一の二
「あらら、タケルったらまた・・・」
アルテミスがほっぺを膨らます。
「アルテミス様、どうか致しましたか」
「そうよ・・・きっと何か起こるわよ、この二人・・・あんな子のどこがいいのかしら」
「そうでしょうか、わたしはこの美夜受姫、美しいと思います、よろしいのではないですか、はい」
「何を言うのよ、ハデスったら、ロボットのくせに・・」
「はは、申しわけ御座いません。ですが、先ほどの美夜受姫はタケルを嫌っていたようで御座いますが」
「そうなのよ、そうなんだけど、タケルのあの目、あの目がね・・・」
「まあまあアルテミス様、焼き餅を焼いてもしょうがないでしょうに・・・」
「もう、悔しいからどっか他を見物するわ・・何か出てこいっと」
ホログラムが小さくなり、映像がめまぐるしく回転しだし、ふっと回転を緩め、ある光景を大きく映し出した。
「あれ、どこかしら・・何か違う雰囲気の所だわ。まあいいわ、見物しましょう」
遡って、景行二八年(西暦一四三年)初夏、ここは百済国の南の外れ、加羅島(唐島あるいは巨済島)である。ここに、或る二人の兄妹が住んでいる。古くから倭の者も多く移り住んでいる村で、のちに日系の任那(加羅)の拠点ともなった島である。島民は海の民であり、捕鯨などの漁業をはじめ、貿易など様々な生業をして暮らしている。
――東の空が白みかけた梅雨のある朝、雨の音に紛れて南岸の浅瀬に三隻の大船が碇を下ろした。船おさと思しき男が声も立てずに身振り手振りで水夫達に指図する。すかさず水夫達が次々と小舟を降ろし、飛び乗っては浜に向かった。皆革の鎧に兜を被り、片手に得物を握っている。港を避けてわざと遠浅の浜を選んだのである。
数百もの水夫達が浜に整列すると、頭と思しき者が剱を天に向けて掲げ、声も立てずに、勢いよく振り下ろした。それを合図に全員が手に手に剱や薙刀を持って、喚き声をあげながら浜辺の村になだれ込んだ。板葺きの粗末な家が立ち並ぶ五十戸ほどの漁村である。開き戸を蹴倒し、剱を振りかざしながら一軒一軒に軍兵が押し入って行く。
「何だ、何があった・・・」
兄妹の父が寝藁を撥ね退けて起き上ると、窓辺に駆け寄り突上げ窓を押し上げて外の様子を窺った。朝靄に霞む浜辺に、得物を持った兵共が目に入った。
「た、大変だ、新羅の奴等が攻めてきたぞ。これお前、子供達を床下に隠せ」
慌てて母親が床蓋を開けて兄妹を押し込み、
「決して声を出すんじゃないよ、いいね」
と告げて、蓋をして上に蓆を被せた。魚や野菜などを保存するための物入れであって、とても狭くて子供等しか入れなかった。
兄妹は震えながら床下で抱き合っている。父母の悲痛にうろたえた貌が目に焼き付いた。
すぐに家の扉を蹴倒す音が聞こえ、獣のような咆哮を上げて人が押し入って来る。二人は目を瞑り、耳を塞いだ。しかし、物が破けるような激しい音と阿鼻叫喚が否応なく響いてくる。武力を持たない村に対する殺戮の嵐であった。
やがて潮が引くように音が遠のく、新羅の軍兵は颯颯と去っていった。兄妹は怯え、震えが止まらず動く事が出来ないでいる。
入れ替わりに百済の兵が村へ駆け付けて来たが、最早手遅れであった。
百済兵が一軒ごとに調べて廻る。傷つき呻いている者もいるが、殆んどは朱に染まって死んでいた。目を覆いたくなる凄惨さであった。
「酷いな・・何もここまでしなくても脅せば物は何でも手に入るのに・・」
兄妹は声にピクリと反応した。瞬間ゴトンと音がして、
「おい、今音がしたぞ、床下だ・・」
百済兵は床に敷かれた蓆をめくった。物置を見つけ、蓋に手をかけ勢いよく開けた。
兄妹はもうだめかと思ったのか、恐怖のあまり顔を引きつり目をらんらんとさせ、口を開けて見つめている。
「子供か、無事でよかった・・」
百済兵は声も立てずに震える兄妹を見て胸が痛んだ。
村の隣に大きな港があって、そこが百済の貿易拠点だった。百済はその権益を守るために、常にこの基地で他国の行き来を監視し、時には略奪までして覇権を競ってきた。新羅の者はそれが腹立たしくて、常にこの島を奪い取りたいと思っていたのである。
…島は朝鮮半島南部中央にあり、この千四百四十年ほどのちに豊臣秀吉の朝鮮の役の舞台となった所である。新羅と百済に挟まれて、取ったり取られたりを繰り返す地であった。
この頃の朝鮮半島は百済が全盛期を過ぎた頃合いで、北に高句麗、東に新羅が勢力を蓄えていた。驕りあるものは常に衰えていく、知らぬ間に百済はその病根に犯されていったのである。新羅はまだ小さかったが、こののち徐々に力を付けて、七世紀後半に支那国で覇を唱えていた唐の協力を得て、朝鮮半島統一まで持っていくことになる。…
今回の略奪で父母を失った兄妹は途方に暮れた。兄十七、妹十四である。数百の村人のうち七割が殺されてしまった。幸い村おさは無事であった、兄妹は村おさの孫にあたる。
島民にとっては百済でも新羅でも同じ事であった、どちらも略奪するだけ。その入れ替わりの度に島民は被害を受けるのである。
数日して、悲壮な決意を胸に、村おさが皆を集めて口を開いた。
「皆の者、よく聞いてもらいたい、まだ弔いも何も済んでいないが、ここを直ちに退去せねばならなくなった」
「村おさ、それは一体どういうことで」
皆は蒼白な貌をして村おさを見つめている。
村おさは吐息をひとつ吐き、言葉を繋いだ。
「新羅が一万の軍兵を挙げてこの島を奪い取りに来るという噂を聞いた、百済の兵は僅か千五百だ、敵うはずがない。捕まれば皆殺しか奴隷じゃ、逃げるしかない」
皆はどよめき、ざわざわしだした。ただただおろおろして顔を見合っている。
「どこへ逃げようというのですか」
「日の本がよいと思う、彼の地なれば知り合いもおるゆえな。これからありったけの食料と家財を纏めよ、米一粒でも新羅に呉れてやるな。あすの朝暗いうちに船出致すぞ」
こうして残った村民五十人ばかりが船旅の支度に取り掛かった。港に係留中の遠洋で鯨捕りに使っている大船に次々に荷を運んで、村をすっかり空にしての船出となった。百済の軍兵にも知られずに船出したのである。
竹を削って笊のように編みあげた網代帆の帆柱が二本聳え立つ大船である。生き残った村人全員が乗り込んでいる。最大の難関は対馬の海峡であった。広い海が急に狭くなる為、流れがにわかに早くなって流されやすい。
…ずっとのちの十三世紀、元のフビライが日本を従わせる為に起こした戦、元寇、あの時ここで何隻の船が沈んだことか。取り分けこの海峡は台風の多い夏場に通ってはいけない。遣唐使船や元寇の船が沈んだのは決まって夏である。…
何とか無事に対馬を越えて日の本が見えてくると、瀬戸内を目指したが、来たことがない為に狭い海峡の場所が分からない。陸地に沿って北に向かってゆっくり進んでいったがどこまで行っても海峡を見つけられない。
仕方がなく村おさが人を集めて地図を広げた。
「どうやら航路を間違えてしまったようじゃ、日の本を見てから三日たつから、おそらくこの辺りに居ると思う。海峡があると聞いていたが通り過ぎてしまったようじゃ」
「へぇ・・どうするのです、内海を通る予定では」
「最早ここまでくると無理じゃ、風が西から南に変わっておる、南には進めん。よってこの若狭という所に着けようと思う。琵琶湖はここじゃ、近いであろう」
「ははぁ、なるほど、そうしましょうか」
「よいか、目印は急に陸地が北に迫り出す所、その手前じゃ、その手前が湾となっておる」
・・・
数日した夜のことである。見張りの者が激しく鐘を鳴らす。波が荒く、船は大きく揺れ出した。陸地は近いが、これほど荒れていては乗り上げてしまう。皆あまりの揺れに、欄干や帆柱など、手当たり次第にしがみ付き、堪えている。水飛沫を被り、あちこちで嘔吐する者がいる。
やがて雷鳴が轟いてきた。皆は容赦なく浴びせられる水飛沫のために溺れそうだ。
その時、稲光と共に、
グシャーッ
と、大木が裂けるような音がした。途端に主帆が縦に裂けて火を噴いて根元から折れ、火花を散らして倒れてきた。
「キャーッ」
妹は帆柱に頭を打ちつけられて、一瞬で海に没して見えなくなった。
驚いた兄は叶わぬまでも叫びながら虚空に手を伸ばす。
如何せん、凄まじい嵐の音に掻き消され、何と叫んでいるのか判らない。
兄は一瞬にして見えなくなった妹を尚も呼び続けている。
やがて二度目の落雷が船首を直撃した。大穴があいて船が浸水し始めた。そこへ大波が押し寄せて船が大きく傾き、みるみる浸水し、船尾が高く持ち上がってズブズブ音を立てて沈んでいった。
海に落とされた兄は、浮いていた板切れに必死にしがみ付いていたが、やがて気を失って妹と共に海の藻屑となって消えた。
場面が変わって、ここは若狭湾、舞鶴の北の岬近くの浜辺である。
…若狭湾に突き出た断崖絶壁の岬の西南で、現在竜宮浜と言われている所である。東南には若狭不二と呼ばれる青葉山が聳え、西南に入り組んだ形の入り江がある。
かつて、彦坐王が丹後征伐に任じられた際、青葉山に土蜘蛛が根城を張っていると聞き、成敗にやってきた。そしてみごと打ち倒して、頂の中腹で食事をとった。その際に西の丹波方面に目をやると、変わった形の入り江が見えた。そのあまりの美しさに、何という地か尋ねたが、誰も知らない。
王は、丸で鶴が羽ばたいて舞っているようだと述べられた。そこから舞鶴という地名が生まれたという。確かに青葉山方面から入り江を見ると、大きく羽を広げた鳥が舞っているように見えなくもない。…
その浜辺に、嵐に遭って難破した船の残骸が、ズタズタになって打ち上げられていた。見ると砂浜にうつ伏せになって乾いた白砂を空中に、プー、プーッと、巻き上げている者がいる。
そこへ釣竿を片手に持った妙な恰好をした漁夫が、てくてく歩いて来る。腰に藁で作った蓑を巻いて竹で編んだ魚籠を釣り下げ、釣竿を肩に背負っている。髪を全部まとめて天辺に集めて縛っている。(のちの時代でいうちょん髷の原型か。)
漁夫は倒れている人に気付いて慌てて釣竿を捨てて近づいた。
「おい、おめぇ様、どしただ。しっかりしなせぇ、ほれ・・」
漁夫が頻りに揺り起そうとしている。
体を揺すられ、機能を停止していた脳がやっと動き出した。ふっと眼を覚ました男が、両目を開けて、突然むせ上げた。ゲホゲホとむせて、砂の混ざった塩水を吐いている。
「これ、しっかりしなせぇ」
漁夫が寄り添って、背を擦っていると、楽になったものか、男が、
「ふーっ」と溜息を吐いた。
「ああ、よかった、助かっただな。吾はここの浜のもんで、太郎というだ。お前様、こんな所で一体どうしただね。見たところこの辺の者でねぇようだが」
男は未だにハアハアと苦しそうだ。頭の頂に丸髷を結って、黒い紐で冠のように縛ってあり、横から鮮やかな山吹色の笄を挿している。膝下までくる枯れ草色の長い袍という服に長褌姿。雰囲気がどう見ても異国風であった。十代後半の若者である。
「ど、どうも有り難う御座います、お蔭で助かりました。嵐に遭って船が転覆して・・・」
若者が辺りを見回す。船の残骸らしい板切れなどが浜に散らばっているのが見えた。
「他には誰か・・真奈は、爺様は・・みんなは」
若者はヨロヨロと立ちあがり浜を見渡した。
「何、そうけぇ、まだ他に居るのけ。よし探してやるだ。お前様はあの木陰辺りで休んでいろや。ほれ、これ持ってけ」
太郎は竹筒を渡すと、浜の波打ち際を小走りに歩いて探し始めた。残骸を引っ繰り返したり、魚網の下を見たりした。しかし、海の藻屑となってしまったのか、船の残骸はあるが人は見当たらない。しばらく探しまわったが、結局生存者はこの若者一人だった。
太郎が捨て置いた釣竿を拾って、若者の側に戻って来た。
「だめだな、誰も見当たらねぇだ。あんた名前は、どっから来なすった」
「はい、わたくしは伊福建彦と申します、百済の加羅島から参りました。航路を間違えて迷っておりました。日の本の琵琶の湖に行くところでした、垂井という所に伯父が居りまして」
「ほほぉ、琵琶湖ならここの南だがね」
太郎は若者を品定めするかのように眺めまわした。
「まあ、話は後だ、わしのとこにでも来なせぇ・・ささ、歩けるけぇ、肩に掴まれや、手伝ってやるべぇ」
太郎が左手に釣竿を持ち、右の肩を貸して歩いていく。――
この太郎という男は、のちに三百歳という長寿を全うしたとされる。その為に、この地で太郎の不思議な話が後世に残されている。御存知、浦島太郎である。
このアルテミスが新たに見始めた伊福建彦という青年は、お気付きの通りヤマトタケルの妃、真奈の兄である。建彦と真奈は巨済島で村おさを祖父に持ち、巫であり薬師である両親に育てられた兄妹であった。幼いころから草術や占いを仕込まれて、丸で赤子が言葉を覚えていく過程の如く、様々な知識を身に着けながら育ったのである。
果たして伊福建彦は日の本の歴史にどう係わって来るのか、あるいはまたヤマトタケルとは何か繋がりがあるのか、今のところは分からない。




