三の一
三
景行三六年(西暦一五一年)梅雨が明け、いよいよ出発の日となった。タケルこの時二十三歳、十七歳の若き婚約者を残しての旅である。
早朝一行十三人が旅の準備も万端に、桑名の西にある吉備臣建彦の猪名部屋敷を旅立った。残り七人は船で待っている。何しろ今度の旅は人数も多いうえに年寄りも居るため、足取りは緩くならざるを得ない。
全員丸髷姿で、夏だというのに長袖の単衣に長袴姿で裾をきっちりすぼめて着ている。日焼けと虫除けのためである。腰には知立を除いて皆刀を差し、全員杖をついて、日笠を被っている、雨除けの笠でもある。荷物運びに二頭の馬。年寄りを除いて、背に干し芋や漬物などの食べ物や冬の衣類などを積んだ背負子を担いでいる。
先頭を三太夫が行き、三十半ばの壮年の稲目とゴンという者が馬を曳いている。横立、知立、七掬脛と続き、タケルと吉備臣建彦がいる。そのほかの者がそれに続いて、殿を弟彦が務める。
数刻たった頃の事である。グググ、グググ、と生物の鳴き声のような、はたまた泥濘を歩く靴音ような、妙な音にタケルが気付いた。
「兄上、この辺の畑にはガマガエルでもいましたかな。いつも通るが、聞いたことがない音で・・」
「はっはっは、ガマでは御座らんよ。ほれ此奴の腹で御座ろう」
吉備臣が前を行く者の背を杖で突ついた。
「痛いですな、旦那。随分歩いたから腹も減りますよ」
七掬脛が振り向いた。
「若、そろそろ中食としましょうや、わしは腹減って、腹減って・・・」
「ふふふ、しょうがない小父御だ。船に乗ってからと思ったが、まあいいですかね、兄上」
「左様、あの小高い松林当たりなら涼しそうで御座る、少し休みましょうか」
「そうこなくっちゃね、へへへ。みなさん、中食でっせ、あの松林に行きましょか」
七掬脛は急にそそくさと小走りになった。
この頃の揖斐川の流れはここ尾津前辺りまで西に湾曲していた。ちょうど目の前に見える松林はやや高台となっているので、濃尾平野を流れる三本の大河がよく見える景勝の地であった。ここから河口に向かって下って行くと、中洲に添って船着き場が転々と並んでいる。その一番海に近い揖斐川の河口の港で大伴連が家来六人と共に船で待っている。熱田を避けて行く訳ではなかったが、二度手間を省き、海を廻って知多半島から辿ることにしたのである。この知多の地から一行は水陸二手に分かれて進むことになる。タケルの率いる陸部隊と吉備臣率いる船部隊である。
陸部隊のメンバーはタケル、三太夫、弟彦、七掬脛、石占の横立と知立、乳返稲置、そして荷持ちなどのために稲目とゴンを吉備臣に借りて、全部で九人である。横立と知立は老齢なので船を勧めたが、船酔いするし水が怖いので嫌だと拒んだ。それに出来るだけ旨いものを食いたいというので、七掬脛のいる陸部隊に入れた。
船部隊は十一人。駿河国の国人が倭に逆らっているというので、様子見を兼ねて先回りしてもらうのである。あわよくば平定してもよいとした。陸部隊は東海道を進み、津津裏裏を調べながら下って行って、駿河で合流する、そんな計画であった。
中食後川沿いを数刻下って、大伴連と合流した。そのまま船を出し伊勢湾に乗り入れ、対岸の半島を目指した。風は殆んどなく、艪漕ぎである。
大野の港までは日の高いうちに着いた。ここは現在の常滑市大野町である。古くから栄えた港町で、尾張国の造の家来である大野氏の屋敷がある。
陸には上がらず浅瀬に碇を下ろして、船で一泊することにした。大野氏に気兼ねしたのは、人数が多くて泊まる場所に困るからである。夏とは言え蚊がうるさくて甲板では眠れない。皆船倉で蚊燻ししながら煙い中でゴロ寝した。
明くる日、タケル達は旅の無事を祈願して横立と知立にお祓いをしてもらい、計画通りに二手に分かれた。魔除けの効果があるという柊の八尋鉾は、副将として水軍を率いる吉備臣建彦に授けた。
タケル達陸部隊九人は一旦大野氏の村に入り、宿所を定めると、半島の南や東海岸に斥候を放った。尾張国の造の領土ということもあり、これまでさほど調べていなかったから、念のために調べさせたのである。
三太夫と弟彦が戻って言うには、この村付近を除いて南側は人の住んでいる様子がなかった。東側に行った稲目とゴンが戻った。こちらには村が二つほどあったがいずれも尾張国の造に従っているという。
大野村付近は良い粘土が取れると言われ、村の者の中に土器造りの名人が居た。表面がつるつるして鏡のような光沢がある。タケルにはついぞ見たことのない土器であった。土器と陶器の端境期にあった須恵器という器の時代である。陶器の陶の字がすえとも読むのはこのことによる。平安の頃になると、この地は陶器生産の一大拠点となるのである。古常滑といって、同じ尾張の瀬戸焼き(瀬戸物)と共に競うように全国に輸出された。
それに比べて北側は水の便が悪く、川がないため人が殆んど住まない土地であった。現在の知多市付近である。昭和の時代になって用水路が出来てから、ようやく農業の出来る土地となるのである。
三日後、一行は知多半島を北東に進み街道に向かった。街道の少し手前で日暮れとなり、一泊することにした。人家もなくて森の中での野宿だった。
夜、獣除けと蚊遣りを兼ねた焚き火を囲み、そろそろ寝ようかという頃、何か心持ちの悪いタケルは夏なのに頻りに腕を擦っている。
「三太夫、どうも寒気がするが、ここは何と言う所だ」
「名などありませんわい、街道脇の谷筋ですじゃ」
この時代地名など存在する土地は稀である。むしろヤマトタケルが立ち寄ったことで、地名が付く場合の方が多かった。
実は、ここは後世あまりにも有名となる場所なのである。のちの時代に田楽狭間と呼ばれる地域であった。この土地でこれからどれだけの人が死ぬことか、その禍禍しい妖気がタケルに通じたものかもしれない。
神々よりも自分の目を信じるタケルなのに、不思議とこのような気配を感じる時がある。時々見るはっきりとした夢は、何か起こるという予感が見せるものかもしれない。
永禄三年(一五六〇年)初夏、田楽狭間を見下ろす小高い山(桶狭間山)に陣を張って中食を取っていた今川義元軍三万五千。だらだらと長い陣形になったところを、時ならぬ稲妻と豪雨を味方にして秘かに田楽狭間まで移動し、たった二千五百という軍勢で山に駆け上がり本陣に突撃した織田信長。そうである、歴史上名高い桶狭間の合戦の起こる場所であった。現在の名古屋市緑区と豊明市の境付近にあたる。
翌日、街道をしばらく東に歩くと小さな川にぶつかった。ぽつぽつ民家も見えてきて、土地の者に訊くと境川と呼ぶらしい。現在の刈谷市内を流れる川で、この川を境に国が分かれるということだ。西が尾張で、東は遠津淡海(遠江)だろうか。
川の浅瀬を渡ってさらに進むと点々と家が見えてきた。地図を見ても地名も何も書いてない空白地である。畑仕事をしている民草に尋ねてみたが、
――名めぇなどありましねぇだ
と言うし、誰かに仕えている訳でもないという。
「有力者の居ない土地か・・・この辺にも国を定めて造を置かねばなるまい」
タケルが話すと、脇を歩く三太夫が、
「この辺りは山が多く、水の便が悪くて作物があまり取れない土地と聞いております。水はけの悪い痩せ地ばかりでして、肥沃な尾張とはえらい違いですわ」
「なるほど、それで人があまり住んでいないのか」
「はい、もう少し行くと唯一の川が御座って、その川の流域だけ作物が取れるようですわ」
「何と言う川だ」
「名前は知りません。もう直で御座る、川が蛇行している所に丘前(岡崎)という村があります。今日はそこで泊めてもらうのが宜しゅう御座ろう」
「んん、そうか、さればそうしようかな」
日はまだ高い。歩いて行くと三太夫の言った通り大きな川が現れた。川の向こうが丘前村である。橋などどこにも見当たらない。さほど深そうでもない川だが幅も広いうえに年寄りも居るので舟を探させた。
遥か科野の木曾の山々から雪解け水を集めて流れてくる川が、ここの丘にぶつかって方向を変えられた。その前(御崎)がある所、それが丘前である。
丘前村は現在の岡崎市役所の十キロメートルほど北で、川は矢作川である。川は現在よりずっと北の丘前村付近を西に迂回する形に曲がっている。
丘前村はタケル達の居る所から一刻ほど上流に歩いた対岸に当たる。
ふと尿意を催して身をよじったタケルは何気なく川端に寄った。そして褌の前をはだけて、川に向かって尿を弾き始めた。
(おや、おや、若は行儀の悪い事で)
七掬脛が横目で見ている。
その時すうっと流れに乗って稲目とこの土地の民草の乗る舟がやって来た。笠を被って竿を手繰る民草が、タケルの姿を見て驚いた。血相を変え、急いで舟を岸に付けて、
「こりゃ、お前さん、川を汚すでねぇだ、この罰当たりめが」
と怒鳴り散らしながら、脱兎のごとくタケルに向かって走って来る。タケルは茫然と顔を後ろに向けて見ているだけである。やがて用を足し終わって向き直ると、民草は、
「てぇ変だ、偉いことしてくれただな、てぇ変だ、てぇ変だ・・」
右に左にうろちょろしながら慌てている。すると何を思ったか、踝を返して上流に向かって川沿いを走って行ってしまった。
「三太夫、あいつは一体何を怒っていたのだ」
「さあてねぇ・・」と、首を振る。
「若が川に小便をしていたので、怒ったようですな」
七掬脛が推察した。
「ううむ、まあ良い、変わった奴だったが構っておられん、皆舟に乗って渡ってしまおう」
「はいな、そうしまひょ」
七掬脛が相槌を打った。
ぞろぞろと舟に乗り込む、九人なら十分乗れる舟だが、馬が居るので二回に分けることにした。年寄り達を先に乗り込ませる。岸辺でタケル達残りの者が見守っている。
「三太夫、弟彦、頼むぞ」
「へい、任しといて下さい・・・ほい、弟や、行くぞ」
「あい」と、答える弟彦。
前と後ろで竿を手繰り始めた。
「うんとしょい・・・そぅれ、うんとしょい」
三太夫が掛け声かけて竿を突こうとするが、竿が地にめり込むだけだった。
「何じゃ? どうして動かんのだ。これ弟、汝は悪戯しとるな」
「兄者、吾は何もしていませんぞ」
「おかしい、どうして動かんのだ」
三太夫は汗だくになって竿を突こうとするが、水面に貼り付いたように舟は動かない。
これを岸部で見ていたタケルが、川縁に近づいて、
「何だ、三太夫、何としたのだ」
「それが主、舟がぴくりとも動かないので・・・どうしたと・・言うのじゃ・・・」
ひたすら力を込めて竿を押すが、やはり舟はびくともしない。
その時タケルは、
ゴゴゴゴ・・・
と、何か地鳴りのような揺れを感じた。
「いかん、これ、皆の者、すぐ舟から降りよ、急げ・・・これ、知立を置いて行くな、横立も・・ああ、早くせんか」
「あわわ、な、何があったので」
知立が三太夫にしがみ付く。
「婆さん、とにかく上がるのじゃ」
最後に知立と三太夫が上がると、もの凄い轟音と共に地鳴りが襲う。川の上流の曲り角辺りを見ると、人の背丈ほどの高さの波が、ドドーッと流れてきたではないか。皆が驚いて後方に退いた。あっと言う間に辿りついた高波が、
ザッバーン!
と、小舟を飲み込んだ。舟は一瞬で粉みじんになった。
「主、今のは・・・」
三太夫は話しながらそろそろと知立を下ろしてやった。
「いや、何なのか分からん・・・さっきの船頭が怪しいが」
波はほんの寸刻で凪いでいた、すぐに前の深さまで水が引いている。皆が肝を冷やして茫然と川を眺めている。
「ただ眺めていても何も始まらない。対岸に渡るには舟がいる。手分けして舟材を探そう」
タケルは皆に命じた。舟が無くても筏を作って渡ろうと考えたのだ。
するとしばらくして上流から十人ほどの男達が、川沿いの道を小走りに近づいてくる。
タケルは思わず三太夫を見つめた。三太夫と弟彦がタケルを守るべく前に立った。
男らは笠を被って短袖の単衣に膝丈褌、足駄を履いて、手に手に舟竿や杖を持っている。
やがてすぐ側までくると、杖をついた年嵩の者が、
「誰だ川を汚したものは、さっさと前に出て来い」
怒鳴り散らし、タケル達をぐるりと見回している。五十過ぎの頭の禿げた男で、細い目を吊り上げて怒っている。
「ああ、それは吾が小便をしたことを言っているのか」
タケルが三太夫達をどかして前に出た。
「汝れか、川を穢した者は」
「穢した・・は本当かもしれんが、そんなに怒ることなのか」
「何だと、今日が何の日か知らんのか。豊作祈願の大事な儀式の最中に、せっかく賭けた願掛けを、汝れの小便で穢されたのじゃ、許せんことじゃ。皆の衆、此奴らをふん縛ってしまえ」
バラバラっと村人が寄って来るところを、本能的にタケルが腰のものに手をやるが、名刀隠岐の波がない。瞬間、どこにいったかと首を傾げて考えたが分からない。
(いや、今はそんな事はどうでもよい、争い事は良くないぞ)
と、考え直し、
「ま、待て、待って下され、これは済まん事をした、謝るから勘弁して下され」
タケルは片膝突いて九拝し、許しを請うた。
夏の盛りは稲作が起こった始まりより豊作を祈願する大事な時期である。タケルとて領主である以上知らぬはずはない。この後すぐにやってくる稲の開花、五日ほどで過ぎるこの開花こそが人々の運命を決めるほどの出来事なのである。天気が良く、程よい風が吹くこと、これこそが人々の願いなのだ。大概は風祭りをするのが習わしなのだが、事に依るとここでは水神祭りも一緒にするのかと、タケルは気付いたのだ。
しかし、三太夫達は一斉にタケルの周りに集まって刀の柄に手を置いている。一触即発の様相。




