銀喰いの山と合法的な略奪①
分厚いゴムタイヤが泥濘んだ轍を噛み砕き、魔力駆動の無骨なエンジンが腹の底を揺らすような重低音を響かせる。
旧帝都の喧騒から遠く離れた山間部へと向かう、鉱石運搬用トラックの錆びついた荷台。
吹き晒しの風と絶え間ない振動が襲う劣悪な環境下にあっても、バルタザールは姿勢を崩すことなく、手元に広げた分厚い帳簿から目を離さなかった。
それは数日前、熱狂の選挙戦の果てにマルベリア子爵から合法的に巻き上げた莫大な担保の1つ――旧帝国領に位置する『オルデン銀山』の財務諸表であった。
「……やはり、数字の辻褄が合わないな」
バルタザールは万年筆の尻で、羊皮紙に羅列された経費の項目を軽く叩いた。
向かいに座り、無駄なカロリー消費を抑えるために極めて浅い睡眠をとっていた未完成クローンの青年、ギルが、規則正しい呼吸音と共にガラス玉のような双眸を開く。
「対象は前オーナーであるマルベリア子爵が保有していた不良債権だ。魔物の発生による採掘量の低下と、それに伴う維持費の高騰。赤字を垂れ流す死に体の資産であると、すでに初期評価で結論づけられているはずだが」
「旧帝国の特別会計局でこの山の帳簿を管理していた頃は、帝国軍の1個師団の武装を賄うほどの莫大な銀を産出する優良資産だった。最盛期のデータと比較しても、現在の赤字の『中身』は不自然極まりない」
バルタザールは視線を冷たく細め、煙草に火を点けた。
「ここ数ヶ月のツルハシや照明用魔石の消耗率に対し、計上されている『鉄爪傭兵団』への月額警備費が異常に高い。
もし本当にこれだけの予算が正当に使われているなら、坑道内の魔物などとうに絶滅している。
にもかかわらず、毎月の『魔物による被害報告』と『危険手当の割増請求』は、まるで定規で線を引いたように一定の数値を保っているのだ」
「警備側による意図的な脅威の温存。すなわち、魔物を完全に駆除せず生かさず殺さずの状態で維持し、雇用主から恒久的に警備費を引き出す養殖の可能性が高い、と」
「現場の数字は、決して嘘を吐かないからな」
バルタザールは冷ややかな笑みを浮かべ、帳簿を閉じた。
やがてトラックが重々しい排気音を吐き出して停止し、目的地への到着を告げる。
荷台から飛び降りると、深い針葉樹の匂いに混じって、冷たく湿った土と錆びついた鉄の臭いが鼻腔を突いた。
曇天の下に広がるオルデン銀山は、活気という言葉から最も遠い場所に思えた。
本来ならば絶え間なくトロッコが往来し、鉱石を砕く音が響いているはずの採掘所は、墓場のように静まり返っている。
入り口付近には粗末なテントと、木材を乱雑に組んだだけのバリケードが構築されていた。
ギルがそのバリケードの隅に打ち捨てられていた、くすんだ銀色の硬質な残骸の前で足を止めた。
眼球の微細な動きだけで対象を捉え、視覚データから即座に材質を推算する。
「……視覚情報の解析完了。対象は脱皮した魔物の抜け殻、あるいは共食いによる甲殻の一部だ。
主成分は銀と岩石の混合物。魔力残滓は認められるが、有害な毒素は検出されない」
「ほう。一応、証拠品として回収しておこう」
バルタザールはその甲殻を拾い上げ、無造作にコートのポケットへと放り込んだ。
そして、テントの影で泥に塗れ、虚ろな目で地面を見つめて座り込んでいる労働者たちへと歩み寄る。
仕立ての良いコートを羽織った男の登場に、1人の年老いた鉱夫が警戒と怯えの混じった目を向けた。
「……アンタら、見ない顔だな。連合の役人か?」
「いや。今日からこのオルデン銀山の全権利を所有することになった、管財人のバルタザールだ。新しいオーナーと思ってくれて構わない」
その言葉に、周囲の労働者たちの間に微かな動揺が走る。
しかし、彼らの顔に浮かんだのは希望ではなく、深い諦念だった。
老鉱夫が乾いた唇を舐め、掠れた声で吐き捨てる。
「オーナーが変わろうが同じことだ。もうこの山じゃ、まともに銀は掘れねえ。
坑道の奥に『銀喰い大百足』が大量に巣食ってやがる。
あいつらは俺たちが苦労して掘り当てた銀脈を食い荒らすだけじゃねえ、人間の血肉の味まで覚えちまった」
「契約書によれば、魔物対策として『鉄爪傭兵団』を雇い入れているはずだが。彼らはどこにいる」
バルタザールが冷徹な声で尋ねると、労働者たちの間に明らかな怒りの色が広がった。
「あの薄汚い給料泥棒どもか! 奴ら、現場の入り口にこんなバリケードを築いただけで、奥の駆除になんて向かいやしねえ!
『危険度が高すぎるから追加の装備が必要だ』だの何だのと理由をつけて、毎日麓の歓楽街にある酒場に入り浸ってやがる! 俺たちは仕事にならず、日銭も稼げねえってのに!」
「なるほど。現場の視察もなしに、危険手当だけを満額請求し続けているというわけか」
事前の財務分析の通りだ。
傭兵団は意図的に労働者を締め出し、魔物を放置することで、無能な資金管理の網の目を潜り抜け、甘い汁を吸い続けていたのだ。
『ちょっと! いつまで油売ってんのよ!』
不意に、ギルの背中に固定されている長大な魔導狙撃銃、ルクレティアが周囲の空気を震わせるほどの大音量で不満の念話を撒き散らした。
『奪い取った資産の検収作業に行くって言うから期待してたのに、なによこの薄暗くてジメジメした穴ぐらは!
最高級の紅玉や金剛石がザクザク採れる宝石鉱山じゃないの!?
それに、最近ロクな魔力をもらってないから、お腹が空いて演算領域が焼き切れそうよ!』
「現状の我々の純負債残高と市場の流動性を考慮すれば、宝石鉱山の取得コストは非現実的だ」
ギルが淡々とした口調で物理的かつ経済的な事実を突きつけるが、ルクレティアの銃身に埋め込まれた魔力結晶は不満げな明滅を止めない。
「騒々しいな……ギル、さっき拾った抜け殻でも食わせて黙らせておけ。毒はないのだろう」
「了解した」
バルタザールがコートから取り出した甲殻を、ギルが受け取り、無造作にルクレティアの銃身に押し付ける。
『はぁ!? 私にそんな不純物まみれの害獣の殻を食えって言うの!? 私をゴミ処理機か何かと勘違いして……んんっ!?』
不平を漏らしながらも、空腹に耐えかねたルクレティアが甲殻の成分を魔力変換して吸収し始めた、その瞬間だった。
彼女の銃身を覆う魔力結晶が、かつてないほど強烈な、目も眩むような輝きを放った。
『……っ!? な、なにこれ!!』
「どうした。不味かったか」
『違うわよ! ただの不純物まみれの銀鉄鉱じゃないわ!
舌の奥でとろけるような、ものすごく濃厚で……最高級の貴金属みたいな、とんでもなくリッチな味わいがする! あんたたち、本当にこれただの銀山なの!?』
ルクレティアの驚愕の念話に、ギルが微かに眉を動かす。
しかし、バルタザールの脳内では、その一言によって無数の数字と推論が瀑布のように流れ結びついていた。
銀喰い大百足。奴らは地脈の奥底の鉱脈を食い荒らす害獣だ。
だが、ギルの表面的な視覚スキャンでは「銀」としか判定されなかった甲殻の深層に、最高級の魔導兵器であるルクレティアのセンサーを狂喜させるほどの『何か』が混ざっているとしたら。
奴らはただの銀を食っているのではない。
地下深くから、銀よりも遥かに高価で未知の資産を腹に溜め込んで這い出してくる、生きたサンプラーなのだ。
(……なるほど。精密機器の『舌』は誤魔化せないというわけか)
バルタザールの口角が、獲物を見つけた捕食者のように鋭く釣り上がった。
この山はただの赤字の銀山などではない。前オーナーですら気づいていなかった、底知れぬ含み益を秘めた超優良資産だ。
「……素晴らしい。実に素晴らしい」
バルタザールは喉の奥で、氷のように冷たく、ひどく楽しげな笑い声を漏らした。
そして、麓の街へと続く道を見下ろす。
「行くぞ、ギル。まずは我が社の利益を不当に損なっているあの寄生虫どもに、『契約不履行による即時解雇』と『莫大な損害賠償』の通知書を叩きつけに行く。
労働者諸君、明日からこの鉱山は劇的に生まれ変わるぞ。せいぜいツルハシの手入れをして待っていることだ」




