮紙を乱暴に手繰り寄せた。
しかし、そこに記載されている文字を読み進めるにつれ、彼の顔から余裕の笑みが消え去り、怒りで赤銅色の肌がどす黒く染まっていく。
「……『契約不履行に伴う即時解雇』。それに『過去6ヶ月間における不当請求分、1億2,000万ギルの損害賠償請求』だと……!?
ふざけるなよお坊ちゃん! 現場の危険度も知らねえ素人が、紙切れ1枚で俺たちの命懸けの報酬を奪おうってのか!」
ガロアが吠えると同時に、周囲の傭兵たちがいっせいに立ち上がり、腰の剣や斧に手をかけた。一触即発の殺気が酒場を満たす。
だが、バルタザールは表情一つ変えずに、隣に控えるギルへと視線を送った。
「ギル。現在の彼らの『命懸けの報酬』の使途について、報告を」
「視覚情報の解析を実行」
ギルはガラス玉のような双眸を僅かに動かし、卓上の料理、酒樽の銘柄、そして傭兵たちの装備の材質をコンマ数秒でスキャンする。
「対象が消費している年代物エール酒、最高級の香辛料、およびガロア個人の腕部に装着された特注の鋼鉄製ガントレット。
それらの市場価値と日々の浪費額を推算……過去6ヶ月間で鉱山の帳簿から引き出された特別危険手当、1億2,000万ギルと完全に符合する。
対象は現場の警備に一切の資本を投下せず、全額を私的遊興費として横領していることが証明された」
一切の感情を排した、氷のように冷たい事実の羅列。
痛いところを完璧に突かれたガロアは、屈辱と焦燥に顔を歪ませた。
ここで素直に引き下がれば、莫大な借金を背負わされる。
ならば、この小賢しいお坊ちゃんと不気味な青年を、ここで事故に見せかけて処理するしかない。
戦場を渡り歩いてきた小悪党の生存本能が、彼に最も凶悪な選択を促した。
「……御託を並べてんじゃねえぞ、若造が。この街じゃあ、夜道で運悪く強盗に殺される素人の役人なんて珍しくもねえんだよ!」
ガロアの怒号と共に、空気を切り裂く風圧が奔った。
両腕に装備された数十キロの鉄爪が、バルタザールの頭部を粉砕すべく、一切の躊躇なく振り下ろされる。
並の人間であれば、反応すらできずに肉塊へと変えられていたであろう無慈悲な一撃。
だが、バルタザールは瞬き一つせず、微かにコートの裾を揺らして半歩だけ後退し、致命的な軌道を最小限の動きで躱した。
旧帝国のエリートとして高度な武術を修めている彼にとって、大振りの暴力など風の向きを読むのと変わらない。
そして、空を切ったガロアの剛腕の横に、いつの間にかギルが滑り込んでいた。
「防衛行動に移行。消費カロリー最小の関節制圧を実行する」
ギルは一切の無駄な運動エネルギーを発生させず、自身の体重と梃子の原理のみを利用して、ガロアの太い腕の関節を逆方向に極め上げた。
骨と靱帯が限界を超えて軋む、極めて不快な音が酒場に響き渡る。
「ぐあああっ!?」
激痛に耐えきれず、ガロアの巨体が床に縫い付けられる。
それを見た取り巻きの傭兵たちが一斉に斬りかかろうとした瞬間、空気を震わせる甲高い念話が彼らの脳髄を直接殴りつけた。
『ちょっと! 動かないでよ泥棒ども!』
ギルの背中に固定されたルクレティアの銃身から、目も眩むような真紅の魔力光が放射され、床に這いつくばるガロアの眉間に死の照準を合わせた。
『あんたたちが飲んでるその泥水みたいな安酒の匂い、吐き気がするわ!
さっき私が食べた虫の殻の方が、100倍は高級で芳醇な味がしたわよ。
そんな貧乏舌の分際で、私のオーナー様に逆らう気?
私の弾丸一発のコストより、あんたたちの命の方がよっぽど安いんだからね!』
兵器としての圧倒的な格の違い。
そして、ルクレティアが放つ理不尽なまでの傲慢さに当てられ、傭兵たちは完全に戦意を喪失し、武器を取り落とした。
ガロアもまた、眉間に突きつけられた熱線と、自身の腕を砕く寸前のギルの冷徹な力の前に、己の命が文字通り『計算の枠内』に収められていることを悟り、大量の冷や汗を流して硬直した。
完全な静寂が落ちた酒場で、バルタザールは床に伏すガロアを見下ろし、極めて紳士的な笑みを浮かべて万年筆を差し出した。
「さて、ガロア団長。選択の時間だ。このまま連合の特務司法兵に横領の証拠を渡し、絞首台へ送られるか。
あるいは、今ここでこの1億2,000万ギルの『借用書(違約金)』と解雇合意書にサインして、命だけは持って逃げるか」
「く、くそっ……!」
「私は非常に合理的な人間だ。命という資産を無駄に散らすより、働いて借金を返してもらう方が余程有意義だと考えている。どうする?」
法の暴力と、物理的な暴力。
その両方で完全に退路を断たれたガロアに、選択肢など最初から存在しなかった。
彼は震える手で万年筆を握り、屈辱の涙を零しながら、自身の人生をバルタザールの手足として売り渡す羊皮紙に署名を刻み込んだ。
「よろしい。契約は成立だ」
バルタザールは署名された契約書を回収すると、ガロアの懐から無造作に膨らんだ革袋を抜き取った。
「これは当面の利子と違約金の一部として没収させてもらう。……命拾いしたな、ガロア。
この莫大な借金、いずれ利子をつけてきっちりと働いて返していただく日が来る。その日まで、せいぜい命を大事にしておくことだ」
絶望に染まる元傭兵たちを一瞥もせず、バルタザールは踵を返す。
彼の背中には、冷酷な債権者としての絶対的な支配の証と、回収されたばかりの現金の重みが、確かな実感を伴って揺れていた。




