第13話 唐突な初陣
――ピーピー! ピーピー!
突如、車内に不穏な電子音が鳴り響いた。
「ちっ……。こんな時に……! 七星、これを耳に付けろ」
朔が投げ渡したのは、一見するとただのワイヤレスイヤホンのような物体。
だが、耳に差し込んだ瞬間、それは生き物のように形を変え、七星の耳の穴にぴったりと馴染んでいった。
(これにもナノテク……!?)
「朔、聞こえる?」
通信から聞こえてきたのは、聞き慣れた、けれどどこか疲れ切った男の声だった。
「はい。繋がってます」
「こちら、たった今目覚めた凪にボコられた明楽……。あ、痛……」
「おふざけだったら許しませんからね」
「それが、おふざけじゃなくてさ……。早速来たよ、新年一発目」
明楽の声から、一瞬にして冗談めいた色が消えた。
「心音さんは?」
朔の問いに、通信の向こうで明楽が短く息を吐いた。
「起きてるよ。もうバリバリ解析中。……で、今どこよ」
「静岡市街地を出たところで、浜松方面に車を走らせてます。七星の家を出てすぐの場所です」
「……現場、めちゃくちゃ近いね。判断は朔に任せる。ただ、おそらく今回のはかなり強いよ。……等級はね、『顕現』くらいかも。一人じゃさすがに厳しいでしょ?」
『顕現』――。
その言葉を聞いた瞬間、朔の眉間に深い皺を寄せた。
輪外の中でも、明確な意思と、物理法則を捻じ曲げるほどの力を持つ上位個体。
戦闘経験のない七星を連れて、一人で相手にするにはあまりに荷が重い。
「……とりあえず、早くデータを送ってください!」
「了解……。今、転送したよ。気をつけてね」
転送されたデータが、古びた軽自動車のナビを通じて、青白いホログラムとして空中に浮かび上がった。
その無機質な光が、狭い車内を異様な緊張感で満たしていく。
[ WARNING ]
界圧:4120Qt(上昇中)
等級:『顕現』
推奨:☆☆☆☆(フォースター)
「……4000超え!? それに、まだ上がってる……」
朔の顔から、完全に余裕が消えた。
「……今降り立った化け物の位置は海岸か。七星、この場所を知ってるか?」
朔がホログラムの座標を指し示す。
その表情は、獲物を見据える鷹のように、鋭く、冷徹なものに切り替わっていた。
「はい。海沿いに、横長に続く公園があります。……僕も、子供の頃によく遊びました」
「ここで戦う。……いいか、七星。お前はとにかく、自分の身を守ることに徹しろ」
「わかりましたが……。そもそも、僕がついて行く意味ってあるんですか? 邪魔になるだけなんじゃ……」
不安に駆られた七星の問いに、朔はアクセルからブレーキへと足を移しながら、短く、切り捨てるように言った。
「もうお前は、ARKの戦闘員だろ。……やれることは、自分で探せ」
その言葉を最後に、軽自動車は海岸付近の駐車場へと滑り込んだ。
ドアを開けた瞬間、潮騒の音をかき消すような、空間そのものが軋む異様な「音」が耳を突く。
二人は車を飛び降り、海岸公園へと足早に向かった。
夕日に染まるはずの砂浜。
かつての遊び場。
その中心で、界圧4120Qtを放つ『顕現』が、静かに世界を侵食し始めていた。
◇◇◇◇◇
公園の砂地へと踏み込む二人。
潮風が吹き抜ける中、朔の周囲の空気が一変した。
彼は、親指に通した銀色の指輪に覆いかぶせるように、強く、硬く拳を握りしめる。
「神衣……起動」
その呟きと共に、指輪から溢れ出した高密度の粒子が、朔の四肢を鋼の皮膚へと変えていく。
次の瞬間、彼は砂を爆ぜさせ、物理法則を無視した初速で走り出した。
「抉抜……」
さらに一段、世界が置き去りにされるような速度へとギアが上がる。
七星の動体視力ですら、もはや朔の背中は残像にしか見えない。
朔は最初から全力を出していた。
「は、速い……っ!」
砂浜に一人取り残された七星の頬を、朔が駆け抜けた後の衝撃波が鋭く撫でていく。
前方、界圧によって捻じ曲げられた空間に一直線にかけていく。
そこに在ったのは、まるでこの世の全ての光を拒絶するような、不気味なほど真っ白な「液体」の塊だった。
それは、辛うじて人の形を成している。
顔も、指も、衣服の皺もない。
ただ、粘度の高い白い粘液が、重力に逆らってゆらゆらとうごめいているだけだ。
「……何だ、こいつ!?」
ためらいを振り払うように、朔が再び踏み込んだ。
渾身の力が乗った拳が、白い液体の人型を真っ向から捉え、その肩から胸にかけてを大きく欠損させた。
(……あと一撃で、やれる!)
弾け飛んだ白い液体が、砂浜に点々と散らばる。
客観的に見れば、手応えは十分だ。核さえ叩き割れば、この不気味な虚無も霧散するはず。
しかし、その確信は一瞬で塗り替えられた。
「……っ!?」
次の瞬間、欠損したはずの部位が、重力を無視して内側から盛り上がるように修復された。
あまりのも早い再生に朔は面を喰らった。
のっぺらぼうだった白い頭部が、確実に朔を捉え、意思の介在しない液状の腕が、真っ直ぐに朔へと向けられた。
――ドッカ――ン!!
至近距離で爆発的な衝撃波が砂浜をクレーター状に抉り、朔の身体を木の葉のように吹き飛ばす。
「朔さん……!!」
七星の絶叫が、爆音にかき消された。
「……敵から目を逸らすな!! 次の攻撃に備えろ!」
砂煙を突き破り、吹き飛ばされたはずの朔が鋭い声を上げた。
地面を滑るように着地し、すぐさま戦闘態勢を立て直して七星に指示を出す。
その動きに淀みはない。
だが、追撃は来なかった。
砂浜に穿たれたクレーターの中心で、液状の輪外はただ、ゆらゆらと蠢いているだけだ。
爆発的な力を放った直後だというのに、殺気すら感じられない。
(……どういうことだ)
相手の「異能」を正しく見極めること。
それが輪外討伐における、生死を分かつ鉄則だ。
「七星、少し距離を取れ。……この輪外、何かおかしい」
「……わかりました」
七星は生唾を飲み込み、朔の指示通りにじりじりと後退した。
「……神肢解放。『絶影』」
その静かな、けれど砂浜の空気を震わせるような言葉を皮切りに、朔の右手に異変が起きた。
先ほどまでは虚空を握っていたはずの拳に、黒い粒子が凝集し、実体を結んでいく。
顕現したのは、一振りの刀だった。
刀身は夜の闇を溶かし込んだように深く、鋭い。
夕日を浴びても反射一つ返さないその漆黒の刃は、あたかもそこにある「空間」そのものを切り取ったかのような、異質な存在感を放っている。
「……刀?」
後方に下がっていた七星は、その神々しいまでの光景に息を呑んだ。
ARKの戦闘員として、ついに朔がその「真の力」を抜いたのだ。
「さぁ化け物。試してみようか...」
朔が『絶影』を低く構える。
液状の輪外との距離は、まだ十数メートル。
刀が届くはずのない、圧倒的なアウトレンジ。
だが、朔は迷うことなく、その漆黒の刃を一閃させた。
「朔さん! それじゃ届か……」
次の瞬間。
「――ガ、ッ……!?」
何の前触れもなく、白い液体の人型の胴体が、斜めにズレた。
物理的な刃が触れたわけではない。
ただ、朔が空間を切り裂いたのとほぼ同時、輪外の肉体が「切断された」という結果だけがそこに現出したのだ。
「……絶影は、影を斬る。影を斬られた者は、本体の肉体もまた、等しく両断される」
朔が低く呟く。
切断面からは、鮮血のような赤い液体ではなく、さらに濃度の増した真っ白な霧が噴き出した。
しかし、先ほどと同様、切断部分は磁石が引き合うように吸い寄せられ、瞬く間に修復されていく。
だが、先ほどの一撃とは決定的に違う点があった。
修復後の、あの容赦ない反撃がなかったのだ。
(……反撃が、ない?)
朔が漆黒の刃『絶影』を構えたまま、眉根を寄せる。
先ほどは一撃を加えると、カウンターが襲ってきた。
だが今は、修復を終えた白い個体が、ただ霧の中に静止している。
「なるほどね……」
砂煙の中、朔が低く、どこか確信に満ちた声を漏らした。
「……何か、わかったんですか?」
背後の七星が、息を呑んで問いかける。
「ああ。……もう、近づいても大丈夫だよ。こいつ、ただの雑魚だ」
「えっ……。あの衝撃波、そんな風には見えなかったですけど……」
七星は、先ほど朔を吹き飛ばしたあの凄まじい爆発を思い返し、思わず身を固くする。
「確かに、あの反撃は凄まじかった。七星が直接受けてたら、今頃おさらばだったかもな。……でも、からくりが分かればなんてことないね」
「からくり……?」
「こいつ、一撃目はあれほど烈烈と反撃してきたのに、二撃目は修復のみだった。……明確な違いは、それが『物理攻撃』か『異能攻撃』かだ」
朔が漆黒の刃を軽く振り、刀身を横に構える。
「絶影の異能は、本体に直接物理的な衝撃を与えるもんじゃない。……つまり、あいつは俺が与えた『物理的な衝撃』をエネルギーに変換して、そのまま反撃に転用してきたってことだ。こいつの異能は……『反撃』ってところだな」
「……なるほど。では、こちらから物理的な衝撃を与えなければ、反撃は来ないと?」
「そうだ」
目の前で蠢く真っ白な「液体」の塊。
それは、敵の力を喰らって反撃をする、鏡のような怪物だった。
「……聞いてましたよね? 明楽さん」
朔が、耳元の通信機越しに低く問いかける。その視線は、依然として砂浜で蠢く「白い液体」から逸らされていない。
「もちろん。ばっちり聞いていたよ」
通信の向こう側、明楽の声はどこか退屈そうに響いた。
「……この輪外、討伐できません」
朔の断言に、一瞬の間が空く。
「はぁ〜……。期待外れだ」
「いや、こんなの討伐できる奴、滅多にいないですよ! 物理衝撃をすべて反射に変換されるんですよ!? 詰みですよ、詰み!」
「……俺ならできるよ〜」
「うるっさ!!」
緊迫していたはずの海岸公園に、場違いな怒鳴り声が響き渡る。
(……この人たち、この状況で何やってるんだ)
ーーーーーーーーーーーーーーー
無事に終えた初陣。
討伐不可能の輪外をどう処理していくのだろうか。
お読みいただきありがとうございます!
もし「続きが気になる」「面白そう」と思っていただけたら、 ページ下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマーク登録をしていただけると、執筆の励みになります!




