第8話 雨中の告白
無事熱が下がったのは3日前のこと。
保健室にいたときがピークだったみたいで、家に帰って眠ったらみるみる回復して。次の日は大事をとってお休みしたけど、今はもう元気だ。
保健室での出来事はおぼろげで、才上くんにすごく失礼なことを言った気もするし、した気もして。
性懲りも無く告白したことだけはやけに鮮明に覚えてる。
他のことを才上くんに聞いてみたけど、才上くんは教えてくれなかった。
「ただいまー」
その日も、才上くんと家のすぐ近くまで一緒に帰ってきた。
いつものように玄関で帰ってきたことを告げると、いつもと違う人物が玄関まで駆けてきた。
「珠莉ーーーー!」
「え? わわっわぁ!!!」
勢いよく抱きつかれて、鞄をその場に落とす。
私よりはるかに背が高いけど、顔はどことなく似ている男の人。
「久しぶりだな、珠莉! 相変わらず世界一かわいい!」
「お兄ちゃん……久しぶり」
私の兄、桜井春馬だ。
アメリカに留学しているのだけど、どうやら一時帰国したらしい。昨日も連絡したはずだけど、そういう話は一切なかったからおそらくサプライズというやつなのだろう。お兄ちゃんは私によくそういうことをする。
「あの、お兄ちゃん。そろそろ離してくれないと私身動きとれないよ」
いまだに私を抱きしめたままのお兄ちゃんに離れるようお願いするけれど、お兄ちゃんは全然離してくれない。動きやすいように腕に回した力を緩めてくれただけだった。
お兄ちゃんは、その……世に言うシスコンというやつで。自分で言うのもなんだけど、私のことをかなり溺愛してくれている。
おそらく、結構本気で私のことを目に入れても痛がらないと思う。
「久々に会ったお兄ちゃんにそんな冷たい態度とらないでくれよぉ〜〜」
「冷たくしてないよ?」
私が丁寧にお兄ちゃんを引き剥がそうとすると、お兄ちゃんが何かに気がついたのか……、クンクンと私の頭や首元を嗅ぎ始めた。本当に奇行はやめてほしい。
「……珠莉」
「なに?」
「……とうとう、男ができた……のか?」
ものすごいショック顔で言われた。いったい何を嗅いだのか。
「珠莉の香りに、なんか男っぽい爽やかな香りが混ざってる!」
「何言ってるの、お兄ちゃん」
「あいつか! 幼稚園の頃から珠莉の周りをうろちょろしてる、あの、あいつか!」
「隼汰くんはただの友達だよ」
「そう、ジュンタ! あいつ、珠莉に手出したら殺すってくれぐれも言ってんのに!!」
ここまで炎上すると、お兄ちゃんは手がつけられない。とりあえず激昂しているあいだにお兄ちゃんの腕から解放されたから、私はリビングへと向かった。
「珠莉! お兄ちゃんの話は終わってない!」
「あら珠莉、おかえりなさい」
「ただいまー」
「珠莉、お兄ちゃんを無視しないで!!」
私の後ろをついて回るお兄ちゃんに、お母さんは苦笑している。最終的にかわいそうになったのか、話を聞いてあげなさいと私がお母さんにお願いされた。
「珠莉、ジュンタはやめとけ」
「ジュンタくんとはそういうんじゃないよ」
「とは、ってことは別にいるのか!」
「好きな人はいる」
そう告げると、お兄ちゃんはあからさまにショックを受けた。
「誰だ、珠莉をたぶらかしてるのは!」
「はぁ……大丈夫だよ。その人は他に好きな人いるし、たぶん付き合うとかには、ならないから」
あぁ……自分で言ってて悲しい。お兄ちゃんのせいだ。
対するお兄ちゃんは私の話を聞いて嬉しそう。
「別に好きな奴がいるのか。珠莉を好きにならない時点で相当趣味が悪い男だから、まずその程度の男だな! 珠莉、忘れなさい」
「才上くんのこと悪く言ったらお兄ちゃんでも嫌いになるから」
笑顔から一変、お兄ちゃんの顔が青ざめた。
「珠莉、いやだ! お兄ちゃんを嫌いにならないで! 珠莉みたいないい子を好きにならないなんてもったいないっていう意味なだけだから!」
「……知らない」
「珠莉ーーーーー」
耳元で叫ばれて、私は耳を塞ぐ。
私がため息を吐いてうんざり顔をすると、さすがに反省したのか、お兄ちゃんも静かになった。
「ごめんな、珠莉。久しぶりに会えて興奮しすぎた」
「うん、いいよ。私こそ冷たくしてごめんね」
私が笑いかけると、お兄ちゃんはデヘヘとニヤケ顔を向けてきた。でもそれはすぐに真剣な顔に変わる。
「でもお兄ちゃん、その話はやっぱり納得できないな。珠莉」
「え?」
「珠莉の好きな人に、もう好きな人がいるならさっさと告白して諦めた方がいい。珠莉の時間が無駄になるだけだからな」
お兄ちゃんはたまに真面目なことを言うけど、その真面目なことは基本的に的確だから苦手。
「……告白はもう何回もしてるよ」
「ふぁ!? てことはまさか……」
「うん、ふられてる」
私の返答に兄は本気で泡を吹いた。5分くらいしてやっと回復して、頭を抑えた。どうやら頭痛がするらしい。
「珠莉。悪いことは言わない。そいつのことは諦めろ。それならまだ……ジュンタのほうがマシな気がする。あくまで例えであって、絶対いやだけどな」
「だから隼汰くんはそういうのじゃない」
本気で隼汰くんを嫌がるお兄ちゃんに、私は笑う。でもやっぱりうまくは笑えない。
「私、無謀なことしてるかな?」
「ああ。たぶん珠莉がそれ以上好きでいても、相手を困らせるだけだと思う。相手に他に好きな人がいるなら尚更……珠莉の好意は迷惑だ」
私はいろんな人に甘やかされて生きてるから、こうもはっきり言ってくれる人はなかなかいない。
お兄ちゃんは私を溺愛してる。でも、だからこそ私が変な道に進むことだけは嫌がるから。
こういう時は本当に頼りがいがある。
私の心はボロボロになるけどね。
▽▽▽
今日も私は夢を見る。
そこには隼汰くんがいて、志倉さんがいて。ルリちゃんや、クラスメートがいる。
いろんな人が私の描いた世界で笑ってる。
でもやっぱり、才上くんだけがそこにいない。
そんなに頑なに出てこない姿勢を貫かなくてもいいじゃんって。
どこに責めたらいいのか分からない、そんな気持ちを抱えて。
目が覚めたら、泣いていた。
「……今日も、才上くんには会えなかったね」
きっと、これからも。
会えないんだと思う。夢の中ですら。
才上くんは私を想ってはくれない。
それがきっと最初から決まっていた答え。
「会いたかったなぁ……一度でもいいから」
声が涙に濡れる。
起きようと思って、スマホに手を伸ばしたらメッセージが一件。
『おはよう。今日は雨降るみたいだから傘忘れないように』
優しさで溢れるメッセージは才上くんからのもの。
こんなメッセージは届くのに、どうして私の想いは届かないんだろう。
ありがとう、とメッセージを返そうとして、机の上からバサッと何かが落ちる音がした。
目を向ければそれは一冊のノート。
私が才上くんに告白した回数が正の字で書いてあるそのノートは、日記。
才上くんとの日々を忘れないために、才上くんにはじめて告白して、友達になろうと言われたあの日からずっと、書いていた。
才上くんと何もない1日でも、たとえば廊下で見かけたとか、そんなたった一行の出来事でも書き記していた。
正の字を数えればもう98回目。
一冊のノートはもう、終わろうとしている。
「……ありがとう、才上くん」
▽▽▽
雨がまるで私の心を映したみたいで、少しだけ嫌な気持ち。
「……珠莉?」
いつものように才上くんの隣を私は歩く。
お互いに傘をさしてるから少しだけいつもより距離は遠い。
傘に雨が落ちる音が大きく響いて、才上くんの声を濁した。
「なにー?」
「今日元気ないな? 風邪がぶり返したんじゃないか?」
才上くんが私の額に手を伸ばそうとする。
でも私が一歩後ろに足を引いて、それを避けた。
「ううん。今日は少し疲れちゃっただけ。風邪は引いてないよ」
「……そう?」
「うん」
そうして会話がまた途切れた。
さっきから何回目だろう。
才上くんと会話が続かないのは、きっと初めてだ。
いつもどちらかが、ずっと話を繋げてた。そんなことを意識しなくても、会話がずっと続いてた。
「才上くん」
「ん?」
「私ね、才上くんが初恋なんだよ」
突然の報告に、才上くんが目を丸くする。珍しく驚いた顔の才上くんが、それはそれでかっこよくて。
見惚れちゃう私は、やっぱりダメな人間だ。
「意外だな。普通小学校とかで初恋は済ませてるものだと思うけど」
「才上くんも?」
「いいや。俺も珠莉と一緒」
才上くんのことが知りたい。でも知ったら知った分だけ心が痛い。
私が才上くんを好きになった時間の分だけ、才上くんは他の誰かを想ってる。
そしてそれが才上くんの初めての気持ちなら、尚更羨ましくて苦しくなる。
「つまりね、才上くん以外を好きになったことがないんだよ」
「まぁ……そういうことになるな」
「うん。だから、たぶんやめ時も分からないんだと思う」
この考え方があってるのかも分かんないけど。
やめるのは、他に好きな人ができた時なんだと思ってた。でもそれじゃあ一生やめられない。
「珠莉」
「才上くん、私ね」
才上くんの言葉は聞きたくない。だから言葉をやめてはいけない。
「才上くんを好きなだけで幸せなんだよ。辛いときも悲しいときもあるけど……想いは届かなくても、それでもね」
才上くんを想う時間は、私にとってかけがえのない大切な思い出。
「99回目」
自分で口にした。最後のカウント。
ごめんね、才上くん。
私は100回目を告げたくないから、ここで逃げることにするよ。
才上くんから終わりを告げられたら、私はたぶん立ち直れない。
その前に自分で覚悟を決めて、ケジメをつけることにしたよ。
「才上、奏斗くん」
その名前をちゃんと呼んだ。
緊張で、心臓は破裂しそうだけど。
呼ぶことを許されるのは、おそらく……。
「これが、最後だよ」
才上くんと目があった。
才上くんの瞳が少し揺れてることが嬉しかった。少しは動揺してくれてるんだって分かったから。
「きみが大好きです」
雨が降り続く。叩きつける雨が感情ごと洗い流してくれたらいいのにね。
「たぶんこれからも、きみは私の特別な人だと思う」
雨が降っていてよかった。
震える声も、雨の雑音のせいにできるから。
「今まで困らせてごめんね」
咄嗟の行動だったのだろう。才上くんの手が私に伸びてきた。
それはきっと私の涙を拭うためで、私はその手を振り払った。
「大好きだよ」
これからも、たぶんずっと。
重すぎる気持ちは心に隠して、私は雨の中を走った。
ずいぶん走って、疲れきった頃に後ろを振り返った。でも才上くんは追いかけてはこなくて、それにホッとして、また涙した。
99回目、逃げ出した告白は一つの終わりを告げた。




