【青嵐編】87:xx19年5月5日
ことの発端は入居初日の話。
乃亜が音楽学科に在席していて、ヴァイオリンが専科であり、
しかもコンクールで上位、推薦入学さえ果たしたという話を聞いたフロアメイトたち。
ヴァイオリンは乃亜にとっては身近だが、
一般的には、多くの人が知ってはいるが身近とはいえない、という楽器である。
フロアメイトたちが興味を持つのも無理はなく、
また幾度か聴いているましろにとっても乃亜のヴァイオリンはご無沙汰である。
結果、演奏が聴きたい、という話になった。
善は急げとましろと隼人は管理人の矢島に演奏について相談した。
矢島は大学と近所の自治体に確認をとり、
中庭で日中の時間ならば可、事前に演奏時間を連絡するように、
という条件はつけたが許可をした。
そしてゴールデンウィークも終わりに近づいたある日。
約束の日、時間になり、乃亜はさすがに緊張を覚えていた。
友人たちの前で演奏するというのは、コンクールとはまた違った緊張感がある。
しかも屋外だ。
屋外で演奏するのはアメリカの大学でのイベント以来だが、
あの時は小型のマイクのようなものがヴァイオリンにつけられていた。
今回はそれはない。
きちんとヴァイオリンの音の響きが聞こえないのではという懸念があった。
それを懸念としてましろたちにも伝えたが、
友人同士での内輪の演奏なのだから気にしないでいいの一点張りだった。
おそらくそういわれるような気がしていた。
演奏会が決まり、乃亜が選んだ曲は3曲。
ゴールデンウィークは特に予定はなかったので
基本的に防音室で練習に時間を使った。
完璧に納得できる出来かはともかくとして、
とりあえず及第点くらいにはなんとか仕上がったかなとは思っている。
とはいえ仮にコンクールのような場であれば絶対に無理だと断言したい。
「……本当にいつかのような演奏じゃないので」
「わかったって。大丈夫だよ、本当に内輪のだしさ」
「それは、分かってるんですが……」
防音室で調律を終えた乃亜が、待っていたましろにそう告げる。
表情は苦々しく、どこか重い。
ましろが理由を尋ねれば、帰って来たのは、
ギリギリ及第点な演奏になる、という回答だった。
「珍しい、というわけじゃないけど、
そういう言い方きくの初めてかも。どうしたの?」
元々乃亜は自分の演奏に対して、自信がある、という言い方はしない。
いくらも明るく、前向きになったのは確かであるが、
それでも根底として、自分にあまり自信がない性格は変わっていない。
とはいえ「ぎりぎり及第点」という言い方は今までなかった。
「大学のヴァイオリンレッスンで、色々ご指摘いただいているので……」
「あー……、すごい人がついてるんだっけ?」
「大変ありがたいことに……」
言葉のわりに乃亜の表情は暗い。
暗いというよりも疲労感が漂っている。
先月から始まっている葉山教授によるヴァイオリンレッスン。
それは決してアレコレと言葉厳しく指導されるものではない。
教授はひたすらに楽し気に、穏やかに、好々爺とした雰囲気にてレッスンをしてくれる。
しかし指摘する内容は非常に鋭いものばかりだ。
今まで水野の元で指導されていたのは本当に表面的なものだったらしい。
だがそれは水野の責ではない。彼女の専科はあくまでピアノだからだ。
葉山はにこにこと笑いながら大変な技巧曲を前期の課題として出してきた。
乃亜はそれに大変に苦戦しているのである。
単純に弾くだけならばできないこともないが、それはただ弾けるだけ。
美しくもなければ乃亜の納得できるような出来でもない。
葉山のレッスンを含めた実技、座学の講義などを受講するようになり
乃亜は少しずつだが、自分の演奏のなにが納得できないのかがわかり始めていた。
そんな日々である。
奏でる曲の出来としてはギリギリだと感じてしまうのも仕方がなかった。
乃亜はヴァイオリンと弓をそのまま手に持つ。
ましろはケースを取り上げ、二人は中庭へと歩き出した。
「別に自分の演奏に自信があったわけではないですが、
それでもまだまだ甘かったなと痛感するばかりです」
「そこまで卑下する必要なくない?コンクール2位の実力者がさ」
「いえ、それ自体は受け入れてますが……まだまだ未熟だなと」
ましろはヴァイオリンの技術的な優劣はほぼ分からない。
ただ乃亜のヴァイオリンが好きなのだ。
他の演奏者にはない美しいものを感じている。
おそらくそれを指導者も感じ取っているのではないだろうか。
そして乃亜に課されている課題は、
大学1年生に課すそれとはおそらくわけが違う。
惜しむべくは、指導者が乃亜の自己肯定感の低さを測りきれていないことだ。
しかし以前より格段に乃亜は前向きになった。
きっと時間の問題だろうと信じたい。
「まぁ、なんにしても、今日は気軽にね」
「ええ、まぁ……そうですね……」
乃亜はひとつ息を吐き出し気持ちを切り替える。
今日は友人たちに少し聴かせるだけ。
一応曲は3曲用意しているが、反応が悪ければ切り上げればよい。
そう自分に言い聞かせる。
中庭に出ると、B棟前あたりに見知った顔がそろっていた。
芝生を横切りそちらに向かうと、こちらに気付いたのか手を振っている。
二人は少し早歩きで合流した。
「よう!待ってたぜ!」
「乃亜、今日よろしくね!」
隼人に茉莉が楽し気に言う。
乃亜はそれに少し照れたように笑みを浮かべた。
B棟正面にある小さな花壇。
それに並ぶように並んだ2つのベンチ。
向かって左側には明日香と茉莉が座り、右側には空良と隼人が座っている。
また、その後ろには、静ともうひとり、乃亜の知らない男性が立っていた。
「ああ、翔も来てたんだ」
「ああ、隼人に声かけられてな」
黒髪でスポーツ刈りの青年は穏やかに笑う。
乃亜が不思議そうな顔をしていたのだろう。彼はにこりと笑った。
「君とは初めましてだな。
雲鍾 翔だ。静やましろ、隼人と同じ剣道道場に通っていた」
「あ、斉王 乃亜です。兄やましろたちからお話は伺っています」
確か以前は剣道をしていたが、途中怪我が原因で引退を余儀なくされたと聞いた。
そのため乃亜は勝手ながら親近感を覚えていた。
しかし彼はそれでも負けず、トレーナーとしてスポーツに関わり続けている。
力強く、頼もしささえ感じる笑顔に乃亜も笑みが浮かんだ。
「俺は音楽には疎い無骨者だが、ましろや静から、
君のヴァイオリンのすばらしさはよく聞いてる。
楽しみにしていた」
「いえっ、その、恐縮です。
少しでも、楽しんでいただけたら幸いです……」
「ありがとう。
ふふ、静とは違って随分と控えめなお嬢さんのようだな」
「どういう意味だそれは……」
隣にいる静が大変渋い顔で翔を見た。
翔は笑ったまま肩をすくめる。
「お前は剣道を始めた頃からなんでもしれっとこなして、
ある意味、可愛げの欠片もなかったからな」
「あー、確かに。静、いっつもしれっとしてたもんな!」
「やかましい」
翔に同調するように隼人が笑う。
静がどこかうんざりとした様子を見せている姿を見て、乃亜はくすりと笑った。
「兄さん、道場だとそういう感じだったんですね」
「乃亜?」
「ふふ、なんでもないです」
家や、自分の前で見せる兄の姿とは少し違うそれに、乃亜はなにか嬉しい気持ちになる。
だがそれは兄としては不本意だろう。静の訝し気な視線を笑って誤魔化した。
「おーい」
ふと声がかかり、全員の視線が声のした方、総合エントランスの方に向く。
管理人の矢島、そしてその隣から、パタパタとこちらに入って来るお下げ髪の子供の姿があった。
「美幸ちゃん!」
「よかった、来てくれてんだ!」
それを立ち上がって出迎えたのは茉莉と明日香である。
乃亜もまたそれに微笑みがこぼれた。
「まつりおねーちゃん、あすかおねーちゃん!」
「こんにちわ、美幸ちゃん」
「うん、こんにちわ!」
美幸は矢島の一人娘だ。
歳は六つで、矢島と二人、総合棟の二階にある矢島の住居で暮らしている。
以前、乃亜がこのマンションの見学に来た時、
どうしても外せない用事があるといって矢島は不在だったが、
そのときの外せない用事と言うのが、美幸の保育園の卒園式だったらしい。
当時、その話をきいて、静とふたりでほっこりとしてしまったのは記憶に新しい。
「矢島さん、今日はありがとうございます。許可いただいて」
「なに、気にするな。
別段、ここで楽器やるのはお前さんが初めてじゃないしな。
ときどきあった話だし、近所の人らには許可も取ってる。
気にせずやってくれ」
「はい、ありがとうございます」
笑い皺を浮かべて気のいい笑みを浮かべる矢島に、乃亜も笑い返す。
小さな足音がこちらに近づき、乃亜は視線を落とした。
「のあおねーちゃん!今日、すごくたのしみだったんだよ!」
きらきらとした瞳で見上げてくる美幸と視線を合わせるようにしゃがむ。
施設にいた小さな友人たちを思い出し、自然と笑みが浮かんだ。
美幸はこのマンションの学生たち皆に可愛がられているアイドルのような存在だ。
時折中庭でほかの学生たちと遊んでいるのも見かけている。
「ありがとうございます。美幸ちゃんの知ってる曲があったら、歌ってくださいね」
「うん!」
「美幸ちゃん、こっちに一緒に座ろ!」
明日香が声をかけると、美幸は明るく返事をして茉莉と明日香の間に座った。
矢島も娘が楽しそうな様子に笑みを浮かべたまま、
彼女の座るベンチの近くに立った。
その様子を微笑ましく見つめ、そろそろかいいかと
乃亜はヴァイオリンをもって彼らの正面に立つ。
その一方で、翔は腕の時計をちらと確認した。
その表情は渋い。
それに気づいた静が声をかけた。
「このあと用事でもあるのか?」
「ああ、いや、そういうわけじゃないんだが……。
……来ないなと思ってな」
「ああ、創?」
首を後ろにそらしながら翔に言ったのは隼人だ。
隣に座るましろは目を丸くした。
「え、創にも声かけてたの?」
「ああ。俺も呼ばれたし、問題ないかと思ってな」
「……翔、いい加減、ましろがいる場にあいつを呼ぶのは勘弁してくれ。
俺の胃が痛い」
「そう気にしなくてもいいだろう。
あいつも実際は諦めてるだろうさ」
「そうそう。ましろ使ってアンタからかってるだけじゃん」
「お前たちな……」
呑気に話す翔に、首を反らしたままあっけらかんと言う隼人。
それに静は肩で深くため息を吐き出した。
不思議そうな顔をしている空良や明日香たちに
隼人をはさんだましろが少し身体を近づけて説明した。
「創、進藤創って言うんだけど、私たちと同じ剣道の道場の出身で、
翔と同い年の奴なんだけどね。
私や隼人とも子供の頃からの知り合い」
「そ!剣道もめちゃくちゃ強かったけど、
静のことライバル視しててさ」
体勢をもどした隼人も説明に加わる。
乃亜も二人の話に準備をしながら耳を傾けた。
先日の様子はそういった理由もあったのかと内心納得した。
二人の間には、ただましろを間に挟んだ
三角関係というだけのものには見えなかったからだ。
ましろはさらに続けた。
「なんだかんだ、公式大会じゃ静に勝てなくて、
でもひとつ上だから大学の大会で今度こそって思ってたみたいなんだけど
静は高校ですっぱり引退しちゃったから」
「それで借り返す機会がなくなっちまって、ライバル心こじらせてんだよな」
「拗らせてるっていうか、まぁ、創、ひねくれてるしなぁ」
「そうそう。まぁ、俺はおもしれーけど」
くく、と笑う隼人にましろは肩をすくめる。
深くため息を吐いたのは隼人の後ろにいる静だ。
その様子を見て、乃亜は苦笑いを浮かべた。
ただ単に、ましろのことだけが、兄の悩みの種ではないようである。
「まぁ、来るかは分からないけど、乃亜、そろそろいいよ」
「大丈夫ですか?……その、進藤先生、いらっしゃるなら」
「ああ、あいつは気まぐれだから、気にしないでいい。
というか、そうか、君、音楽学科だったものな。
あいつの講義を取ってるのか」
「講義?」
思わず、というように空良が疑問を口にした。
それは明日香たちも同様のようで不思議そうな顔をしている。
「音楽学科で、非常勤講師として講義をお持ちなんです。
私も取っていて」
「え、剣道やってて、音楽学科で講師……?」
空良の顔には疑問符だらけだ。
その気持ちはとてもよくわかる。
「まぁ、あいつのことはいいって。
乃亜、頼む!」
「あ、はい」
確かにいつまでもこうしていても仕方ない。
隼人がぱんっと手を叩いて進行してくれたおかげで
全員が気持ちを切り替えたようだ。
全員の視線があつまり、ほどけていた緊張が再び襲い掛かるが、
乃亜はひとつ息を吐き出してそれをいったん落ち着ける。
「ええと……それでは、三曲ほど、演奏させていただきます。
どの曲も、クラシックにあまりなじみがない方でも、
知ってるような曲を選んだつもりです。
特に二曲目は、美幸ちゃんも知ってると思うので、
楽しんでくれたら、嬉しいです」
ぱちぱち、と拍手が起きる。
皆の眼差しは期待と興奮がよく見える。
乃亜は足元に置いたタブレットを操作して、伴奏のピアノ曲を流し、
小さく深呼吸してヴァイオリンを構えた。
【エルガー:愛の挨拶】
わ、と茉莉や明日香の感嘆の声が響いた。
そのメロディはクリシックに馴染みのない人でもどこかで聞いたことがあるもの。
軽やかでどこか甘い、
砂糖菓子のような優しくふわりと溶けるような甘さ。
それは春のあたたかな風に揺れるカーテン、
二人分並んだ朝食、
花瓶に生けられたデイジー、
木漏れ日が作る影がうつる白いテーブルクロス、
愛する人の微笑み、
ささやかな朝の日常。
そんな中に感じられる幸せを歌っている。
ごく短い曲であるがそれでも思わず聴いている者に笑みを与えるそれは、
その場にいる面々だけでなく、少し離れたところにいたマンションの学生、
各棟の廊下を歩いていた学生らなど
それぞれの視線を集めるのに十分すぎていた。
曲が終わり、わっと拍手が広がる。
乃亜はにこりと笑い、次の曲の準備に入る。
あらかじめセットしていたらしいタブレットの音楽リストは
ややあって次の曲の伴奏を始める。
その伴奏に、誰より早く、美幸がわっと声を上げた。
この曲は以前、薬師の施設でも子供たちに楽しんでほしくて選んだ曲だ。
国民的な某アニメの主題歌だ。不思議な道具をポケットから取り出して、
仲間たちと様々な冒険をしたり、時にハプニングを起こしたりとするアニメは、
日本中の子供たちが、そして大人もまた知っている。
その曲は、美幸だけでなく、茉莉や明日香も楽しそうに声をあげ、
隼人や空良、ましろも笑顔が広がっている。
その様子に乃亜も嬉しくなってくる。
やはり聞いてくれる人が笑顔に、楽しく笑ってくれるのを見るのが好きだ。
だんだんと美幸も口ずさむ声が大きくなり、
茉莉がいっしょに声を重ねて歌いだすと、次第に大きくなっていく。
そしてそれはなぜか、遠目で見ていた学生たちもそうだったようだ。
ノリのいい学生がいっしょに窓の向こうで歌っている。
乃亜は破顔し、思い切り全身で歌うように奏で、弾ききった。
拍手が大きく響く。
美幸が一等大きく拍手してくれた。楽しんでくれてよかった。
では最後だ。
これも多くの人が知っている曲。
先ほどのアニメの主題歌には負けるかもしれないが、
乃亜としてはこの曲も、万人受けするものだと思っている。
【パッヘルベル:「カノン」】
この曲もまた多くの人が知るクラシックの名曲だ。
本来は複数の弦楽器で構成される曲であるが、
今回は乃亜のヴァイオリン1本。
ピアノ伴奏とヴァイオリンのみの演奏は少し原曲からすれば寂しいが
それでもただ思い切り歌い上げるように奏でていく。
乃亜は小柄だ。
しかし、ヴァイオリンを奏でている姿あまりにも大きく、包み込まれるような感覚を抱く。
それはこの曲から広がるあまりにも雄大な風のせいだろうか。
まるで彼女を中心に優しくも大きな風が全身を包み、抱き締められるような広がり。
風がゆく。
芝生を撫でながら、
花壇に咲くビオラを揺らし、
欅の葉がさざめき、
ヴァイオリンの音色に重なり、喜ぶように、空へと風は旅立っていく。
旅立つ風は雲を散らし、太陽の輝きを纏い、
さらなる優しい光を世界へと広げていく。
美しい世界への旅立ちを促し、
震える足を支え、その旅立ちを祝福してくれる。
そんな勇気を与えてくれる祝福の風。
その光に満ちた旋律は聞いているものの心に訴える。
大丈夫。
なぜかそう、囁かれているような気がした。
優しい余韻を残して弾き終えた乃亜は目を開ける。
途端、わっと一斉に隼人、明日香、茉莉、さらに美幸までが立ち上がって乃亜に迫った。
「すごい!!すごいよ、乃亜!!」
「本当!なんか、うん、もうごめん言葉うまくでないんだけど!!」
「そう!!ただなんつーかもう、やばい!!俺ちょっと泣きそうなんだけど!!」
「おねーちゃんすごい!!すごいキレイ!!ようせいさんみたい!!」
「えっ、え、あ、えっ?!」
一気に迫って来た友人たちの怒涛の様子に
乃亜はヴァイオリンを抱えたまま表情を引きつらせ竦みあがった。
大興奮した様子なのは四人以外もそうだ。
少し離れた場所や、窓の向こうで聞いていたらしい学生たちからも拍手が響いている。
乃亜は彼らと正面の友人たちに戸惑い、
ベンチに座ったままの空良やましろに助けの視線を向けた。
だが。
「いや、本当、俺もちょっと泣きそうだ……」
「わかる。な、言ったでしょ。乃亜の演奏本当にすごいって」
「よくわかった。これ以上なく良く分かった。
悪い、今俺語彙力消え失せてる。うまく言えない。
ただすごいってことしか言えない……」
「いや分かるよ、私も最初そうだったもの。ね、静」
「ああ、全く。というか、コンクールの時よりもはるかに色々レベル上がってないか?」
「上がってる!あの子、あれで及第点ギリギリとか言ってたんだよ、信じられる?」
「は?嘘だろアレでか?」
「貪欲すぎるだろう……」
「いや、お前と違って、と思ったが、撤回する。
才能というか、規格外なところはお前そっくりだな」
「俺はともかくあいつに対してはもっといい言葉で褒めてくれ」
あっちもあっちで全くこちらを助けてくれる様子はない。
額を抱えている空良に深く頷き同意しているましろに、
その後ろで静と翔まで頷くながら話している。
「ねぇ!乃亜だったらゼッタイすごいヴァイオリニストになれるよ!」
「え、あっ、はい?!」
「なーんだよ聞いててくれよ!!
な、プロになったら絶対俺たちコンサートとか行くからさ!!」
「えっ、は?!いえ、えと、そんな大げさな……っ」
「大げさじゃないよ!!乃亜の演奏すごい感動したもん!!」
まだまだ興奮冷めやらぬという様子のフロアメイトたち。
それから少し間を空けたが、漸く気付いたましろが乃亜を助け出し
乃亜は小さく息を吐いた。
ここまでのことになるとは思わなかった。
それらの様子を見ていた矢島が笑う。
「いやぁ、いいもん聴かせて貰ったぜ。
それじゃ、俺は仕事があるから戻るな」
「あ、はい。ありがとうございました」
「美幸、戻るぞー」
「うん!」
美幸はぱっと矢島のもとに駆け寄る。
大きな父親の手を取って、共に総合棟へと戻る中、少し離れたところで手を振った。
「のあおねーちゃん、とってもたのしかった!またきかせてね!」
「はい、またいずれ」
楽しんでくれたようで何よりだ。
乃亜はそれに安堵と心地よさを感じながらヴァイオリンやタブレットを片付ける。
フロアメイトたちは興奮は少しおさまったようだが
それでも楽し気に盛り上がりを見せている。
そんな中、パチパチ、という拍手の音が聞こえ、乃亜は顔を上げた。
拍手の音が響く。
乃亜が顔を上げ、視線を向けたのはA棟の方だった。
柱の裏から現れたその人物に、乃亜だけでなくましろは目を見開いた。
「創?」
その言葉と姿に反応したのは静だった。
しかし創は先日会ったときとは比べられないほど、その表情に生気を漲らせ、
どこか興奮さえ見せて笑みを浮かべて歩いてくる。
翔は慣れているのか、さも自然に声をかけた。
「なんだ、創、来ていたのか?」
「ああ、散歩がてらな」
「相変わらず気まぐれな」
「だが来てよかった。心底そう思ってる。
感謝するぞ翔、心から」
「は?」
創は翔の方を見ることはなく、視線はまっすぐと、乃亜へと向けられてた。
乃亜は歩み寄る創が目の前にまで来て目を瞬かせた。
創は戸惑う乃亜の様子を気にせず、その手を取った。
「えっ」
「素晴らしい、本当に」
「え、あの……、進藤先生……?」
「先日の発言を撤回させてくれ。
君は天才などというヒトの生み出した限界値をはるかに超える。
君だ、君こそ俺の求めていた、
美しさの中にどうしようもないほどの弱さを内包した音楽そのものだ」
「は?え、えっ?」
真正面に創の端正な顔立ちが迫り、言葉も相まって乃亜は顔を赤くするほかない。
ましろをはじめとした周囲のフロアメイトたち、さらに創をよく知る翔や静もふくめ
全員がポカンとして開いた口がふさがっていない。
創は見開いた瞳をきらきらと輝かせ、乃亜への賛辞をさらに上乗せした。
「剣道に賭けていた情熱は不完全燃焼、
愛する太陽はどこぞに隠れてしまった。
それによって俺の世界はずっとどこか色あせていた。
だが君のおかげで、その世界に色が戻ったんだ」
「あ、あの、進藤先生、その、いったい……?」
「ありがとう、斉王くん、ああ、いや、それだと静とかぶるか。
乃亜、というのも違うな、それは君個人を示す呼称だ。
それで呼ぶことは俺が君に感じる認識と齟齬が生じる」
ちょっと本当に何を言っているのか理解が追い付かない。
乃亜は両手を握られ、間近でじろじろと見られ、ただ戸惑い一色だ。
創はややあってにこりと見たことがないほどに綺麗な笑顔を浮かべた。
「アリア。君のことはそう呼ぼう。
俺にとって、君は音楽そのものだ」
「えっ、ありあ?」
「しかし惜しいことをしたな、今日は1曲だけだったのか?」
「え?え、あ、えと、さ、三曲ほど……」
「それは心底残念だ。君の演奏を二曲も聞き逃したとは。
だが君は音楽学科、これからも聴ける機会は」
「いい加減しろ、創!」
乃亜にとっては天の助け、兄が横やりを入れた。
強引につかまれている手を切り離し、乃亜を背中にかばった静は創をにらむ。
乃亜はようやくほっと息をつけた。
一方で創は呆れたように溜息をついて静を見る。
「なんだ、静。俺は今アリアと話をしている。
それに割って入るなどマナー違反もいいところだぞ」
「お前がマナーを語るんじゃない。
俺の妹に触るな寄るなおかしな名前で呼ぶな」
「そうは言っても俺はお前の妹個人には興味ないんだ。
ならば個人名で呼ぶのはなにかおかしいだろう?」
「お前のなかの独自理論を表に引っ張り出してくるんじゃない」
「そこをどいてくれ、静。アリアとまだ話している途中なんだ」
「全力で断る。近づくな」
「なら仕方ない。アリア?君の演奏は次はいつ聴けるだろう?
コンクールなどに出場するのかな?」
「えっあ、その」
「乃亜、このバカの相手はしなくていい」
「に、兄さん……」
「馬鹿とは心外な。これでも頭で食っている立場なんだが」
「そっちに全振りして人格的な意味ではネジ一本外れてるだろお前は」
「失敬な友人は置いておいて、アリア、どうかな?
俺は君の音楽をもっと聴きたいんだ。
さりとて君に無理強いをするつもりはない。
誰かに強制されて生み出されたものなど駄作も駄作だ。
それは音楽も文章も同じことだからね」
「お前のそれは締め切り破りの常套句だろう……」
翔が後ろで絶妙なツッコミを入れている中、
乃亜は静の背中に隠されつつ口をひらいた。
「わ、私は、音楽学科なので、あの、定期演奏会が、あるかと……」
「乃亜……」
「だって……」
口をひらくなと兄に視線で咎められるが、
この場で問答をしていても仕方がない気がしたのだ。
創はにっこりと満足そうに笑った。
「ああ、成程。確かに、夏と冬に学科の学生による演奏会があるな。
その時は何が何でも必ず足を運ぼう」
創は上機嫌そのものと言う様子を見せ、踵を返した。
それに乃亜や静はほっと息を吐いた。
どうやら立ち去ってくれるようだ。
しかし、数歩進んだところで立ち止まり、こちらに振り返った。
「愛しのアリア、君の演奏を心から楽しみにしている」
「っ?!」
なにひとつ恥ずかしげもなく、どこかの舞台のセリフのようなことを言い、
彼はすたすたと総合棟の出入り口の方へと歩いて行った。
創はいってしまえばジョーカーみたいな。彼に乃亜への恋愛感情はないです。
星と太陽編の剣道組がこれで全員揃いました。
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★毎週木曜11:30・日曜19:00頃更新予定★
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★アルファポリスでも連載中★
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