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黎明のまほら~アルテミスの祈り  作者: 葵しん
第八章、 草那芸大刀
74/109

     一の二

 沼津首はあらましの経緯(いきさつ)を話し始めた。


 ――左様、駿河の地に世にも稀なる美しい乙女の噂が御座る。不二川の畔で薄衣を纏った早乙女が川遊びをするというて、それはもう大層な評判でしてな。あまりにうるそう聞くので、えへへ、わしも一度は見てみたいと思い、見物にな。

 それが居ましたのじゃ、いや驚きましたな。丸で天女様かと思える美しい娘で御座った。川面を飛び跳ねる如くに走りまわり、水に入れば川魚の如くすばしこく泳ぐ。挙句は海や川の実りをたくさん収穫してきては、お付きの女丁に渡すので御座います。

 人魚姫とはあの娘の如き者をこそ言うのではなかろうか。

(うう、おほん)ちと、脱線致しました。

 つまりですな、この娘、弟橘姫(おとたちばなひめ)こそ橘邑のおさの娘で御座います。この娘御に隣り邑の安倍の長者が懸想(けそう)致しましてな。なんとしてもわがものにと橘邑のおさに迫ったのですが、色よい返事がない。それはそうで御座いましょう、安倍の長者は橘邑のおさとさほど変わらぬ年回りの老人ですからな。

「ええい、許せん、わしを虚仮(こけ)にしおって」

 と、安倍の長者が手に掛けてしまったので御座います。情けない話じゃ、たかが一人の女子の事で、と思われるでしょう。したがあの弟橘姫なれば、んーん、吾もフラッと魔が差すとも限りませんわい。ははは、まことに面目ない。

 それだけに安倍殿を責める気にもなりませぬ。

 いやぁ、ここだけの話し、羨ましい事ですな、ははは――


「なあに、これ。もう、男って奴は何て嫌らしいの」

「(ポーン)アルテミス様、そう興奮しないで・・」

「黙ってなさい、ハデス。ミーは何か無性に嫌な会話を聞いてしまったわ。女は道具なの? まるで玉や真珠の遣り取りでもしているみたいに女を扱って、許せないわ」

「どうかお静まりを・・ただの噂話の事ですから、そう興奮しないで下さいな。この間みたいにディスプレーを壊さないで下さいよ」

「うるさいわよ、ハデスったら」

「そんなに不満でしたら、真実を御覧なさい。事実は噂などで膨らんだ空想よりも意外なことかもしれませんよ」

「そうね、いいわ、見ましょうよ、ふん」


 ――三五年初夏、穏やかに風もないだ海辺を漂う小舟に、釣り糸を垂れてじっと水面を見つめている貫頭衣姿の若い男が居た。船腹に吊り下げた魚籠(びく)の中では魚達が時折飛び跳ねて水音を立てている。すると男はまだ昼下がりだと言うのに竿を畳み、舟を漕ぎ出した。

 前方に台状に聳えるふた瘤の山が見えてきた、浮橋山(有度(うど)山)である。その手前の奇妙な形の浜辺に舟を乗り上げた。港でもない浜辺に何をしに来たものか、美しい白砂をゆっくりと食い入るように見つめながら歩いている。

 時折しゃがんでは何かを拾う、砂粒のような小さな物を拾っては麻の小袋に入れている。どうやら砂浜に混じっている貝殻やガラスの小玉などを拾っているようだ。首飾りなどの装飾品の材料にしようというのだろう。

 …この浜は羽衣伝説の発祥地として、のちにあまりにも有名となる三保の松原である。駿河湾に突き出た三保の松原の対岸は古くから知られる清水の港である。

 清水という地名は古い。駿府あるいは府中と呼ばれる以前から、誰言うとなくあった地名である。無論至る所で清い湧水の出たことから付いた名である。駿河国は清水付近と焼津付近、不二川(ふじかわ)流域、そして沼津付近だけが平地で、そのほかは険しい山岳地帯である。不二川を境にして西駿河と東駿河(伊豆を含む)に分けられる。…

 男が脇目も振らずに下を向いて物色していると、ふと声がして面を上げた。小女(こおんな)が鼻歌を歌いながら浜辺を舞い踊っているのであった。歳十五、六の髪の長い乙女が、白く細長い褶(ひれ)を宙に舞わせて、楽しそうに飛び跳ねている。兎の耳のように頭上で髪を丸めて二つの輪っかを作り、透き通るような薄い単衣の中に赤い衣を着て、これも薄くてゆったりとした袴を穿いて、体に褶を纏わり付けている。

 切れ長で大きな目を伏せ目がちにし、おくれ毛を風に靡かせてくるくる回っている。あどけない表情で歌い踊る姿はまさに天女の如くであった。男の眼は乙女の姿に釘付けとなった。 

 乙女は男には丸で気付いていない。乙女が男のすぐ側まで来た時、はたと気付き、

「キャッ」

 と驚き、松原に走って行った。

 男は茫然と乙女の後姿を見つめ、

「今のは何だ、天女様なのか・・俺もまた、昼間から寝ぼけとるな、ははは」

 と笑って、頭を掻きながら乙女の入って行った松原を横目に通り過ぎ、舟に戻ろうと歩き出した。すると何か背中に気配を感じた。

(やや、やっぱり何か居るな、狐か)

 男は足早に進み、そして急に歩調を緩めてみた。付けている者がすぐ後ろに迫ったことに気付き、さっと振り向いて腕を引っ掴んだ。

「痛い・・」

 乙女は叫んだ。

「この野郎、狐め、騙そうたってそうはいかんぞ」

「痛い、お願いです、手を放して下さい、わたしは狐ではありません」

「何、なら何でそんな見慣れぬ姿をしているんだ、んん」

「分かりません。わたしはおそらく流されてこの浜に流れ着いた者です。気が付いたらこの松原の美しさとあのお山の美しさに心を奪われ、嬉しくなってつい踊ってしまいました。自分がどこから来て何という名前なのかも分かりません。教えて下さい、ここはどこなのでしょうか?」

「何だって、お前、狐じゃねぇのか・・ここらじゃよく狐が人を化かすと聞いたことがある・・ほれ、いい加減にして尻尾見せろや」

 と言って、掴んだ腕をねじ上げると、

「い、痛い、お願いです、狐なんかじゃありません」

 男もあまりに痛がる娘を見て、ようやくこれは人間かもしれぬと思い、手を緩めた。

「お前さん、本とに狐じゃねぇようだな。これは一体どうしたことだ・・お前さんみたいな姿をした娘、おらぁ見たことないわい。いったいどこから来なすった、名前は?」

「ですから何も覚えていないのです。お願いです、わたしを助けて下さい」

「名前すら覚えていねぇ若い娘を助けろったって、家にゃ母(かか)あも居るしな。お前さんを連れてったりしたら、変に勘ぐられるわい。そうだよし、そんじゃあ村おさの家に連れてってやろう、村おさなら何とかしてくれる」

 こうして男は乙女とともに舟に乗り、邑へと戻って行った。


 男の住む邑は不二川の西岸にある橘邑である。

 …不二山の西を流れる不二川の流路は、当時は東に大きく曲がっていて、のちに浮世絵で有名となる田子の浦に注いでいた。現在の流れは水害を防ぐために江戸時代に大工事をした結果である。河口付近は湿地帯が多く、住める土地は少ない。…

 高床で切り妻屋根のある大きな家に住む村おさに事情を話し、娘を紹介すると、村おさは大層気の毒がってここで暮らすがよいと言い、娘を引き取った。

 村おさは歳五十半ばでやや腰の曲がった細身の男である。首の後ろで白髪を束ね、白い顎鬚を生やし、いつも杖を突いて歩いている。同じ年回りの妻の媼、小間使いの水仕が二人、年寄りの下男が一人、全部で五人で暮らしている。ひとり娘は既に他家へ嫁いでいた。

 水仕といっても元は人の妻、未亡人となり生活に困っていたので共に暮らすようになったものである。この家から再び嫁いで行った女は幾らもいた、実に人の面倒見の良い夫婦であった。

「婆さんや、この娘さんに服を出してやりなさい、この形(なり)では外を歩けないでな。それから、娘さんの名が無くては不便だ、とりあえず弟橘姫(おとたちばなひめ)としておこうか。良いかな、中々いい名であろう」

「はい、有り難う御座います」

 そういうと、娘は媼に連れられて部屋を出て行った。先に甲斐国に嫁いだ娘が橘姫で、もう一人娘が増えたような心地がして付けた名前である。

 娘は忽ちみんなの人気者となってしまった。明るく元気な姿が人を朗らかにさせる、まさにお日様のような娘だった。

 ある時、不二川で水遊びをしていた子供らが、血相を変えて邑に飛んで帰る。作二郎という五つになる子が深みに嵌(はま)って見えなくなったというのだ。子供の水難事故には皆が気を付けているはずなのに、何故か不思議によく起こるものだ。

 それを聞いた弟橘姫は一目散に駈け出して、現場に着くと水面を睨み、引っ掛けていた上着を脱ぎ捨てると、タタターッと駈け出して川に飛び込んだ。皆が呆気に取られて成り行きを見ていたが、いつまで待っても弟橘姫も作二郎も戻ってこない。

 暗くなってがっかりして皆が帰りかけた頃、

 ザバッ

 と遠くで水音がした。百メートルほど川下の河原に夕日に照らされて真っ赤な衣を纏った弟橘姫が作二郎を抱き上げて歩いてくる。それは丸で後光が射すような眩い姿で、皆が跪(ひざまず)き、

「有り難や、有り難や」

 と、唱えては拝んでいる。

 こんな事があってから、弟橘姫の評判が大いに広まった。天女様かもしれぬ、そう思えるほどに弟橘姫は明るく輝いていた。初めのうちは水仕の一人として仕え始めただけなのだが、こうなると村おさも気が気でない。弟橘姫を本当に自分達の娘として自他ともに宣言し、悪い虫が付かないように娘を守ろうとした。


 浮橋山の北の山裾(日本平)、ここに安倍の長者の屋敷が建っている。付近にはたくさん家が立ち並び、邑というより街と化している。付近の民草を財力と力で掌握し、家臣団と共に屋敷街(まち)を作って住んでいた。

 野山がすっかり赤く色づいたある日の事である。一番高見にある長者の屋敷、防風林と板塀で覆われた五十メートル四方ほどの敷地、その賄い所らしき建物の前に、

「毎度、炭を持ってきたで、買(こ)うて下されや」

 と、熊の毛皮に汚い褌(はかま)を穿いて、真っ黒に汚れた男が、背にどっさり荷を背負ってやって来た。ぼさぼさの髪を後ろで縛り、眼だけがギョロギョロと動き、笑うと真っ白な歯がやたらと目立つ男であった。北の山奥で炭ばかり作っているせいか、体中が煤けて黒くなっている。

「おお、炭屋さんか、御苦労だの。炭の出来はどうかな、どれ見せてもらおうか」

 こう言って出てきた男こそ安倍の長者であった。このような細かいことなど仕丁に任せておけばよいものを、いちいち確かめないと気が済まない性格(たち)らしい。

 五尺ほどの上背、小太りの体形で、丸顔で頬の垂れた爺である。饅頭髷をガラス玉や管玉の付いた輪で纏め、眉と同じように垂れた目、泥鰌髭を生やし、厚手の単衣の上に袖なしの直垂(ひたたれ)を羽織り、膝丈袴を穿き、足駄を履いている。

 炭屋が荷を下ろすと、四把ほどある炭俵の一つに手を差し込んで、

「んん・・」と唸っている。

 何をしているのか、じっと動かないで様子を覗っている。そして手を出してじっと掌や甲を見つめ、鼻孔を広げて臭いを嗅いだ。

「中々出来は良いようだな、炭屋さん」

 どうやら乾燥の具合を調べていたようで、実に細かいことを知っている長者であった。

「で、何が欲しいのだ、粟十升か、麦五升か」

「へえ、粟にしますだ、二十升下せぇ」

「二十升だと、四把ではそんなに払えんな、十二升で負けとけ」

「敵わねぇな旦那には、三月もかけて作った物を値切るんだから。まあ十五升でようがす」

「はっはっは、増やしたね炭屋さん。まあいいだろ、十五升だ」

 と言い、そばの仕丁に指図をしながら、何気なく炭屋のむさい胸元に視線を送ると、何か相応しくない物がキラッと光るのを目にした。

「炭屋さん、お前さんの胸元に何か妙なものが見えたが、それは一体何だね?」

「へ? ああ、これかね、これはおらのお守りだで、へへへ。川で拾った石を潰して作ったものだ」

 と言って、炭屋は丸く平べったい(メダル状の)飾り物が付いた首飾りをはずして見せびらかした。キラキラと黄色に輝く飾り物には、榊の枝のような模様が散りばめてある。

 長者は目の色を変え、顔を近づけて飾り物に見入った。

「川でねぇ・・・」

 ごくりと生唾を呑み込み、震えている。まさしくこれは黄金の飾り物。

 この場でこれが金という貴重な素材であることを知る者は安倍の長者ただ一人であった。都から見れば鄙としか言いようのない駿河にあって、この安倍の長者は支那や韓(から)との交易を行なっている。この日の本で金が採れることを、歴史上初めて知った瞬間であった。

 …この安倍の長者とは安日彦命(あびひこのみこと)を祖先に持つ者である。安日彦命とは遥か遠い昔、神武大王の軍に追われて菟陀(うだ)の地を去った者で、那賀須泥彦命(ながすねひこのみこと)の兄に当たる。この邑の者はみな出雲族の子孫として倭族には深く恨みを抱く者達なのであった。…


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