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黎明のまほら~アルテミスの祈り  作者: 葵しん
第五章、丹 後 変
52/109

     六の三

 大広間に集まった磯砂衆のがやがやと言う話声が回廊に響き渡る。火の手はまだだいぶ先のことではあるが、木の崩れる音などはしばしば響いてくる。巫女の言った通り、悪い予感が的中し、足取りの重い頭の磯砂は、皆に重大な決定を告げるべく広間へと通じる回廊を歩いていた。

 小女郎の仕出かした罠は戦わずに済む機会を失う結果となったが、磯砂は咎めてはいない。倭に降ったとしても、その大半の者は危険人物として磔になることだろう。助かるのはごく一部の者と見るべきである。磯砂には丹後族の意地にかけても倭に降ることなど考えてもいない事だった。

 扉の前で一つ深く溜め息をつき、いつもの貌を取り戻し、すうっと引き戸を開けて中に歩んだ。そして中央に据えられた床几に腰掛けたが、皆のざわめきは治まらぬ。頭の入ってきたことに気付いていないのだ。

 やむなく磯砂はポンポンと響くように手を叩き、ひとつ咳払いをしてから、

「皆の者、静まれ」

 と制した。

 皆が気が付き、ようやく静粛が戻った。

「さて、皆の衆、状況は分かっていると思うが、改めて言っておくと、造の兵は事もあろうに山に火をかけよった。事は急を要する、どうするか皆に意見を聞きたい」

 ましらの小女郎が立ちあがり、

「東の山を登って逃げましょう」

「あほぬかせ、絶壁の壁があるわい、それに登り口は南東じゃ、既に押さえられておる」

 と、すぐに水を差された。

「西の岩山の脇に穴を掘って抜け道を作ってはどうです」

 野猪(やちょ)の完多が言った。非常時は猪部隊の隊長であるが、普段は猪の飼育係である。

「今から穴掘りして間に合うかいな、火はもうそこまで来ているのだぞ」

 皆は忽ちしゅんと静まり返ってしまった。

 おもむろに磯砂が話を切り出す。

「よいか皆の衆、造の兵は吾らを完全に包囲し、風上に火を付けた、われらを皆殺しにする腹じゃ。事ここに至っては和睦も叶わん。この上は何としてもこの窮地を抜け出て再起を図ろうと思う。一人でも多くの同胞が生き残れる策を講じるのだ」

 こう宣言し、計画を話し始めた。・・・


 第二部隊、西の岩山のすぐ南脇の区画でタケルと三太夫は敵を待っていた。

 敵が現れることも無く、皆がすっかり気が弛(ゆる)んでだらけてきた時分に、火の手が見えた。造が事もあろうに山に火を付けたことは、この第二部隊全員の知るところとなっていた。火は遠くからでも赤々と見えてきたのである。

 一時は皆も狼狽しどよめいたが、ここまで来ては止めようもない。今度こそ来るぞと皆が戦々恐々と構えている。そのさなか、山中(やまじゅう)至る所から、

「ワァー!」

 と、喊声が聞こえてきた。皆がビクッとして慌てて弓を引き寄せ、矢を番(つが)える。

 すると突然西の一角から、

 ドドドドドド・・・

 と、獣達が群れをなして飛び出してくる。狐、野鼠、兎、鹿、猪、猿など、まだこんなに残っていたのかと思うほどの様々な獣達である。そしてよく見ると、その後ろから黒っぽい草色の上下を着た人間達が猪に跨(またが)って疾駆してくる。

 獣達はタケル達の居る西端を目掛けてきた。タケルも弓を構えて待った。

 忽ち獣達は目の前で、

 ドドドドドド・・・

 と地響きをあげて空堀に落ちて消えていく。土埃がもうもうと立ち昇る。中には飛び越えて土塁や鹿砦に激突して絶命するものもいた。

 そして後ろから来た猪猛者が、西部隊の一斉射撃を見て、猪に跨ったまま空堀の手前で急転換した。東に曲って第二部隊中央付近でまた舵を切って森に戻っていく。十匹ほど連なったが皆同じ動きをしている。タケルを始め皆が一斉に矢を射たが、楯を構えているらしく、石の鏃(やじり)では全く効果がない。

 こんな不思議な攻撃が二度続いた。三度めは動物も居なくなったのか、猪猛者の素通りだけだった。

「三太夫、一体あれは何だ」

「さぁて、偵察ですかね」

「んん、分からん。また次が来るぞ、皆、油断するな」

 タケルは檄を飛ばした。獣を利用した妙な攻撃に些か面食らっている。皆も同じ思いで、ただ単に矢を無駄に捨てただけであった。

 すると、また森の中から獣が飛び出してくる。今度は中央付近に塊って走ってくる、猿の群れだったが、タケルの場所からは土埃しか見えない。ここには第二部隊の隊長若狭由良彦が控えている。

 皆身構えはしたが、猿と知って気が弛み、弦(つる)を緩めた。その時、空堀に嵌ると思った猿共が勢いよく跳躍して飛び越え、挙句に鹿砦も、

 ぴょーん(・・・・)

 と飛び越えてきたのである。猿は兵達の頭を足蹴にして過ぎ去っていくのか、と思った途端に牙を剥き出しにして人間を攻撃してきた。見ると、中に女が混じっていて、柄(え)の長い鉞(まさかり)をびゅんびゅん(・・・・・・)振り回して暴れ出した。次々と人の首が飛んで行く。小女郎三姉妹であった。

 由良彦は慌てた。

「これ、皆の者、こ奴らをぶちのめせ、斃(たお)すのじゃ、皆集まれ。敵はここだ、集まって応戦せよ」

 左右を向いて怒鳴り散らした。そして刀を抜いて、

「かかれー・・・かかれー・・・」

 何度も掛け声をかける。

 兵は忽ち中央に集まり出し、槍や鉞の飛び交う修羅場と化した。小半刻を要し、多大な犠牲を出しながらも何とか小女郎達と猿共を討ち取った。味方は五十を超える死傷者を出していた。

 タケルや三太夫は由良彦の命令にも拘らず動かなかった。皆にも持ち場を動くなと叫んだが、指揮権がある訳でもないタケルの言うことを聞くはずはない。西部隊の大半は移動してしまった。決められた持ち場を動けば隙が出来る、時と場合にもよるが戦場では決してやってはいけないことの一つである。

 ほっとしたのも束の間、猿の攻撃に気を取られていた頃、いつの間にか頭上に巨鳥らしきものが現れた。死肉を貪(むさぼ)らんと付け狙う猛禽の如く、第二部隊の修羅場の上を旋回している。十羽いた。

 目のいい三太夫が、

「あれは鳥ではない、人で御座るぞ、磯砂じゃ」

 と、叫んだ。木末(こぬれ)の率いたムササビ隊であった。皆が驚き、矢を射始めるが、西の区画からでは丸で届かない。それどころか、ムササビの木末達は、反対側の東の区画を目指して矢を射始めた。ムササビ共は皆東の部隊に集中攻撃を仕掛けてきたのである。

 隊長の由良彦は今度は東に兵を動かし応戦させ、由良彦自身も東に向かった。

 やがてムササビ共は矢が尽きたのか、急降下してきて地上近くで手斧(ちょうな)を放った。手斧は兵の首筋を引っ掻いて飛んでゆき、通過して舞い上がるムササビの手にまた戻っていく。バタバタ人が倒れる。壮絶な光景となった。行き場を失くした野鼠の大群が、空から舞い降りる十羽の猛禽に、かわるがわる狩り獲られている図であった。

 それでも皆が必死に弓で応戦すると、何羽かのムササビは背に付いている薄板を射ぬかれ、バランスを崩して急降下した。中には遠くまで飛び去って逃げだそうとする者もいたが、由良彦の命令で別働隊が追い掛けた。風がやめば落ちざるを得ない。後詰の第三部隊も控えている。

 多大な被害を受けたがこれも殲滅の見通しが立った。

 その頃手薄になった西側に、森の中から再び猪の群れが襲ってきた。野猪の完多率いる猪部隊である。東に向かった応援のせいで西側にはタケルを含めて数十人しか居ない。

「来たぞ、皆油断するな」

 タケルが叱咤する。

 ドドドドドドド・・・

 と地鳴りをさせて突っ込んでくる。猪が空堀に差し掛かる瞬間、タケルは目を剥いて驚いた、落ちることなくまっすぐ突進してくる。

「不味い、突破された。皆、脇に逃げよ」

 タケルは鹿砦から飛退(とびの)いて弓を構えた。

 ズゴーン!

 と、猪どもは突っ込んできた。柵は木っ端微塵に粉砕された。

 タケルは手前の猪を放っておき、あとから来た騎乗の者を弓で狙う。三太夫は用意しておいた手投げの竹槍を放り始めた。次から次と来る者を立て続けに射落としていった。

 そしてその後、追い掛けるように徒歩の兵が大勢続く、雄叫びをあげて磯砂衆が攻めかかってきた。鉞(まさかり)を振り回す女もいる。タケルも三太夫も刀を抜いて斬って斬って斬りまくった。

 周りの味方は殆んど全滅した、敵はまだ数十はいる。

 そこへ慌てて戻ってきた由良彦の軍がどっと横から分け入り、加勢した。形勢が変わり、とうとう磯砂隊も全滅した。

 逃げ散ったものも第三部隊の後詰めに駆逐され、生き残りは何人おる事か。壮絶を極める稀に見る激戦であった。磯砂側には若い女や年寄りや子供もたくさん戦死している。

 巧みな陽動作戦で西から攻め始め、次第に東に敵兵を移動させ、手薄になった西に風穴を空けて逃げるというものであった。初めの猪の群れは空堀を埋める作戦だったようで、誰も気付かなかったが、騎乗の者もどうやら砂の袋を空堀の中に撒いて通り抜けたのであった。空を飛んだり、獣を巧みに誘導して使ったりと、今までに見たこともない戦いぶりだった。

 日差しは西に傾きだした、山の火はまだ半分を過ぎたところである、数日燃え続けることだろう。貴重な山と尊い生命が夥(おびただ)しく失われてしまった。

(磯砂達の生きることに必死な姿は称賛に値する、見事であった)

 タケルは感動していた。

 しかし、戦い終わって、タケルにはどうも腑に落ちないところがあった。

「磯砂衆には年寄りや女子供がいやに少なく感じてならないが、三太夫、どう思う」

「そうですな、年寄りや女子供は最後の突撃の中にいたはずですからな、少なかったですな。まだどこかに潜んでいるのでしょうか」

「磯砂は討ち取ったのかな」

「さあて、磯砂を見たことのあるものが居ませんからねぇ」

 第二部隊長の若狭の由良彦は戦後処理を命じた。戦死者を一堂に集め、敵と味方に分け、敵側は空堀の前にずらっと並べられて生き残った敵の女に首実験をさせて回った。頭の磯砂は最後の突撃隊の中に居た。味方の戦死者は東端に運ばれ、塚を築いて埋葬された。中央付近では負傷者の手当が進む。負傷者の中には磯砂衆も含まれている。


 アルテミスはふうっとため息を吐いた。たった一日のうちにあれほどの人や獣達が死んでいった。人間とは何と愚かで残酷な生き物だろうかと、今日ほど痛感した日はない。

「終わったわね、ハデス・・」

 しばし放心状態のアルテミスである。

「戦(いくさ)とは残酷なものですね、われわれの先祖もこういう過程を経て成長したのですから、しっかり勉強して下さいよ、アルテミス様」

「そうね・・あれ、タケルったらどこに行く気かしら」

 アルテミスは森に行こうとするタケルに気付いて、立ち上がった。

「ちょっと、タケルに三太夫、そっち行っちゃだめよ、もう終わったのだから戻って、戻りなさいってば」

 と叫んだ。

 ピクンとタケルが反応し、東南の空をじっと見上げ、アルテミスの方角を見つめた。もちろんはタケルからは遥か彼方のアルテミスが見えるはずはないが、アルテミスには確かにタケルの刺すような視線を感じた。

 酷く長く感じたがほんの一瞬であった、すぐにタケルの視線は森の中へと移った。


 タケルが何かを感じたのは事実だが、引き返すことはなく、まだ燃え残っている森の中に入り、歩き回った。

「主、火が回ってきますから、危ないですぞ」

「んん、それはそうなのだがな・・」


「駄目だってば、戻りなさい」

 アルテミスはなおも叫ぶ。

 しかし、最早タケル達はアルテミスの言葉には反応しない。


「やや、これはなんだ、三太夫」

「どうしなすった、おや、これは穴ですな。ははあ、ここから逃げようとしたんですかね」

「そうだろうな、しかし・・」

 と、タケルが中に入ろうとした時、キラッと刃物が振り回されて、慌てて首を引っ込めて躱した。

「誰だ」

 タケルが叫んだ。

「吾は野猪(やちょ)の完次だ、入ってくる者は斬るぞ」

 鉞(まさかり)を構えて入り口に立ち塞がった。野猪の完多の弟である。

「そうかここに隠れておったのか、まだ穴は貫通していないようだな」

「余計なお世話だ」

 実は穴はひと月近く前から磯砂の命令で掘っていたのだが、この時代は道具も木か竹、あるいは石であって、硬い山肌など中々掘れるものではない。未だに百メートルも掘れていないのであった。人の居ない所に出るにはあと五百メートルは掘らねばならない。

「穴を通って外に出ても、後詰めの者に捕まるぞ、皆殺しにされてしまう。もう戦いは終わった、磯砂も死んだぞ」

「何・・・お頭が・・口惜しや。それならば吾らもここで死ぬまでじゃ、かかって来い」

「やめよ、もうたくさんじゃ、吾はもう血を見たくはない。もうじき火が回るゆえ、ここには人は来ないだろう。その中で火を防げるのか」

「ああ、それがどうしたのだ」

「なれば、あすの朝には火も廻り尽くし、この辺は灰となる、暗いうちなら逃げだせるであろう、こっそり逃げるがよい。間道は駄目だぞ、後詰めの部隊が見張っているからな。人の通らないところを行け」

「な、何ゆえわしらを助けるのだ。汝(おの)れは何者だ」

「吾は倭のタケルという者だ。人の命は尊い、ましてや汝(おこと)らの戦いぶりには胸を打たれた。生き延びてその血を絶やすでないぞ」

「ヤ、ヤマトタケル・・・何と、あのヤマトタケルの命と・・・おおお、有り難や、有り・・」

「まあよい、分かったから、岩を寄せて穴を隠してさっさと奥へ行け。われらは少し細工をしておくでな、木々を少し刈り取って火が入口に来ないようにしておく。達者でな」

「はい、有り難う御座います・・」

 野猪の完次は涙ぐんでいる。

 こうしてタケルと三太夫は穴の周りの木々や草を切り払ったあとで部隊に戻っていった。中には穴掘り部隊の数人を除いて、年寄りや女子供が殆んどであった。


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