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黎明のまほら~アルテミスの祈り  作者: 葵しん
第六章、 天 叢 雲 剱
55/109

     一の二

「熊曾では本当に運が良くて命を拾いましたが、あのような事が何度も切り抜けられようとは思えません」

 言うなり、タケルは悲しげに下を向いて両手で自分の膝頭を強く握り締めている。

 それを見て、倭姫はほほほ(・・・)と微笑んだ。

「何を弱気な事を、あの熊曾健(くまそたける)を倒したヤマトタケルともあろう者が、そんな愚痴はみっともないですよ」

「で、ですが日巫女様、これでは身が持ちません、誰かほかの者に命じて頂くように、陛下に日巫女様から執り成しして欲しいので御座います」

「何ですと、帝の命令を断ると申すのですか。それは賢明な考えとは言えないでしょう、左様なわが儘を言えば小心者と思われますよ。悪くすると謀反とも取られかねない、立派に果たしてきなさい」

「愚かな願いでした。詔勅に逆らえるとは思っておりませんが、何か陛下が吾に意地悪をしている気がしてならないのです。きっと兄上を亡くしてしまったことをお恨みなのではないかと・・」

「汝(おこと)は皇室に連なる者ですよ、自分のせねばならない役目を未だに分かっていないようですね。起きてしまった過去のことにこだわっていては前に進めませんよ。汝が帝であったなら国を纏めるために何をせねばならないかを考えなさい。不平分子を治めない限り国は纏まらない、そして治めるに相応しい者を選ぶ。帝は冷静に考えて汝を選んだだけです。私事に囚われず、倭という国の繁栄と平穏のみに力を尽くすべきではありませんか」

 いつにない倭姫の厳しい口調に、タケルは目から鱗が落ちたような気がした。

 西征の旅を終えて、一人前に成長したと自負していたタケルではあったが、自分一人の我儘ばかりを気にして国の事など考えもしなかったことに恥ずかしくてならなかった。

「申し訳御座いません、吾が間違っていました。これで心の道筋が定まった気が致します。国のために精一杯力を尽くすことを誓います」

 と心を改めた。タケルは倭姫に愚痴をこぼし、甘えてみたかっただけなのかもしれない。

「それでこそヤマトタケルの命です。で、此度(こたび)はどこに行けと言われたのです」

「はい、東国を平定して来いとのことで。佐竹毛人(えみし)という者が暴れているとかで、東の果ての常陸(ひたち)まで行って、津津裏裏を鎮めて来いと申されました」

「何とまあ、そんな遠くにかや・・・」

 あまりのことに倭姫は絶句してしまった。

「けど、まあ、期限を切られている訳ではあるまい。じっくり構えて、くれぐれも敵の罠に嵌(はま)らないように下調べをしながら進むことじゃ、それしかあるまい」

「はい、分かりました、お教え有り難う御座います。それから日巫女様、陛下から、此度の遠征前に日巫女様に祈祷をしてもらってから行くようにと言われております、明日にでも是非御祈祷をお願い致したく存じます」

「相分かった、明日の朝餉の後に見て進ぜようほどに・・・それとな、汝に授けたいものもあるゆえ、数日は神宮見物でもして過ごすとよい」

「はい、有り難う御座います」

 立ち上がりかけたタケルが、また座り直して、

「ああ忘れておりました。日巫女様に大切な土産が御座います」

 と言って、首に吊り下げた竹筒を外して倭姫の膝元にそっと置いた。

「何ですか、これは」

「はい、これは命の水(・・・)と申します・・」

 タケルは少し恥ずかしそうに顔を赤らめた。

「丹波国で真奈という娘と添い遂げました。連れて帰りたかったのですがそうもならず、別れ際に真奈から頂いたもので御座います。是非に日巫女様に差し上げたいと存じまして」

「ほぉ、汝はどこぞで女子(おなこ)を娶(めと)ったのかや。ほほほ、汝も成長したようですね・・それにしても命の水とは何であろうかのぉ」

「詳しくは存じませんが、丹波の地へ参った時、万病に効く霊薬というものが評判で御座いました。これはきっとその薬かもしれません、万一の時だけ舐める程度に使えとの事です。危険なので決して一度に飲んでしまわぬようにと言っておりました」

「ほほぉ、左様な薬があるのか、それは不思議な・・・大切なものを、有り難く頂くことに致しましょう」

「それでは日巫女様、お休みなさいまし」

 タケルは九拝して下がっていった。


 明くる日、タケル達三人は宿所で朝食を取った。倭姫と一緒に取るものと思っていたが、そういう訳にはいかないようだ。斎宮には厳格に日々の役目が決められているのである。

 朝食後、昨夜の巫女が迎えに来て、三人とも本殿に出向いて行った。本殿の入口で手や顔を洗い清め、靴を脱いで幅の広い階を登っていく。薄暗く天井の高い、広い板の間が目の前に広がる。巫女に促されるまま三人は黒光りした板敷を歩いて行った。

 薄暗い中に遥か遠くに白いものが見えた。真っ白な単衣を二枚重ねて着た倭姫だった。外側は後世の羽織のように袖がふくよかに広がり、下に穿いた白い袴の上から赤い腰紐をしめている。髪型が変わっていて、前髪を後ろ側に円を描くようにカールさせて天辺にまとめて笄(こうがい)でとめ、左右の髪は後ろにもっていって背中で結わいで背に垂らしている。ふっくらと膨らみをもたせ、何ともいえない穏やかさが感じられる。

 昨夜見た倭姫とはあまりに違う姿に、タケルは目を白黒させている。実を言うと今日のこの姿の方が普段の姿なのである。

 倭姫の後ろには、真新しい祭壇の飾り棚に三種の神器が恭しく供えられ、榊の枝を挟んだしめ縄があちこちに垂れている。中央の八咫鏡(やたのかがみ)の奥に榊の大きな枝が供えられている。にっこりしている倭姫の前で三人は九拝してその場に座った。倭姫から見て右からタケル、三太夫、弟彦と並んでいる。

「よくお出でになりました、これから三人の行く末を祈祷して進ぜましょう」

 倭姫は微笑みながら端のタケルから順次眼を送って、

「汝(おこと)は三太夫ですね」

「ははっ」と、三太夫が畏まっている。

「んん、長旅御苦労であったが、この度もまた世話を掛けるの、宜しく頼むぞよ」

「ははっ、身命を賭して仕え奉(たてまつ)ります」

「有り難いのぉ。してその者は誰かの」

 倭姫はタケルに訊いた。

「はい、三太夫の弟で弟彦という者で御座います。あまりにせがみますので連れて行くことに致しました」

「ほほ、左様か、まだ小碓と同じぐらいに見えるが、両親は承知したのかや」

「御心配には及びません。兄者もわたしも居ない方が食いぶちが減ってよいので御座います。わたくしは兄者が羨ましくてなりません、血湧き肉躍るような生き方がしとう御座います。主ヤマトタケルの命と共に世の中を歩きたいので御座います」

「ほほぉ、小碓の生き方はそれほど波乱に富んでおると申すのか?」

「如何にも」

 弟彦は胸を張って言いきった。

「これ、弟彦、汝(なれ)は軽く見過ぎじゃ、そのような考えでは連れていけんぞ」

 三太夫が釘を刺す。

「兄者、何故じゃ、軽くなど見ておらんわい。見知らぬ世界に果敢に踏み込んでゆく主ヤマトタケルの命に感銘を受け、僅かでもいいからお助けしたい、そう思っただけじゃ。決して甘くなど見ておらんわい」

「よい、よい、分かった、兄弟喧嘩はやめよ」

 タケルが宥めた。

「ほほほ、小碓もよい家臣を持ちましたね、頼もしい限りです。しかし、血湧き肉躍るはいけませんよ。已むに已まれぬ場合は別として、常に細心に、先を読んで、注意深く行動しないと、命が幾つあっても足りませんよ。この事、しかと心しなさい」

「ははっ」と、弟彦は心地よい返事をし、お辞儀をした。

 タケルも幾分安心したが、三太夫はこのお調子者め、と言いたげな貌をしている。

「では占って進ぜましょう、まずはお祓いからじゃ」

 倭姫は三人を確かめるようにゆっくり見まわしてから後ろに向き直り、祭壇に向かった。 胸元から粉袋を取り出して膝元に置き、中の弟切草の実の粒を魔除けのお香として右手で抓んでは横長の火桶のあちこちに焼(く)べ始めた。熾火がパチパチ鳴りだして、白い煙が立ち昇ってきた。そして倭姫は体の向きを変えて座を空け、

「ささ、三人とも、前に進んでこの火桶の煙を体に浴びなさい」

 と告げると、一度経験のあるタケルと三太夫は前にずり寄って煙を手で振り掛け始めた。弟彦も倣った。脇では倭姫が呪文を唱え始める。

 やがてお祓いの儀式が終わると、再び倭姫が祭壇に向かい、首をかしげて目を瞑ってしばし祈りを捧げる。目を開けると、祭壇の手前に置かれた筮竹(ぜいちく)を取り上げ、じゃらじゃら揉んでは呪文を唱えてパッとばら撒き、火桶の火にお香を焼(く)べて祈祷を始めた。三人は静かに倭姫の様子を窺っている。

 四半刻ほどして祈祷が終わった。倭姫は最後にばら撒いた筮竹を深く見入った。

(こ、これは・・禍福は糾(あざな)える縄の如しとは言うが・・女難、水難、火難、おまけに何であろうこの得体のしれない禍禍(まがまが)しきものは。熊曾に赴かんとした時は斯程な相はなかったが、何が災いしておるのか。従者が変わったが・・いやこの者達に不穏な卦は出ていない。さてどうしたものか、やめよと言っても今さらやめられぬであろうし・・)

 倭姫は床に視線を落としたまま、深く考え込んでいた。そして意を決してゆっくりと振り返った。

「さて小碓よ、だいぶ宜しくない相が出ておるようじゃ。このまま出掛ければ汝は畢竟死ぬることになるであろう」

「何と、左様に悪相が?」

 驚いてタケルは身を乗り出した。

 三太夫と弟彦も驚いて口を開けたまま互いの顔を見合っては倭姫の次の言葉を待った。

 三人の様子を一瞥し、

「左様、時期が悪いのであろうな」

 倭姫は宥めるように話し出した。

「今少しずらしてから行くがよい、わらわから陛下に申し上げておこう。桑名に向かうのであろう、そこで旅の下調べを入念にしておくことじゃ。いずれにしても汝は夏より前に桑名を出てはなりません、よいな」

「はい、全て日巫女様の仰せに従います・・・」

「宜しい。それからこの度の遠征の為に、汝に授けたいものがある」

 倭姫は立ち上がって祭壇に向かい、手を伸ばして紫紺の布でくるまれた剱を両手で掴んだ。そのまま掲げて後ろを向き腰を下ろすと、

「さあ、小碓よ、この剱を持って行きなさい、宝剣です、この剱が必ずや汝の身を守って下さるでしょう。どんなことがあっても決して手放してはなりませんよ」

「はい」

 タケルは手を差し出して剱を受け取った。ずしっと重さが伝わってすこぶる驚いた。刀剣とは倍ほども重さが違う感じがした。

 そしてタケルは恭しく目の前に剱を掲げながら、

「ですが日巫女様、この宝剣は三種の神器の一つでは御座いませぬか、わたくしが勝手に持っていてもよいものでしょうか」

 倭姫に訊ねた。

「案ずるには及びません、帝の詔勅をもって武を揮(ふる)うのです、当然持っていて然るべきものです。帝が何か言えばわらわが許しません。そのことも帝に話しておきましょう」

 この宝剣こそ天叢雲剱(あめのむらくものつるぎ)である。現在は名古屋の熱田神宮に安置されていると言われるが、定かではない。三尺足らず(八十五センチ)ほどの両刃の鉄剣で、刃先は菖蒲の葉に似ていてメッキが施されているのか現在でも錆一つないという。両刃のせいか幅が広く重い。源平の合戦で壇ノ浦で水没したと思われているものは宮中で使われていた模造品ではないかとされ、本物はその後も現存したようだ。

 剱を江戸時代の神官がこっそり盗み見たが、やがて剱の祟りで変死したと言われる。天叢雲剱はそれを持つに相応しくない者が、見たり手に持ったりすれば、その者を幻惑させ、自らその剱で首を裁たしめるという摩訶不思議な謂(いわ)れがある。現在この世でこの剱を目にしたものはただの一人も居ないのである。

 …実を言うと古事記ではこれ以外に御嚢(みふくろ)という火打ち入れの袋を授けることになっている。しかし、これは明らかな後付け話しとされ、そのような事実はないと思われる。…

「よいかな、その剱には汝(おこと)らも少しは聞いたことがあろうが、わが倭の生い立ちにまつわる伝承がある、長くなるがその話を汝らに聞かせて進ぜよう」

 倭姫が手をポンポンと叩くと巫女が茶を持ってきて、四人の前に茶碗を置き、お辞儀をして下がっていった。おもむろに倭姫の話が始まる。


 突然、アルテミスの見ている映像が制止し、ハデスがピクンと反応した。

「アルテミス様、どうかしましたか」

「うん、どうもね、この語り部のお話というやつが苦手なのよ。お願いだから倭姫の話す言葉をさ、彼女が思っている通りに映像化して見せてくれないかしら」

「そんな無理なことをおっしゃいます、映像として存在しないものを、話の内容から合成して映像化するなどとは・・」

「出来ないの、出来るわよね。ミーは、これから温泉入ってくるから、それまでに用意しておいてね、同時並行で追いかけながら映像化して欲しいの。話で聞くより目で見た方がずっとわかり易いものね。宜しく、ハデス」

「ああ、ちょっと、アルテミス様・・」

 悪戯っぽい流し眼を残し、アルテミスはすたすたと足取りも軽く部屋を出ていった。

「しょうがない注文ですなぁ。まあ出来ない事でもないでしょうが・・よし、なるほど」

 ハデスは頭のランプをめまぐるしく明滅させて、熟考モードに切り替えた。倭姫の会話を、あらゆる情報を駆使して映像に置き換えていく。そして時間差を利用して、話で出てきた新事実を絶えず過去にフィードバックをかけながら修正して映像を合成していった。


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