里帰り《前編》
今度はヒーロー不在です……。
翼手になったセレスティアの日常はルーティン化されている。
訓練か見回りか先輩と組んでフロリゼルの護衛だ。他に不寝番もあるがまだ新人のため免除されている。
翼手は平時なら一週間(8日)のうち5日勤務だ。これは他の職業と同じだ。
紅国ではだいたい紅日と橙日と白日が休みなことが多いがさすがに翼手の休みはカレンダー通りではない。
実際今日は藍日だがセレスティアは休みだ。それでも寝過ごさずにいつもと同じ時間に起きるのがセレスティアだ。同期のウルフガングなんて休みの日は午前中はまるまる寝ている。
翼手の寮は皇城の架け橋の袂にある。3階建てのレンガ造りの瀟洒なアパートのようだ。
各部屋にトイレとシャワーと洗面所がある。共用なのは1階の食堂と屋上、それに談話室くらいなのでアパートと変わらない。
食事は三食付きだ。
基本的には栄養バランスのいい献立になっているが郷土料理や好きなメニューなどリクエストにも答えてくれるのでみんな満足しているのだが一点だけ決定がある。
酒の提供はないことだ。
緋翼軍(翼手、緋翼、飛翼で寮が別)の寮にいる間は(結婚する時に独立するのが通例)飲酒が制限されている。祝祭の時に輪番で飲むか各々の部屋で飲み会をするのは黙認されているが外の飲み屋には行けない。酒に飲まれて秘密を漏らさないようにするためだ。カルブシアンは酒好きで有名なのでガス抜きも必要ということで緩くしている面もある。
朝食を摂っているとーー
「おっはよーティア。今日も可愛いね」
向かいに数少ない同性の同期ーーシャーリーが座った。
ラベンダー色の髪に白のメッシュが一房入っていて黒色の軍服が映える。フロリゼル皇太子の妹であるロザライン皇女の翼手の胸章《太陽の金色》がついている。
瞳はフクシアピンクで見ているだけで楽しくなるような陽気な娘だ。
「おはようシャーリー」
「今日は天気良くてテンション揚げドーナッツだね〜」
「シャーリー、今日は早番?」
「そうなの〜。ティアは今日非番でしょ。どうするの?」
セレスティアの朝食はサラダにパン、ソーセージにスープだがシャーリーの朝食はフルーツヨーグルトに二種類のサンドイッチだ。それに生クリームが浮いたココアを飲んでる。シャーリーは根っからの甘党なのだ。どれくらい好きかと言えば感情を食べ物で喩えるくらいだ。
揚げドーナッツはテンション上げとドーナッツ(丸→いいね)という意味だ。はじめてシャーリーに出会った時はその癖に驚いたが今では慣れた。
「久しぶりに実家に顔を出そうかと。珍しく両親とも休みが合ったから」
「ご両親に会えるの?パルフェじゃん〜!良かったね、ティア」
無邪気に喜んでくれるシャーリーにセレスティアは笑う。
「そっかそっか。だからティア、スカートなんだね!見れてマジパンフォーチュンクッキーだわ」
「そんな大したことないじゃないけど」
セレスティアは苦笑いする。いつもなら非番の日でもズボンなのだが今日は特別にスカートだ。……父に会うので。
セレスティアの父ゲール・デュプイは軍の中でも特殊な部署ーー飛翼に所属する軍人だ。
飛翼は遊撃部隊で一騎当千の力を持つと言われる飛翼の中でも五本の指に入ると言われている英雄で《大鷲》の二つ名を持っている。
そんなゲールの弱みは妻子だ。愛妻家で有名で子どもを溺愛している。
ゲールはなにかにつけグルヴェイグを訪れて離れて暮らす娘と交流を持っていた。
祖父から剣の鍛錬を受けるようになったセレスティアは次第に鍛錬の時間以外もズボンで過ごすようになった。いちいち着替えるのが億劫だったのと常にズボンの方が動き易いというのが理由だ。
おまけに祖父母も使用人もセレスティアがズボンで過ごそうと気にする人間ではなかったので何も考えずズボンで過ごしていたのだ。
がーー
父がグルヴェイグを訪れてセレスティアのズボン姿を見た瞬間ーー発狂した。
「ティアアアアアア!いいと思う。いいと思うよズボン。似合ってる。可愛い。可愛いけどお願いだからドレス着て!お父さまはドレス着てる可愛いティアが見たい!ズボン穿いてようと可愛いよ?可愛いティアはなんでも着こなしてるよ?でもお父さまはドレス着てるティアがいいのー!別々に暮らしててただでさえティアに会えないのにその上ティアがズボン穿いているのはお父さま耐えられない!ティアに可愛いドレス着せたーいー!」
年甲斐もなく駄々をこねる父を冷めた目で見た弟は淡々と「姉さん頼むからこのひとに会う時だけでいいからドレス着てくれない?父親の幻想を易々と破壊しないで面倒くさいだろうけど。姉さまがドレス着ない方が面倒くさいから。強い拘りからじゃないでしょ?」姉の思考を的確に読んだ上で言ってきたのでそれ以来父と対面する時はドレスを着てる。セレスティアとて大好きな父を泣かせたくないのだ。
「ええ?ティアのスカートってすっごいレアチーズケーキだし、マジパン可愛いよ?」
「……ありがとうシャーリー」
そこまで手放しに褒められるほどではないと思うが褒められれば嬉しくてセレスティアは頬を綻ばせる。同性のシャーリーが見惚れるくらい綺麗な笑みなので食堂にいる他の男性にとっては眩しいくらいの美しさだ。
セレスティアは注目されるくらいの美少女なのだが本人がイマイチ無自覚なのは群がられないからだ。直情型の緋翼軍人でさえたじろがせるくらいの気品高さと美しさなのだ。
密かにセレスティアに焦がれている同僚や同期はいるが彼らにとって高嶺の花でありセレスティアは非公式だが緋翼軍のアイドルなのである。
シャーリーはそれを知った時腰抜けばっかりだなあと思った。剣と体術が優れててもねえと。
もっとも彼らの気持ちも分からなくはない。告白してむざむざ玉砕したくないのだ。同期はセレスティアのフロリゼル教(狂)を知ってる。勝ち目は万に一つもないのだ。
「あ、じゃあ今日ラディスラスさまにも会うんだね?」
「そう。久し振りだから楽しみ」
同じ皇城にいるが母とも弟ともなかなか会えなかった。実に2ヶ月ぶりの再会だ。緋翼軍の研修期間は6ヶ月あって休みの日に実家に帰ることは認められているのだがラディスラスと予定が合わなかったのだ。
ラディスラスはロザライン皇女の乳兄妹で頻繁に皇女の部屋にも顔出ししているためシャーリーとは面識がある上に実の姉より会っていたりする。
「ラディスラスさまも楽しみにしてるよ。ティアのことシュネーバル(大好き。シャーリーの一番好きなお菓子)だからね!」
「ありがとう」
「あぁ〜口にしたらシュネーバル食べたくなってきちゃった」
シュネーバルは雪玉をイメージして作られたお菓子で粉糖をかけたドーナッツだ。シャーリーの故郷が発祥のお菓子なので一番好きなのだという。
「わたしも食べたくなってきた」
「だよね!美味しいもん」
女の子はお菓子が大好きだ。まだ少女と言っていい年齢の2人の蕩けそうな笑顔に全員が和む。
「後で作ってあげるから2人とも早く食べちゃいな」
厨房から大きな声でコックが呼び掛ける。シャーリーは目を輝かせながら叫ぶ。
「ありガトーショコラー!マジパンシュネーバル!(ありがとう。マジ大好き)」
殆どお菓子の名前だが意図と気持ちは伝わっている。コックは人差し指と親指で丸を作ってみせた。
ゲール・デュプイはいつ愛娘がやって来るかと朝からそわそわして何度も時計を見て確認した。
飛翼の英雄《大鷲》は家族にはかたなしになる。
「あなた、落ち着いて下さい。大丈夫ですよ、ラディに迎えに行って貰ったんですから」
夫の落ち着かない様子にヴィオレッタは呆れながら言う。お出掛け前の子どもか。
「う。うん、そう、だな。でも久しぶりだし」
「2ヶ月でそんな変わりませんよ」
淡々とヴィオレッタは言う。怒っているようにも見えるが彼女としてはこれが平常運転だ。ゲールも慣れているので気にしない。
「でも、ヤコが言ってたんだ。10歳を超えた女の子は一週間経てば別人だって!10歳を超えたら女になって男を批評するようになるって!うだつの上がらない父親だって裁定を下されたら一瞬にして冷たくなるって!」
ヤコはゲールの飲み仲間(妻帯して寮を出ているので飲酒制限がない)で、娘を持つ父親の先輩だ。
「……」
あながち嘘ではないところがタチが悪い。
確かに女の子はそのあたりから身体の発育が著しく精神的にデリケートな時期に突入する。父親は身近な異性だ。父親に対して邪険になるのも成長の一つなのだが父親としては複雑な気持ちになるだろう。
特にゲールは娘をそれはそれは可愛がっているので大変なショックを受けそうだ。そうなると自分は夫を慰めるために大変労力を折ることになりそうだとヴィオレッタは遠い目になる。娘に限ってそれはないだろうが。
セレスティアは父親を尊敬し、それはそれは慕っているので杞憂に思われた。
そもそもあの子に思春期があるのか謎だ。なにせ精神構造が他の令嬢と同じだとは思えないので。……それはヴィオレッタも娘のことは言えないので血は争えないということなのだが。
「セレスティアに限ってそれはないでしょう」
「はっそうだな!セレスティアは天使だからな!むしろ天使より可愛い!」
「それでは父親嫌いの娘さんが悪魔のようではありませんか。いけませんよ、自分に都合が悪いからってひとさまの娘さんを貶めては」
「違います!堕天使です!闇落ちです!それはそれでいいのです。心が痛いけど!」
「悪く言ってるじゃないですか……。あと変な要素を足すのはおやめなさい」
「はい、マム!」
なんだか上官と部下のような会話だが二人はれっきとした夫婦だし所属も違うので上司と部下だった過去はない。
皇太子の乳母であり皇后の第一の侍女と飛翼がどちらの方が上かと聞かれるとなんとも言いかねる。知名度と民からの人気の高さは確実にゲールに軍配が上がるが権力という点ではヴィオレッタの方だ。
一見上下関係があるように思えるが二人はこれでうまくいっている。夫婦仲はよくゲールも不満がないので問題ないだろう。
男女の関係とは奥が深いのだ。
「今から心配したってしょうがないでしょう。なるようにしかなりませんよ」
「そうだけど……」
一応言うといつものゲールはここまでウジウジしない。即断即決で尾を引かない性格なのだが妻子に関することは慎重すぎるほどに慎重だ。
かつてこの様を見た緋翼の総長(翼手・飛翼の団長の上緋翼団長を兼ねる)が「仕事でもこうだったら緋翼に置けたのに」と大いに嘆いたという。ゲールの直属の上司であり飛翼の団長は「やっぱ家族は違うよなー」と笑い飛ばした。
「あなたへの態度が目に余るようでしたら注意します。いくら成長の一環と言えど看過できないものであれば諫めるのが親の務めです」
毅然とした調子でヴィオレッタは言う。その様子にゲールは冷静さを取り戻し、思ったより深刻になったことにバツが悪くて頬を搔きながら言う。
「うーん……ヴィオレッタには見守って欲しいかな。礼節を守らせたいのなら父親に対して不適切だから、とかじゃなくて人間としてって言ってほしい。俺を挟んで母娘で争うのはやめてくれ。女の戦いになりそうだから。あくまで人間としてってことで」
ゲールのいうことも一理あると思ったのでヴィオレッタは素直に「わかったわ」と頷いた。
暖かい沈黙が降りる。気詰まりにならないが重たい話の余韻を引き摺って2人とも口を開かなかった。
そこに丁度よく家政婦のマーサが「旦那さま、奥さま、マウルヴルフクーヘンができましたよ」と声を掛けたことで真面目な空気が霧散する。酒豪の割に子ども舌なので甘い物も好きなのだ。特にマウルヴルフクーヘンは好物なので目が輝く。
「ありがとうマーサ!ーーケーゼトルテも作ってくれたかい?」
ケーゼトルテはセレスティアとヴィオレッタの好物で口当たりが軽いチーズケーキだ。
「もちろんですよ」
ひとのいいマーサはニコニコ笑いながら言う。
「ありがとうマーサ。ティアはマーサのケーゼトルテが大好きだから喜ぶわ」
「お嬢さまに召し上がっていただくのは久しぶりですから腕が鳴りますね」
マーサはセレスティアが生まれた頃に雇った家政婦で赤ちゃんのセレスティアを一緒に育ててくれたので久しぶりに会えるので喜びに満ちている。
そこで玄関のベルが鳴る音が聞こえて来た。
「!帰って来た!」
主人の帰りを喜ぶ犬のようにゲールは玄関にすっ飛んでいく。出鼻を挫かれた2人は思わず「ティアあああああ」と遠ざかっていく声を聞いていた。
どちらともなく顔を見合わせる。
「犬だったわ」
「……犬でしたね」
「行きましょうか」
「ええ、お嬢さまをお迎えしなくては」
やや足早に2人も玄関へ急ぐ。ゲールほど分かり易くなくてもセレスティアの帰宅を楽しみにしていたのだ。
セレスティアの実家ーー《大鷲》のゲール・デュプイの家はグラナートの第8地区にある。
グラナートは円状に層になるように8地区に分かれていて地区ごとに特色がある。
円の中心の第1に貴族の邸と皇室の別邸がある。2から4は商業5と6は飲食店が多く7は鍛冶屋や武具屋、外縁のラバグルート・クライスは川に沿うようにあって軍人の地区だ。翼手の寮があるのもここで橋を渡ればすぐエリュテイア城に着く。同じラバグルートに住んでいてもセレスティアの住む寮と自宅の位置は真反対だ。
独立した飛翼はグラナートの出入り口となる凱旋門ーーフレズズシグルド門近くに構えるのが通例なので生活圏が違う。
寮から実家に行く最短距離は円の中心を貫く通りを行くのが手っ取り早いのだが貴族街を通るのは普段なら避けるところだが祖母がグルヴェイグ侯爵家の紋章が入っている馬車を貸してくれたので時間が短縮できたので助かった。
唯一残念なのは弟との時間が短くなったことだ。
それを言うと弟は苦笑して「父上から姉上との時間を奪うわけにはいかないので」と言われた。この年で他者に配慮できる弟にセレスティアは感動した。
「ラディは大人ね。視野が広い……」
「そうでもないですよ」
フロリゼルとジルベールという超人を身近で見てるのでラディスラスは謙虚だった。それにもセレスティアは好感を抱く。姉からの輝く目に見つめられて居た堪れなくなったラディスラスは話題を変える。
「姉上も忘れずにスカートを穿いて下さってありがとうございます。父上が号泣せずにすみます」
「お父さまを泣かせたくはないから忘れないわ」
ネイビーのサッシュフレアワンピースで裾がハンカチーフのようになっている。それだけで華やかだ。サッシュブラウスは流行っているので姉にしては流行に乗っていると思う。
そう言えばーー
「前の休みの日にシャーリーと一緒に買いに行ったの。シャーリーが見立ててくれたから助かったわ」
「ああ……シャーリー殿……」
面識があるラディスラスは遠い目になる。あの癖が少しだけ苦手なのだ。シャーリーのことは嫌いではない。悪いひとではないのだが……テンションについていけない。
「シャーリー殿はオシャレが好きですよね。よくロザライン皇女とファッション・プレートを見て盛り上がってますよ」
セレスティアは2、3回瞬きした後、眉を吊り上げて弟を嗜める。
「いけませんよ、ラディ。お仕えする主の私的な情報を話したら。……家族のわたしが相手だからって気を抜いてはいけません」
正論だった。
「すみません、姉上」
「謝る相手はわたしではないでしょう。かと言って皇女殿下の耳に入れろとは言いません。心掛けなさい」
「はい」
高貴な人物に仕える心構えが芯まで叩き込まれているセレスティアをラディスラスは尊敬している。
素直に受け入れ、悄然とするラディスラスにセレスティアは「よろしい」と言うと下がっている頭を撫でた。
「っ、姉さん!?」
幼い頃のように姉さんと呼ぶくらいラディスラスは驚いた。まさか12歳になって撫でられるなんて!微妙な気持ちになる。男の矜持的に。
「なんですか?」
「なっ、なんで撫でたんですか?」
「?いけませんか?頭を撫でられるの好きだったでしょう?」
「子どもの頃の話です!」
「子どもって……今だって子どもでいいんですよ?急いで大人にならなくていいんです」
「ーー」
優しく微笑む姉にラディスラスは息を飲む。
(あなたがそれを言うのか)
それを言うなら姉に子ども時代なんてあったのかと聞き返したい。答えが分かっているから聞かないが。
『ありましたよ。わたしは優しい大人に囲まれて愛されて育ちましたから』
きっとそう言う。だからラディスラスは聞かない。
黙り込む弟に12歳は微妙なお年頃に差し掛かっているのかもしれないと思い直したセレスティアは少し方向性を変えた。
「わたしは久しぶりに撫でられて嬉しかったですよ?ラディは父さまと同じ栗色の髪質で撫でてて気持ちがいいですね」
「ーー。僕も、嫌じゃなかったです。姉さん」
頬を赤らめて言うラディスラスは可愛いくてセレスティアは思い切り抱き締めた。
「姉さん!やめて!それは本当にやめて!」
ラディスラスは必死に訴え、姉を引き剥がそうとした。ーーできなかった。年齢の差だと思いたい。
(ーー殺される!フロリゼル殿下に!)
セレスティアのスカート姿を見た上に頭を撫で撫でされて抱き締められたなんて知れたら殺される!気がする。
ラディスラスの血の気は瞬時に引き、盛大に顔が引き攣っていた。開放した時にラディスラスの引き攣り具合を見てセレスティアは罪悪感に駆られた。そんなに嫌だったのか。ごめんよ、弟よーーと。
「すみません。感極まってしまって……」
ここで恥じらわないで欲しい。可憐なので。
(やめて。本当にやめて姉上。王家の『目』と『耳』が怖いから!)
馬車の中で姉弟の溝はすっかり埋まっていた。




