第七話・進むべき道(1)
ひとりでふらっと皆のもとを離れたレオンが足を向けたのは、深夜の静寂に包まれた月明かりの湖畔だった。
ここは、毎晩フィトと樹の精霊たちが水浴びに訪れていたあの美しい湖畔である。
木の幹に背を預けて座り、月を映し出す水面をじっと見つめるレオン。
ここに来てから一体どれくらいの時間が経ったのだろう。いつも懐中時計を持ち歩く弟がいないとなると、時刻を知る術はない。
過ぎていく時間を気にしながらも、レオンは未だにぐるぐると思考を巡らせ続けていた。
しかし、いくら考えても分からない事は分からなくて、現実は現実のままで。元仲間の事を思えば思うほど、ショックな気持ちや腹立たしい気持ちが膨れ上がってきてしまうのだ。
冷静になりきれない頭を無理矢理切り替えようとぶんぶん振ったりしたが、虚しくも寝不足の頭が眩暈を起こすだけであった。
そんな時。遠くから足音を聞き取ったレオンの耳が、ピクリと動いた。足音はゆっくりとこちらに向かって来ている。
しかし――。その気配を真後ろに感じても、レオンは振り返ることをしなかった。なぜなら、そこまで来たのは自分が良く知った人物だからだ。
そんな兄に対して少し呆れたように「やっぱりここにいた」と、リオンは声をかける。
「いつまでそうしてるつもり? 水浴びでもしようっての?」
「まさか。そんな気分じゃねーよ」
「たははっ、違いないや」
そんな風にたわいのない冗談めいた会話をしている時でも、レオンの視線は湖畔の方に向いたままだった。
それもそのはず。ヒュドラとネメアの事で頭がいっぱいな上に、レオンは先程の自分の行動を恥じていたのだ。
リオンだって同じように余裕がなかっただろうに、あの場からひとり尻尾を巻いて立ち去ってしまったのは少なからず無責任だったと。
面倒見が良く、いつも全体の事を考えて行動する優しいレオン。だが、そんなレオンでも自分の事となると感情のコントロールが効かなくなってしまうのである。それが大切に思うものであればなおの事、ひとりで抱え込んでこんな風にパンクしてしまうわけだ。
そして、そんな不甲斐ない自分自身にも嫌気が差してくる。レオンは根っからのこうであるべきだ、こうでならねばならない精神の持ち主であり、生真面目でおまけにプライドが高い。
その為、こうなってしまうとなかなか蟻地獄のような思考から抜け出せないのだ。
「悪い、すぐ戻ろうと思ってたんだけどさ」
「ほんとだよぉ。僕ひとりで大変だったんだからね?」
「それも悪かったよ。無責任だった、ごめんな」
「まぁ~、今回は一つ貸しってことで。そのことはもういいよ」
「そんな訳にはいかねーよ……」
「うじうじうじうじ、めんどくさいなぁ。そんなに罪悪感を埋めたいんなら他所でやってよ」
リオンは吐き捨てるように本音を言うと、ため息交じりに言葉を続ける。
「あのさ。そんな風にうじうじうだうだしてたって、振る舞っちゃった行動は変えられないし、こうしてる時間の方がよっぽど無駄だと思わない? いつまでヒヨってんだよ、このヒヨ兄!」
「頭ではわかってんだよ、そんなこと全部!」
「じゃあいつまでも落ち込んでないで、考えるべきことを考えなよ!」
「考えたって考えたって、答えなんか出るわけねーだろ。あいつらの事を今後どうするべきなのかなんて、とてもじゃねーけど決断できねぇよ!」
そう言って再び歯を噛むレオンを見て、リオンはふっと笑う。
「やっとらしくなってきたじゃん」
「……は?」
「だから~、兄さんはバカみたいにまっすぐで単細胞でいいって言ってんの!」
「何なんだよお前、ケンカ売ってんのか?」
「いやいや、これでも褒めてるんだよ? 兄さんはさ、いつもみたいに自分の考えで素直に行動すればいいんだってこと」
「自分の……考え?」
リオンの言葉をそのまま口にし、首をひねるレオン。
いつの間にかレオンは、言い合いをするうちにリオンの方を向いて話していた。
「そうそう。戦いたくないのなら、戦わなければいいんじゃないの?」
「そしたら誰があいつらデスペナルティを止めるんだよ? 精霊を護るって約束も放棄するってのか?」
「ほら、いま自分で答え言った」
「……?」
リオンにそう言われて、自分の言葉を振り返るレオン。
そこでようやく話の意図に気付いたようで、目を大きく見開いた。
そんな兄を見て、リオンはニッと笑う。
「止める……ってことか?」
「そうだよ」
「でも、どうやって……」
「そんなのはこれから考えるんだよ。事情を全部吐かせた上で説得してもいいし、縛り上げて冥界に連れ帰ってもいいし。何ならハーデス様に突き出してやればいいよ。自分たちで地上に来たんだったら、冥界に戻る方法くらい知ってるでしょ? むしろ一石二鳥要員に使ってやればいいじゃん?」
「そうか。それもそうだよな」
「それに、何も倒したり殺したりする事だけが戦いじゃないでしょ。護るべきものを護る事も、大切なものを取り戻す事も、戦うって事なんじゃないの? 相手の為にも、自分たちの為にもさ」
そこまで言ってから「……まぁ、分かった風に言ったけどさ。僕もフィトに気付かされたんだよねぇ」と、リオンは包み隠さずに話した。
「フィトが教えてくれたんだ。……強がらなくていい。急いだり、焦ったり、偽ったりしなくても、僕と兄さんはきっと、ちゃんと進んでいける。僕と兄さんの思いは、悩まなくたってとっくに固まってる……ってさ」
リオンから、フィトがくれたという言葉を聞いて、レオンの心の中にあたたかい何かが灯った。
みるみるうちに、心を覆ってたモヤモヤが晴れていく。
「すごいな、フィトは」
「うん。僕もそう思うよ。……実はさ、僕もさっき自分を責めてたんだ」
「ん? そうだったのか?」
「うん。上手く立ち回れなくて、思うように冷静に振る舞えなくて。僕はもっと聡明に考えられた筈だ、もっと上手くやれた筈だ、自分はもっと計算高くあった筈だ、何やってるんだよって。……そんな風にさ」
「それは違うだろ? リオンにあの場を任せきりにした俺に非があるんだから」
「それは否定しないけどさぁ~。でもそんな時、フィトの言葉に救われたんだよ」
リオンはそう言うと、兄の隣に腰かけて続ける。
「フィトの言葉は何ていうか……心にスッて入ってくるんだよねぇ。それはきっと、フィトが人の気持ちを考えられる優しい子だからなんだと思う。痛みとか気持ちとかを、まるでテレパシーみたいに感じ取っちゃうんだ」
「ああ、少し考えすぎて辛そうな時もあるくらいだけどな。優しすぎるんだ、フィトは」
「それは言えてるかも」
「あーあ。またカッコ悪いとこ、見せちまったなぁ」
「たはは、僕もそうだよ」
そう言い合うと、レオンとリオンは声を上げて笑う。
いつの間にかレオンの瞳に映る景色は色を取り戻したように煌めき、月光を反射させる湖畔は、より一層美しく見え始めた。




