二の三
初冬となった。ようやく意を決し、タケルは弟彦を連れて佐竹毛人の屋敷に出向く。広場の西、西山と呼ばれる山の麓に佐竹毛人の屋敷がある。
…西山とはのちに水戸徳川家三代当主光圀が西山荘という別荘を建てた標高百メートルぐらいの小山である。…
広い敷地に柵を巡らし、柵の部分が一メートルほど盛り土されていて、水害に備えている。一見して輪中のような造りである。実は後で聞いた事だが、遥か昔に久自川を逆流してこの山の麓まで水没するほどの津波があった。それほどにこの常陸国では地震と津波が恐れられていたのである。
敷地の奥に大きな建物が見える。直径十メートルはあろうかという大きな円錐形の家。珍しく外壁の上に屋根があり、天辺に明かり取り、屋根の側面にも突上げ窓があり、開閉式の扉まで付いている。佐竹毛人の屋敷であった。
…竪穴式住居の種類で壁立式といい、集会所などの大きな屋敷に限って利用された形式である。通常は伏屋式といって茸の傘のような屋根が地面まで届いている形で、あまり大きな建造物を作れない。ちなみに東北地方では竪穴式住居が、実に室町時代になっても使われていたといわれる。…
柵の内側に数歩入ったところで待っていると、やがて出てきた女性こそ佐竹毛人であろう。家の前にすっくと立ち、十間ほど離れたところでタケル達を見ている。腕組みして、右手に榊の枝を持ち、蠅でも追ってる如く無造作に顔の前で振っている。さながらタケルと弟彦を検分している図であった。
その後ろからぞろぞろと竹槍を持った男達が左右に現れた、左手側に三太夫や乳返稲置達が居た。目がうつろで不気味な笑みを浮かべている、いったいどうしたというのだ。
佐竹毛人が榊の枝を縦に何度か振った。どうやら手招きだと分かり、タケルと弟彦はつかつかと歩いて行った。
帆立の貝殻の耳飾り、巻貝を連ねた首飾り。髪は良質の墨のように青黒い光沢を放って、側頭部に大きな丸い玉の形が二つ、変わった角髪である。残った髪は耳を隠すように下に垂れ下がり、胸の辺りまで垂れている。丸い玉が角隠しのようだ。
やや吊りあがった猫目を、こぢんまりと丸い綿屑のように彩られた眉と頬紅が挟む。雪のような白い肌には似つかわしくない、鹿皮を鞣した上下の服を着ている。首周りと肩から袖口まで、馬のたてがみのように紐状の革が縫い込まれていて暖かそうだ。
ひと際奇妙なのは、右肩から左腰付近にかけて、斜めにキラキラ黄色に輝く粒々の模様があることだ。いったいどういう趣味なのか、いずれにしても装飾の技術の高さは見事というほかはない。
タケル達は頭をやや傾げ、顔の前で手を交差させて九拝した。
「はじめてお目に掛かります。前置きを省くことをお許し願い、敢えて申しまする。友好な関係を築くために使者を送ったにも拘らず、何ゆえにその使者を捕らえたのか、訳を聞かせて頂きたい」
タケルは穏やかに話した。
「ほほほ、何かと思えば・・この者達は進んでここに残りたいと申したのです。来る者は拒まんことにしておるでな」
ほほほ、と笑いながら、佐竹毛人はじろっとタケルを睨みつけた。タケルは佐竹毛人の言葉を聞いて少しだけほっとした、言葉が通じるのかどうか不安だったのである。
佐竹毛人は唐突に後ろを振り仰ぎ、榊の枝で山を指差し、
「今日から十日後の夕暮れに、あの聖なる山に登っておいで」
そう言って、今一度じっとタケル達を睨んだ。猫のような大きな瞳に睨まれて、タケルは一瞬竦んでしまった。
すぐさま佐竹毛人はにやっと怪しく微笑みながら背を向け、歩き出した。
「あ、あの、ちょっと・・」
慌てて話しかけるタケルであったが、言葉半ばで家の中に消えてしまった。追い縋ろうとすると、三太夫達に竹槍で通せんぼされた。
竹槍を掴みながらタケルが叫ぶ。
「三太夫、しっかりしろ、いったい何をやっている。稲置殿、どうしたのだ、稲目、答えよ」
三太夫達を起こそうとしたが反応がない。今は何を言っても無駄だろうと諦めて引き上げた。あの怪しいまでに美しい女性佐竹毛人に魂を吸い寄せられているとしか思えない。タケルは容易ならざる敵に、一抹の不安が過ぎり、悪寒が走った。
約束の日の夕方、タケルと弟彦は西山に入った。佐竹毛人の家来達が竹槍や黒曜石の輝きを放つ槍を握って、あちこちで番をしている。取り立てて佐竹毛人に応じる策も浮かばなかった。この上は誠心誠意をもって対応するしかないと腹を決めている。
山を登り、広場に案内されると、中央奥に丸太を井桁に組んだ大きな祭壇が見える。広場の両端に等間隔でずらっと篝火が焚かれ、番の者が傍らに一人ずつ立っている。
井桁に組んだ祭壇の中央には大篝が焚かれ、よく見ると佐竹毛人が祭壇に向かって呪文を唱えながら榊の枝を振るっているようだ。その両脇に家来達に混じって三太夫や乳返稲置達も立ち並んでいる。異様な場所に来てしまったぞと思うタケルであったが、何が起きるかじっと待つよりほかはない。
佐竹毛人の背には先日見た黄色に輝く粒々の模様が斜めに走り、暗がりにいやに光り輝いている。皆がじっと呪文を聞いていると、突然佐竹毛人が狂おしい叫び声をあげて振り返る。家来達がささと開いて膝をついて控えた。
何が起こるのか、タケル達もやや後退りして膝立ちに控えた。
佐竹毛人は唸るように呪文を唱えながら踊り始める。榊を振りながらくるくる回る。見ると服の前後に施された刺繍の線が、暗闇でビカビカ光り、丸で稲妻のように見えてきた。
踊りに合わせるように月が雲に隠れ、にわかに空模様が怪しくなってきた。不思議なことに本当にピカッと稲妻が走ったではないか。
ピカッと光った途端に佐竹毛人が両手を挙げて天に向かって吠えた。途端に、
ドドドドドー
と鳴った。タケルは丸で佐竹毛人が雷を起こしたように感じた。
そしてまた一つ光る、吠えた、遠くの杉の梢に雷が落ちて火花を発した。ポツポツと雨も降ってきた。
タケルはこれを見て驚愕に襲われた。背筋に冷たい汗が流れ落ちる。
やがて佐竹毛人は踊りをやめ、顔の前で怪しく両手を回すように動かしながらタケル達に近づいてくる。弟彦に肌を擦れ合うほど近づいて、上目使いでジロッと睨んだ。雷光で照らされた佐竹毛人の妖艶な顔が浮き彫りになる。
人を蕩けさせるような良い香りにむせて、恍惚としてポーっと赤くなる弟彦の顔を、怪しく微笑みながら榊の枝でサラサラと撫でた。
途端に弟彦は目がとろんとし、腑抜けとなった。
「あはははは・・・」
笑いながら、佐竹毛人は再び踊り出した。
今度はタケルを見つめて近づいてくる。タケルは背中の剱を取り出して鞘ごと握り、強く念じ、術に掛からないように祈り続けた。
榊の枝がサラサラとタケルの顔に触れようとした。
その瞬間、タケルの胸の大きな飾り物がきらりと光って佐竹毛人の手が止まった。弟橘姫のお守りの首飾りが目に入ったのである。
次の瞬間、悲鳴のような黄色い声が遥か彼方から聞こえてきた。二人の間を突風が吹き抜けたように空気が揺れ、驚いたタケルと佐竹毛人が、思わず夜空を見上げた。
アルテミスの矢であった。
得体の知れない者に邪魔をされ、タケルに術が掛からなかった。佐竹毛人にとっては初めての経験である。
悔しそうに歯噛みして、足並みを乱して祭壇に戻る佐竹毛人が、振り向きざまに、
「殺っておしまい」
と、三太夫を嗾け、榊を振るった。
三太夫は幽鬼の如く無造作に名刀隠岐の鷹をすらりと抜くと、ひたひたとタケルに迫る。
「やめろ、三太夫、起きろ、目を覚ませ」
タケルが叫ぶ。懸命に叫ぶが三太夫には通じていない。仕方なく左手に天叢雲剱を鞘ごと握ったまま腰の鈍刀を抜いた。
突如棒のような雨が降り出し、稲光が雨に濡れた三太夫の不気味な笑いを照らし出す。
「キェー!」
奇声を上げて上段から打ちおろしてくる。
なんとか二本の剱を交差させて受け止めたタケルは、接近し、ひたすら三太夫に、
「目を覚ませ」
と叫んだ。何度も何度も三太夫の一撃が繰り出される。
間合いが取れずに、次第に苛々する三太夫は、
「おのれ」
と叫んで、タケルを弾き飛ばし、すかさず上段から斬り下げだ。
タケルは鈍刀で弾いて剣先を躱した。しかし、この時タケルの鈍刀はパキンと音をあげて折れ飛んでいた。
不敵に笑う三太夫は、隠岐の鷹を肩に担いでにじり寄り、上段に構えた。已むを得ずタケルは左手の天叢雲剱を鞘から引き抜いた。ゆっくりと剣先をあげて天に向け、握りを右肩辺りまで上げて八双に構えた。
瞬間、雷光が剱の波紋に反射して三太夫の目を捉えた。
一瞬目が眩み、いきり立つ三太夫がしゃにむに切り込んできた。
ひたすら受けにまわるタケルの剱から火花がバチバチ飛び散る。
「死ねー!」
と言って、大きく振り下ろした三太夫、そこに隙が現れた。
さっと脇に躱したタケルは、三太夫が振り下ろした刀が空を切ってのめって行くところを、上から素早く剣先を目がけて斬りおろした。キーンと金属音をあげて名刀隠岐の鷹が折れ飛んで、三太夫の左肩に突き刺さった。
ガクッと倒れ込む三太夫が、瞬間顔付きが変わり吾に返った。肩を抱きながら、周りをキョロキョロ見廻している。
タケルが三太夫に駆け寄り、
「三太夫、無事か・・正気に戻ったか」
「あ、主、わいは一体今まで何を・・」
「佐竹毛人の術にかかっていたのだ。気が付いて良かった。肩に刃が刺さっている、自分で抜けるか」
「へえ? いてて、何でこんなところに・・」
三太夫はすかさず自分の袖を使って刺さった刃をグイと引き抜いた。着込みのお陰であまり深くは刺さっていなかったようだ。
「さすがに三太夫だ、あとで手当てをしてやろう、しばし我慢せい」
そう言って立ち上がったタケルは、天叢雲剱を握ったまま佐竹毛人を睨み据えた。
謀略が敗れた事を知った佐竹毛人は、この上は無益な争いは無用と悟ったのか、さぁーっと、榊の枝を大きく横に何度か往復させた。他の者に掛けた術が瞬時に解け、皆がガクっと崩れて吾に返った。
すかさず佐竹毛人はタケルの前に駈け寄って跪き、
「わたくし達常陸の者は、今この時よりヤマトタケルの命に従いまする」
と、深く九拝し、倭に従う事を誓った。実に潔い決断だった。
いつの間にか雷雨も去り、そのまま祭壇を前にして、篝火を煌々と焚き、鹿鍋をつつきながら宴となった。佐竹毛人とヤマトタケルが丸で夫婦の如くに並んで上段に座る。タケル二十七、佐竹毛人こと琴姫三十一、景行四〇年冬の出来事である。
佐竹毛人はその気になれば民を駆り催してタケル達を一網打尽に出来たはずである。何ゆえにそうしなかったのか、あるいはタケルに対して何かを感じ取って、躊躇ったのかもしれない。
当時はまだ戦という多人数での戦闘という形は稀であった。大将同士の一騎打ちで決めたり、あるいは巫女同士の術比べで決めたりしていた。佐竹毛人の術が利かなかった時点で勝負が決まったのである。
それにしても佐竹毛人は摩訶不思議な術まで使う、恐るべきシャーマンだった。宗教によって国を動かす、このような形はあってはならない、まかり間違うと絶大な権力を持つに至る、そうタケルは深く思うのだった。三太夫達の如くに民は盲目にされ、全て奴隷と化してしまう、そんな危険な因子が予想出来た。
しかし、佐竹毛人の魅力は呪術だけに依るものではない。常陸の民が三太夫達のように目くらましにあって従っている訳ではないからである。人を引き付ける何かを佐竹毛人は持っているのであろうが、今のタケルにはそれが何かはよく分からなかった。
服に光っていた石粒はホタル石という珍しい石であった。前述した夜光石のことで、月の出ていない暗がりでも青白く光る。倭への批准の証として、このホタル石の原石を土産にもらっていくことにした。そしてタケルは佐竹毛人こと琴姫を正式に常陸国の造に任命した。今のところは宗教や風習には口出しせず、その自由を許した。
また水不足で困っている那須直に、筑波の北側まで治める事を許した。これに依って現在の日光辺りから流れる川を利用する事が出来るようになったのである。
…ちなみに日光という地名は平安時代初期の僧空海、弘法大師がその字を宛てたとされる。二荒、すなわち二つの荒ぶる神、蜈蚣神(赤城山)と白蛇神(日光二荒山)の神が絶えず争う山だったことから付いた名である。…
一行は翌々年の春まで久自邑の三角山の宮に留まり、北の地の調査を兼ねて常陸の民、佐伯部達と親睦を深めた。琴姫という不思議な女性を見極めたいと思ったのである。そして不思議な能力を持つ佐竹毛人こと琴姫が、本心から降ったのか確かめたかった。あるいは斯様な者を敵にしたくはない、というのが本音であったかもしれない。
同時に、琴姫の家臣を伴って三太夫と乳返稲置を北の地に派遣した。常陸国が倭に加わったことを広く知らしめるためである。
三角山の宮から琴姫のもとへ通ううちに、次第に琴姫に惹かれていくタケルは、とうとう一夜を共にしてしまった。しかし、肌を触れ合ったにもかかわらず、タケルには琴姫の心の内は依然として分からず仕舞いであった。
以下は余談である。これよりのち三、四世紀頃、多氏一族の黒坂命という者が都から派遣され、言う事を聞かなくなった佐伯部の殆んどを併合した。その際に捕虜となった者は西日本に移住させられ、各地に佐伯と名の付く一族を形成する。黒坂命は野の佐伯、山の佐伯を追い込んで洞窟に閉じ込めた。その時洞窟を棘(茨)で塞いだことから茨城という地名が生まれたと言われる。




