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黎明のまほら~アルテミスの祈り  作者: 葵しん
第五章、丹 後 変
53/109

     六の四

「うわぁ、タケルったら成長しちゃって。ミーったらてっきり造に言い付けちゃうのかと思って、誤解しちゃった」

「アルテミス様、だからあまりちょっかい出してはいけないと言ったのですよ。史実を変えることは大問題ですよ」

「ハデスったらまた言った、史実ではなくて、現実よ。でも人間という生き物はとかく逆に動くのね、来るなって言うと、来ちゃうし、ほんとにへそ曲がりなんだからやんなっちゃう。今回はそのことだけは学んだわね、へへへ。さあ、久しぶりに疲れたから温泉へでも入ってもう寝るわね。お休みハデス」

「はい、ごゆっくりお休みなさい、アルテミス様」

 ハデスは今日起きた現象を分析し始めた。どうしてアルテミスの話す言葉だけが遥か彼方に届くのか、未だに何も分かっていなかったのである。

 アルテミスの見ている地球はアルテミスの世界(地球暦で十五世紀頃)よりおよそ千三百年前の時代である。従ってワームホールで別々の世界が繋がるのだとしたらアルテミスの生きている現在の時代に繋がると考えられ、それはおよそ室町時代の終わり頃に相当する。タケルの住む時代は過去の出来事に過ぎない。過去の時代に繋がるなどとは、どう考えてもあり得ない出来事に思えるが、無数の次元が存在すると考えれば必ずしも不可能とは言えない。過去を変えてしまうパラドクスという現象は、次元が幾つも存在するのなら発生しないで済むことになる。現在の最先端の科学ではそういった説が唱えられている。

 たとえば、AとBが出合って結婚しCが生まれた時、過去に偶然やってきたDが、AとBが結婚する前にAを殺してしまったとする。とすればBは結婚相手がいなくなり、Cは生まれるはずがない。これがパラドクスという矛盾現象である。つまりDが過去にやってきた瞬間から次元が二つに分かれ、Cが生まれた初めの歴史が存在する次元と、DがAを殺したあとの次元が別々に存在し続ける、そんな現象が起こるという訳である。

 この次元の存在とワームホールの存在は高度に進化したアルテミスの世界にあっても解けぬ謎であった。


 翌日の昼頃、山の火も下火となって、丹波国の造も第二部隊の待機する南側にやって来た。そして、造は磯砂の首実験をしたあと、磯砂をはじめ敵の死骸を皆空堀に次々に捨てさせ、その上から落ち葉や薪をどんどん放り込んでいく。そして一斉に火を掛けさせて、死骸を燃やし始めた。夥(おびただ)しい数の火番を置いて、長い棒で突(つつ)いて風を入れ、薪を足したりしながら完全に燃やす。

 丹波から山城へと死臭が流れ続け、丸七日掛けて骨と化した。空堀中の死骸が骨だけになったことを確かめた後、一斉に空堀を埋めていって土饅頭とした。

 仏教がまだ伝来してないこの時代に、火葬という習慣はない。単に空堀に死骸を捨てて埋めるだけでいいものを、敢(あ)えて火葬にしたのは理由がある。

 古墳時代の始まりであるこの時代は、死んだ者を土葬することは、生まれ変わりを促す意味を持っていた。造は磯砂達が決して生き返ったりしないようにとの思いから、火葬を命じたのである。言わば最も重い刑を行ったといえる。磯砂達には、これまでどれほどの人々が殺され、奴隷として連れて行かれたことか。丹後の地は磯砂達の餌場だったのである。丹波国の造の処置の重さがそれを物語っている。

 タケルはかつて経験のない凄惨な戦いに立ち会い、酷く悲しんでいる。挙句の果てにこの仕打ちとは、やりきれない気持ちで胸が痛んだ。国を纏める事とは斯様に残酷な事もやらねばならぬかと、悩んでしまった。


 景行三三年、梅花が匂い立ち、春告げ鳥が忙しなく鳴き声を競っている。穏やかな春がやってきた。真奈は秘かに比治山峠の井戸に、水を汲みに行こうと考えた。懐かしい思い出の地、真奈にとってはつい昨日のような心地がする。

 浜に打ち上げられてから、知り合った者の多くが死んでいった。だからこそ今このタケルとの幸せな生活を壊されたくない、そう思った。

 しかし、タケルはいずれ自分の元から去って行く人、諦めるしかないとも思う。いつ別れの日がやってくるかは分からない。せめてタケルにはいつまでも健やかであって欲しいと願い、今のうちに封印していた霊薬を少しだけ作っておくことにした。

 春の山菜採りに行くとタケルに告げて、五つ年上の牡丹を誘って朝早く村を出た。片道二刻はかかる道のりで、殆んど行って帰ってくるだけで夕暮れになる。

 真奈も牡丹も既に子が生まれていたが、今日は子供をタケルと三太夫に預けてきている。タケルも三太夫にも初めての子育てであり、今頃は日頃の女房達の子育ての大変さを味わっていることであろう。

 峠に入ると道を通らず林の中を、拾った枝を杖にして物色しながら峠を登る、そうやってたらの芽やワラビ、ぜんまいなどの春の山菜を摘みとり、昼頃峠の井戸でひと休みして間食を取る。牡丹も井戸で喉を潤し、真奈は余分に持ってきた竹筒に水を汲みとった。

 休憩後、戻り道は杖で枝葉を掻き分けながら、道端に生えている山菜を物色しつつ道を下って行く。

 その時ふっと道の先に、がらの悪い男二人が立ち塞がった。磯砂亡き後この峠道も幾分安全になってはいたが、まだまだこの手の輩(やから)はたくさんいるようだ。にやにやしながら近づいてくる男ども。真奈は怖がって牡丹の後ろに隠れると、男どもはさっと左右に別れ、へらへら笑いながら真奈を見つめている。

「この野郎、一体何のつもりだね、ああ」

 牡丹が大声で威嚇した。

「けっ、お姐(ね)ぇにゃ用はねぇ。でかいの、痛い目に遭いたくなけりゃ、さっさと行きな。俺っちは後ろの女に用があるんだ」

「あっはっは、痩せっぽっちの蟷螂(かまきり)どもが、よう言うわい。とっとと失せるのはお前らの方だわさ」

「何を、この野郎」

 一人が牡丹に向かって棒切れを振り回してきた。

 牡丹はすかさず右足の爪先でその腕を蹴りあげ、ついでに顎を蹴飛ばして、反り返るところをみぞおちの辺りを足蹴にして、大きく突き飛ばした。流れるような身のこなしに、もう一人が呆気に取られて震えている。

「や、野郎強ぇな。お、女のくせに何て野郎だ・・こ、今度逢う日が楽しみだぜ、あばよ」

 と言って、倒れているもう一人を肩に担いで逃げて行った。

 しばし茫然とする真奈であったが、

「うわぁ、牡丹姉さん、強い、驚いちゃった」

 と、牡丹の手に縋ってくる。

「なあに、うちの人に教わったでな、少しだけ稽古しただよ、あはは」

 相変わらず人気のないところでは山賊もどきが出るようだ。


 村に戻った真奈は、翌日昼頃、早速秘密の酒を造り始める。

 タケルは兎の皮のおしめ(・・・)で包んだ幼い赤児を抱いたまま、真奈が何をしているのか怪訝な顔をして眺めている。時おり振り向いては微笑む真奈に、タケルも思わずにっこりしながら赤児を抱き直し、あやしている。

 すると赤児が急にむずかり泣きだした。

「おお、どうした坊よ、何故泣く、んん。お腹が減ったのかな・・んわっ、臭うぞ、ははは、仕方のないやつだ、どれどれ、おんもでお下(しも)を洗いましょっと」

 タケルは外に出て共同の洗濯場に行って赤児の下の世話を焼き、洗濯までして家に戻ってきた。タケルの夫ぶりに、つい嬉しくなって真奈が微笑みかける。

 タケルはすぐに替わりのおしめを広げて出しておき、赤児を抱いて、

「高い、高い」

 と、あやしながらお尻を乾かし、おしめを替える。実に手慣れたもので、タケルにとってはとても楽しいひと時となっている。さすがに三太夫はここまでは出来ず、牡丹任せであった。穂井村には次第に入植者も増えてきて、今では若い家族も十組ほど住んでいた。


 夏のある時、慌てた村人がタケル達の家に飛び込んできて、村外れの八人家族が全員倒れて泡を吹いていると語る。タケルはいつものように赤子を抱いて聞いている。

 真奈はというと、

「まあまあ、落ち着いて、そこに掛けなさいな。で、どんな様子なの、泡を吹いたというと、ものを吐いたりしているの」

 落ち着き払って病人の様子を細かく訊き出す。

「そんな座ってる場合ではねぇで、はよぉ行って診てやって下せぇな、真奈様」

 村人はせっつくが、真奈は落ち着いたもので、

「慌てないで、詳しく様子を聞かせなさい」

 と、なお問い質す。

「今にも死にそうなんだってばよ、真奈様、早く」

「まあまあ、様子を聞かなくてはどんな薬草がいいのか分かりません、わたしが行って診てから、またここに取りに戻るのでは却って遅れてしまいますよ。ここである程度判断してから行っても十分間に合います。だいちそれをしないで死んでしまうようなら、もともと手遅れなのですよ、天命というものです」

 やっと納得したのか、村人は様子を詳しく話しだした。真奈もどうやら状態が分かったのか、用意をして急いで出かける。タケルも赤子を抱いて付いていく。

 家の周りでは人垣が出来て、何かの流行り病かと思い、皆おろおろしている。

「みんな、離れていて、わたしがいいと言うまで、この家に近づかないで」

 真奈が忠告した。ふっと後ろを振り向くと、タケルがわが子を抱いて不安そうな顔をしている。

「タケルも、近づかないで離れて待っていて」

 と言って微笑み、真奈は中に入って行く。

 中では八人がずらっと並べられて寝ていた、皆ぐったりして目の縁が赤い。傍らに知り合いの者なのか、悲しげに見つめて座っている。おそらくこの者が気付いてここに寝かせたものであろう。

 真奈は一人ずつ手首を握り、じっと考えている、後世の脈診である。

 ひとつ肯くと、男に向かって、

「あなた、すぐお湯を沸かしなさい。それから大きな器を八人分用意して」

 と命じ、自分は土器の椀(すり鉢)に、持ってきた荏胡麻(えごま)を入れ、青い石(硫酸銅)を混ぜてすり潰し始める。一心に潰している。男は囲炉裏の火に水の入った土器を置いて沸かし始めた。

 真奈の脇で湯がたぎり出すと、湯を柄杓で掬ってすり潰した物を溶いで、一人一人起き上がらせては飲ませ始める。げっぷが出るほどたっぷり飲ませている。やがて、患者は嘔吐(えず)いて胃の中の物を吐きだし始めた。前には土器の盥(たらい)が置かれている。

 真奈と男が皆の背を擦ってやって、どんどん吐かせた。吐き出してから、冷えた水をたんと飲ませて、また吐かせる。

「毒茸に中(あた)ったみたいね」

 患者の背を擦りながら真奈が診(み)たてた。

「毒茸ですか、ははあ、なるほど」

 患者の容体が落ち着いてきたところで、真奈は蓬(よもぎ)を煎じた温かいお茶を患者に飲ませて横に寝かせてやった。そして外に出ると、

「皆さん、安心して下さい、流行り病ではなく毒茸に中ったようです。吐かせたので快方に向かっています」

 と告げ、皆を安心させた。

 真奈の不思議な力に感動したのか、タケルは目を潤ませている。きっと真奈と出会えて、己の良き運を感じていることだろう。

 ちなみにタケルと真奈の子はずっとのちになって息長田別王(おきながたわけのおおきみ)と命名される人物となる。真奈が泳ぎが得意で人の三倍も長く水に潜っていられるところから、何気なく息長(おきなが)とタケルが名付けたものである。


 真奈との暮らしも早四年に渡っていた。この丹後での月日はタケルの一生を通じて最も幸せなひと時であったといえる。

 このままでは良くないと三太夫が度々帰国を促してきたが、タケルもようやく都に戻る決心をした。真奈を一緒に連れて行こうとしたが、真奈はかたくなに拒んだ。自分を訪ねてくる者がいるかもしれないのでここを離れられないと言う。それに自分はこの村に必要とされているとも言う。仕方なくタケルは真奈に別れを告げる。タケルは真奈達をいつか必ず迎えに来ることを誓った。

 真奈は別れ際に、タケルに命の水の入った竹筒を一つ渡した。飲み方を教えて、

「万一の時だけお使い下さい」

 と語った。真奈が不老長寿の酒を作るために汲んだ水の湧く井戸は、比治山峠の頂付近に現在もあり、真奈井と呼ばれている。既に枯れてしまったことは前述した。

 こののちの二人の運命がいかに歩むことか、時代の潮流は二人の運命を捉えて離さないことだろう。

 のちにここに天女が八人舞い降りて、一人だけ羽衣を失くし、天に帰れなくなるという羽衣伝説は、真奈の話が起源である。

 ずっと下って穂井村では真奈が生き神様の如くとなって、その死後穂井の村人達が社に真奈を祭って、奈具の社と呼び豊宇賀能売命(とようかのめのみこと)という豊作をもたらすという神になった。

 真奈の話は以後日本各地で、羽衣伝説としてさまざまに形を変えて伝承されることになる。ただし他の地域では和奈左夫婦のような惨(むご)い老夫婦は出てこない、あまりに人でなし過ぎるので話の筋を変えられたのであろうか。

 そして真奈の造った不老長寿の霊薬も幻となってしまった。

 景行三五年初冬、小雪が舞う中、タケル達は懐かしい磯の匂いに胸が躍っていた。ここは近江の伊香(いかご)の小江(余呉(よご)の湖(うみ))。琵琶湖に成りそこなった、北に在る小さな湖である。

「おい三太夫、あの鳥は何だ、鷺(さぎ)か」

「主、あれは鵠(くぐい)(白鳥(はくちょう))で御座る、見たことがなかったですかな。豊国(とよくに)で聞いたことが御座ろう、弓で射たら白鳥(しらとり)が餅に成り、さらには里芋に成ったという、その白鳥(しらとり)で御座る」

「ああ、思い出した、あの鳥か。ずいぶんと大きい鳥だな、しかも実に綺麗で優雅に泳ぎおる、美しいのぉ」

「左様で御座いますなぁ。寒いところが好きな鳥でしてな、雪が良く似合います」

 優雅に泳ぐものもいれば丹頂のように羽を羽ばたきあって、鳴きながら水を掛け合っているものもいる。

 舞う如くに泳ぐ鵠を見ながら、別れたばかりの真奈に思いを寄せるタケルであった。後世この地でも羽衣伝説が語り継がれることになる。奇しくも真奈の初めの名前は与五(・・)であった。鵠の姿が天女に見えたものであろうか。

 琵琶湖の畔(ほとり)に出た二人は東岸沿いを南に向かい、ようやく近江の日野の屋敷に戻ってきた。八年ぶりで家臣達に再会したのである。三太夫も家族に再会した。年が明けるまでここで過ごし、年賀の挨拶を兼ねて帝に報告に向かうことにした。


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