一の三
(此奴はいったいこれをどこで手に入れたかな・・こんな綺麗な模様まで彫り込んで、大した飾り物だぞこれは)
震える心を落ち着かせるように、一つ息継ぎすると、安倍の長者は穏やかに話し始める。
「これは珍しいお守りだな、炭屋さん。どうだね、このお守りをわしに譲ってはくれぬかえ」
「それは駄目だ、お守りだからな。効き目が無くなっちまうでね」
「そこを何とか譲っておくれよ、麦一俵ではどうだね」
「へぇ? む、麦一俵・・」
炭屋は目を剥いて驚いた。三月かけて作った炭俵四俵が粟十五升で交渉成立したばかりなのに、こんなちっぽけな首飾りが麦一俵。粟なら俵二つ、八十升に相当すると言われたのだ。
「ど、どうかな・・お守りだでな・・その・・」
「じゃ、麦二俵やる、それならいいだろ」
「へ、へえ、売った。後で文句なんか言いっこなしだ。えへへへ、嬉しいねぇ」
「よし決まりだ、ささ、それをおくれ。おお、綺麗だね。んん、なるほど、確かに(金だ)・・」
手触りを確かめ、服で擦ってちょっと汚れを拭いた後、頬ずりしている。
「これ、麦俵二俵だ、用意してやんな。それから馬を貸してやりな、んん。ところでこの細工は、炭屋さん、お前さんがやったのかい」
「ええ、そうでやんす。薪を集めて山を歩いていた時、河原で何か光っているのを見つけてね。拾ってみたらこれくらいの石だったんでやんす」
炭屋は指を丸めて大きさを示した。
「珍しいから持って帰っていじっていたら、何か少し柔らけぇから、これは潰してみたらいい飾り物になるなぁと思ってね。そんで、木彫りのお守りに押し付けて木槌で叩いてみたら上手いこと延びましてな、そんな形になったんですわ、へへへ」
「へえ、そうかい、炭屋さんにしちゃあよく出来てるね、上手いもんだ。ところで炭屋さん、これをどこで見つけたのか教えてはくれんかね。いやね、この光る石をわしは集めとるんだわ、是非教えて欲しい」
「まあようがすよ、山奥の谷川で見つけたもんですがね。そのお守りは結構大粒の石だったが、小粒の石ならまだたんとあるだよ」
「そうかい・・それじゃ、おい。岡部や、お前馬で炭屋さんを送ってやって、その石のありかを調べておいで、大井も連れて行きな、いいな。へへへ、炭屋さん、この岡部が送って行くからよろしく頼むよ」
「へい、有り難い、任して下さい」
こうして炭屋は喜んで帰って行った。
数日して岡部達が戻って来た。岡部と大井は共に二十四、五の若者で安倍の長者の杖刀の者(衛兵)であり、使い番である。安倍の長者は揉み手をし、わくわくしながら二人を出迎えた。
「御苦労だったね、二人とも、ささ、上がっておくれ」
二人を板敷きの縁に上がるように誘った。
「どうだったね、岡部や」
「主、よく解らなかったのですが幾つか拾ってきました。これで御座いますかね」
と言って、懐から袋を出した。大井も自分の袋を取り出して差し出した。
「んん、どれどれ・・」
長者は二つの袋の中身をそっと手を添えながら床に広げ落とすと、ざざっといって石粒が床に散乱した。ガラスのような石や黄金色の石、赤い石などが混ざっている。
「おお、これだこれだ、在ったな、なるほど」
黄金色の石粒を拾ってしげしげと見つめている。
「で、どこで採れたのだ」
「その黄色い奴ですか、それならば谷川のせせらぎの中に転がっていましたが。まだたくさんありましたけど・・そんなに貴重なものなのですか」
「んん、わしにとってはな、ははは。これは金という石だそうじゃ、川に在ったのか、なるほどのぉ。岡部や、御苦労じゃがこれから手分けしてこの石を秘かに集めてはくれぬか」
「はは、お望みとおあらばわが郎党を使って、たんと集めまする」
「んん、頼むぞ、どんな小さな砂粒でも良い、たくさん集めるのじゃ。秘かに行なうのじゃぞ、噂にならぬように気を付けよ。褒美はたんと取らせるでな」
「はは」
こうして長者は黄金探しに奔走した。そして、事に依ると川ならほかの川の上流でも見つかるかもしれぬと思い、気の利いた者に調べさせることにした。案の定安倍川だけでなく、東の不二川、西の大井川でも砂金が見つかったのである。しかし、この二つの川は他人の領域にあり、迂闊なことは出来ない。
部屋の縁で茣蓙に座って考え込む安倍の長者。側には六十を疾うに超している朝夷の翁という爺様が侍っている。
「これ、朝夷の爺よ、どうしたものかな」
「はは、主、それなれば橘邑のおさから姫を貰い受けなされ。素直に姫を差し出せば後は主の思うが儘。また、逆らうのなら力で言う事を聞かせればよいでしょう。くっくっく」
と、不気味に笑った。この朝夷の翁とは安倍の長者の執事で相談役である。父祖代々の家臣の家柄で、忠臣の一人である。白髪混じりの髪を纏めもせずにそのまま櫛で梳いて後ろに垂らし、黒っぽい水干に褌姿で猫背ぎみに座っている。全体に萎んだ大根のように痩せぎすで、皺のせいで目の玉が深く落ち込んでいて、視線がどこを見ているのか良く分からない。初めてみる者には不気味な感じがすることだろう。
…朝夷氏はのちの朝比奈氏の祖となる人物である。…
「姫とは橘姫の事か。橘姫は甲斐の村に嫁いでしまったではないか」
「いいえ、弟橘姫で御座るよ、知りませぬのか」
「おお、あの噂の娘か。だが弟橘姫とは橘邑のおさの娘ではなかろうが」
「如何にも。ですが、今は養女にした模様で御座います。実の娘の如く可愛がっているよしに御座るぞ」
「そうか、あの弟橘姫をのぉ、一度は見てみたいと思っていた。その娘をわが妃にせよというのか・・・」
「左様で御座る。わたくしにお任せ下され、奥方様に知られぬようにこっそりと進めて御覧に入れます」
「んん、頼むぞ、夕姫は悋気じゃからのぉ、怒ると始末に負えん、よしなにな」
「はは」
こうして朝夷の翁の使者として大井が東に走った。
小舟を使って峠を迂回し、馬を仕立ててなめし革の鎧を纏った三人の者が橘邑に入って行く。その物々しさに農作業中の民草が何事かと起き上って視線を飛ばす。
…当時は峻険な薩埵峠に阻まれ、陸地を通って不二川河口まで行く道は無いに等しかった。…
颯颯と歩む馬列が防風林で囲まれた奥まった屋敷に入って行く。村おさの屋敷である。丸で殴り込みのような仕業。
相手の申し状を聞いた村おさは、
「なんと、わが娘をくれと申すのですか?」
「如何にも、わが主は橘殿との良き縁を大層望んでおりまする。その証として弟橘姫を妃として迎えたいとの希望で御座います」
「それは嬉しい話ですが、わが娘は何分まだ子供でしてな、そのお役には添いかねます」
と言って、村おさは水仕に目配せした。
「その代わりと言っては失礼ですが、ささやかな装飾品を贈りましょう。どうかこれにて勘弁して下され」
すぐに水仕が籐籠に玉や尖った黒曜石などの煌びやかな宝飾品を載せてやって来た。
「おお、これは見事な品で・・ですが、わが主は弟橘姫を御所望で御座いますゆえ・・」
村おさは籠を持ち上げて、相手の大井に良く見えるように差し出した。
「ま、まあ一応長者に話してみまする。これだけの品なれば、主も色よい返事をすることでしょう、ははは」
そう言って、宝石に魅せられた大井は帰って行った。
ところが取って返すようにしてまた大井がやって来る。宝石では足りぬという。
「娘はやれませぬ。わが邑の宝で御座る、それだけは御勘弁下され」
「どういう事かお解りでないようですな。主の安倍の長者はこの邑を滅ぼしまするぞ、それでも宜しいのですか」
「脅しですか、力では人の心は動きませんぞ、分かりませぬのか。このようなやり方はいずれわが身を滅ぼすだけで御座るぞ。わが娘だけは断じて渡せませぬ。どうか良くお考え下されと、安倍殿にお伝え下さい」
「(むむっ、意固地な爺じゃ)致し方ありませぬ、ではこれで」
こうして交渉は決裂した。
安倍の長者は直ちに兵を起こし、船団を組み、夜襲をかけた。無抵抗な者に対するおぞましい凶行の仕業だった。隠れていた弟橘姫は拉致され、村おさの夫婦は殺された。邑は監視役の岡部の部隊が残り、取り仕切ることになる。
こののち安倍の長者の触手は南西の大井川へと向かうのである。――
殺戮と凌辱の嵐。アルテミスはこの時の余りの残虐さに気持ちが悪くなった。憤慨し、腹立たしくて思わず、
「やめてー」
と叫んでしまったが、何故かこの時は上手く伝わらなかった。
「ああん、もう、肝心な時に役に立たないんだから。あんなか弱い娘に酷い事をして、悔しいったらないわ。どうにかしてよ、ハデス」
「アルテミス様、何か勘違いなされておりますよ。ただ今御覧の映像は録画でありまして、過去の画ですから、伝わる筈は御座いません」
「ええ? そっか、そうよね、やだ、ミーたら、現実と勘違いしちゃった。えへへ・・でもこのアルテミスの矢を上手くコントロール出来れば最高なんだけどなぁ」
アルテミスの叫びが時空を超えて空振となって伝わるのは全くの偶然であった。未だに解明されていない現象なのである。この現象を二人はアルテミスの矢と呼んでいた。
話を聞いて怒りを感じた吉備臣建彦は、なんとしても安倍の長者を屈服させねばならんと思い、沼津首の家を根城として翌日から早速動き出した。しかし、焦りは禁物である。半年前とは状況が一変しているゆえ、改めてじっくりと調べ直すことにした。
まずは手始めに伊豆から始めた。当時の伊豆は沿岸部にちらほらと人家があるだけで、山は未開の地、獣達の住む世界であった。また沼津首によると、伊豆の山々は神が住む所と恐れられ、誰も入ろうとしないという。伊豆の地名は神聖な地という意味を持つ厳が語源という説がある。時折北西で不二の山が煙を噴き上げるため、東駿河では物成りが悪い。こんな事情から吉備臣は伊豆の事は沼津首に任せて良いようだと思った。
次に西駿河の事である。清水付近は田畑も多く、人口は千を下らず、沼津とは比べようもない。ざっと集めても兵力は数百はあるだろう。村とまではいえない小さな集落が幾つもあり、その小集落を安倍一族の者が統括し、全体のまとめ役が安倍の長者であるらしい。
それに比べてこちらは沼津首に数十を借りても三十人ぐらいしかいない。都から援軍を要請すれば別だが、今はまだその時ではない。
冬も間近に迫った頃、とにかく当の長者に会って人となりを見、場合によっては長者一族を除くことで解決出来るかもしれないと思い、秘かに清水の港へと向かった。船に三人残し、八人で港から直通の大路を歩き、屋敷街の山門を潜った。
山門の内側は田畑の並ぶ平地とは別世界で、特権階級の者達の広い住居群だ。山の稜線に添って段々畑のように街並みが並ぶ。一区画ごとに椿や橘を生け垣にして仕切られている広い屋敷群で、区画の中は五、六棟の建物と庭園などがある。各戸には大きくはないが南北二ヶ所に四脚門があり、北側にだけ門番が立っている。
屋敷群の中央の大路を南に登った突当たりが安倍の長者の屋敷である。五十メートル四方の敷地、正面に大きな四脚門、東西に高さ六メートルの物見櫓、塀は生け垣ではなく板塀である。
北門で訪いを告げると、門番の一人が長柄を片手に奥へ走って行った。




