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第七章、 東へ
一
ヤマトタケル達四人は伊勢湾をぐるりと半周して、大河の河口にやって来た。旅の同行者達とは桑名で落ち合う手筈である。西に揖斐川、東に木曽川、途中で揖斐川に合流する長良川、この三本の川が南北に並行に流れ、ここ桑名で海に至る。
木曾三川と呼ばれるこれらの川が、太古の昔に日本アルプスから土砂を運んで堆積させた。そうして出来たのが濃尾平野である。川の水量は尋常ではない。それゆえに濃尾平野の地盤は平野のずっと奥まで標高がさほど変わらず、絶えず洪水に悩まされた。
水害が多いというのに、なぜか民草の住む建物は殆んど地面に穴を掘って作った伏屋根(竪穴式)の建物である。
鎌倉時代末から、輪中と呼ばれる独特な水害対策の形が濃尾平野一円で流行った事は既に触れた。しかしこの形は太古の昔から受け継がれ、少しずつ形を変えて成長してきたものであろう。尾張や三野は、それほどに水害の多い地域であった。
河口付近には古くから中州が出来て、今では大きな島になっている。のちに一向衆徒の拠点となった長島である。この中洲の西岸、桑名は吉備国の造の別れである吉備臣建彦の領地である。正確には猪名部(旧員弁町)であるが、その頃は猪名部も桑名に含まれていた。吉備臣の猪名部屋敷は桑の木で囲まれていた。また何故か桑名では桑の木がそこいら中にあった。そのことからこの地が桑名と呼ばれたというが、確たるところは分からない。
副将の吉備臣建彦は皇族の吉備国(岡山県)の造の息子で、歳は三十でタケルの子守り役だったことで、派遣されることになったものである。
…実は、その妹がタケルと幼いころから夫婦約束があり、妹は纏向のタケルの屋敷に住んでいることになっている。記紀ではタケルヒメと呼ばれる第二妃で、タケルとの間に二子を設け、子らは伊予と讃岐に派遣されていると言うが、どうも別の話が混在しているきらいがあり、信用出来ない。…
当時は熱田や海部などと共に桑名も尾張国と呼んでいたが、正確には伊勢国に含まれる。桑名より北に奥地社古墳が発見されているが四世紀頃のもので海部という豪族が治めていた。現在の愛西市である。
二本の川に挟まれた中州の島に、吉備臣の家臣格の大伴建日連の領地と屋敷があった。小高い山に高床式の屋敷を持っている。三本の川のお陰で三野方面との行き来の便がよく、東西に走る東海道(国道一号線)も交差して、桑名は古代から畿内と東海を結ぶ中継地として栄えてきた。
タケル達四人のほかに、副将の吉備臣建彦が家臣の乳返稲置、石占の横立とその妻知立、そして五人の仕丁を連れ、大伴連は家臣の田子稲置と五人の仕丁を連れて行く。仕丁達は物持ちや斥候、護衛、石占の者である。総勢二十人の部隊となった。
稲置とは当時の官職の名前で、今でいう町長ぐらいの役職の行政官である。石占とは石を用いた占いで、無作為に拾った石の持ち上げた感じの軽重で吉凶を占う。また、樹木や屋根の上に石を放り投げて、載るか落ちるか(伸るか反るか)で吉凶を占ったりもする。この横立と知立は既に五十前後の老いた占い師の夫婦である。
一行はこの地で夏まで過ごすことになる。倭姫の占いは絶対であった、逆らえない。ゆえに斥候を放って事前に東国の様子を探らせることにした。
百年ほど前、四道将軍二人が東国を治めるべく東海と北陸を廻り相津(会津)まで至った。しかしその頃は有力な者も居ない寒村をただ通り過ぎただけであって、今とは事情が変わっていることだろう。
地図を埋めるべく斥候達が東に走った。タケルや吉備臣、大伴連らは地図を見てはどこに誰がいるのかを把握し、大まかな作戦を立てていく。ともかく斥候の戻るまでは詳しい作戦も立てられないから、タケルはだらけないように日々の鍛錬に勤めていた。
吉備臣や大伴連はもともと領主としての務めがあるので暇ではない。三太夫も弟彦も斥候として出て行ったので、暇なのはタケルと七掬脛ぐらいである。
朝早く食事を終えて膳処を後にし、タケルと七掬脛が母屋に戻って来た。タケルは着込みの上に厚手の単衣を羽織り、深靴を履き、背には天叢雲剱を背負っている。七掬脛は水干に長褌姿の上に毛皮の肩衣(チョッキ)を着ている。
母屋の廊下(縁側)に腰を下ろした七掬脛は、出掛ける用意をしているタケルをじっと見つめている。今タケルは蓑笠を被り右肩に矢筒、腰刀に弓の杖、懐中に弦を入れたところである。
「ここでじっとしていると体が鈍る、狩りにでも行って来る。晩飯の献立を頼むぞ」
「若、一体何を獲って来るつもりなので」
「さぁてな、猪か鹿か、悪くて兎かな、とにかく肉がいい。春だというのにこう寒くては動きが鈍くなっていかんのでな。猪鍋なんてどうだ、暖まりそうだな。うう、堪らん、考えただけで涎が出てきた、行って来るぞ」
「どうぞお気を付けて、当てにせずに待っていますわ・・ああ、行ってしもた、わしも付いて行けばよかったかな。でもこの寒い中を外に出るなんてなぁ・・」
猫背の七掬脛が立ち上がって部屋に戻ろうとしたところ、いつの間にか傍らに腰の曲がったお婆が佇んでいるのに気が付き、ギクッとして背筋が伸びた。
「な、何だいおい、あんたは何だ」
「七掬脛てのは、おめぇ様かね」
占いの知立であった。毛皮の肩衣を着て、偶然だが七掬脛と同じような服装をしている。曲がった腰のせいか二人の背丈が倍ほども違い、顔を横にして見上げている。まださほどな歳でもないのだが、腰が曲がり、首の後ろに纏めた髷髪はまだらに白く、小皺の多い丸顔で垂れ目の人なつっこそうなお婆であった。
「そうだが、何だね」
七掬脛はなんとなく気味悪がっている。
「いやいやいやいや、帝の料理番てのはあんたかね。こりはいいとこで会っただ」
知立は品定めでもするかのように七掬脛の周囲を回り出す。
「おりはな、前から偉い人の食ってるもんば、味わってみたくて仕方なかっただ。その、何だ、なんか作ってみてくんねぇかな?」
「あんたは吉備の殿様の占い師だね。わしの作った物なら、もう食っとるでねぇか」
「あんれまぁ、そうかね、ちっとも知らなかったが」
「ほれ、昨日の晩の、蛤の煮物だよ、美味かったやろ。あれはね、簡単に見えるがちと人のとは違うんやで」
「ああ、昨日の晩のお吸い物かね、確かに旨かっただが。へぇ、そうかね、どこが人のとは違うのかぇ」
「そうさな、味と香りだな。あれにはわしの秘伝の薬味が入っている。この薬味のことは人には教えられん。まあ旅に出ればちょくちょくいろんなものを作ってやるさ」
「ああ、それは楽しみだ、早く旅に出たいもんだな・・・」
そこへ、廊下の端で亭主の横立が、
「これ皺くちゃ婆ぁ、なに遊んでるだ。殿様がお呼びだ、さっさと来んか」
と叫んだ。背は五尺ほどで、こちらも毛皮の肩衣姿、歳は知立より五つほど上だが腰は曲っていないし、丸髷の髪も黒々としている。
「ああ、分かっとるで・・じゃあな七掬脛どん」
そそくさと行ってしまった。はたして横立、知立夫婦と七掬脛は、年齢的には過酷としか思えない長旅に、どうして参加することを決断したものか。断ることも出来たはずなのに、三人とも行くと言い張る。
ここに運命としか言いようのない繋がりが三人を導くことになるのである。
誰も連れずに朝早く一人で出かけたタケルは、川を数本渡って尾張国の熱田辺りまで来ていた。とにかく川が多いところで、渡し場があちこちにある。川は大伴建日連の管轄である。水利に恵まれているせいか田畑が多く、民家の数も今まで見てきた中でも群を抜いて多いと感じた。
野は未だ凍えているのか、冬枯れ色のままである。村々を通り抜けて数刻、いっこうに山らしき所が現れない。これでは野生の生き物は見つかりそうもない。
昼過ぎになってようやく小高い山を見つけて分け入ると、途端に人家は途切れ、野生の生き物達の世界となった。
弓を杖に見立てて辺りをゆっくりと物色していく。
急に何か見つけたのか、タケルは膝を落としてしゃがみ込んだ。枯れて茶色になった松葉の上に動物の糞が落ちている。丸くて黒い粒が十個ほどもある。
(しめた、鹿だな、まだ新しいから近いぞ)
立ち上がって懐から蔓を出して弓を張った。音を立てないように忍び足で、目を凝らし足跡を探し始めた。すると前方に土が剥き出している所があり、二つに分かれた蹄の足跡を見つけた。北の山頂に向かっている。タケルは風下から秘かに後を追った。
しばらく歩くと木々に囲まれた小さな泉の畔に出た。湧水が出ているらしく、泉から小川が流れ出ている。その時だった、泉の遥か遠く、木々の切れ間に西日を受けて金色に輝く大きな鹿が現れた。枝のように聳える見事な角が西日に照らされ、すっくと立った姿は幻想的で雄大である。
(いたぞ、ううむ、見事な白鹿だ、雄だな)
気付かれないように射程圏に入るタケルは、じっと獲物を見つめながら背中の矢を取り、弓に番えて狙いを定めた。その時もう一頭の鹿が木陰から現れ、白い大鹿に近づく。茶色の雌であった。一瞬躊躇って弓を緩めたタケルであったが、すぐに思い直して強く弓を引絞り狙いを付ける。
その時、
「ダメー、やめてぇー!」
轟くような黄色い声が、四方に響き渡った。
思わず弓を射てしまったタケルだが、矢はむなしく空を切って消えた。声の方を振り向くと、小綺麗な娘が目を吊り上げてタケルを睨んでいる。
すぐに別の矢を番え、前方に目を向けたが、時既に遅し、二頭の鹿は消え失せていた。
タケルは残念そうに、
「逃げられたか」
と呟いた。
かさこそと足音を立てて娘が近づいてくる。もう一人太った三十半ばの女も一緒だった。
タケルは恨めしそうにまだ白鹿の立っていた所を見つめたまま、
「何ゆえ邪魔をした、逃げられてしまったではないか」
と怒鳴った。
「これでよかったのです、当たっていたら大変なことになっていました。あの二頭の鹿はこの男山と、北の女山の、二つの山の神様達で御座います。罰が当たりますよ」
神と聞き、ギクッとして振り向いたタケルは、娘を見てさらに驚いた。最前垣間見て小奇麗とは思ったが、世の中にこれほど美しい娘が居るのかと思った。
十七ぐらいであろうか、長い栗色の髪を中央から分け、背中で束ねて垂らしているのは平凡だが、髪の長さは尋常ではない、腰の下まで垂れている。広い額に鋭く切れ上がった綺麗なへの字眉が栄え、やや吊り気味の大きな目がタケルを睨んでいた。キリっと口を閉じ、枝払いの杖を揺すりながら腕組みしている。線は細いが背丈はタケルより少し大きく、女としては大柄な方であろう。浅葱色の単衣の内側に白の単衣を重ねて着て、上に膝まで隠れるふっくらとした分厚い上着の単衣(褞袍のような物)を着ている。
もう一人のがっしりとした三十半ばの女は女丁らしい。こちらも杖を持ち、単衣の上に毛皮の肩衣を着て、腰に三つほど瓢を下げている。
タケルが茫然と口を開けて見つめていると、
「ここは神様のおわします神聖な地、どなたかは知りませんが直ちに下山して下さい」
「あ、ああ、あの、それは知らなかった、あの鹿が山の神、白い鹿が。これは大それたことをするところでした、危ういところを・・ところで汝はどなたでしょう・・」
言葉を遮るように、
「人に名を聞くなら、まず自分から名乗るものでは御座いませんか」
偉く愛想が悪い。熟れた桃のようにプッとほっぺを膨らまして睨んでいる。
「ああ、これは失礼を、吾は倭のタケル、小碓と申すもので・・」
「ええ、ヤマトタケルの命・・嘘おっしゃい、あの恐ろしい熊曾を退治したお方ですよ、あなたのような・・・ふん、そんな訳がない」
「はっきり言う奴だ・・・ま、そんなことはどうでもよい、神聖な山に入るなという割には、汝らは入ってよいのかな」
「それは・・吾は尾張国の造の娘、美夜受。造の娘は神の使いをするのが慣わしです、当たり前のことでしょう。神聖な泉の水を頂きに参ったのです。それよりあなたがヤマトタケルの命とは、ふふふ・・・」
娘は全く信用していない。女丁まで一緒になって笑っている。
すっかり印象を悪くしたタケルは、
「なるほどそう言うことか、これは失礼を致しました、お許し願いたい」
素直に頭を下げた。
「分かれば宜しいのです。ささ、どうぞお引き取りを願います」
逆らっても詮無い事と、タケルは去っていった。
娘は腕組みしてタケルの後ろ姿を睨んでいる。かなり気の強い娘であった。結局タケルはこの日は手ぶらで帰ることになった。
山の神様達が互いに山を行き来して、逢瀬を交しているのであった。山は神域とされ、途中にしめ縄で塞がれた鳥居がある。タケルは参道ではないところから入ってきたために神域とは気付かなかったのだ。
…現在この山は名古屋市熱田区の白鳥公園になっている。そして北の山が熱田公園である。この二つの山の間には堀川という川が流れているが、戦国時代に福島正則という武将が江戸幕府の名古屋城建設という天下普請のために物資の運搬用として掘らせた川で、タケルの頃は存在していない。…
この美夜受姫という娘は神の山の泉の水を頂き、水害が起こらないように儀式を行う巫女であった。時々聖なる泉の手入れなどもする。女丁は娘の護衛役のお秀という。
榊の枝をこの水に浸けて、尾張の諸所に在る川に祝詞をあげながら振り撒くのである。また女山にも泉があり、そこの泉の水は豊作祈願に使われる。
尾張や三野、三河には古くからこの水の神の儀式、水神祭が行なわれてきた。いわゆるお水取りの儀式の原点だが、後世の東大寺のお水取りとは係わりがない。




