三の三
景行四二年春たけなわ、酒折という地に逗留して簡易な宿所を造った。一段落して皆をねぎらうため、夜桜を見ながら酒宴を開いた。酒器を掲げたタケルが、
「ここまで実に七年もの月日を経ている。郷里を思い、さぞかし寂しい事であったろう。今宵は存分に過ごしてくれ」
と話し、酒を酌み交わすと、興を添えるつもりか炬番が笹笛を奏で始めた。笹の葉を口に当てて、河鹿(カジカガエル)の鳴き声のような音を奏でる、実に器用な男であった。
フィー、フィー、フュフュフュフュフュ・・・
その侘しげな笛の音が皆の心を揺さぶったのか、皆がしくしく泣きだしてしまった。
「これ、皆の者、何を泣く、この旅もあと僅かだ、無駄死にせぬように心せよ・・・それにしても、見事なものだ、笹の葉を使って虫の音を奏でるとは。汝は何という名であったかのぉ」
「はは、恐れ入ります、皆様のお慰みになればと思い奏でました。わたくしは河内の舟商人で野老澤という者で御座います。少々時期は早ぉ御座いましたが、虫ではなくて河鹿と呼ぶ蛙で御座います。梅雨時になると雨乞いでもしている如く河原でよく鳴いております。お気に召され、光栄で御座りまする」
「なんと、蛙であったか、美しい音色だ・・野老澤と申すか・・(ふうむ、よく気の付く奴だ、妙な奴だな・・さて人気はどうかの・・・)」
野老澤は尚も笹笛を続けた。タケルは酒を飲み干すと目を瞑って聞き入っている。
この野老澤は、佐竹毛人に借りた道案内の一人である。タケルはこの野老澤という男を気に入っていた。しかし、上に立てる男かどうかはまだ分からない。
上に立って民を導く者には三つの必然がなければならぬとタケルは思っている。一つでも欠けていてはいけない。
一つは人望、見せかけではない人望である、偽りや見せかけではない心が必要である。
二つ目は稀有な良運、神から祝福されることだ。悪運を引きずっていてはどんなものでも大成はしない。
運とは生き物だとタケルは思っている。常日頃の行ないの有り方や、環境の変化などによって、多少の狂いが生じる。人は良運を掴むために常に努力すべきだと思っている。
運、不運とはその者の生きざまによって自ずと形作られるものなのであろう。
三つ目は良き部下、良き伴侶、良き仲間などだ。
この三つを合わせてタケルは人気と呼んでいる。この中で最も大事なのは一つ目の人望であろう。歴史に名を残す者は押しなべてこの徳を持っている。武力や財力にものを言わせて踊っている者は、いずれは世の中から排除されるだけだ。偽りある者には必ず相に出る。少しでも表情に歪みが出れば何かを隠している、弱みを持っている。そんな事が長い旅を通じてタケルに眼識を与えていた。
タケルはこの不思議な男に興味を持った。旅の途中、頻りに乳返稲置と問答をしているのを見かけた。人の使い方とか、物々交換の基準などを盛んに訊ねている。ひょろひょろして頼りない、それでいて実に細やかに動き回る。此度も炬火の番などをしているのだ。
ここに至って無性に皆に問いたくなったタケルは、
邇比婆利 筑波を過ぎて 幾代か寝つる
と詠んで、周りの者どもの反応を見た。
邇比婆利とは常陸国の筑波邑の北に位置する小さな集落(新治郡)である。常陸からここまで何日かかったかと訊ねる歌であった。
皆が答えられずにいると、
日々なべて 夜には九夜 日には十日を
と、野老澤が返歌した。
タケルはまたこの野老澤に驚かされた。誰も答えられなかった事を、瞬時に歌にして答えたのである。大いに気に入ってしまい、とうとう野老澤を東国の造に任命してしまった。すなわち武蔵国の造に相当する。
今までタケルがどう処理するか忘却していた武蔵国、その広大な大地には小集落があちらこちらに散らばる。その中心をなす地(府中)を任せたのである。数日して野老澤ともう一人の案内の者が東に戻って行った。造に任命の証としてタケル自らの持ち物の小刀を授けた。
この後、このタケルと野老澤の上の句と下の句のやり取りがもとで、連歌という和歌の催しが広く行われるようになる。酒折の地が連歌発祥の地となったのである。
…東国とは神奈川県の碓氷峠の東の地とされる。武蔵国の一部で、現在の相模原市から府中市、そして所沢市に至る辺りが東の国と思われる。…
ここ甲斐国は北から下る隈無川(釜無川)と、東側から下る支流(笛吹川)が、不二川となって合流する地点の盆地に存在する。低い盆地上を二つの川が複雑に入り乱れながら潤している。さぞかし洪水の絶えない地形と思える。酒折で数月過ごすうち、不二川の東の支流沿いの村に、徳の聞こえた長者塩海足尼の噂を聞いた。
ここ甲斐には海がないので、塩が採れない。塩は生きものにとって必須の養分である。塩なくば人はおろか動物といえども生存出来ない。ゆえに長い間甲斐国には人が住めなかった。それを駿河から塩を運んで交易をし、人の住めるようにした者が塩海足尼であった。少しずつ人が住みつき、人口が増え、村が大きくなっていった。
タケルはこの塩海足尼の人となりを見るために呼びだした。噴煙が治まり、いつになく空が晴れ渡り、不二は輝くばかりに美しい。頂に雪を被った不二を、タケルは今初めて仰ぎ見たのである。
のちの人々は甲斐から見る不二を裏不二といって、日陰を作りあまり有り難く思わなかったが、タケルにとっては考えが一変していた。噴火に悩まされ、家臣達の命も奪った不二ではあったが、今は何故か自分を祝福しているようにさえ感じるのである。
気もそぞろになる陽気のもとで、塩海足尼を交えて、不二を見ながら酒を酌み交わした。目が細く切れ長で、口髭と顎鬚が長く垂れ下がっている。まだ四十に届いてないというのに、顔に残す皺はこれまでの苦労の跡を思わせる。垂れ目勝ちの穏やかな表情は、人を安心させるようだ。
「塩海足尼よ、汝を甲斐国の造に任じたい、民を良き方向に導いてくれぬか」
「ははぁ、謹んで承ります」
塩海足尼は跪き、九拝した。
「これを汝に授ける」
タケルは懐から火打ち石を入れた袋を取り出し、塩海足尼に渡した。穴戸で雪に悩まされて以来、火打石を手に入れては持ち歩くようにしている。そのお陰で駿河の地で遭遇した火難の禍から逃れる事が出来た。お守り代わりとなっていたのである。
「んーん、良き眺めだ。吾は、この甲斐の地にこそ、来世を生きたいぞ」
タケルは不二の高嶺を見つめつつ、咆哮した。死んだ後はこの地に葬って欲しい、そしてこの地より生まれ変わりたいと願ったのである。こののち塩海足尼はこの酒折の地に社を造り、タケルから授かった火打ち石を奉納し、祭ったとされる。
一行は梅雨を前に北の地に向かって歩みを進めた。北から流れ下る隈無川の水嵩が増えないうちに進もうと思ったのである。隈無川とは土地の者が八ヶ岳と呼ぶ北の峰々から伏流水が湧きだし、隈なく流れ出すことから付いた名である。
甲斐から科野への道は、戦国時代に武田信玄によって整備されたが、タケルの頃は未開の獣道であった。草木を踏みわけ、三日程歩くと急に道らしき地形が現れ、歩きやすくなった。八ヶ岳を真北に望む科野と甲斐の国境付近である。甲斐の地とは異なり、科野ではこんな山奥でも小さな村がたくさんあった。甲斐国は歴史が浅いが科野国は縄文の頃から人が多く住む土地なのである。東山道を経由して尾張国や三野国から人が流れ、北の越後国からも人がやって来る。
大国主神の次男建御名方命が、神武大王から宝剣布都御魂を授けられた宇摩志麻治と尾張で戦って敗れ、科野に落ち延び洲羽大明神となったことは既に述べた。この時の戦いがもととなって捔力(相撲)という競技が始まったとされる。
科野国はこうして出雲族の末裔によって国が開かれ、今では倭の属国となっている。ここからはようやく倭の勢力圏に戻る事になる。
国境から一日ちょっとでどうにか萱と白樺の生い茂る村に辿り着いた(現在の茅野市付近)。既に木々は深い青が薄らいで、夏色とも言うべき苔色(黄緑)に色づき始めている。
昼頃、桶のような物を腰にさげた、通りすがりの民草に科野の様子を聞いた。
「ここは山が多く、あまり田を作れないので傾斜地でも作れる蕎麦や稗、荏胡麻などを作っていますだ。漆も特産でしてな、三野国に持って行って塩や米、麦などと交換しますのじゃ。喉が渇いたのなら、そこの森の向こうに川が流れとるで、行ってみなせぇ」
と語った。民草には、タケル達の日差しの眩しさに汗を拭う姿が渇きを覚えた風に見えたのだろう。現に皆渇ききっていた。
一行は民草に教えられた通り道を外れ、水を求めて鬱蒼とした森に入っていった。森を潜りぬけて澤に向かって歩いていると、どうしたのか乳返稲置が頻りに二の腕を掻き毟っている。どうやら漆に触ったようで、痒くて我慢が出来ないらしい。実は民草は漆取りの職人であって、森は漆の木の山だった。
澤に着くとタケルは笑いながら、
「ここで少し休もう」
と、皆を促した。皆は空になった瓢を手に澤の水を汲み、喉を潤している。
タケルや弟彦、稲目達は漆には慣れっこであったが、山歩きや旅に慣れないものには始末に悪い。漆というやつは一度気触れると免疫が出来て、その後はあまり気触れることがなくなるものである。
タケルはそこいらへんに茂る漆の木を目にし、弟彦の背から矢を一本貰い、鏃で表皮を削った。白い樹液が滴るところを鏃で掬った。
「見よ、これが漆だ」
と言って、乳返稲置に鏃を示し、側の石に腰掛けた。鏃は、御浦の地で第二部隊から補給した貴重な鋼製である。
タケルはかつて倭の菟陀の阿貴山で、三太夫と共に猟をしていた時のことを思い出し、皆に向かって語り始めた。
――三太夫と離れ、森を歩いていると、獣の唸り声が聞こえてきた。そっと近づいてみると猪が盛んに鼻を土の中に潜らせて、植物の根を掘っている。
吾は手頃な獲物と思い矢を番えて引き絞り、エイッとばかりに射こんだが、狙いを外してそばの木に刺さった。獲物は驚いて逃げてしまったが、調べに行くと矢が刺さった部分から白い樹液が垂れていて、不思議に思った。
吾はそのベトベトする樹液を鏃でこそげ、触ってみた。
この木が漆だと後で分かった、吾はまんまと気触れてしまったのだ。漆は太古の昔から知られているが、吾がお目にかかるのはこの時が初めてだった。
この時猪が食べていた植物の根は人間にも食する事が出来ると思い、掘り起こして持ち帰った。土産として膳夫の七掬小父、久米八のことだがな、その小父の所に持っていったのだ。すると小父さんは、
「葛と呼ばれる植物や」
と言って、大層喜んでいた。早速すりおろしの汁から養分(澱粉)を取り、餅を作ってもらったところ、すこぶる美味だったことを覚えている。
…葛の蔓も重宝で笊や籠などを作る材料にもなった。のちに生薬として有名な葛根湯という薬にもなる貴重な植物である。…
漆を塗った矢を後日見ると、黒い塊のようになっていた。それを磨いたところ黒光りして鏡の如く反射し、とても綺麗になった。
改めて、その矢を持って狩りに行くと、漆のお陰か矢がすうっと一直線に風を切って飛び、見事に猪の眉間に命中したのだ。――
早速タケルは、弟彦と共に持っている矢全部に漆を塗り始めた。
乳返稲置が岩に腰かけて腕を掻いているのを見て、気を利かせた稲目がワラビの根を取ってきて土鍋で煮つめ始めた。煮汁を気触れたところに塗ると幾分よくなると稲目は言うのだが、定かではない。しかし、塗ってもらってしばらくすると、心なしか乳返稲置の痒みがひいてきたようだ。
皆は瓢の水を呑みながら、沢の河原で涼を楽しんでいた。川のせせらぎしか聞こえない、しーんとしみいるような静けさだ。
突然、甲高い鳥の声が右から左へと行き過ぎて、皆が驚いて見上げた。
その時、岩に腰かけているタケルの背に、
「ヤマトタケルの命よ、賊が狙っておりますぞ、気を付けなされ」
と、よく通る声が呟き掛けた。夢か現か定かではない。




