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村人Aの婚約  作者: 加藤有楽
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第10話

 やってくるはずだった衝撃の代わりに、硬い金属音が響き渡りました。恐る恐る目を開いてみると、目に飛び込んできたのは、ガチ殺気を振りまきながら鍔迫り合いを繰り広げる勇者様と盗賊風のお姉さんという、なんとも心臓に悪い光景でした。お姉さんの表情は相変わらず肉食獣そのものですし、対峙する勇者様の目も明らかに勝てる気がしないレベルの殺気が揺らめいています。あれこの光景、昨日も似たようなの見たな、と思っていると、ぎしりという硬いものが軋む嫌な音が聞こえてきました。慌てて目の前の光景に意識を戻すと同時に、勇者様がお姉さんの円月刀を受け止めていた長剣を力技で一振りし、お姉さんの円月刀を覆っていた氷が粉砕。それと同時に、お姉さんは飛び散る氷から逃れるように後ろに大きく飛び退きました。

「何をしているんですか姉さん!!」

 大きな間合いが出来て一区切りついたのか、勇者様は全力で振りまいていた殺気を消し、構えていた長剣を下げると、円月刀の状態を気にしている盗賊風のお姉さんに向かって声を張り上げました。しかしお姉さん、完全に勇者様をシカトです。自分の円月刀の刃こぼれチェックに夢中です。流石ですお姉さん!しかもあの肉食獣の表情ではなく、いつもの美人さんに戻っています!よかったー!危機を脱したようですマジでよかった……!

 盗賊風のお姉さんの表情が元に戻ったことに心から安堵し、若干涙目になっておりますと、すっと目の前に心配そうな碧眼が現れました。

「大丈夫ですか?」

 いつも思ってたんだけどさ、なんでこう至近距離に顔を近づけてくるんだ勇者ってやつは!なんなの自信の表れなの!?そりゃあ、至近距離からの観察にも耐えうる美形なのは認めるけどな!?

 しかしそんなことを言えるはずもなく、唐突に至近距離に現れた碧眼をまじまじと見ておりますと、勇者様はうっすらと眉間に皺を寄せました。おお、こんな表情をしても美形は美形なのか。すげぇな美形のポテンシャルマジ計り知れないわ。

「……どこかお怪我を?」

 私が反応を示さなかったので、どうやらどこか気にしていることがあると思ったのでしょうか。いや、私が気にしていたのはあなたのご尊顔ですけれどね、とか思っているうちに、みるみる勇者様の碧眼が険しくなって行きました。先程の本気の殺気がひやりと戻ってきます。あ、あれ?ひょっとして盗賊風のお姉さんに私が怪我をさせられたとか思っているのでしょうか?いやいやいや、勘違いにも程がある!私ピンピンしてますよぉー!?

 慌てて勢いよく首を横に振りますと、勇者様の碧眼が心配そうにこちらを向きました。その碧眼を覗き込みながら、うんうんと頷いてみせますと、勇者様は安心したような溜息をつきます。なんとか殺気は消してくれました。あっぶねぇ!

 こちらも思わず安堵のため息をついておりますと、目の前から勇者様の心配顔が消え、代わりに勇者様の手が差し出されました。私は軽く頭を下げてから勇者様の手を取ると、なんとか立ち上がります。よいしょお、とおっさんのような声を上げてしまったのは御愛嬌。ずっと尻もちをついた状態だったので、後ろを改めて確認してみますが、若干服が汚れているだけで案の定怪我などはありません。

「お怪我が無くて、なによりです」

 にこりと柔らかな笑顔を浮かべた勇者様は、それからきりっと表情を引き締めると、くるりと顔だけ盗賊のお姉さんのほうに向けて、険しい声でなんやかんやとお姉さんにお説教を始めました。お姉さんの刃こぼれチェックは終わったのか、今回は頭をかいて若干ばつが悪そうな表情のまま、勇者様のお説教を大人しく聞いています。その巨乳に免じて、できることなら盗賊のお姉さんの味方をしたいのですが、若干命の危機を味わったので、今回ばかりは傍観することにします。いや、モブに襲いかかるとかいくない!勇者様、今回ばかりはよろしくお願いします。

 そんな勇者様のお説教の間に身なりを整えようとして、私はふと勇者様に手を握られっぱなしだということに気付きました。手を離してもらおうと、勇者様の手を軽く引っ張ると、引き続き絶賛お説教中の勇者様がこちらを向きました。

 手を離してもらおうと、へらりと愛想笑いを浮かべて繋いだままの勇者様の手を再度引っ張ると、勇者様もにっこりと笑って、私の手をぎゅうと握り締めました。……あっるぇー?

 手を離して欲しい旨が上手く伝わらなかったのかと、勇者様の目をちらりと見ると、勇者様のにっこりとした笑顔はそのままです。しかしよくよく見ればこの笑顔、先程私が怪我はないと言った時の柔らかな笑顔とは全く違う笑顔です。いつもの底知れない笑顔に似ていますが、なんかこう、更にしてやったり感が滲んでいるというか。事態がよく把握できず、とりあえず手を引っ張り続ける私ですが、勇者様は笑顔のまま、ぐいと手を引きます。当然私は引っ張られるままに、勇者様の目の前に立ちます。その距離数センチ。な、なんだこれ!?

 思わず勇者様の顔を見上げますと、勇者様と目が合いました。表情は笑顔のままですが、その目は全く笑っていません。そして、再び私の手をぎゅうと握り締めると、そのなんだか怖い笑顔のままこう言いました。

「せっかく捕まえたのに、放す理由がないと思いませんか?」

 さらりと言われた言葉の意味が汲み取れず、私は一瞬ぽかんとした阿呆面を晒してしまったのですが、次の瞬間色んなことを思い出し、勇者様の発言の意味をしっかりと理解しました。

 し、し、し、しまったぁぁぁぁぁ!!そうだよこいつ私を追いかけている内の一人だったんだよぉぉぉ!!何故!何故忘れていたんだ自分!おかしいだろ!こいつ最大の敵だったじゃん!!あまりに自然に助けに入ってくれた上、物凄く当たり前のように手を差し出されたので、何の疑問も抱かずその手を取ってしまったのですが、そうだよこいつは敵だったんだよ!!

 慌てて周囲に目を走らせると、いつの間にやら私の左右をお姫様と盗賊風のお姉さんが固めていました。当然正面は私の両手をがっちり握ったままの勇者様。私は唯一の逃げ道である後ろに救いを求めて、大きく上半身をのけぞらそうとしたのですが、背筋が伸びきる前に後ろからぽん、と軽い様子で両肩を掴まれました。それと同時に、一気に私の顔から血の気が引きます。この状況で、私の肩を掴む人間は一人しか思い浮かびません。

「はい、ゲームセットー」

 語尾を上げた妙に楽しそうな声が死ぬほど癪に障りますが、この声は間違いありません。魔法使いのお兄さんです。そしてお兄さんの言った通り、今、私の命がけの追いかけっこに終止符が打たれたのです。私の負け、という終止符が。

 絶望に飲み込まれ、抜け殻のようになった私の顔をひょこりと覗き込んだ勇者様は、にこりと笑顔を浮かべました。先程の底の見えない笑顔ではなく、柔らかく、ごく自然な笑顔です。

「さぁ、参りましょうか」

 だから何処へだよ!ていうかマジこれちょっと待てマジで!マジで!ホントにこれどうなるの!?私刑!?私刑が始まるのか!!?勇者様ご一行がよってたかってモブ一人を私刑とかいくない!イジメいくない!

 私の心中の絶叫など知るよしもない勇者様御一行は、それはそれは楽しそうに私の護送を始めたのです。この鬼!悪魔!人でなし!!



 数分も歩けば、私の職場に着いてしまいます。何しろ我がルルトの村は小さい村ですし、私の職場は村の入口付近という全力野外の誰でも通れる公道なのです。そんなわけで、私は勇者様御一行に護送され、村の入口に立たされていました。我が村の境界線は、貧相な木の柵です。それが途切れているのが、ここ正面の村の入口。だいたい馬車が通れるくらいの広さですが、モブにとっては一生出る事の無い絶対の壁です。

「とりあえず、押し出せばいいのですわよね?」

 お姫様が恐ろしい事をさらりと言うと、御一行の皆さまがうんうんと軽く頷きます。いや私の人生の一大事をそんな軽いノリで進められても困るんですけど!?

 御一行の態度に若干の憤りを感じておりますと、四方を固められた状態から解放されました。解放されたと言っても、勇者様に握られた手はそのままですので、再度逃げ出すこともできません。まさに処刑を待つ囚人の心境。しかも悟り開けていない系の囚人です。ああ、一体私が何をしたというんでしょうか。ただの村人Aとして、日夜職務に励んでいたつもりです。勇者様御一行が訪れた時の対応も、別に悪くなかった気がします。ていうか『ここはルルトの村です』としか喋らないんだから、それ以上も以下もないはずだろ!?でも勇者様はそれになんだか良く分からないけれどもキュンとしてしまったそうなのです。何度でも言おう。意味がわからない。

 現実逃避なのか、そもそもの事の始まりの意味不明さに悶絶しておりますと、ぱっと手が放された感覚が走りました。思わず意識を元に戻しますと、目の前には勇者様。

「では参りましょう」

 処刑執行の合図です。思わず涙目になりながらぶんぶんと首を横に振りますが、勇者様はそんな事を全く意に介さない様子で私の後ろに回り込み、がっしと両肩をつかみました。勇者様以外の御一行の皆様は、村の境界線である木の柵に寄り掛かったりして、面白そうにこちらを見つめています。こいつらに助けを求めても無駄だ……もう観念するしかないのかしら……腹をくくるしかないのかしら。

 ずりずりと勇者様に押される形で村の入り口までの距離が縮まって行きます。ああ、もうこれ駄目だ。どう考えてもこれから起こることを回避できる気がしねぇ。諦めるしかないんだ。でもでも、それでもやっぱり、じわじわと迫ってくる村の入口は怖いもので、私は悟りを開くことはできませんでした。

「っぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 私の渾身の断末魔の叫びもなんのその、勇者様に肩をがっりちと掴まれたまま、私は村の外へ押し出されました。

 本来、村人のモブは村の外には出られません。村の囲いを越えようとしても、見えない壁のようなものに押し返されて、ワールドマップには出られない仕様なのです。ですが、私の体はやすやすと村の囲いを乗り越えてしまいました。『押し出されると村の外に出てしまう』という、私のバグが発動したのです。

 私が村との境界線を跨ぐと同時にじじっという何かが焦げ付くような音がしました。それから、ぼずん!というくぐもった音とともに、唐突に私のカラーリングが変わったのです。といっても私はモブですので、姿かたちに変化はありません。髪の色と、服の色が唐突に変わっただけです。今のところ変化があったのはそのくらいで、私はどこか怪我を負うこともなく、ましてや消えてなくなるようなこともなく、今のところはなんとか生きています。

 その私の変化を無言で見守っていた魔法使いのお兄さん、盗賊風のお姉さん、お姫様から、一瞬の静寂の後、拍手が沸き起こりました。いや、拍手するようなことは何一つとして起こってないですよ!?今のところ色変わっただけですけど、これ間違いなく公開処刑でしたよ!?しかも今後どういう状況になるのかお先真っ暗ですよ!?分かってんのかお前ら!?

「もうやだありえないなんだこれマジで泣きそう。勇者様御一行がただのモブを公開処刑ってどうなの。しかも私これから先どうなると思ってんだマジで。マジで!!」

 勇者様に肩をつかまれたまま泣き言を言うしかない私でしたが、そういえば勇者様が無言だったことを思い出し、そういえばこの人ホント存在が地味なんだよなと一瞬思考がそれた瞬間に、くるりと体を反転させられました。思わず泣き言も止まってしまい、目の前に現れた勇者様の碧眼を見上げる他ありません。半泣きのまま勇者様の反応を待ちますが、当の勇者様は無言でこちらをじっと見ているだけです。え、なに何なのこの展開。あれだけ騒いでいた勇者様御一行もなぜか静まり返っており、ただただ静寂が周囲を包んでいる状態です。

 ま、まさかバグの影響が勇者様に出ているとか?いやいや、そんなまさか……まさか、ね?いやでももし万が一何かしらの影響が出たとしても、ただのブーメランですよ。完全なる自己責任ですよ。被害者はこっちですよ。ワタシワルクナイネ。……でもやはり勇者様が私のバグの影響を受けているとしたら、若干の責任感というか罪悪感というかそういうものは感じるわけで。

 勇者様は相変わらずこちらを無言でじっと見ています。とりあえず顔色は悪くないようですが、もし何か起こっている場合、私のようなモブに顔色だけで判断は出来かねます。体温はどうかと勇者様の頬に軽く触れながら声をかけてみることにしました。

「あ、あの、勇者様?大丈夫ですか?」

 この静寂の中、勇者様に声をかけるのは非常に勇気のいることでしたが、もし何か勇者様に影響が出ているとしたら、流石に放置しておくわけにもいきません。おそるおそる声をかけてみると、今までじっとこちらを見ていた勇者様の表情がぱあっと明るくなりました。花のほころぶような笑顔というのは、正にこういうことでしょう。その反応にびっくりして手を引っ込めた私を、勇者様はそのまま抱き締めました。

 え、何この反応。なんか別に大丈夫そう?ピンピンしてる?私心配して損した系?思わず気が抜けたところを、さらにぎゅうぎゅうと勇者様に抱きしめられます。身長差があるので、正面から抱きしめられると、私はちょうど勇者様の肩から胸の辺りに顔がきます。そんな状況で遠慮なくぎゅうぎゅうやられたら、息苦しいに決まっているわけで。なんだこれ私を絞め殺そうというつもりか!?いらん心配をしてしまった上に絞め殺されるとかあんまりだ!それにちょっと良い匂いがしてドキドキするのでマジやめてください!

 どうやら何の影響もなくピンピンしている勇者様の拘束から逃げ出そうと、必死に暴れてみましたが、全くびくともしません。流石勇者様。私のようなモブとはステータスが違いすぎます。おおい、誰かこれ剥がしてくれないか。御一行の皆様に助けを求めようともぞりと動いたところ、私の頭に顔をうずめていた勇者様が、ぼそりと呟きました。小さな呟きでしたが、なんとも幸福そうな、甘い喜びにあふれた声音で。

「やっとお声が聞けました……!」

 それから勇者様はまたぎゅうと私を抱きしめると、無言になってしまいました。対応に困った私はどうにか首を動かして、先程から静まりかえっている御一行の皆様の方に目をやると、お姫様はよかったですわね……と何故か涙ぐんで目元をハンカチで押さえており、その横の盗賊風のお姉さんは物凄い勢いで手元の閻魔帳に何か書き込んでおり、更にその横の魔法使いのお兄さんは、にやにやとした笑顔で何故か拍手を送ってくれています。いや、その反応が全く意味分からん。

 御一行の皆様はまたしても全く役に立たないということが判明したので、私は首を元に戻しつつもぞもぞと体を動かします。なんとか両腕を引きぬくと、恐れながらも勇者様の背中に手をまわして、ぽんぽんと軽く叩いてみることにしました。とりあえず落ち着いてくれ、そして拘束を解いてくれと強い念を込めつつ数回叩きますと、無言だった勇者様がくすくすと笑いだしました。おい、今度は笑い上戸かなんだこの状況。いや、ひょっとしてやっぱりバグの影響でも受けておかしくなっちゃったのか。

「あのー、勇者様?」

 とりあえず声をかけると、勇者様は笑いを引っ込めて顔を上げたようでした。頭の上に顎を乗せられたのでしょう。私の背中に回っていた勇者様の両手は私の肩の上に回り、私の頭を勇者様の胸に押さえつけるように固定されてしまいました。俗に言う首ホールドです。いやこれ何どういうこと?勇者様の顔は私の頭の上なので、当然表情を伺うことはできません。

「あなたにお願いがあります」

 そんな体勢のまま、勇者様は口を開きました。モブの本能がぞわりと嫌な予感を察知して、自由になった両腕と下半身をもぞもぞと動かしますが、首をがっつりつかまれているのでどうにもなりません。しかも視界は勇者様の胸から肩にかけて。周囲の状況もさっぱり分からないのです。なんだよ何をするつもりなんだよ。

「……オレの婚約者になって頂けませんか?」

 一息ついた後に言われた言葉は、非常にデジャヴを感じる一言でした。ああこれ、なんかすっごい前に聞いた気がするけど、実際聞いたの一週間も経ってないなんだよなぁ。そう思うとここ数日は非常に濃ゆい日々だったなぁとか。ていうか間違いなく私の人生の中で最大級の事件が立て続けに起こりまくった数日間だよ間違いないよていうかモブの人生にこんな事件起こらなくていいんだよ!思わず歯噛みする勢いでここ数日を回想していると、勇者様は私が答えを思案していると思ったのか、言葉を続けました。

「因みに、イエスという返事を頂けるまで、この拘束は解きません」

「ハァ!?」

 何言ってんだこいつ!?思わず声を上げると同時に、こちらの動向を大人しく見守っていたのであろう御一行の皆様からやんややんやと歓声が上がります。ああっ、皆様の様子は見えないけど、こんな状況だろうなーというのが手に取るように分かるっ!

「いやあの、なんですか強制イベントかなんかですか。イエス選ぶまでイエスとノーの選択肢がずっとループするあれですか」

「そのようなものです」

 さらりと言われてしまいましたが、改めてこいつ何言ってんだ!?そして御一行の皆様も止めてくれよ!モブ相手に実力行使に出たんですよ!?そういうのどうかな!?世界を救う勇者としてどうかな!?

 勇者にあるまじき行為に出た勇者様にどう対抗したものかと頭を抱える私をあざ笑うかのようにていうか明らかに楽しそうな声で、勇者様はくつくつと笑いながら言葉を続けます。

「半日でも一日でも三日でも、オレはこの体勢で構いませんよ。あなたと一緒にいられるならば、願ったり叶ったりです」

「ままままままマジですか?」

「マジですとも」

 ぶっちゃけ対抗策が全く浮かびません。もういっそこいつを物理的に倒すしかないと思うのですが、ただのモブの村人Aの私が、勇者様を物理的に叩きのめすことなどできるはずがありません。実際、今この首ホールドすら解けないしね!?後は持久戦に持ち込むしかありませんが、持久力でも勝てる気がしねぇ!全くと言っていいほどしねぇ!しかしホントいい加減この状態から抜け出したいんですよ!だって相変わらず良い匂いするんだものこの人!ちくしょうイケメンめっ!イケメンめっ!



 勇者様に首ホールドされてから、しばしの時間が経ちました。体感的には半日くらい経っているのですが、おそらくそんなに時間は経過していないのでしょう。それでも御一行の皆様が飽き始めるくらいには時間が経っていたようです。

「嬢ちゃん、もういい加減観念したらどうだー?」

「そうですわ。そろそろ年貢の納め時でしてよ?」

「そうだよ。もういいじゃないか。お嬢さんは良くやったよ」

 なんだか良く分からない説得の方向性になっていますが、ぶっちゃけ私もつらいです。勇者様に若干寄り掛かっているとはいえ、ただ立ち続けるのってこんなに辛いんですね!しかも状況が分からないので疲労度更に倍!そしてとどめが、そういえばここが村の入り口だということを思い出してしまったこと!勇者様に首ホールドされている村人Aという訳のわからない状況が、我がルルトの村を訪れた方々を迎えるというこのカオス!ああもういっそのこと消えてしまいたい!!

「どうですか?そろそろ降参なさっては?」

 勇者様の楽しそうな声が、頭の上から降ってきます。この声、勇者様はまだまだ余裕なのでしょう。むしろこの状況が楽しくて仕方ない、というようにも思えます。勇者、計り知れねぇわマジで。

「……イエス、と言えば解放して頂けるんですね?」

「ええ、もちろん」

 私の言葉に、周囲の御一行の皆様から歓声が上がります。しかしその歓声も、何故か今の私には天使が奏でる賛美歌のように聞こえます。パトラッシュ、僕もう疲れたよ……。

「答えは、イエス、です」

 そう答えると、びっくりするくらいあっさりと勇者様が腕の中から解放してくれました。ぱっと視界が開け、思わず深呼吸をしてしまいました。自由!ついに私は自由になったんですね!!嗚呼!体が動かせるってなんて素敵なこと!興奮のあまり勇者様から離れ、両腕をぶんぶんと振り回します。自由万歳!

 そうしてなんとか人心地ついた私は、改めて回りの状況を確認しました。目の前にはにこにこ笑顔の勇者様。少し離れて、またしてもにやにやとした笑顔を浮かべた御一行の皆様。そしてこのカオスを遠巻きに見ている同じ村人と旅人の皆さん。ああ、世間の目が痛い!そしてこれからの事を考えると、更に世間の目が気になるところではありますが、一応、モブはモブなりに予防線を張って答えたつもりです。そうです。確かに私はイエスと言いましたが、何に対する答えとしてイエスか、までは明言していません。このまま勇者様御一行がこの村を離れてくれれば、有耶無耶にできる可能性無きにしも非ず!

 密かな可能性に静かにガッツポーズをしておりますと、目の前のにこにこ笑顔の勇者様がすっと私の左手を取りました。え、ちょ、何?そして私が状況を理解する間もなく、私の左手の薬指に現れた銀色の輝き。

「こここここここれはまさか」

「婚約指輪ですが、何か?」

 そして全く同じデザインの指輪を、勇者様も自分の左手の薬指にさっとはめました。そしてにっこりとこちらに笑いかけます。

「イエスとお答えをいただきましたので、何も問題はないですよね?」

「…………はい」

 モブの浅はかな知略など、主人公である勇者様の前ではゴミ屑以下でした。ええそうですとも所詮私は村人A!ステータスで勇者様に勝てるはずもありません。半泣きになる私の横で、御一行の皆様からまたしても拍手が沸き起こります。

「いいねぇいいねぇたまらないねぇ!恋愛成就の瞬間ほど嬉しいものはないよ!はー、いい仕事した」

「ああ!わたくしも早く垂涎のショタと結婚の約束を交わしたいですわ!」

「あはは。いやー、まさかこいつの恋愛を発生から決着まで見られるとは!人生何が起こるかわかんないもんだな!」

 口々に囃したてる皆様ですが、もうなんだ、反論する気も起きません。ちくしょう他人事だと思いやがって!バグ発動されてルールの外にはじき出されて良く分からないまま婚約とか!この意味の分からなさを思い知らせてやりたいが、この面の皮の厚い人たちにどうしたらこの思いを分かってもらえるか皆目見当がつかない!うう、と唇をかむしかない私に、勇者様がそっと手を伸ばしてきました。そのまま、指輪の光る私の左手を取ると、それを見つめて嬉しそうに微笑みます。

「人生で、一番嬉しい日かもしれません」

 穏やかな笑顔と、甘い喜びにあふれた声。超絶美形の割にはとにかく影の薄い勇者様ですが、この笑顔と声には抜群の存在感があります。こっちまでつられて照れてしまうような破壊力がな!こちらまで無駄に赤くなっていると、勇者様が思い出したようにこちらを覗き込みました。

「そうだ。今更で申し訳ないのですが、お名前を伺ってもよろしいですか?」

 その言葉にきょとんとしますが、そういえば私は勇者様に言葉が通じるようになってから、名乗った覚えはありません。というか、そんなことに思考が行きつかない勢いでたたみ掛けられたというのが事実でしょう。お互い名前も知らないで婚約とかマジで意味不明すぎる。

「そういやあたしらもお嬢さんの名前は知らないんだったねぇ。うちのと会話できるようになったんだから、あたしらも名前が聞き取れるはずだよね?」

「そうですわ!わたくしもお伺いしたいと思っておりましたの。わたくしにとって『村人』は確かに珍しいものですけれども、やはりお付き合いをしていく上で、名前を知らないのは不便ですし、失礼ですわ」

「俺も知りたいなー。そんでこれから行く先々で、勇者の嫁ですつって名前言いふらしてくるわ!」

 勇者様のあまりにも今更な言葉に、御一行の皆様もわいわいとのっかってきます。うう、この面の皮の厚さと押しの強さ。これがメインキャラの実力なのか!これくらいの力がないとメインは張ってられないのか!皆様の押しの強さに恐れおののいていると、先程から勇者様が放そうとしてくれない私の手が軽く引かれました。

「お名前を、お聞かせください」

 少しはにかんだ表情でこちらをのぞきこんでくる勇者様、その後ろでわくわくとした表情を隠さない御一行の皆様。うわぁ、こんなに美形ばかりに期待に満ちた目を向けられると、私そのキラキラオーラで消滅するんじゃないんですかね。だってバグが発生しても所詮モブはモブですし。いやむしろ今すぐ消滅したいんですけどね。

「あ、の……」

「はい」

 なんとか口を開きますと、勇者様はずいっと身を乗り出してきました。眼前に広がる、長いまつげと宝石と見紛うばかりの碧眼。その後ろから伝わってくる、はじけそうなわくわく加減。あまりのプレッシャーに耐えきれず、私はいつものセリフを口に出してしまいました。いやぁ、習慣って恐ろしいものですね。

「……ここは、ルルトの村です」

 私の言葉に、正に鳩が豆鉄砲食らった顔をした勇者様ご一行を尻目に、私は自分がやっちまったことを一瞬で理解し、脱兎のごとくその場を逃げ出しました。いやあの悪気は全くなかったんだけどあのこれまずいよね多分ね!?

 案の定後ろでは、逃げられた!追え!!という怒号が飛び交っております。またしても修羅場かもしれません。しかし、私は脱兎のごとく走りながら、先程の勇者様ご一行の表情を思い出しておりました。あれだけの美形が全員揃ってあんな表情を浮かべているところは、この先なかなか見られない光景でしょう。そういう意味では、いいものが見られたのかもしれません。

 若干浮上しましたが、己の左手の薬指に輝く指輪を見て、一気にテンションは下がります。由緒正しいモブである村人Aの私が、このゲームの主人公である勇者様の婚約者であるという証の指輪。因みにこの指輪、走りながら外そうとしているのですが、呪いのアイテムなのかビタイチ動きません。動かないってか回りもしねぇ!これだから勇者って怖い!

 ああ、やっぱり私は、してはいけない選択をしてしまったのでしょうか。勇者様の腕の中から脱出し、ものすごい解放感に浸ったあの瞬間に私のモブ人生は終わってしまったのかもしれません。全国のプレイヤーの皆様、正直ごめん。このゲーム、どうやらシナリオが崩壊したクソゲーになってしまったようです。いや、ほんとごめん……。



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― 新着の感想 ―
[一言] めちゃめちゃ好きなお話です!たぶん旅の途中だと思うので、これから勇者様とモブは遠距離恋愛になってしまうのかと思うとちょっと先行きが不安ではありますが(笑)、なんだかんだ絆され気味の村人Aなの…
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