12・人に近づく為に
魔獣の森の中をフラフラ歩く。身体じゅうあちこち痛い。はやく休みたい。
未だにこれという住み処は見つかっていない。ブルーベアの住む洞窟がなかなか良さそうなのだが、どうにもあの青い毛皮のクマの親子を追い出す気になれない。
その洞窟の前を通りかかると、洞窟から出て来たブルーベアの母クマと目が合う。しばし見つめ合う。その母クマの後ろからは大きく育った子クマが三匹ついてくる。どうやら三匹とも無事に育ったようだ。
ブルーベアの母クマは我をジロジロと見ると、洞窟の外へと向かう。その後ろを子クマが三匹、しっかりとした足取りでついて行く。
母クマが振り返り、また我を見る。なんだ? 我を怖れてはいるが、何やら我の身を案じているようでもある。どういうことだ?
この洞窟からこのブルーベアの親子が出て行かないかと、度々見に来るうちに、この母クマとはこうして顔を合わせたことはあるが。
いや、子育てが終わるまで追い出すつもりは無いのだが。追い立てる気は無いのだが。ううむ、我がちょくちょく見に来ることに不安を感じてしまい、それで住み処を変えるのか?
青い毛皮の母クマが森の奥に進み、子クマが我をチラチラ見ながら母クマの後について行く。洞窟から離れて行く。
森の中は異常に増えたコボルトがあちこち騒がしくするだろう。だが、なかなか立派に育ったあの子クマなら、コボルトを獲物にできそうではある。
ブルーベアの親子が見えなくなるまで見送る。なんだか、悪いことをしてしまったような気分になる。そんな気分を我がブルーベアの親子に感じるというのも、妙なことだが。
洞窟の中へと入る。クマ臭い。だが、雨風を凌げるところは有り難い。身体じゅう怪我だらけで痛い。それに疲れた。
外より暗い洞窟の中で身を伏せる。
身体に刺さる槍と矢を一本ずつ抜いていく。歯で挟み、折れぬように引っ張る。ぬお、痛い。コボルトの使う黒い石の槍、なかなか鋭いではないか。あちこちに刺さる槍と矢を全部抜くのに、あいたたた、けっこう苦労する。
全て引っこ抜いて、傷口を舐める。怪我が治るまでおとなしくしておかねば。
頭を地面に着け身を横たえる。目をつぶり、体内に流れる力を感じる。我の使える魔法は空を飛ぶ為に身を軽くすること。己の怪我を治す力を高めること。どちらもなんとなくで使っているものだ。翼や尻尾を動かすことを、いちいち深く考えたりはしない。
怪我を治す力を高めるには、どうすればいいのかを改めて考える。これまでなんとなくでやっていたことを意識してやってみる。少しは治りが良くなるかもしれない。
久しぶりにファセの顔を間近に見た。ファセに触れ、ファセの声を聞いた。病が治ったファセは元気だった。ファセの匂いを嗅ぐと心が落ち着いていった。
ファセが連れていってください、と言った。嬉しかった。ファセも我と共にいたいと、思ってくれていたのか。それだけで満足だ。ファセの涙はすこししょっぱかった。その味も久しぶりだ。
ファセは人。人は人の群れの中で暮らすもの。あの町にファセを下ろしたときは不安だった。だが、あの町の人はファセを受け入れてくれたようだ。あの白い服の女があの町の神官さん、だろうか。ファセの身を案じ、我を見て震えていた。
ファセは目が見えない。人に頼らねば生きて行けないと言っていた。故に笛と歌で人を楽しませるという。人を楽しませる役割でもって人の群れの役に立てるようにと。
あの町を遠くから見たとき、ファセを囲む人の子は、ファセの笛と歌を楽しんでいたようだった。ファセがあの町で、人になんと呼ばれているのか知らないが。
我の首にしがみつくファセを見ていた、あの町の人達。ファセが我に食われるのではないかと心配しているようだった。あの町ならば、ファセは暮らしていけるのだろう。
ファセの言う奥様とやらも、遠く離れて何もできんらしい。ファセが死んだと聞いて、探すのをやめていれば問題無いだろう。
目をつぶり、ファセの顔と声と匂いを思い出す。共にいるのが当たり前となり、それが離れると胸が痛むと知った。これが寂しいというのか。
我は有毛ドラゴン。竜に連なる魔獣。ひとに怖れられる森の大きな獣。人と共に暮らすことはできん。
我に料理はできない。我に服は作れない。我に家は建てられない。我に薬は作れない。我の口は人の言葉を話すようにはできていない。
なぜ、我は有毛ドラゴンなのだろうか?
<……もとより、軛から外れていたのか。毛皮の竜の子……>
眠りの中、夢の中、辺り一面の真っ赤なところで、ブツブツと呟く悲しげな声が聞こえた。
◇◇◇◇◇
ファセは人の町で暮らし、我は森で暮らす。我は怪我を治してから新たな暮らしを始めることにした。
遠くからファセの住む町を見に行く。人には見つからぬように。人を脅かさぬように。
ファセは暖かな晴れた日には、外で歌を歌い笛を吹く。教会の聖堂の子供達と共に歌う。ファセに笛を教わった子が、ファセの真似をして笛を吹く。遠くからその音色を聞く。
――ル、ルルゥ――
聞こえる音色に合わせて、我もそっと歌う。
ファセの笛の音を聞けば、胸の奥から暖かくなる。
我にもせねばならぬことができた。怪我を治してからは魔獣住む森の奥へと飛ぶ。
人が魔獣深森と呼ぶ森。奥に進む程にフォイゾンが濃く、木も草も花も巨大なものが増える。そこには強く大きな魔獣が住む。中には我より強いものがいる。
<強き魔獣を倒し、喰らい、己の持たぬ因子を身に入れたならば>
そうすれば人に近づくと、あの赤い世界で呟く声は言った。因子、その生命をその形に造るものだという。
<我ら、もとより人に近き者>
よくわからんが、その因子を喰らい取り込めば、己が身の在り方が変わるという。人の姿に近づくことができるという。我が人となれば、我の口が人の言葉を話せるなら。
ファセの隣に立つことができるかもしれん。
その為には、我の持たぬ因子を持つ魔獣を殺して喰わねばならない。
<狂気と絶望に沈むときは、この母を恨め>
赤い世界で嘆く声はそう言った。
この世全ての魔獣の母、と名乗るその声は。
あれが人が祈る先にあるという、神、なのだろうか?
森の奥へと羽ばたき、我が持たぬ因子を持つ魔獣を探す。狩って喰らう。ときには我より強い魔獣を相手に苦戦する。それでも諦めようとは思わない。
なぜ、ファセを求めるのか。どうしてこれほどにファセを想うのか。我にも解らぬまま。
もとより魔獣が生きることとは無縁のことに興味があった我。そのことで兄姉からは変わった奴と思われた。同種の中でも珍しい、白い毛皮の変異種として産まれたときから、我は自然の理から、軛から外れていたのかもしれない。
人に近づく為に魔獣を狩る魔獣。
そのことをおかしいと考えつつも、止める気は無かった。
◇◇◇◇◇
人の町に住むファセは、背が伸びた。髪が伸びた。ファセが歌と笛を聞かせていた人の子も大きくなり、教会の聖堂を出て暮らすようになる。代わりに小さい子が増えている。ファセはまた、その子にも歌と笛を聞かせる。
あの町の人は音楽が好きなのか、笛以外の楽器というのも増えてきたらしい。ファセは竪琴、とかいう楽器を練習し、笛の他の楽器でも音色を奏でるようになった。
ファセに歌を教わった子が大きくなり、畑で作業しながら歌を歌う。服を洗いながら歌う女もいる。あの町のあちこちで、ファセの歌を歌う者が増えているような。
ファセもファセが世話をする子も大きくなった。
そして我も大きくなった。
……大きくなり過ぎてないか? 人に近づく筈が、ますます人から離れていってないか? どういうことだ? この世全ての魔獣の母よ?
我の身体が大きくなり、ブルーベアの親子が住んでいた洞窟に入れなくなった。もはや人が狐竜と呼ぶものからは大きく変わった。
頭から白い二本の角が生え、首は長くなり、尻尾も長くなった。色は全身白いままだが、自慢の毛皮もふさふさだが。長くなった尻尾の毛は前よりふかふかになったような気がする。翼も一回り大きくなり、もとの翼の下に補助翼が生えた。
使える魔法の種類も増え、ブレスも吐けるようになった。我が使えるのは音のブレス。空間を振動させて対象を破砕する振動波のブレス。
硬い鱗や甲羅を持つ魔獣でも、我の空間振動のブレスで砕けぬものは無い。浴びせれば狙ったところが砕ける、目に見えないブレス。
以前よりも高く速く飛べるようにもなり、我は存在が竜からひとつ格上の龍とも言える魔獣となった。
いや、強く大きくなってどうする? ますます人に怖れられるではないか。
身体が大きくなってしまった為に、人の町に近づくのが難しくなってしまった。少し町に近寄るだけで、人に見つかってしまう。これでは前より人から遠ざかり、ファセから離れてしまうではないか。
しかも我が持たぬ因子というのも、目につくものはほとんど喰らった。我の持たぬ因子を持つ者が少なくなった。ほとんどいない。
だが、人に近づく為には持たぬ因子を身に入れなければならない。
未だに我が喰らったことが無い者。心当たりがあるのはただ一匹。昔、我が興味本意で見に行って、慌てて逃げ出した者。目が会っただけで死を覚悟したもの。
北の山の白龍。その身に現象の属性宿す、色の名を冠する龍。もはやあの恐るべき白龍くらいしか、喰らったことが無い魔獣はいない。
かつて逃げ出した頃よりも我は強く大きくなった。我の音のブレスならば白龍を倒せるかもしれん。
人の町を見る。教会の庭、ファセが歌を歌っている。子供達に教えている。ファセの白い髪は長くなり、腰まで伸びた。背は高くなった。人は成長するのが速い。
どうやらあの町では、ファセが、白い狐竜に頼んで町を守った、ということになってるらしい。ファセは教会の神官と同じ服を着て、町の人からは神官同様に扱われているようだ。
目の見えぬファセが町を歩くときは、子供が手を引き、町の人は誰もがファセを気遣っている。ファセはあの町で、穏やかに過ごしている。歌と笛で人の心を和ませながら。
人に近づき、またファセのもとに行くために。
我は北の山に向かい翼で風を叩く。




