第12話 祖父との契り
「車取ってくるから、ちょっとそこで待ってろ!」
朔に制止され、七星は演習場の端で胸を高鳴らせながら待機していた。
先ほど、人類の科学の最高峰である『神衣』と、その圧倒的な力を目の当たりにしたばかりだ。
迎えに来るのは、どんな未知のテクノロジーを搭載したスーパーカーだろうか。
光学迷彩か、あるいは飛行機能か。
プッ! プッ!
間の抜けたクラクションの音が、七星の妄想を切り裂いた。
「早く乗れ。行くぞ」
(え……)
目の前に停車したのは、科学の「か」の字も感じさせない、使い古された濃い緑色の軽自動車だった。
年季が入り、丸みを帯びたその愛らしいフォルムは、冷静沈着な好青年である朔のイメージとは、これ以上ないほどに相性が悪く見える。
(……いや、これは乗せてもらう身でありながら、勝手に妄想を膨らませた俺が悪いんだ)
七星は自分に言い聞かせると、少し軋む音を立てるドアを開けた。
ガチャ。
「お願いします」
「シートベルトしとけよ」
朔はそれだけぶっきらぼうに投げかけると、すぐさまアクセルをベタ踏みにした。
唸りを上げる小さなエンジン。
悲鳴を上げる軽自動車が猛スピードで駆けていく。
「朔さん! ストップ、ストップ! 捕まっちゃいますよ、マジで!」
七星の必死の制止に、朔はハンドルを握ったまま、どこか冷めた声で応じた。
「山の中腹あたりまではうち(ARK)の私有地だから大丈夫だ。俺も実は忙しいんだよ!」
結局、その愛らしいフォルムには全く似つかわしくない速度で、軽自動車は一気に山を下りきった。
私有地の境界を抜けたあたりで、ようやく針の振れていた速度計が落ち着きを取り戻す。
「はぁ……はぁ……死ぬかと思った……」
「あんな程度じゃ、もう死ねねーよ。お前はな」
朔の言葉に、七星は我に返る。
そうだ。自分はもう、車なんかよりずっと速く、強い存在なのだ。
「……でも、どうしてわざわざ車で移動するんですか? 朔さんなら、走ったほうが速いんじゃ……」
「それはお前、俺だけならともかく、まだ力の制御もできないお前が全速力で街中を走ってみろ。衝撃波で窓ガラスは割れるわ、目撃者は腰を抜かすわで、パニックどころじゃ済まないぞ」
「……そうでした。すみません」
言われてみれば当然だ。
だが、七星にはもう一つ、どうしても気になっていたことがあった。
「そういえば……ずっと不思議だったんですが。『輪外』による被害が多発している日本で、どうしてARKの存在が世間に知られていないんですか?」
七星の問いに、朔はバックミラーで後方を確認しながら、淡々と「世界の裏側」を語り始めた。
「ARK……いや、『輪外』そのものが国家レベルの秘匿対象だからな。討伐は基本、秘密裏に行うのが鉄則だ。もし万が一、一般人の目の届くところで戦闘になっても、目撃者の記憶を断片的に切り取るなんて芸当、今のテクノロジーなら容易いことだよ」
「……記憶を、切り取る?」
「ああ。お前が昨日まで送っていた『平和な日常』ってやつは、そうやって裏で誰かがハサミを入れて繋ぎ合わせた、パッチワークみたいなもんなんだよ」
「そうだったんですね……。でも、どうしてそこまで徹底して明るみにしないんですか?」
七星の純粋な疑問に、朔はハンドルを握り直して答えた。
「理由はさっきと同じだ。パニックを恐れてる。もし日本中がパニックになれば、社会インフラは一瞬で崩壊し、それこそ終わりだ」
「なるほど……」
納得しかけた七星に、朔は少しだけ声を潜めて付け加えた。
「だがな……今年からARKは、その方針を大きく転換させたんだ」
「え……?」
「徐々に『輪外』の存在を、世間に明かしていくつもりらしい」
予想外の言葉に、七星は身を乗り出した。
平和な日常の裏側で、長年守られてきた禁忌の蓋が開こうとしている。
「急に、どうしてですか?」
「年々増加傾向にある『輪外』の被害。それを防ぎながら完璧な情報統制を敷き続けるのは、もう不可能に近い。……そして何より、最近の奴らは人里に現れる個体が増えてきているんだ。ARKの戦闘員にも限りがある。少しずつでも、一般市民に『自衛』の意識を根付かせなきゃいけない時が来たんだよ」
そんな世界の存亡に関わる深刻な問題について話し込んでいる間に、フロントガラスの向こう側に見慣れた景色が飛び込んできた。
近所のコンビニ、よく通る角のポスト、そして夕暮れ時にいつも見上げる電柱の影。
(あれ……?)
「……ここ、もう見たことある景色なんですけど」
「それはそうさ。さっきマップで検索したけど、基地から七星の家まで車で一時間ちょいだったもん」
(そんな近かったんかい!)
心のなかで盛大なツッコミを入れながらも、軽自動車は七星の見慣れた家の前で静かにエンジンを止めた。
「……七星。降りる前に、一応打ち合わせをしておこう」
朔がハンドルを握ったまま、小声で切り出した。
「どんな作戦がありますか……」
「お前のじいさん、どんな人だ?」
「……温厚。適当。以上です」
七星の簡潔すぎる回答に、朔は少しだけ考え込む仕草を見せた。
「じゃあ、七星がたまたま俺の運営しているコテージに泊まりに来て、『ここで働かせてください!』って頼み込んできた……みたいなのはどうだ?」
「いや、脈絡なさすぎますて……」
「……じゃあ、こうだ。そのコテージで動物を飼っていて、『荒れ狂うゴリラ』と『気分屋のマイペース猿』の世話が大変だから、ぜひお前を雇いたいってのはどうだ?」
「……嘘は言ってないけど。というか、むしろ本質を突きすぎてますけど。……まぁ、そんな感じでいいです」
二人は顔を見合わせ、一つ大きく深呼吸をすると、意を決して車を降りた。
錆びついた門を抜け、使い込まれた引き戸に手をかける。
ガラガラガラ……。
「じいちゃん、ただいま〜」
『お邪魔します……』
「おう。おかえり。……珍しく、お客さんか」
七星の祖父が玄関まで出迎えてくれた。
彫りの深い顔立ちには長年の年輪が刻まれているが、その瞳はどこまでも穏やかで、包み込むような優しさを湛えている。
「とりあえず上がりな。立ち話もなんだろう」
「急で悪いな、じいちゃん」
「失礼します……」
靴を脱ぎ、見慣れた廊下を歩く。
廊下の軋む音、少しだけ傾いた鴨居、そして仏壇から漂う線香の残り香。
居間に座ると、じいちゃんが湯呑に入れた熱いお茶を運んできてくれた。
湯気の向こうで、七星は意を決したように背筋を伸ばし、早速本題に入り始める。
隣に座る朔のこと。
そして、急遽住み込みで働きたいということ。
「そりゃ〜お前。構わんけど。……学校はどうすんだ」
じいちゃんの至極真っ当な問いに、七星は息を呑んだ。
確かにそうだった。
あまりに濃密な時間のなかで、完全に失念していた。
……けれど、もう振り返ることはできない。
「……辞めようと思ってる」
「ちょ、おま……っ!」
想定外の「中退宣言」に、隣の朔が慌てて制止をかけようとしたが、その必要はなかった。
「そうか、そうか! そんなに夢中になれるものが見つかったんだな! それならやってみぃ!」
「え……」
絶句したのは朔の方だった。
退学という重大な決断を、まるで「新しい趣味を見つけた」かのようにあっさりと、そして力強く肯定する。
それは七星にとっては、いつもの「当たり前の回答」だったのかもしれない。
「ありがとう、じいちゃん!」
「住み込みだろ? ほら、さっさと荷物まとめてきな」
「朔さん、すみません! ちょっと待っててください!」
七星は弾かれたように立ち上がると、足早に二階へと駆け上がっていった。
ドタバタという足音が響くなか、七星の祖父が、静かに朔へと視線を向けた。
「朔さん。七星を頼むね。あいつは不器用だけど、真っ直ぐでいい子だよ」
「……はい。任せてください。とは言っても、コテージはここから一時間くらいですから。たまには帰るように言いますよ」
「ははは、まだ若いのに気遣いもできていい男だな、あんた。……大人びてるが、まだ二十歳そこそこだろ?」
「……はい。21です」
「そうか。あんな頼りない男だけど、頼ってこき使ってもいいんだからな」
「……お心遣いに、感謝いたします」
深々と頭を下げる朔。
こうして「家庭訪問」は、一人の老人の深い慈愛によって、無事に保護者の了承を得る形で幕を閉じた。
◇◇◇◇◇
祖父が外まで見送りに着いてきてくれた。
先に運転席へと乗り込んだ朔は、少しだけ距離を置いて二人を見守っている。
玄関先で、じいちゃんが七星に何やら言葉をかけていた。
その言葉は朔の耳には届かない。
「………………」
七星の表情が引き締まる。
けれど、すぐにいつものような力強い笑顔を浮かべて答えた。
「……任せてよ! じゃあ、また帰ってくるから。体、大事にしてな!」
七星も助手席に乗り込み、シートベルトを締める。
『では、失礼します』
朔が丁寧に頭を下げると、じいちゃんはひらひらと手を振った。
「ありがとね〜。」
ブ〜ン!
唸りを上げる軽自動車の中で、遠ざかる我が家をバックミラー越しに見つめながら、朔がふと口を開いた。
「……さっき、お爺さんになんて言われたんだ?」
「ただの喝ですよ。……喝」
七星は曖昧に笑って誤魔化した。
胸の内に秘めた「約束」の重みを感じながら。
ピーピー! ピーピー!
突如、車内に不穏な電子音が鳴り響いた。
「...!?」
(なんの音??)
ーーーーーーーーーーーーーーー
意外とすんなり快諾されたARK入隊(偽装)。
玄関先で交わされた「約束」を胸に、少年はとうとう本格的に戦線へと身を投じる。
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次回、第13話は来週、4月6日(月)18時00分に更新予定です。
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