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黎明のまほら~アルテミスの祈り  作者: 葵しん
第八章、 草那芸大刀
76/109

     一の四

 屋敷の結構は以前に調べた時よりひと回り大きく広げられている。入ってすぐ東側に蔵のような大きな建物がずらっと五棟ほど並んでいる。その奥が母屋のようだ。

 しばらくしてバラバラッと武装した者共が集まってきて、長柄を構えて前を塞いだ。

「な、何だこの応対は。汝(おの)れらは倭の帝に逆らうと申すのか」

 吉備臣建彦は声を荒げて叫んだ。杖刀人どもは皆長柄を構えたまま、何も応えない。

「なんとか言わぬか」

 すると小太りで垂れ目の男が人を掻き分けるようにして出てきた、安倍の長者である。

「おやおやお客人ですかな。倭からの使者とのことで御座ったが、われらは父祖代々この地に暮らしてきた者、誰にも指図を受ける謂れは御座らん。お引き取り願いましょうか」

 思わず腰の物に手を掛ける吉備臣を制して大伴連が口を開く。

「なんと、倭との話し合いを拒絶するとの仰せであるか。今、この日の本は一つに纏まりかけておるのは御存知で御座ろう。帝は至極寛容なお方で御座る、倭の一員となって堂々と造として暮らしたいとは思いませぬのか」

 長者が細い目で睨んでいると、また人を掻き分けて後ろから老人が出てきた。

「まあ立ち話では疲れますので、御三方だけこちらへどうぞ。お腰の物はここへ置いていって頂きます」

 朝夷の翁が寛容な態度を見せた。主の安倍の長者は不服そうだが、今争うのもどうかと思い、朝夷の翁の言に従った。

 吉備臣と大伴連、田子稲置の三人が刀を供の者に預けて長者達のあとについて行く。ほかの者はその場に腰を下ろし、主達の帰りを待つことになった。十人ほどいた杖刀人も門番の二人を残して解散した。

 敷地の中央の小高い丘にある外壁の無い四阿(あずまや)に来て、三人に椅子を勧め、長者と朝夷の翁は卓を挟んで向かい側に座った。少し離れた所に杖刀の者が四人立っている。

 山裾の傾斜地に造られた屋敷であるため、ここからは清水の平地が一望に出来た。

 おもむろに朝夷の翁が話しだす。

「わたくしは朝夷の翁と申します。こちらはわが主安倍の長者で御座る」

 吉備臣達は座ったまま軽く九拝するが、安倍の長者はむっとして踏ん反り返っている。

「してあなた方は、吉備臣建彦殿と大伴連殿。そして、この方は」

「はい、田子稲置と申す、政事(まつりごと)を知る者で御座る」

 と、田子稲置が自ら名乗った。

「なるほど、宜しくお願い致す。ところで倭と申されるが、加わって果たしてわれらにどのような得が御座ると申すのですかな。わたくしにはそれが分かりませぬ」

「倭に加われば共に発展してゆけるではありませぬか」

 田子稲置が口を開いた。

「物資の流通も文化も、共に分かち合えるのです、加わらねば孤立致しまするぞ」

 しばし長者と朝夷の翁が見つめ合い思案顔を作った。

 ふと閃いたように朝夷の翁が前を向いた。

「加わる条件とはどのようなことですかな」

 にやっと微笑んで吉備臣が応じた。

「簡単です、単に帝から姓(かばね)を賜れば良いので御座る。あとは都にも屋敷地を賜り、誰か身内の者が住み、三年に一度帝に挨拶に来ればよいので御座る」

「それだけで御座るか」

 と、安倍の長者が驚いた。安倍の長者らは再び思案顔となる。それで済むはずはない、何かに付けて勅命を受けることになろう事は安倍の長者も朝夷の翁も心得ている。

「わしも一族のおさで御座る、皆の意見も聞かねばならん。その事はもっとじっくりと考えさせて頂きたい。年明けまで御猶予願えまいかな」

 と言って、安倍の長者は朝夷の翁を見つめた。呼応するように朝夷の翁が、

「その間はわたくしの屋敷で海の幸を肴に酒など呑みながら、ゆるりと逗留なさってはどうですかな。ここは風光明媚な地ゆえ、景色は格別、魚も美味いですぞ。どうか御猶予をお願い致します」

 と、続けた。

「そうまで仰せとあらば待ちましょうか」と、吉備臣が承諾した。

 大伴連はやや不満げである。

 こうして一行は武力衝突することもなく、しばらくの間は朝夷の翁の屋敷に留まることとなった。


 安倍の長者の屋敷前、小道を挟んで北隣りが朝夷の翁の屋敷であった。大路を挟んで東西に屋敷が広がり、西側に朝夷の翁が住み、東側は客人用の宿泊施設である。一行はこの東側の敷地の建物を宛がわれた。

 この時から朝夷の翁の不思議な接待攻めが始まった。初めのうちは浮橋山に登ったり松原を散策したりと領内の見物をして歩き、夕暮れともなると、宴会が始まる。そうやって日々を過ごしたが、十日も過ぎた頃には見物にも飽きてきて、皆屋敷で昼間から酒肴(さけさかな)に、女を借り催して、宴会のような日々が続く。船に残した三人も、不平が出ないように数日おきに交代させている。

 吉備臣や大伴連はさすがにだらけることもなく、小者を使って領内の様子を調べたり、ヤマトタケルとの繋ぎを付けたりして過ごしている。タケルからの知らせでは、御河の地で災害が起こり、その復興のために出発がかなり遅れるという事だった。だとすれば駿河の事は自分達で事を治めようと吉備臣は考えた。

 接待の中心は田子稲置であった。家業を息子に譲ったばかりの四十になる田子稲置、この男の悪い癖を老獪な朝夷の翁が感じ取り、酒と女だけでなく宝石などをもって巧みに誑(たぶら)かせていった。

 つまりは安倍の長者に友好的な者を増やし、領内を嗅ぎまわらないようにしたかったのである。そして一刻も早くこの土地を出て行ってもらいたい、それが安倍の長者の狙いであった。もちろん倭の臣となる振りだけは示さねばならない。

 朝夷の翁が安倍の長者に報告に伺候する。母屋の自室の奥で、円座に座り、樫の木をくり抜いて作った火桶を挟んで対面した。安倍の長者は後世の褞袍(どてら)のような分厚い単衣を着て、頻りに手を炙(あぶ)っては擦り合わせている。

「どうじゃ連中の様子は」

「はい、田子稲置という欲深な男を取り込みまして御座います」

 と言って、いひひ(・・・)と不気味に笑った。黒ずくめの姿、背を丸めて皺に埋もれた細い眼で笑う自分こそ、強欲だと言いたくなる。

「大伴連にはこの者の他に音羽、半助、長左衛門という配下がおりますゆえ、いざという時には鼻薬が効いてくれることで御座いましょう」

「それは重畳。なれば残りの者共を仕留めてしまおうかの、どうだ」

「いえ、それはなりませぬ。あとからヤマトタケルの命がやって来るとのことで御座います。殺してしまったことが発覚すれば倭と戦争(いくさ)になってしまいます。大して損となる事でも御座いませんから、ここは形だけでも倭に服すことにしておきましょう。さすれば吉備殿も橘邑の襲撃の件を不問とすることでしょう」

「そうなのか、口惜しいのぉ。わが祖、安日彦命(あびひこのみこと)はイワレビコ(神武大王)に追われてこの地へ逃れ、国を興した。那賀須泥彦命(ながすねひこのみこと)の失意の念は、今もってわれらに伝承されておるのだ。倭の臣になるなど、形だけですら忌々しくて、出来ぬがな」

「そこで御座る。今はまだ力が足りませぬゆえに、財をなし、人を増やして、育てて負けぬ国を創(つく)って行くので御座います。主はその礎(いしずえ)を築く中興の祖となりたまえ」

「ふふふ、おだておって。まあ我慢すると致すか、ははは」


 年が明け、約束の頃合いとなった。吉備臣達八人は揃って安倍の長者の屋敷に招かれた。母屋の大広間では、南北に走る梁の柱の上に一列の篝の火が煌々と瞬いている。安倍の長者の重臣達と吉備臣達八人が互いに向かい合って年明けの挨拶を終え、什器に盛られた食事を取りながら談合に至る。吉備臣が口火を切った。

「安倍の長者殿、結論はいかに相なったので御座る」

「はい、われらも遅ればせながら倭に加わり、その力に成りとう御座います」

「おお、左様で御座るか、それは良き選択をなされました。これでこの国も倭と共に繁栄なされることで御座ろう」

 と、吉備臣も大いに喜んだ。

 ここで、今まで無口を決め込んでいた大伴連が口を開いた。

「ところで安倍の長者、倭の臣となる以上は都に屋敷を賜り、家族の者を住まわせて頂く。延(ひ)いては先ごろ橘邑を責められた際に、村おさの娘弟橘姫を妃とされたそうですが、その弟橘姫を都に上げて頂きまする」

「な、なんと、その儀ばかりは御容赦下され」

「いや、隣邑と争った事をわれらが責めない代わり、ここは譲歩して下され。死んだ村おさの忘れ形見まで穢すようなことは忍びないので御座る」

 と、大伴連はきっぱりと言い放った。

「いや、その、それは・・それには、じ、事情が御座る」

 安倍の長者は弱り切って朝夷の翁に視線を飛ばした。

 朝夷の翁は、心得たという貌(かお)をして、

「大伴連殿、実はで御座る。此度の争いのもとは橘の村おさにこそ御座る」

 と、機転を利かした。

「ええ、それはどういう事です」

 吉備臣も怪訝な貌をした。

「そもそも弟橘姫(おとたちばなひめ)は依姫(よりひめ)と申しまして、わが主のお妃様で御座った。どこをどうして行方不明となったのか分かりませぬが、噂では橘の村おさの家で養われていると聞きました。それゆえに帰して欲しいと訴えたのですが、一方的に断ってきましてな。その癖、それ以来姫をだしに使って貢物をせびられ続けてきたので御座います」

「ほほぉ、左様な事は初耳ですが、橘邑のおさとはそのような方でしたのか」

「如何にも。そこで腹に据えかねて凶行に及んだしだいで御座います。非は橘の村おさにあります、決して本意では御座りませなんだ」

 と、弁明し、お辞儀をした。下を向きながら、朝夷の翁はちらりと口元を歪めて笑った。

 続けて田子稲置が語る。

「左様左様、吾もその話を邑の衆から聞き申した。橘の村おさとはそれはもう夜盗の如き者達だったとかで、他人の漁場まで荒らしていくと聞きましたぞ、主」

 と言って、大伴連を見つめた。音羽や半助達まで左様左様と言い合い、皆が肯き、相槌を打っている。こうなると吉備臣も大伴連も納得せざるを得ない。

「んん、なるほど、左様な事情であったとは吾も迂闊で御座った。されば、一族のどなたかを安倍の長者がお決めになり、早々に派遣して下され。帝もお悦びで御座ろう」

 と、大伴連は前言を撤回した。

「はは、しかと承りました」

 と、安倍の長者がお辞儀した。

「いや、目出たい。これにてこの西駿河の地も治まりますな。それではここに安倍の長者を安倍首(あべのおびと)と姓(かばね)を授け、西駿河国の造に任命致しとう御座る」

「ははぁー、畏まって承りまする」

 安倍の長者は深深と九拝した。これを合図に座は宴会へと進んだ。

 季節は早春、タケル達が大幅に遅れ、夏近くになるとの報告が届く。一行はそのまま、ゆっくりと駿河の地でタケル達のやって来るのを待つことになった。その分安倍首は西の庵原(いおはら)村への侵攻を先延ばしにせざるをえなかった。

 なお都纏向に派遣する者は安倍の長者の妻夕姫と八つになる長子の金丸(かねまる)と決まった。家臣の大井が付き添い、総勢五人、馬二頭で、梅雨明けを待ち、旅装をして旅立つ手筈である。


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