四の二
この頃の立合といえば当然真剣であろう。木刀や竹刀などという習慣はない。勝ち負けが分かった瞬間に寸止めしたものである。腕が未熟だと斬りあいになってしまい、極めて危険であった。
「いざ」
先にタケルが刀を抜いて正眼に構えた。
これを見て、卒倒しそうなほどに目を剥いて驚く出雲タケル、一体どうした事か。うろたえる心を気取られぬように、そっと刀を抜こうとしたが何故か抜けない。
(ええい、あ奴め、しくじりおって、刀があべこべではないか)
「ま、待った」
出雲タケルは右の掌を広げて制止すると、
「ヤマト殿、どうかな、この間見せてもらった汝の刀、ひとつ吾に使わせてはもらえまいか。わが愛刀も隠岐の刀工に作らせし業物じゃ、お互いに交換といこうではないか、のぉ」
「はぁ・・・宜しいですが・・」
タケルは刀を鞘に納めて、腰から鞘ごと太刀を引き出して差し出した。
出雲タケルも、太刀を差し出し、交換した。そして腰に差しながら下を向き、にやっと不敵に笑ったかと思うと、いきなり刀を抜き放って、
「えやぁー」
と、上段から斬り下げてきた。
驚いたタケルは慌てて刀を抜こうとしたが、何故か抜けず、
「おやっ」
と思って、両手で腰から鞘ごと抜いて何とか鋭い一撃を掃い返した。
またしても出雲タケルは動揺した。そして眼をひん剥いて、狂ったようにタケルの頭を狙って刀を打ち下ろしてくる。
バキバキバキ
と、火花が飛び散りそうに打ち込んでくる。
(くっ、何という気迫だ、このままでは斬られてしまう、兄上は寸止めする気がなさそうだ・・幸い鞘入りの刀だ、鞘でならよいか)
そう思い、タケルは何とか一手だけ大きく刀を跳ね返して、出雲タケルの胴を鞘付きの刀で斬り殴った。
「うっ」
と言って、出雲タケルは腹を押さえ、蹲った。
本当はここで勝負あった筈である。
この時、俄かに掻き曇った空に、稲光が走った。轟音が鳴り響き、ぽつぽつ雨が落ちてきた。
立ち上がる出雲タケルの頬に雨の雫がほとばしり、目を吊り上げて悪鬼の如くの形相でタケルを睨む。
すかさず、吠えながらめちゃめちゃに斬りかかってきた。
上段、下段、中段とどこからでも刀を振ってくる。
「兄上、兄上、ちょっと待って下され、ちょっと・・・」
叫びながら必死に躱すタケルであったが、雨音に掻き消され、出雲タケルには通じていない。
その時、突然、
パチン
と鯉口が切れ、鞘が割れて弾け飛んだ。
一瞬タケルの脳裏に兄大碓の断末魔の様子が蘇る。
途端に喚き声を上げて上段から出雲タケルが斬り下ろしてくる。
タケルは眼を瞑って、
(兄上!)
と、心で叫び、体を躱した。ところが、弾みで、
スパッ
と、刀を横に払ってしまった。
「ぎゃっ」
と言って、出雲タケルは倒れ込んだ。
さーっと背筋に悪寒が走り、がくがく震えだすタケルは、
「兄上・・」
思わず振り返って叫んだ。
車軸の雨の降る中、胴は真っ二つになって、うつ伏せに転がっていた。
驚いた家来二人が、
「おのれ御子様の仇」
と、罵りながらタケルに掛かってきたが、一人は脇から飛び込んだ三太夫に脳天を鞘付きの剣で叩き割られた。もう一人もタケルに肩から斬り下げられて朱に染まった。
一瞬にして修羅場と化した浜辺で、三つの骸から出る血汐を、土砂降りの雨が洗い流す。
しかし、にわか雨のようで、心なしか空が明るい。
鳥肌を立てて肩で息をしているタケルは何が起こったのか分からない。
「三太夫、これは一体どうしたことだ。どうして出雲殿はあんなにむきになって・・」
「主を騙して、殺そうと企んでおりましたようで」
「何だと、どういう・・」
不意にタケルを制して懐に手をやる三太夫が、すかさず屈みこむように後ろを向きながら小刀を放った。タケルも一瞬早く屈むが、頭上を矢がぴゅうと掠めた。
「ギャッ」
と言って、葦原の陰で男が倒れた。最前何か物色していた男であった。
三太夫が男に駆け寄り、脈を見て、すかさず脇腹に刺さった小刀をぐいと捻りながら抜き取った。辺りの気配を覗い、ほっとして戻ってくる。
「三太夫、あいつは誰だ、どうなっている?」
「はは、これで御座います」
三太夫はたった今しがた家来の頭を割った刀をタケルに渡した。
「われらが泳いでいる時に、隠れていたあの者が何か物色しておりました。不穏な奴と思って調べてみると、主の太刀がこの剣に変わっておりました。主の鞘と同じ、赤櫟の木で作った木剣で御座る。わざわざ鍔まで付けて、重さも芯に砂鉄を詰めて同じくらいにごまかしてあります。さてはと思ってわいの刀を出雲殿に、主の刀は主の方に戻しておきました。わいの刀と主の刀は一緒に作ったものやで、瓜二つで御座いますからな」
「何て事だ、そうだとしたら出雲殿は初めから吾を殺す気でいたということか。しかし三太夫の刀はなぜ抜けなかったのだ?」
「わいがちょっと仕掛けをしておいたので御座る。ちょっとの事では抜けないようにと鞘を金具で結わい付けておきました。主が上手く峰打ちすれば出雲殿も気絶するぐらいで済むかと思いましてな」
「そう言うことか、迂闊だった。鞘がぼろぼろになる前に少し強く叩いていればよかったのか。どうりで出雲殿は刀ばかり叩いてくると思った、木剣ごと吾を叩っ斬るつもりだったのか。ああ、詮無い事をした、なにゆえ斯様な事に・・・」
天を仰ぐと、雨はもう小やみとなっている。刀の血は雨ですっかり洗い流されている。
タケルは無残な姿と化した出雲タケルの屍に近づき、自分の刀を取り上げた。
「おやおや、こんな刃毀れだらけになってしまった。三太夫、汝の刀の鞘もボロボロになっておるぞ、ははは・・・ともかく戻ろう、たこ島の宿禰に問い質したい」
現在では鞘はおもに朴の木が良いとされ、木刀には赤樫や白樫が良く使われたが、タケルの場合は、纏向の自邸に育つ大きな櫟の木の枝で作っていた。樫の木のように硬い材質で、纏向にはよく生えていたらしい。
出雲タケルの屋敷に戻ると、タケルは門番を突き飛ばして気絶させ、靴を履いたままどかどか上がって行って、出雲タケルの謁見の間に入った。
「誰か在る!」
大音声でタケルが叫ぶ。
女丁とお付きの仕丁が慌てて出てきた。三太夫はタケルの側で周りを警戒しながら、片膝ついて控えている。
「んん、汝れら、たこ島の宿禰殿をこれへ呼べ、今すぐにだ」
泡を食った二人が飛んでいく。タケルは大きく開いた窓の側によって木刀を床にトントンと打ち付けながら西日の彼方を見つめている。
しばらくして廊下を転げるように音を立ててやって来るたこ島の宿禰が目に入った。
ギロっと睨んだタケルは、たこ島の宿禰に近づき、木刀で指し示しながら、
「長老殿、出雲殿の謀反はその方の入れ知恵か、どうだ?」
と、凄んだ。
「ええっ?」
驚いたたこ島の宿禰は、後ずさりした。後ろで立て膝姿の三太夫が、左手に壊れた鞘を握り、右手に抜身の刀を柄を逆手に持って膝の前で床板にゴツンと突き立てた。たこ島の宿禰はびくりと震えた。
「あ、あの、一体どういうことで御座いましょうか?」
たこ島の宿禰は恐れ慄いた。
「三太夫、話してやれ」
タケルは三太夫を促した。
三太夫が立ちあがり、タケルの方に少し近づきまた片膝ついて、一連の出来事を語って聞かせた。
・・・
たこ島の宿禰は青ざめてその場にへたり込んでしまった。タケルは、出雲タケルが作った木剣をガランと投げだした。
たこ島の宿禰がビクンと震えた。
「それに見覚えはないか?」
たこ島の宿禰は怪訝な貌をして木刀とタケルを交互に見返す。
「本当に汝は知らなかったのだな、確かだな?」
「え、ええ、大変申し訳のない事を致しました」
神妙に床に座り直して、たこ島の宿禰が語り始める。
「主の出雲タケルの君は、本当かどうかも分からない言い伝えを信じて、日頃から遠い昔の出雲のことばかり話しておりました。どうしても御先祖様が倭に受けた恨みを忘れる事が出来なかったので御座います。わたくしは口が酸っぱくなるほど時代が変わったことを教え諭したつもりでした。こんなことが起きる事を恐れていました。出雲の民には何の罪も御座いません、何卒お許しを頂きとうお願い申し上げまする」
目を充血させて、涙を溜めて訴えるたこ島の宿禰に、真実を見たタケルは、
「相分かった。不幸にして出雲殿は亡くなった、亡骸の後片付けを命じるがよい。けっして不穏な事をするでないぞ、長老が取り鎮めるのだ。終わったらまたここに来よ」
「ははーっ」
たこ島の宿禰は平伏し、慌てて退出していく。
後に残った二人はしばし茫然として見つめあった。これから何が起こるのかと、思考が頭の中で目まぐるしく回転している。
「三太夫、どうなるかな。下手をするとここがわれらの死に場所になるかも知れんぞ」
「如何にも。そんな刃毀れの刀では持ちませんぞ、逃げた方が良くはありませんか」
「馬鹿を申せ。逃げるなら出雲タケルを斬ったそばからそうすべきだった。治めに来たのにこそこそ逃げたでは、帝の顔に泥を塗る事になる、吾は決して逃げんぞ・・・おお、そうだ、隣りの部屋の刀架に掛けてある刀、あれを頂こう」
と言って、玉座の間の東隣の調度が並んだ部屋の方につかつか歩いて行った。十本からの刀が掛けてある。いずれも出雲タケルが造らせた業物である。
「なるほどのぉ、さすがに出雲殿だ、よい刀ばかりだ。われらのよりずっと優れているぞ」
タケルは一本ずつ抜いてみては日に翳したり、素振りをしたりして確かめている。
「よし、吾はこれにする、三太夫、汝にはこれをやる」
ポーンと三太夫に刀を放った。
まだまだ血を見ねばいけないかと覚悟を決める二人だった。
出雲国はにわかに騒然となった。この意宇の屋敷街には、造家の一族や豪族達の屋敷が並んでいる。明日行なわれる土手の竣工式のため、地方の豪族達も意宇の自邸に泊まっていた。知らせを聞いて皆がたこ島の宿禰の屋敷に集まってきた。
ヤマトタケルに御子様が騙し討ちに遭って殺された、そう言う噂が出雲国の造家一族の間に流れた。噂というものはとかく悪い方に変化して流れて行くものである。騙したのは出雲タケルの方なのにすっかり逆に転嫁していた。
たこ島の宿禰は主出雲タケルの亡骸を片付けさせて、一族を集めて事件の経緯を話し、ヤマトタケルの裁きを待つようにと言って聞かせるつもりだったが、皆が興奮して治まりが付かなくなった。
あたふたと出雲タケルの屋敷に戻って、タケルの前に参じたたこ島の宿禰が、
「ヤマトタケル様、タケル様、一大事で御座います」
と、蒼白な貌をして入ってきた。
「おお、どうした長老殿?」
「あ、あの、一族の者を集めて事情を話しましたところ、計られたと言っていきり立つ者が騒ぎ出して、どうにもわたくしでも収拾が付かなくなりました。この上は、一刻も早く御退転頂きたく存じます。この屋敷の裏にわたくしの家来三名が控えておりますれば」
やはりそんなに甘くはないかとタケルは思った。
「ははは、馬鹿を申せ、ここで逃げては何を言われるか分からん。長老殿、皆の集まっている所に案内せよ。吾がよく分かるように事情を話して、説得して遣わす」
「で、ですが危険で御座います」
「構わん、案内致せ」
「は、ははぁー」
たこ島の宿禰は恐懼して九拝した。
タケル達はたこ島の宿禰の屋敷へと向かった。家来三人も槍を持って一緒に付いて行く。
屋敷には出雲国の造家の一族と豪族達数十人が集まっていた。門前まで、ガヤガヤと喧騒が聞こえてくる。
「長老殿、屋敷の出入り口は裏と表一ヶ所ずつだったな」
「はい左様で・・・」
「よし、では裏に大塚丸ともう一人回れ、前は三太夫と残りの一人だ。逃げだして来る者がいたら槍を突き付けて屋敷内に追い返せ。逆らう者は直ちに討ち取れ、兵を集められては戦になってしまうからな。では掛かれ」
直ちに大塚丸らがばらばらっと走り去った。
「長老殿は吾と供に来い」
「はぁ、ですが、あの、ヤマトタケル様、入って行くのは危険なのでは御座りませぬか」
「入らねば話が出来ぬではないか、吾は話し合いに来たのだぞ」
「わ、分かりました」
たこ島の宿禰は、不安そうにビクビクしながら付いて行く。




