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黎明のまほら~アルテミスの祈り  作者: 葵しん
第六章、 天 叢 雲 剱
54/109

     一の一

   第六章、 天(あめの) 叢(むら) 雲(くもの) 剱(つるぎ)



     一


 景行三六年(一五一年)睦月(むつき)、小碓ことヤマトタケルは西征からの帰国の報告をするため日代の宮に参内した。功労の臣として特別に三太夫も帝に拝謁が叶った。

 玉座の間に通された二人は、ずらっと左右に居並ぶ人達を見てすこぶる驚いた。年賀式に集まった錦糸銀糸の狩衣と長袴で着飾った人達である。さすがに帝ほどは煌びやかではないが、取って置きの衣装を着て、綺羅を飾っている。公式の場とあって、タケル達を始め全員が髪を角髪に結っている。

 皆がタケルを祝福し、拍手をして迎えてくれた。中には今回の征服地からやってきた者達もいて、タケルの見知った顔がたくさん揃っている。実は、あらかじめ参内の日時も指定され、二人が着る錦糸の衣装まで宛がわれての拝謁なのだ。

 帝がお膳立てした精一杯の計らいである。

 タケルの左後ろに三太夫が控え、二人は居並ぶ諸士の間を颯爽と進み、帝の立つ玉座から三メートルほど手前でピタリと止まり、

「陛下、ただ今戻りました」

 と、恭しく帝に拝礼した。

「おお、小碓よ、それに汝は三太夫であるな、よくぞ大任を果たして無事に戻って参った。 ながの務め大儀であった、大した手柄じゃ。それでこそわが息子じゃ、褒めて取らすぞ」

「光栄の極みと存じます、陛下」

 二人は再び九拝した。すると斜め後ろの三太夫が腰の刀を鞘ごとタケルに渡し、タケルは自分の腰刀と共に両手で掲げて、

「陛下、これは出雲タケルの宝物の刀剣、隠岐の波と隠岐の鷹でおわします」

 と言上して差し出した。帝の後ろ脇に控えていた八尺(やさか)の大伯父が進み出て、両手で前に掲げるようにふた振りの刀剣を受け取り、そのまま帝に指し示した。

 帝は隠岐の波を手に取り、眺めまわすと、鞘に眩い白銀色で波をあしらった模様に目が留まった。

「隠岐の波に隠岐の鷹と申すか、中々見事な刀剣じゃな。だが武を用いる者にこそ剱は必要じゃ、汝(おこと)達にこそ相応しい、改めて褒美として授けることに致そう」

 そう言うと、帝手ずから二人それぞれに刀剣を授けた。

 二人は受け取って深深と拝礼した。

「ささ、二人とも前に来て皆に良く顔を見せてやるのじゃ、遠慮はいらんぞ」

 帝はタケルと三太夫の間に分け入り、二人の手を取った。異例のことにタケルは一瞬ためらったが、

「ははっ」と答えて、引かれるままに歩み出す。

 二人が帝の両脇へ立って皆の方へ向き直ると、帝は大仰に手を広げて、

「皆の者、頼もしきわが息子ヤマトタケルじゃ。そしてその家臣の三太夫じゃ」

 と声を一段高く張り上げ、紹介した。再び盛大に皆の拍手が巻き起こった。

 ひと頻り祝福の拍手が治まった頃、帝はタケルの耳元に口を寄せ、

「汝にまた頼みたいことがあるゆえ、すぐ八尺の大叔父の部屋に行ってくれぬか。全ては八尺の大叔父から聞くのじゃ」

 と、小声でタケルに耳打ちした。ふっとタケルが視線を上げて後ろを向くと、八尺の大叔父が帝の後ろ脇でタケルに会釈をしている。

「ははっ」

 と答えて、タケル達はまた正面に立ち、帝に九拝した。

 そして来た時と同様に拍手で見送られながら玉座の間を退場した。すぐに八尺の大叔父が参列者を避けて、端を廻って下がっていく。


 八尺の大伯父の部屋は玉座の間のすぐ東隣りにある。廊下を東に向かい、突当たりを北に曲がると左手に引き戸があった。八尺の大伯父が追いついてきて、

「ささ、どうぞお入り下され」

 と、その戸を開けた。

「あの、わたくしも良いので御座いますか」

 三太夫が尋ねた。

「ああ、まあ差支えなかろう。三太夫にも関係あることゆえ、入りなされや」

「はは」と答えて、二人は入室した。

 ここは日代の宮の正殿のうち、大伯父の執務室という程度の狭い小さな部屋である。大叔父も皇族の例に漏れず、普段は家族と共に別の屋敷をもらって住んでいる。

 大叔父は日当たりのいいところに二人を誘って座らせると、棚から筒状に丸めた布地を取り出してきて、歩きにくそうに戻って来ると、

「どうも公式の姿とは窮屈でかないませんな、ははは」

 と、気慣れぬ錦糸の狩衣の着心地の悪さに不平を洩らす。

「さて、これで御座るがな、地図ですじゃ」

 と言って、二尺四方もある布地を二人の前に広げて見せた。

「戻ったばかりで心苦しいのではあるが、東征の下知で御座る。常陸(ひたち)の佐竹毛人(えみし)という者が暴れているとか申しましてな」

「はあ・・・」

 面食らったタケルは西の旅の記録の残りを懐から出し、地図の上に置いて差し出した。

「大叔父、これは以前三太夫から提出致しました記録の続きで御座います・・」

 一通り説明しようとしたが、制するように大伯父が、

「ああ、報告はあとで見させて頂きます。失礼して・・」

 と、記録を記した竹簡をすっと取り除き、脇に置いて、

「今はこちらの方が大事となりましてな。此度の小碓命の働きぶりに大王(おおきみ)はいたくお慶びのことは御存知で御座いましょうが、小碓命が不在の折りに、毛野国(けぬのくに)の那須直(なすのあたい)と申すものから大王に援軍の要請が御座いました。このまま放っておいては一大事となるゆえ、早々に対処して欲しいと言ってきたので御座います」

「ははあ、けぬのくに(・・・・・)ですと?」

 聞き慣れぬ国名に面食らって、三太夫が思わず問い返した。

「左様、地図だとこの辺りで御座るな」

 八尺の大叔父が指を差した。三太夫は眼を剥いて驚いた、今度は東の外れであった。

 待っていたかのような詔勅(みことのり)に、タケルは酷く落胆し、言葉が出ない。こまごまと状況を語り出す大叔父の言う事を、口を半開きにして茫然として聞いている。

・・・

「那須直が報告してきた現状は大体こんなところで御座る。忘れないように地図上にあちこち書き記しておきましたので、参考にして下されや。地図では斯様にこの先が御座らん、まだわれらも良く知らぬ土地でしてな。

 ――よって此度(こたび)は豪の者を連れて行くがよい、吉備臣建彦(きびのおみたけひこ)を副将に任じ、大伴建日連(おおとものたけひのむらじ)を水軍頭として、万全の備えをして向かうべし

 との詔勅(みことのり)で御座る」

 八尺の大叔父は茫然とする二人に構わず、尚も続ける。

「魔除けとして柊(ひいらぎ)の八尋鉾(やひろほこ)を授ける。それから伊勢に立ち寄って倭姫命に祈祷をしてもらってから、良き日取りを定めて出発すること、そう申されました。伊勢は初めてで御座ろうから、ゆっくりと見物されるが宜しかろう。共の者には既に指令を発しておりますゆえに、桑名で合流なされよ。どれ、しばしお待ち下されや」

 八尺の大叔父はまた立ちあがり、部屋の奥に向かう。刀架に置かれた錦糸の薦包(こもづつ)みを持ってきた。鉾(ほこ)とは槍(やり)や薙刀(なぎなた)の総称である。

「これがかの名高き柊の八尋鉾で御座る。大国主神(おおくにぬしのかみ)が用いたといわれる伝説の鉾で御座るぞ、大切にお使い下され。東征の道順はお任せ致すが、念の為に申しますとな」

 と、八尺の大叔父は地図をいちいち指で差しながら、

「尾張から東に向かい、遠津淡海(とおつあわうみ)(浜名湖)、駿河を経て相武(さがむ)(相模)に出でて海を越え、常陸(ひたち)に参る。帰り道は科野を廻って三野に出るのが宜しかろう。西征の時と同様に土蜘蛛を悉く平らげてきて下されや」

 と言って、地図を畳み、タケルに地図と薦包みを渡した。タケルは夢遊病患者のようにただ手を出して受け取った。


 屋敷を悲壮な気持ちで立ち去るタケル達は足取りもずっしりと重く、他の者が見たら丸で着飾った死人(しびと)が彷徨(さまよ)い歩き、黄泉への入口を探しあぐねているように見えた事だろう。

 初め帝にお褒めを頂いた時はお国の為に働いたという達成感もあり、誇らしく舞い上がりそうなほどに嬉しかったが、すぐに次の任地に赴けという詔勅を受けた。八年もの間、死をも覚悟の旅からどうにか無事に帰って来たというのに、再びすぐに旅に出よという。やっとゆっくり出来ると思ったのにさらに辛い旅に出よとは、本当に父なのであろうかと疑いたくなる。

 愚痴を言いたいのを堪(こら)え、溜息をつきながら翌日からまた旅の支度に取り掛かった。老いた執事の物部蔵人(もののべのくらんど)とその妻は大層な驚きで、今度こそ死出の別れとばかりに悲しんだ。

 此度は三太夫とその義弟の弟彦も連れて行くことにした。弟彦とは三太夫の三つ下の弟で弓の名人である。二人は血の繋がらない兄弟だったがとても仲が良い。タケルより二つ年上で、頭半分ほど背が高い痩せ型の男である。弟彦がどうしても連れて行けと言うので同行を許したものである。

 五尺そこそこの細身でまだ髭の無いタケル、六尺の偉丈夫で立派な顎鬚(あごひげ)の三太夫、そして五尺半の細い口髭の弟彦の主従である。

 タケル達三人は山道を伊勢に向かった。三人とも丈夫な着込みに厚手の単衣と長袴、深靴を履き、背に背負子を付け、蓑笠を被っている。のちの戦国時代に忍者の里と言われる、名張(なばり)や伊賀の地を通ることになる。

 纏向から伊勢に行くにはとても険しい山道を通らねばならない。直線距離自体は近江に行くより近いくらいなのに、険しい山並が行き来を遮断している。それを無理に行こうとするならまず東の名張に向かい、そこから北の伊賀に出て、山並を分けて流れる鈴鹿川沿いの崖道を東に向かって山越えし、伊勢の亀山に向かうしかない。もちろんこの時代に存在する地名は鈴鹿と亀山ぐらいであろう。亀山に出さえすれば海岸沿いに南に下り神宮に出られる。当時は今の三重県のうち、東側半分を伊勢と言った。

 この時代、都纏向から伊勢までの山道には全く家や村も無く、獣達の住む危険な世界に野宿するしかない。幸い春も間近な冬山なので雪は疎らだった。熊が冬眠している時期の旅立ちである。

 神宮の場所はとても不便な所にあって、纏向からは道筋が色々あるが、どれも十日余り掛かる。海廻りでは風に影響されて危険度が高く、当時は選べない。伊勢の近くには熊野灘や遠州灘がある。うっかり東に流されでもしたら、当分戻れなくなってしまう。遠州には良港が無く遠浅の海岸ばかりで、駿河まで行かざるを得ない。風向きが変わるまで駿河で日待ちをする羽目に陥る。

 南への山越えは不可能であろう、熊野の山々が犇(ひしめ)いていて越えられそうもない。紀ノ国の海沿いを西からグルッと回るなどという方法は考える気もしない。和歌山県から三重県の伊勢までの海岸沿いは断崖絶壁続きのリアス式海岸で、当時は道も無く、あまりにも険しくてひと月も掛かってしまうであろう。途中に在る徐福の造った蓬来(ほうらい)(新宮市)という邑(むら)は熊野の山々に囲まれたほんの僅かにある平地(ひらち)なのである。

 果たしてどうしてこのような地に神宮を造ることにしたのか、倭姫に聞いてみたいところだ。わざと何処から行くにも不便である地にしたとしか思えない。神聖な地であることを示すために、軽々しく訪ねられない所が相応(ふさわ)しいと考えたのであろうか。


 蓑笠を被り、タケルと従者の三太夫、弟彦の三人は日焼けと土埃で真っ黒になりながら、どうにか神宮に辿り着いた。当時はまだ内宮(ないくう)しかなく、内宮という呼び方すらない。すぐさま山門に在る案内所で斎宮の倭姫に取り次ぎを願いでた。

 出来たばかりということもあり、周りにはまだ参拝客が大勢いて、タケル達の出で立ちに驚いてひそひそと噂し合っている。ぼろぼろの蓑笠に、手足や顔が薄汚れて熊のような有様。夕暮れ時と言うこともあり、宿所を宛がわれてそこに泊まることになった。

 湯場(ゆば)に向かい、旅の垢と疲れを落とし身綺麗にした。ここでいう湯とは、洗い場に置いてある大甕(おおがめ)の湯のことである。大甕はいつでも沸かせるように熾火(おきび)に掛けてある。桶で湯を掬って禊(みそぎ)をして体を清めるのである。温泉のように湯に浸かる訳ではない。

 広大な敷地に大小合わせて十棟ほども建物が在り、四囲を巡らす板塀や石灯籠がある。当時としては過去に例のない数の工人を使った大工事であったろう。完成してからは各地に噂が広まり、こんな辺鄙(へんぴ)な立地にも拘らず参詣者が絶えない。そのせいか参詣者の為の宿らしき建物も用意されていた。タケル達が泊まる建物もその宿の一画である。

 久方ぶりに湯を使い身綺麗になって食後に寛いでいると、後片付けから戻った弟彦が、

「主、日巫女様がお呼びとの事です」

 と言って、使いの者を伴ってきた。

 タケルにも見覚えのある斎宮に仕える巫女の一人である。短い前髪を四分六で分けて、残りの長い髪を首の後ろで白い紐で結んで背に垂らしたお下げ髪。白ずくめの単衣二枚に袴を着た娘が、筒袖に手を隠したまま前に組み、頭を僅かに傾(かし)げて俯いている。

「そうか、相分かった。では、さっそく伺いましょう、案内して下さい」

 巫女が畏まって拝礼し、そのまま後ずさりして、後ろを向きながらどうぞという仕草をして先に歩いて行った。タケルも巫女の後から付いて行く。

 ちなみに、上が白衣(しろぎぬ)、下に赤い袴姿はずっと後世(おそらく室町時代から)の巫女の形で、当時は特に決まった姿はない。

 宿所を出て大きな木造の橋を渡りきると、見渡す限り等間隔で樹木が配された広大な庭園となっている。その中央の参道を歩いていると松の木が次第に杉の木に変わっていく。玉砂利を敷き詰めた広い参道、そしてあちこちにある数段から数十段の石段を通り、幾つかの鳥居を潜った。まだ内宮しか存在しない当時ですら広すぎて迷子になりそうである。

 参道の両側には一定の間隔で大きな石灯籠が置かれ、夜は煌々と火が灯っている。不思議に夜でも人がちらほら歩いていた。

 一番奥まった所に在るひと際大きな建物が本殿で、その脇に並ぶ小さな屋敷に巫女は入って行った。斎宮の屋敷である。本殿に比べれば十分の一ほどだが、それでも二階建てと思えるほどに天井の高い平屋の大きな建物である。

 濡れ縁を潜り中に入ると広い土間になっている。靴を脱いで板敷きに上がり込むと、巫女の案内のまま廊下を右に進む。庭の数ヶ所に煌々と灯籠の明かりが見える。屋根の庇(ひさし)と柱だけの廊下から、庭の一画に蓬に似た二尺足らずの草が青々と育っているのが見えた。タケルには分からなかったが弟切草(おとぎりそう)といい、秋口に黄色の花を咲かせる草である。

 一番奥の部屋の隙間から明かりが洩れている、その引き戸の前までやって来て、

「ただ今お連れしました」

 巫女が部屋の中に向かって告げた。

「おお、左様か、お入りや」

 懐かしい倭姫の声が聞こえた。

「失礼致します」

 巫女が引き戸を開けて倭姫に一度お辞儀をし、脇にどいてタケルを中に促す。

 タケルは一段高い板敷に上がり、倭姫と視線を交わし、九拝した。

 後ろの巫女は静に引き戸を閉めて立ち去った。

「おお、小碓かや、よくぞ御無事で、さぞかし大変であったろう。どれどれこちらに来て座ってたもれ。そしてよく顔を見せておくれ」

「はい」と答え、タケルはつかつかと前に進み出て敷いてあった菅畳に座った。

「お久しゅう御座います、日巫女様」

 脇には土器の火桶が置いてあり、後世で言う五徳の上で土瓶の湯がたぎっている。倭姫は衣類も髪型も案内の巫女と何ら変わらぬ姿である。

「おお、おお、ずいぶん逞しゅうなったこと、背も高くなり、精悍な男(お)の子(こ)になられたようじゃの・・・生きて戻れぬのではないかと気を揉んでいたが、何時ぞや熊曾を倒したと聞いてほっとしておったのじゃ。あれから何年も経つのに一向に音沙汰がなくて心配していたが、何をしておったのじゃ」

「はい、御心配をおかけ致しました。西国で日照りや嵐に遭って苦しむ民を捨てておけませんので、暮らしのたつように手助けを致しておりました。また、出雲や丹後などで思いのほか手間取りまして、やっと片付いて帰って来たところで御座います」

「左様か、熊曾ばかりではないのじゃな、まあ、なんにしても無事で何よりじゃ」

「はい、有り難う御座います・・・実は日巫女様」

 タケルは急に貌を曇らせた。

「この度は、またしても陛下から詔勅(みことのり)を賜りまして。今度は東国を束ねて来いと・・」

「なんと、やっと戻ったばかりで、また土蜘蛛退治かや。兄上も酷い事を」

「日巫女様、陛下は吾に死ねと言っておられるように思えてなりません」

 タケルは語調を荒げた。


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