三の三
再び鋼頭が鎌首をブーンと振ってきた、気配を感じたスサノオは、立ち上がって黄色い頭をエイッとばかりに動かした。分銅が空を切って通り過ぎる。
光線は分銅の軌跡を追うように森を
ジジジ・・
と音を立てて引き裂きながら横に滑る。森に火が点くこともなく、抉るが如くに大地を引き裂く。
「もう少し左だ、言うことを聞け」
スサノオはわめきながら光を発する頭を、歯を食いしばって無理やり動かした。
瞬間、
ジュボッ!
と、音をたてて光線が鋼頭を直撃した。鋼頭が光線を吸収して見る見る赤く膨れ上がり、けたたましい爆裂音を上げて木っ端微塵に破裂した。残骸がスサノオの五体にも降りかかる。
「うぷっ、なんて凄まじいのだ」
スサノオは残った黄色の首を水の中にひたすら押さえ付け、ぐったりしておとなしくなったところを右手で剱を握り、首を縦に引き裂いた。断末魔の叫びをあげてぐったりしたところを、もう一度頭に剱を刺し貫いた。
こうして八つの首を仕留めたスサノオは、残る大蛇の体をズタズタに切り刻み、二度と復活出来ない体にしてしまった。川は大蛇の血と肉塊で真っ赤に染まり、気分の悪くなる臭気が一帯に漂っている。いずれ山の獣や鳥達、虫達が処理してくれることだろう。
戦い終わって大蛇の残骸を確認していたスサノオだが、
「むむ、首が一つ足りない・・」
慌てて辺りを見回した。どこにも見当たらず、逃がしたかと思った時、はっと胸騒ぎがして村に向かった。
滝の断崖を這いあがり、社の前に来ると、道沿いに何かヌルヌルしたものが付いている。しゃがんで触ってみると、どうやら血糊のようだ。
「おのれ、どうやってここまで来たのだ」
慌ててスサノオは村に向かった。大蛇の通った跡がずっと奥まで続いている。村を抜け、道の奥を見渡すと大蛇の尻尾らしきものが角を曲って行ったかに見えた。
「やや、何か居る」
スサノオは走った。
大蛇だった、しかし八岐大蛇ではなく、鎌首だけ抜け出た巨大な蛇だった。こいつだけは菖蒲の葉が効かなかったようだ。スサノオが息を弾ませながら近づくと、間一髪、大蛇が鎌首をもたげて洞窟の中を窺っている。
すかさず石ころを拾ったスサノオは、
「おのれ化け物、吾が相手だ、掛かって来い」
と叫んで、つぶてを投げて大蛇の目を逸らさせた。
大蛇はギロッと鎌首をスサノオに向け、ホオズキ色の目をぎらつかせると、
「ギャー!」
と叫び、舌をペロペロ踊らせ、地を泳いで迫って来る。
どんどん間合いを詰める大蛇に、スサノオが剱を抜いて上段に構え、
「えやぁー」
とばかりに斬り下ろしたが、大蛇は鎌首を軽く躱して通り過ぎ、振り返って、
「ギャー」
と、牙を向いて一声発した。すかさず駆け寄るスサノオが、
「おのれ、食らえ」
大きく振りかぶって二の太刀を食らわすと、大蛇は素早く身を翻し、尻尾で剱を弾き飛ばした。
キーン!
と、金属音を発し、スサノオは剱ごと撥ね返された。
「ややや、これはいかん」
見ると剣先が折れて欠けてしまった。極めて丈夫な青銅製の剱が、いとも簡単に折れてしまった。歯噛みして半分残った剱を手に振り返ると、大蛇は鎌首を高く持ち上げて迫り来る。たたっ斬ろうと身構えていると、突然止まり、
「シャーッ」
と、食いつかんほどに真っ赤な口を開き、唾をドバっと吐きかけてきた。
スサノオは慌てて躱したが、右手から脇腹にかけて唾が降り懸かった。着ている物が、
シュシュー
という音をたてて白煙を上げる。
「あう、くっ」
スサノオは慌てて片袖脱いで、上半身を脱ぎ捨てた。皮膚が爛れて赤くなっている。どうやら強い酸のようだ。
大蛇は畳み掛けるように、
シャシャシャ・・
と近づき、喘ぐスサノオの体に巻き付いた。息も出来なくなるほど締め付けてきて、
(く、苦しい・・)
一瞬気が遠くなり、スサノオはそのまま倒れ込んで剱を落とした。
大蛇が大口を開けてスサノオの顔に迫る。はっとして気が付いたスサノオが、
「こいつめ、そうはいかんぞ」
大蛇が唾を吐こうとした瞬間、スサノオは鎌首を掴み反対側を向かせた。大蛇の口を地べたに擦り付けながら、渾身の力を込めて首を締め上げた。大蛇もスサノオの胴をさらに締め上げて、力比べとなる。
洞窟の奥では三人の娘があまりの光景に胆を潰し、抱きあってブルブル震えている。目の前で山のように巨大なもの達が地響きを上げて絡み合っているのである。村の者達も同じであった。恐ろしい咆哮と山が崩れそうなほどの地響きに驚愕し、家に籠って地に伏して拝むばかりであった。
スサノオが死力を尽くして締め上げて、とうとう大蛇はぐったりし、ズルズルっと崩れ落ちた。すかさず半分に折れた十拳剱を拾い上げ、首を裏側から十文字に掻き切った。
血に染まり、片膝突いてへとへとになって死骸を見つめるスサノオは、体の緊張を緩め、息が整うのを待つかのように長い間茫然としている。
ふと思い立って立ち上がると、
「いったいわが剱をへし折ったものは何だったのだ」
そう思い、谷川の畔に大蛇を引き摺って行って、体を裂いて念入りに調べてみると、尾の先にピカッと何かが光った。小さな針のような物が刺さっている。
「こんなもので剱が折れたとは、一体どういう事じゃ」
そのまま谷川で己が体を洗い清め、爪を使って元の姿に戻って調べてみると、針は刃渡り三尺弱、八十五センチほどの白銀色に輝く両刃の剱であった。
「んん、不思議な事だ、一体どうして大蛇の体の中に剱などがあったのか。この剱がわが十拳剱をへし折ったのか・・・」
スサノオは出てきた剱を握ってみた、あつらえたようにしっくりと手に馴染む。
「うーむ、なんと心地よい剱じゃ、波紋が光り輝いているではないか、ははは。そうだ、この剱を大蛇にちなんで天叢雲剱と名付けよう」
八岐大蛇が滝を登った時、首から上が霞か雲が掛かっていて見えなかった、それにちなんで付けた名である。斯程に巨大な大蛇であった。
…十拳剱は青銅製だが、天叢雲剱は鉄製である、しかもクロムメッキが施してあるとされる。メッキの技術は既に秦の始皇帝の時代に存在している。斯様に古くから日本にそのようなものがあったとは驚きである。…
事が終ってスサノオは祭壇を造って天叢雲剱を祭り、天照大御神に奏上した。
葦原中国の御神宝たる宝剣を大蛇が盗んでいた為に国が乱れていたが、今ここに次なる統治者に宝剣が受け継がれたのである。
そしてスサノオはこの出雲の地を治める許しを天照大御神から授かった。
ちなみにスサノオが父イザナギから命じられたように、素直に海原を治めていたならば、八岐大蛇は現れなかったに違いない。あの時発生した魑魅魍魎の類なのかもしれない。
倭姫の話もようやく終わりに差し掛かった。
――こうして、晴れて八岐大蛇を倒したスサノオの命は稲田姫との婚儀も上げて、新居を造ることにしたのじゃ。何処が相応しい土地か探したところ、
「須賀という地こそわが地なり、ここに来て吾の心は清々しくなった」
と申されて、直ちにここに御殿の建設を命じなされた。気分の良いことを表す清々しいという言葉はこの時から言われるようになったのじゃ。
めでたいこの日を祝福するかのように周りじゅうに雲が立ち昇り、その美しさに思わず歌を詠まれた。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに
八重垣作る 其の八重垣を
…この歌こそ日本最古の和歌と言われ、雲が湧き出でた様を素直に詠んだ歌だとされる。この出雲という地名については前述した通り、国が形成された国引き神話の時代に初めて出雲と命名されたようだ。…
稲田姫はのちに豊作を司る神として祭られることとなるのじゃが、スサノオに渡された髪の毛を落として出来た格子が櫛の形をしていることから櫛名田姫とも呼ばれた。
格子を開けて三人の乙女を助け出した時、格子の下から一本の稲穂が育ち、やがてたわわに実った稲となった。稲田姫はこの稲を栽培し、この地に米という新しい食べ物をもたらしたとも言われる。
二人の間には様々な神様達がお生まれになった。このスサノオの命は本来は海原を治めよと命じられた、すなわち海神なのじゃ。
やがて時が経ち、妻も娘も黄泉の国に旅立った後、スサノオの命は現世を大汝命(大国主神)に任せて、自身は大海原に住んでいるというぞ。今でもこの日の本の周りを回遊しているのじゃ。
これで仕舞いじゃ――
…ちなみに出雲には黄泉の国への入口とされる地が現存する。前述した脳の磯と呼ばれる地である。嘘か真か分からないが、脳の磯に在る洞窟を夢で見ると黄泉の老婆が迎えに来て、必ず死ぬと言われる。あばら骨が外に飛び出し、腕や足の肉が削げ落ちた、ボロを纏った老婆、イザナミの命の変わり果てた姿だとか。
出雲大社の北東、平田市猪目の日本海に面した海岸の断崖の下に在る洞窟である。…
タケル達は昔から言い伝えられてきた不思議な話に感動し、本堂を辞去した。
天叢雲剱にまつわる話は、まさにタケルが出雲の地で見た、大多良坊っちの夢にそっくりであった。大きな剱を振り回して樹木や草地を薙いでいく姿、そして谷間に剱を突き刺した姿、夢で見た大多良坊っちはスサノオの命だったのである。
天照大御神の流れを汲む倭の皇族達、そしてヤマトタケルが出雲に現れたことで出雲族の祖神スサノオの命が怒って姿を見せたものか、それとも何かをタケルに伝えんとしたものか、定かではない。
三人は長い話が終わって、神宮の見物をしながら宿所に戻っていった。
翌日も一度本殿にお参りして柏手を打った後、ゆっくりと神宮見物をしていると、杖を突き蓑笠を被った旅姿の中年の男が、タケルを見てにこにこしながら近づいてくる。旅姿の割には汚れていない。泥鰌髭を生やした背のひょろっと高い足の長い男、五尺半はあろうという背丈だが猫背のために幾分小さく見える。
タケルも気付いた。
「おや、そこに居るのは膳夫の・・・ほれ、何と言ったかな、泥鰌掬いの小父さん・・・そうだ、七掬脛の小父さんではないのか」
「へい、左様で、わこに逢うのは何年ぶりでしょうかな、ははは・・・けど、わこ、その泥鰌掬いの小父さんはやめて下さいな、聞こえが悪いですから」
「そうか、すまん、すまん。けどな、七掬小父、汝の吾子という言い方もどうにかしてくれ、せめて若と呼んで欲しいぞ」
「ははは、さいですな、若」
「それで良い。三太夫に弟彦、こちらは宮中の膳夫の七掬脛殿だ」
二人は軽く九拝した。にこにこしながら七掬脛も拝礼する。身綺麗なところを見ると、どうやら七掬脛は舟で三野廻りでやってきたようである。
「で、七掬小父、その出で立ちは神宮詣でに参ったのかな」
「ええ、それもありますが、此度は若のお供をして東国巡りですわ、へへへ」
「何だと、吾についてくると申すのか、宮中の方はいいのか」
「はい、陛下のお言い付けで参りました。諸国の色々な食べ物や料理を学んで来いと、そして見つけた珍しいものを度々届けさせよとの仰せでして、はい」
「へぇ、そうか、陛下の命令でか、ははは、汝も大変だな。旅は楽ではないぞ、生きるか死ぬかだ、覚悟は出来ているのだろうな」
「ええ、ええ、もちろん、わたくしが居れば鬼に金棒、大船に乗った気で居てもらいましょう、任せて下さい」
「それは頼もしいが、泥鰌掬いで土蜘蛛は倒せんぞ・・・」
「またまた、若は・・・まあ腕っ節はともかく、料理や草術(医術)のことなら誰にも引けを取りませんから、任せて下さい」
「まあ、宜しく頼むとしようか」
七掬脛とは帝の料理人である膳夫の頭をしている者である。歳四十二、妻に先立たれたが、子の八甕が膳夫を継ぎ、既に孫もいる。先頃タケルの西征によって西国のあちこちから届く土産物に驚かされ、とりわけ大知訶島(五島列島)のアワビ料理にひどく感動したらしい。そこで日の本中の産物の研究や料理法を学びたいと思い、帝に自ら志願したのであった。
普段は料理人であるが、川や海に行って、愛用の竹籠で泥鰌掬いや貝などを掬うのが得意で、始終出かけて行っては獲れた物を帝の膳部に提供するのであった。何度も脛を捲くっては籠で掬うところから付いた名である。
また七拳脛と書いて、とても長い脛とも言われた背の高い男であった。まじめで頑固だが、話の上手い博識の料理人である。しかも草木に明るく、医術も心得ていた。
タケルは小さいころよく宮中の厨房に行っては芋を盗み食いして、この小父さんに怒鳴られていたが、面白い人で嫌いではなかった。
一行はもう数日見物してから倭姫に別れを告げて尾張に向かった。




