第7話 38℃の戯言
なんだか、調子が悪い。
「じょうろ……目詰まりしてるのかな」
掃除時間も終わりに近づいた頃。
中庭の花壇に水をあげている最中なのだが、どうも水の出が悪い。目詰まりしてるのかな? と考えてはみるけれど、もしそうだったとしてそれを手入れするのは面倒な気がして。
「ホースで一気に水撒いちゃおうかなぁ……」
ホースの先を潰してシャワーのようにしたら水やりはすぐ済む。でもあまり見た目としてよくないかなと思って、普段はそんなことをしない。
けれど今日はなんだか本当に、いろいろな手間が面倒くさい気分で。
「よし、これで……先を潰して、っ」
ホースの先を潰して蛇口をひねった瞬間、私の予想していた方向とは違うほうにホースから水が噴射した。
「うわっ、桜井! 大丈夫か!?」
一緒に水やりをしていた男子、田中くんが私の身に起きた事件に気がついて、駆け寄ってくる。
私もやっと自分の状態を理解したのだけど。
どうやらホースの水は私に向かって噴射したみたいで。
私はびしょ濡れになっていた。
まるでプール掃除をしながら水遊びをした小学生みたいに。
「あはは、ごめんね。驚かせちゃって」
「それはいいけど、その……とりあえず保健室に行ってこい」
「え? 保健室?」
田中くんの頰が少し赤い。どうしたんだろう? と思って、声をかけようとしたら、少し遠くでよく知る声が聞こえた。
「お前は本当に一回そこに頭ぶつけてきたら?」
「あっはは、そんなに怒んなくていいじゃーん。……あ、才上。あれ珠莉エットちゃんじゃない?」
「は? ……っ、珠莉!」
声のするほうを自然と向いていた。50メートル先くらいに才上くんがいる。志倉さんと一緒にゴミ捨てに来ていたようで。
掃除当番まで一緒なんだ、って少し心がチクリと痛む。
「ちょっと才上! 私にゴミ押し付けないで!」
「うるさい。笹川呼べ」
才上くんがこちらへ駆けてきて、私の単純な心は簡単に棘を抜かれる。
「才上くんだぁ。どうしたのー?」
放課後のことで話でもあったのだろうか。
どこか血相を変えた様子の才上くんが近づいてきて、そのまま才上くんが私の目の前でネクタイを解いた。
「え?」
そしてそのまま自分の着ていたワイシャツを脱いで、私の肩にかける。目の前の才上くんは黒のTシャツ姿。
珍しい姿に思わず見惚れてしまう。
「何これ、どういう状況? ……お前が珠莉に水かけたの?」
才上くんは怖い顔で私の隣にいる田中くんを睨む。
田中くんが才上くんの鋭い視線に怯んでしまって、代わりに私が慌てて声を出した。
「違う違う、私がホースの水を噴射させて自分でびしょ濡れになって……」
「珠莉はホースで水やらないだろ」
「……ちょっとじょうろの調子が悪くて、手入れするのも今日は面倒で……いろいろ省こうとしたらこうなっちゃった」
ヘラッと笑ってしまう。
なぜか、今すごいアホヅラをしてる気がする。
どうしてだろう。
発言もあいまって、とんでもなくマヌケな気がする。
そんなことを考えていたら、才上くんが私の額に手を当てた。
「……やっぱり」
「え?」
「とりあえず保健室行くぞ」
才上くんがため息を吐きながら、私の腕を取る。
さっきからみんな、やたらと私を保健室に連れて行きたがるのはなぜだ。
「なんで保健室? 田中くんにも言われたばっかりだけど」
私の発言を聞いて、才上くんが舌打ちをした。
「才上くん?」
「田中、お前何も見てないよな」
田中くんにそんな声かけをする。イエス以外の答えを求めていない問いかけには異様な圧を感じた。
田中くんは首ふり人形よろしく、コクコクと首を縦に振っている。
「とりあえず珠莉借りるから。後片付け任せる」
「え、それはちょっと……」
「珠莉は黙って」
さすがにそれは無責任な気がするのだけど、田中くんも「早く保健室に行ってこい!」と私を追いやるように言ってきた。
田中くんの了承を得るなり、才上くんは私の腕を勢いよく掴んで引っ張る。
「才上くん、なんで保健室……」
「自分の格好分かってないだろ、珠莉」
歩きながら才上くんにそう指摘されて、自分を見てみる。けどビショビショということ以外ピンとこない。
私のせいで肩からかけてもらった才上くんのワイシャツまで濡れそうなことの方が気になるんだけど。
たしかに遊んでたのかって突っ込みたくなる感じはするけど、髪とか服をタオルで拭けば別に……。
「タオルで拭けばいいとか思ってるだろ」
「……うん」
心が読まれた、なんて思ってたら才上くんがまた大きなため息を吐いた。
「いろいろ……透けてるから。田中が顔赤かった理由、本当に気づかなかった?」
「え? え……あ、え? そんなに透けてる?」
でもキャミソール着てるから透けてもそこまで問題ないとは思うけど……。
「キャミソールの中も、形分かるから」
「あ……そ、そうなんだ」
そう言われて恥ずかしくなった。
私がしゅんとおとなしくなると、才上くんが濡れた私の髪を優しく撫でた。
厳しい言動からの、優しい所作は心がぐらつくからやめてほしいのだけど。
「保健室連れて行くのは、ドライヤーと制服の予備を借りるのと……あとは熱があるから」
「え、大丈夫?」
「バカ、俺じゃなくて珠莉だよ。普段しない行動してるのも、いつも以上に自分に無頓着なのもそのせいだろ、たぶん」
全然気づかなかった。
なんだかボーッとするなぁって思ってはいたけど。
今日はいろいろ面倒だな、って思って行動を省略しがちだったけど。
「才上くん、すごい」
「俺がすごいんじゃなくて珠莉が……」
「私マスターだね、才上くん」
才上くんが私のことを気にかけてくれたことが嬉しくて、そんな馬鹿げたことを言いながらヘラヘラ笑ってしまう。
ニヤケ顔を抑えられない私を、才上くんはどこか困った顔で見下ろした。
「その顔は……勘弁して」
どういう意味なんだろうって考えてたら、保健室に着いた。
▽▽▽
頭がふわふわする。
さっきまで何してたんだっけ。
……たしか、才上くんに保健室まで連れてきてもらって、とりあえずジャージを借りてそれに着替えて……先生がドライヤーを貸してくれて。
「眠ったんだ、私」
「……桜井さん、起きた?」
保健室の先生の声がする。
シャッとカーテンが開いて、優しい顔の先生が私を心配そうに見つめた。
「ご両親に連絡したら、放課後迎えに来れるけど少し遅くなるって」
いま何時だろう、と思って時計を見たら、5限目の授業が終わる少し前。あと1コマ授業が残ってる時間。たぶん1時間くらい寝てたのかな。
たしかお母さんは少し遠方にあるおばあちゃん家に行ってくるから夜遅いって言ってたっけ。お父さんは最近仕事忙しそうだったし、たぶん本当に遅くなるだろうなぁ。
「一度寝たら少し体調良くなったし、一人で帰れますよ?」
「ダメよ。さっき測らせてもらった時も38.6℃だったんだから。先生が送ろうと思ったんだけど、笹川くんのお母さんがもうすぐ迎えにくるって」
「……え? 隼汰く、笹川くんの?」
「うん。桜井さんのお母さんにも連絡とったからって」
あぁ、それは申し訳ないなぁ。 迷惑かけてる。
本当にもう大丈夫なんだけど。
隼汰くんと隼汰くんのお母さんにお礼言わなきゃ……。
「じゃあ、先生は笹川くんのお母さんを誘導しに、校門に行ってくるから。少し待っててね」
再びカーテンがシャッと閉まり、扉が閉まる音を聞いて私は目を閉じた。
また、微睡みに消えそうな私の意識を。
すくい上げたのは、やっぱりその人だった。
「……才上、くん?」
音は全然しなかった。声も、しなかった。
感じたのは本当に微かな気配。
でもそこに才上くんがいると確信を持って、私は目を開けた。
「ごめん、起こした?」
私の寝顔を覗き込む才上くんと目があった。
少しだけ申し訳なさそうな才上くんの顔。
そんな顔もかっこよくて困る。
「ううん。才上くんに会いたいって思って目を開けたら、才上くんがいた」
これが夢だったら、それはそれでやっと才上くんに会えたって喜べる。
でも分かるよ。これは夢じゃないって。
だって私の想像する才上くんは、やっぱり偽物で、実物のかっこよさには敵わないから。
……って、何考えてるんだろ。本当頭がうまく回らない。
「体、まだきつい?」
「ううん。だいぶよくなった。ありがとね、才上くん」
「保健室に連れてきただけだよ、俺は」
「熱があるって気づいてくれた」
「誰でも気づくよ」
「私は気づかなかったよ?」
「それは珠莉だから」
あ、バカにされてる。そうは思うけど嫌じゃない。
あのとき田中くんも保健室に行けって言ったけど、田中くんはきっとびしょ濡れの制服を着替えろとかジャージか何か貸してもらえに行けって意味で。
たぶん才上くんがいなかったら、私は今もボーッと授業を受けて、きっと家に帰ってから辛いことになってるんだろうなって思う。
「笹川の親が来てくれるって?」
「うん。……隼汰くんにも隼汰くんのお母さんにも悪いなぁ」
「珠莉は病人なんだから、優しさに甘えたらいいと思うよ。笹川も、笹川の親も、嫌なことをわざわざ自分から言い出して引き受けたりしないから」
才上くんの言葉が優しくて、安心する。
髪を撫でる手の感覚が心地よくて、好き。
「……才上くん、授業は?」
「今は休み時間だから大丈夫。……あと5分くらいここにいるから」
10分間の休憩時間。それを全部、才上くんは私にくれようとしてる。10分ギリギリここにいたら、絶対少し授業に遅れちゃうのに。
だからって早く戻っていいよとも言えない自分が情けない。
「……才上くん」
「ん?」
情けないついでに、もうとことん最低な女の子になってもいいかな。
「病気を理由に甘えたいって言ったら……怒る?」
卑怯な聞き方をしたことくらい分かってる。
才上くんは優しいから、きっと病人の戯言を突き放さないって私は知ってる。
「いいよ。……どうしたらいい?」
声が優しすぎて、それだけでもう本当は十分なのに。
「……ギューって、して」
泣きそうになるのは、熱のせいなのか、恥ずかしさのせいなのか。それとも拒絶されるのが怖いからなのか。
目を閉じたのは、才上くんの顔を見るのが怖かったから。
バカな願いを口にする自分に嫌気がさした。
「……珠莉」
こっちが苦しくなるくらい優しい呼び方。
私を包んだ温もりは才上くんの身体の熱。
額に感じる柔らかい熱は、間違いなく才上くんの唇だった。
だから、私は泣いてしまった。
「……なんで、チューまでしたの」
矛盾だらけなのは私も同じだった。
才上くんが望みを叶えてくれたら叶えてくれたで、文句しか出なくて。
なんでそんなに優しいのに、甘やかすのに、私たちの関係は何も変わらないのかって。
「そんなの、ずるいよ」
「うん、分かってる」
「……才上くんの考えてること、全然分かんないよ」
「うん」
うん、じゃなくて。もっと何か説明が欲しいのに。
たぶんそんなことも全部わかっててあえて説明しないんだなって。
「好きだけど……悲しいよ」
こんなこと言っちゃダメだって。
勝手に好きになったのは私で、才上くんを責めるのは間違ってるって分かってるけど。
「好きだけど……苦しいよ」
またきっと熱が上がってる。
言ってることがめちゃくちゃで、自分でも何が言いたいのか分からない。
「ごめんな、珠莉」
「……謝られるのは、もっと嫌い」
困ったように才上くんが笑う。困らせてごめん。
本当に、ごめんなさい。
本当はもう、分かってるんだよ。
「あともう少しだけ、俺のこと好きでいて」
100回目の告白がきっと最後だって。
才上くんは、きっと……そのときまで、私の止められない感情に付き合ってくれるんだって。付き合えないけど恋人みたいな時間を過ごさせてくれて。
たぶんそれが『友達にした私』への誠意なのかなって。
「ずっと、好きだよ。……嫌いになりたいよ」
「それはどっちだよ」
また才上くんが笑う。私の好きな声で。
私の目から溢れる涙を才上くんが拭った。
「才上くんが……好きだよ」
嫌いになんて、なれないんだよ。
「……才上、いんの?」
扉が開く音と一緒に、隼汰くんの声がした。
「珠莉、母さん来たみたいだから、俺が車まで連れてく」
隼汰くんが私の横たわるベッドにやってくる。
泣き顔の私を見て、隼汰くんが才上くんをにらんだ。
「ちがうの、隼汰くん。これは……」
「もう、休み時間終わるんだから……才上は教室戻れよ」
隼汰くんが有無を言わさない声音でそう告げる。隼汰くんに威圧感を覚えたのはこれが初めてで。
才上くんは私の髪を優しく撫でると、そのまま保健室から出て行った。
「珠莉、大丈夫か?」
それはきっと体調のことだったんだと思う。もしかしたら、才上くんとのことも含めてたのかもしれないけど。
「……大丈夫じゃ、ないよ」
隼汰くんに言うべきじゃないと分かっていたのに、涙と一緒に本音はこぼれ落ちた。
そうしたら自然と意識も遠のいていって。
「……俺なら、絶対泣かせねーのにな」
そんな声が、夢の中で聞こえた気がした。
でもそれは才上くんの声ではなくて。それだけは確かで。
夢の中に才上くんはやっぱり現れなくて。
98回目の告白に、答えはなかった。




