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【潮目編】99:xx19年7月31日

2026年GW期間中毎日更新です。

女性客向けのサービスらしい色ものの浴衣の貸し出しは、

フロントの近く、先ほどチェックインの時に使ったエントランスに脇に用意されていた。

控えていたスタッフに浴衣をかりたい旨を伝えると、

女性スタッフは快く浴衣を見せてくれた。


いくつもハンガーにかかっているそれを眺める。

いつもの自分の好みであれば、控えめな色を選ぶ傾向がある。

薄紫や水色などの寒色系の淡い色。

今日もそれらを選ぼうかと思ったが、先ほどふと考えてしまったことを思いだした。


煉矢の隣に立って、彼が、恥ずかしくないような、そんな女性になりたいと。


乃亜は少し考え、濃紺の浴衣を手に取った。

深い紺地は浴衣という装いということもあり落ち着きが際立つ。

そこに描かれているのは桔梗の柄。

少し大きめの白い桔梗、そして影になるように重ねられたそれは品の良さを感じさせ、

また、銀糸が織り込まれているのか点々と十字の星のような刺繍が、

桔梗の柄を邪魔せず、むしろ全体を通して、

雨の中に咲く花のような演出を感じさせる。

大人びた浴衣だが、自分に似合うだろうか。


 「……これ、似合うでしょうか」

 「とてもよくお似合いだと思いますよ。そういった柄は若い方にも人気です」


スタッフの言葉はもちろん、お世辞の類かもしれない。

けれど、いまはそれを信じたくなった。


乃亜はそれを選び、更衣室へ案内してもらって着替える。

浴衣とはいえ、基本的には宿の室内着としてのものだ。

きちんとした帯ではないが、スタッフが用意してくれたのは兵児帯と呼ばれるもの。

小さい子供の浴衣などで使われる印象だが、大人が使っても問題はないと言う。


スタッフは帯のまき方・位置などを説明してくれ、それに従いなんとか着こむ。


乃亜はついでに更衣室内で、手荷物からハンカチで包んだものを取り出した。


昨日買い物に出た時のことだ。

アパレルショップやアクセサリーショップが並ぶ中

ふと目に入った、少し和風なアクセサリーを中心に取り扱う店。


乃亜が少しその店の前で歩みが遅くなり、視線をそちらに向けていると

案の定、煉矢は早々に乃亜の手を引いた。


トンボ玉やガラス玉、天然石などを用いた髪ゴムや簪などが飾られる店内にて

乃亜が目についたのは沖縄ガラスまたは琉球ガラスと呼ばれるガラス細工のコーナーだった。

まるで海の色をそのまま切り取ったかのような美しい青の数々に目を奪われた。

そしてそれは煉矢も同じだったらしい。

二人でどれがいいかを、気づいたら相談し合い、

やがて選んだのは1本の簪だった。


簪といっても洋服に合わせる人は増えている。

髪を結うのはけっして難しくない。

そういったことを店員に説明されたことも、購入を決断した理由だ。

煉矢が贈りたいと申し出てくれたが、丁重に断らせてもらった。


誕生日を含めて彼からはよく、様々なものを贈られている。

こういったシーンでくらい、彼に甘えたくはなかった。


そして今、それを手にしている。

銀色の柄、先端には明るい海の色のような沖縄ガラスの球体。

その根元からチェーンが2本ぶら下がり、それぞれの下にも同じ色のガラスが、

長さバラバラで揺れていた。


簪のつけ方は以前店で聞いた。

簪に髪を巻き取り、くるりと回して、最後に上から巻き取った髪の付け根に差し込む。

更衣室から出るとスタッフは感嘆の声を上げた。


 「とてもお綺麗ですよ。その簪も素敵ですね」

 「あ、ありがとうございます……」


少し不安があるが、乃亜はスタッフの言葉に背中を押され、

あてがわれている部屋へと戻る。

着替えた服は袋に入れてもらい、それを受け取ってきた道を廊下を進んでいく。


果たしてなんて言ってくれるだろうか。

大人び過ぎてはいないだろうか。

普段の自分ではあまり着ない意匠だ。

少しは、彼に似合いになっているだろうか。


色々な不安を抱きながら、やがてたどり着いて玄関のドアを開けた。


 「……ただいま戻りました」

 「ああ、おかえ、り……」


室内に入り、開かれたリビングの引き戸の向こうで

彼がソファに座ってこちらを見ている。

とても驚いた様子を見せている彼の姿に、逆にこちらの心臓が跳ね、

何を言われるか、という緊張が吹き飛んだ。


煉矢は部屋に備え付けられていたらしい浴衣に着替えていた。

それだけのことなのだが、

黒く、裾などに宿のシンボルなのか金色の細い曲線がアクセントとして入っている浴衣は、

あつらえたかのように、彼によく似合っていた。

そもそも浴衣というものはこれほど印象がかわるのだと、乃亜はこの時初めて知った。


しかし、彼は一言も発してくれない。

言葉を失っている様子に少し不安が生まれるが、

どこか目元が少し赤いような気がするのは気のせいだろうか。


 「……あの、煉矢?」

 「……あ、ああ……すまない」


ひとつなにかをごまかす様に咳払い。

いつもと少し様子が違う気がして首をかしげると、彼はようやく、笑ってくれた。


 「綺麗だな、とても、よく似合ってる」

 「……そう、ですか?」

 「ああ。つい、見惚れた。本当に……、本当に綺麗だ」


細められる目元に安堵する。よかった、おかしくはないようだ。


 「煉矢も、素敵です」

 「そうか?……お前の横にいて、見劣りしないといいんだが」

 「それは、私のセリフなんですけど……」

 「何故?」

 「何故、って……」

 「お前、今自分がどれだけ魅力的か、理解してないな」

 「は、はい……?」

 「このあと外出するが、絶対に俺から離れるな。手も離すな」

 「え、あ、はい……」


いささか強めに言われては否とも言えない。

もちろん反論するつもりはないのだが。


乃亜は疑問符を飛ばしながら、煉矢の言葉にうなずくしかなかった。





時刻は16:00になろうかという頃だ。

二人は温泉街の方へ足を向けることにした。

今は夏季休暇時期。一般的な盆休みよりも早いとはいえ、

それでも観光客の多い時期、時間帯だ。


夕食の店を選ぶにしても、少し早めにした方が良いだろうという判断があり

ゆっくりと周辺の店を確認することにしたのである。


宿泊している宿は少し坂の上にある。

宿で用意してくれた外出履きは草履だった。下駄に比べて歩くのはたやすい。

とはいえ慣れない歩幅に、乃亜は少し苦労していた。

煉矢は肘を差し出し、そこに手を添えさせ、なんとか坂を降りきった。

少し安堵した様子で苦笑いを浮かべた彼女は愛らしい。


草津温泉の温泉街はにぎやかだった。

多くの人がにぎわいを見せ、時に自分たちのように浴衣を着て出歩いている人もいる。

多くの店が立ち並ぶその中央には、この地を象徴する湯畑と湯滝が広がる。

夜にはライトアップされるらしいが、今は静かに湯を揺らし、香りを広げるばかりである。

外気が高いからか、さほど湯気は見えないのは少々残念だが

それでも湯畑独特の薄い緑は、なかなか見ない光景だ。


 「温泉の香りがしますね」

 「ああ。湯畑は夜にライトアップされるらしい」

 「夕食後くらいならちょうどいいでしょうか」

 「そうだな、楽しみにしよう」

 「はい」


どうやらいくらも楽しんでくれているようで、煉矢は少し安堵を覚えた。

先ほど浴衣を選びに行く、と言った直前、どこか表情に影があった。

なにか不安でもあるのか。

宿には感激していたようなので、その不安の理由が思い当たらない。

しかし今はそういったことはないように見えるので、ひとまず様子見とすることにした。


浴衣で歩くと普段よりも歩幅が狭くなる。

そのため自然と歩みはゆったりとなった。

湯畑からの熱気を感じながら、多くの店を眺め、夕食によさそうな店を探す。

食べ歩きすることが多い場所だからか、少量で売られている店が多い。


 「今食べたら、お夕飯が入らないですかね……」

 「少しなら構わないだろう。二人で分ければいい。何が気になってるんだ?」


どうやら乃亜もあちこちにある、食べ歩きの店の誘惑には勝てないようだ。

彼女は自身が少食だと理解している。

あれこれ食べてみたいけれど、夕食を考慮するとそれは難しい。

だから厳選しようとしている。


 「あのお饅頭、頂きたいです……」

 「名物のようだし、一緒に食べよう」

 「はい……」


なにを恥ずかしがることがあるのか。

小さく笑い、乃亜の手を引きながら店に声をかける。

店先で蒸されていた饅頭は小ぶりなサイズながらも、

あんこがぎっしりと詰まっているような重みがある。

まだあたたかいそれを二つに割って、ひとつを乃亜に差し出した。


道の端によってからそれにかじりつくと、

温かさもあってあんこの甘みが強かった。

しかしくどさはなく、もとより半分だけなのでさほど苦もなく食べられる。

皮ももちりとしていて悪くない。

自分にとっては二口あれば十分に食べきれてしまうそれを、乃亜は小さい口でかじっていた。


 「美味しいです、とても」

 「よかった」


乃亜は目元を緩めていて、本当に美味しいと感じている様子が見て取れた。


 「私、最近、気付いたんですが、どうやらクリームよりもあんこの方が好きらしいです」

 「それはいいことを聞いたな」


本当に良いことを聞いた。

洋菓子も嫌いではないようだが、確かにケーキなどを食べる時も、

クリームがふんだんに使われたものよりも、

パイやチーズケーキのようなものを選んでいたような気がする。

次のデートの参考材料が増えるのは大歓迎である。


饅頭を食べ終えて再び町中の散策に入る。

土産物が並ぶ店先で、乃亜の視線が止まったようなので

自分もそちらに足を向ける。


食べ物の土産だけでなく、温泉地ということを生かした商品を並べる土産物屋など、

内容はバラエティ豊かだ。

乃亜が見ているのは手作りを謳う箸の店だった。

眺めている横顔に、自然と笑みが浮かぶ。


乃亜が動くたび、先日二人で相談し合いながら購入した、簪の深い青が揺れる。

沖縄ガラスと呼ばれるものらしいが、まるで深い海の色そのもの。

初めて見た時、乃亜の瞳の色を思い出していた。


青は光を反射させ、乃亜の白いうなじの上を揺れる。

普段は髪を下ろしていることが多いため、

こうして髪を結いあげている姿はひどく新鮮だ。

先ほど乃亜は、隣に歩いて見劣りしないか、と言った自分の言葉に対して、

私のセリフだ、と言った。


なにを馬鹿なことを言っているのか。


普段好む色合いや意匠とは明らかに異なる。

深い紺に白い大きな桔梗の浴衣。

髪を結いあげ、首からうなじ、少し背中が見えるかどうかという後ろ姿は

ひどく色香をにおわせている。

ただ、つい絶句してしまい、彼女への称賛が遅れたのは不徳の致すところであったが。


外出にあたり絶対に自分から離れるな、と強く言ったのは、

懸念が大きくなったからだ。

例えるのであれば、晴れた日の花は明るく美しいが、

雨の日の花はその香りを濃くし、より一層、人々の目を引き寄せるだろうということ。


先ほどからすれ違う男どものチラチラとした視線が心底不快だ。

こちらに彼女が微笑みかけ、

楽しそうな様子を見せているからこそ、

その不快感は外に出ないで済んでいるだけのことのことだ。


 「煉矢、すみません。お待たせしました」

 「もういいのか?」

 「はい。兄さんたちのお土産は明日買おうかと……、……」


どうやら兄や友人たちへの土産を見繕っていたらしい彼女の視線が、

自分の後ろにある、隣の店へと向けられる。

楽しそうだった笑みが崩れた。

見開かれる瞳、表情に何事かと自身もそちらに向ける。


 「……は?」

 「あれ?」

 「………」


思わず声を上げた自分に対して、

視線の先にいる二人もまたこちらに気付いたらしく、

乃亜同様に瞳を真ん丸にして見開いている。


こんな偶然あるのか。


 「……何故被る」


視線の先にいた、ましろに腕を組まれる静の言葉に、全面的に同意した。


記念すべき100話目前がこれでいいのかと思わんでもない。(笑)


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★毎週木曜11:30・日曜19:00頃更新予定★

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★アルファポリスでも連載中★

https://www.alphapolis.co.jp/novel/598640359/12970664

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