三の四
驚いて振り返えると、小高い岩の上に杖をついた白髪、白髭の翁が立っている。髪も髭も纏めもせずに伸ばしたい放題。膝下まである長い白地の単衣に革の腰帯姿。
翁は杖を翳し遠くを示した。見ると遥か先の杉の梢に人影が見えた。
「やや、小猿だな。みんな気を付けよ。弟彦、弓だ、射て」
辺りに緊張が走った。タケルは杖を身構えた。常陸で三太夫と戦って以来、タケルには天叢雲剱以外に武器が無い。争いを好まぬタケルには普段は杖で十分だった。
弟彦が数本の矢を射かけると、小猿も不利と見たのかスルスルと木の裏側を滑るように降りて、逃げてしまった。
撃退してから岩を見上げたが翁の姿は既にない。
「今この岩の上に白づくめの姿をした爺さんが居たのだが、誰か見なかったか」
と、タケルは皆に問うたが、そんな人は見なかったという。
タケルは感謝の気持ちから、翁の佇んでいた岩に登り、御酒をたっぷりと振り撒き、天叢雲剱を掲げ、深く礼を言って祭った。
「今まで見たことのない翁の姿だった。きっと洲羽大明神であろう。洲羽大社に赴き、お礼をすることに致す」
こうして一行は洲羽の地に入り科野国の造の屋敷に夏の間の逗留を願った。梅雨を避け、暑い夏は動かずに、旅の疲れを取ることにした。ここまでくれば都は近い、最早土蜘蛛が生息する所もないだろうし、焦ることもないと思ったのである。
造の屋敷では大層な持て成しを受けた。蕎麦ガキという汁物にアブラエという味噌を付けた料理が絶品だった。団子状の蕎麦はぱさぱさして食べづらいところを荏胡麻の油味噌で和えたものである。久米八が居れば大いに喜んだ事だろうとタケルは思った。味噌といっても現在の味噌ではなく、橡の実(ドングリ)や栗、大豆などをすり潰して、荏胡麻や塩などで味を付けたものを味噌と呼んでいた。
翌日早速洲羽大社に漆塗りの矢を奉納し、お礼参りをした。一行は日中は科野の地を見物し、暗くなったら温泉でのんびりするという日々を過ごした。
洲羽湖の北西に塩尻という村がある。越後方面から来る塩売りがこの地まで来て塩を売り始めると、忽ちのうちに塩は売り切れた。そこから塩尻と呼ばれ、それより南には北陸の塩は行き渡らなかった。また三野や尾張方面からの塩もこの塩尻で売り切れるという。甲斐方面からの塩の到来はずっとのちになってからのことである。
夏が過ぎ、涼しくなった頃、一行はこの地を発った。山は黄から赤に色づく季節となっている。
東山道の要衝飯田から伊那にかける地域は、山に囲まれた盆地状の地形で、科野の中でも有数の米どころである。麁玉河(天竜川)の本流に、左右の山並から細流が幾筋も流れ込む。しかも湧水も豊富なのである。その流れを田に引き込み、稲作が盛んに行なわれていた。
南科野の飯田の地は日の本の天井といえる山並にすっぽり囲まれた袋地にある。麁玉川沿いに南に下ることも可能だが、雪解け水の多い春先や雨の多い季節の移動は川が暴れて危険である。麁玉川沿いの道は夏場のごく限られた時期しか通ることが出来ない。
西に抜ける道は東山道きっての難所である。天井の山並(中央アルプス)の谷筋を縫って通過する御坂峠(神坂峠)の道で、木曾谷と飯田を結ぶ険しい道ではあるが、塩や漆などを馬に積んだ商人が、古くから利用してきた道でもある。
タケル達は科野国の造に借りた道案内の者二人に誘導され、たった今西の谷筋へと歩み出した。谷川を両側から挟むように、鬱蒼と木が生い茂った急な崖が屹立するところにやってくると、一行の中ほどを進むタケルは何か異様な気配を感じて佇んだ。
「待て、皆、止まれ」
と、両手を広げて制止した。
皆はどうしたのかと言わんばかりにタケルを見つめ、ついで前方を注視する。
突然ガサガサと左右の森が蠢いた。あちこちから猿の泣き叫ぶ声がして、一斉に何かを投げつけてきた。
「あいて、いたた、こりゃ堪らん」
稲目が頭を抱えた。
「皆、引き返せ」
と、タケルが叫んだ。
猿達はまだ硬く実が締まっている松ぼっくりや毬栗などを千切っては投げつけてきた。
皆は谷筋を抜けると、河原になだれを打って倒れ込む。中に案内の男が一人、右肩から血を流して苦しんでいる。
「どうしたのだ」
稲目が傷を見てやると、
「むむ」と言って、皆の方に振り返った。
「御子様、これを御覧下され」
長さ三寸ほどの石の尖頭(手槍、槍の先)を掲げている。
「何だそれは」
稲目がタケルに近づいて血の付いた凶器を渡すと、
「なんと、手槍ではないか、猿が投げてきたのか」
「主、猿が手槍など持っている筈がありません。小猿の野郎ではないですか」
弟彦が弓に弦を張りながら答えた。
「また小猿か、しつこい奴だ。しかし、小猿なら弓を使うはず、さつきとかいう女の仕業だな。猿まで使うとは手の込んだことを」
タケルは手槍を睨んで怒りを露わにした。
「さて、どうするか・・別の道はないのか」
と、負傷した男に問いかけると、
「有るには有りますがな・・」
男は、ウウッと言葉に詰まった。稲目が傷口を縛った拍子に痛みが走り、思わず呻いたのである。
「よし、これで大丈夫じゃ」
稲目がポンと軽く頭を叩いた。
「有り難う御座います」
男は続けた。
「南に向かうなら、行けないこともないですが、どうします」
「南と言うと、どこに出るのじゃ」と、乳返稲置。
「川沿いに十日も歩けば海沿いの街道(東海道)に出ます」
「十日じゃと、西の道なら三野まで幾日じゃ」
「三日もあれば三野に入ります」
「そんなに違うのか。主、どうします」
と、弟彦が尋ねた。
「争いを避けるなら南だが・・」
思案顔のタケルは小猿の性格に思いを巡らした。
「小猿のことだ、西に行かせまいとしてさつきを使ったのだろうな。南に向かえばきっと小猿が人を使って待ち構えていそうだ」
「なるほど、罠ですな」と、弟彦が肯く。
「ここは何としても猿共を追い払って西に進むとしよう。背負子を楯にして、防ぎながら進もう」
「畏まった。稲目殿、先頭を頼む、吾は次を進み、弓で応戦する」
と、弟彦が立ち上がった。
谷に入ると猿達が再びギャー、ギャーと騒ぎながら松かさや木の実を投げつけてくる。荷を積んだ背負子を楯にして身を屈めて進んでいるため、被害は殆んどないが、猿は木から木へと飛び移りながら執拗に攻撃してくる。
その時、左手の森で何かがキラッと光ったのを弟彦が捉え、瞬時に矢を射放った。瞬間弟彦の頬を槍先が掠めた。そして、森の中で、
「ギャッ」
と、叫び声がして、何かが木から落ちた。さつきであろう、苔色の扮装をして森に同化していたのだ。猿共が攻撃をやめ、騒ぎながら一斉に木から下りて、落下地点に駈け寄っていく。そして皆で担いで前方に走り去った。
「でかした、弟彦」
「手応えはありました。しかし仕留めたかどうかは分かりません」
「いや、構わん。無用な殺生はしたくない。猿の邪魔がなければ十分だ。しかしまだ罠があるかもしれん。皆心して先へ進め」
この先小猿は現れなかった。やはり南の川沿いに待ち構えていたのかもしれない。
ようやく尾張の地に入った。三野と尾張、科野の三国の境界付近である。峠の道で休んでいると、つい今しがた通ってきた道を荒々しく馬を飛ばしてくる者が居た。よく見ると久米八であった。ハアハア息を切らして馬を下りた久米八は、
「わ、若・・ようやく追い付きました・・」
大層慌てている。久方ぶりの再会であった。
「久米八か、久しいな。皆は無事なのか・・」
と、語尾を濁した。他の者を携えていないことにタケルは一抹の不安を感じた。
「そ、それが・・」
久米八は息が苦しくて、その場に跪いてしまった。
「さあ、ほれ水でも飲みなされ」
と、稲目が瓢を差し出した。
「ああ、有り難い・・」
ひったくるようにして水をごくごく飲み、二、三度大きく息を継いだ後、
「ふ、訃報で御座います。船が転覆しましたのや」
「何だと、して、皆はどうしたのだ」
「へぇ、大将が死なはった・・」
「何、それは誠か。現のことか、うつつか・・・うつつなのか?」
久米八は吉備臣建彦の死を告げに来たのであった。
吉備臣とは幼いころからの友であったタケルは、とても現実とは思えなかった。
――布流津の浜辺で船を修繕してから、一度阿多や駿河などに寄りながら都まで戻った。
その後再び常陸の北の地を調査するべく船出したが、外海(太平洋)の荒波に遭い、突き出た岬(銚子)の沖で転覆してしまった。
時化で雷の鳴る中、横波を食らって浸水し始めたが、積んでいた小舟で大半の者は助かった。知立やお松も無事だった。十四人中八人助かったが吉備臣は帝にもらった柊の八尋鉾の効き目も虚しく、鉾と共に行方知れずとなった。――
久米八の言ったことはざっとこんな内容であった。吉備臣建彦をはじめ、その家臣の丸亀、大伴連の家臣の田子稲置、音羽、半助、長左衛門が犠牲となった。くしくも大伴連の家臣四人はいずれも駿河にて安倍の長者に調略を受けた者達である。
またしても仲間の死を聞き、タケルはひどく嘆き悲しんだ。魔除けの鉾は海の神には通じないということであろうか。
「今頃はほかの者も大伴の殿様に連れられて、毛野国を通って科野国に入った頃ですやろ」
と、久米八は語る。武蔵、相模方面ではなく、上毛(のちの上野、現在の群馬県)方面を廻ってやってきたようだ。
やがて雪がちらつく頃、タケル達は仮住した宮(内津の宮)で大伴連らと合流した。皆と共にこの地に塚を築き、思い出の品を埋めて丁重に死者を葬ってやった。
…こののち内津の宮の跡地に内々神社が創建された。景行四一年創建とあるが、タケルが知らせを聞いたのが四二年であり、そんなに早いはずはなく四三年より後の創建と思われる。また神社に伝わる逸話にもだいぶ誤りが見受けられ、死んだのは建稲種命となっているが、吉備臣建彦と混同している。知らせにやってきた久米八腹という者は久米八のことである。…
皆をねぎらい、この雪深き地でひと冬を皆で過ごして旅の疲れをとり、春を待って隊を解散することにした。タケルはその際に、皆に一度都の帝に報告に出向いてくれと命じた。大伴連に大任達成の栄誉という華を持たせてやったのである。
タケル自身は名誉などという欲はなく、ただひたすらに失った友や家族への想いの方が強かった。そしてもう一人の家族の居る尾張に戻り、美夜受姫との婚儀の約束を果たしてから、改めて都に参内すると決めた。
いつの間にか久米八と知立は夫婦となっていて、お松も二人の養女として一緒に都で暮らすという。弟彦にも一度近江に戻って家族に会って来いと告げた。
「やっと戻ってきたわね、みんな、長旅御苦労さんでした。タケルもいつの間にかぐんと大人になっちゃって、何か自分だけ子供のままで・・」
「アルテミス様、淋しいのですか。歳をとる速さが違うのですから仕方がありません」
「そうなんだけどね・・ああ、タケルと同じ世界で暮らせないものかしら。声が通じたりするんだから、何か方法がありそうなものよね・・」
そんなこともいつかは可能になることだろうが、これほどに進んだタルタロスの科学技術でも、今はまだ叶わぬ望みであった。




