四の一
四
梅雨に入り雨の降る中、タケル達は田植えの見物に出掛けた。この時代中々低地には田を作れない、殆んど棚田である。畦を石垣で固めた不規則な形の田が山の上に向かって連なっている。山の中腹からは湧水がちょろちょろ流れ、人々の営みを助けていた。
そんなある五月晴れの日、ひょっこり出雲タケルが現れ、顔を出すなり、
「川遊びを致そうと思ってな、付きおうて下されや」
初めて会って以来の久々の再会である。
早速中海の港に向かう。出雲タケルは護衛役の仕丁を二人連れ、タケルは三太夫を連れている。公務の時とは丸で異なり、出雲タケル達三人は袖口や裾をすぼめた水干に膝丈の褌、腰に太刀を穿くという出で立ち。タケルと三太夫はいつもの着込み姿である。
どこへ行くのだろうと思っていると、中海の船着場から舟は宍道湖に入り、そのまま葦原を縫う西の肥河の河口を目指している。当時肥河は三筋に分かれて湿地を流れ、一本は神門水海に、残りの二本が宍道湖に注いでいる。その一番南側の幅の広い川筋である。
「ヤマト殿・・」
出雲タケルは、やや言いづらそうに、
「その、弟と呼んでも構わないですかな?」と訊ねた。
「は・・ええ、兄弟なのですから当たり前です。弟と呼び捨てにして下さい」
努めてタケルは明るく答えた。ものの弾みで兄弟の契りなどを結んだことを、今では幾分後悔しているようだ。
「相分かった。それでは、弟よ、この川はな、出雲国にとって、とても大切な川なのじゃ」
出雲タケルは右手を伸ばし、半円を描くように振り、
「見て下されこの葦原の広さを、川がこの中を暴れますのじゃ。この川は恵みの川だが、被害ももたらす。それじゃによって、ほれ、南を見なされ、湿地を囲むように土手を築かせたので御座る」
湿地帯の縁に長々と東西に走る高さ三間ほどの堤が見える。西の端が霞んで見えないほどに長い。築いていることすらタケル達は知らなかった。
「へぇー、驚きました、大工事ですね」
タケルは目を見張った。
斯様な大工事をやってのけるとは、大した政治力である。尤も、殆んどはたこ島の宿禰が督励したことであろう。事に依るとこの工事の立会のために出雲タケルは不在だったのかな、ともタケルは思った。
「なに、これは先代の頃からの工事でな、吾の業績では御座らん。先日ようやく西の端まで出来たのでな、今日はその出来栄えを見物し、ついでに水遊びでもと思い立って、誘い申したので御座る。明日は皆を集って完成披露をやろうと思っております」
舟は河口の中に静かに滑っていく。しばらく行くと葦原の中に砂州があり、その南側に筏のような桟橋があった。仕丁の一人が竿を操り、舟を桟橋に横付けした。皆は舟を降り、湿地を巡らせた板敷きの道を南に向かう。道は土手の縁で尽きた。
台形上の土手を登りきると、葦原が北側に広がり、ゆるやかに蛇行する肥河が見えた。
「弟よ、この肥河の欠点はな、塩辛いことで御座る。神門水湖と繋がっているから、海の水が混ざるのじゃ。ただ、この一番南端の川筋だけは神門水湖と繋がらないから真水なのじゃ。この水を引いて米を造ろうと思いましてな」
「大掛かりですな、さぞ民も喜びましょう」
三太夫が感心した。タケルも驚いて、
「兄上、これは御先代が考えなさったことですか?」
と、問いかけた。
「いや、ずっと前から、遥か昔からこの川を使えないかと、叫ばれてきたことなのだ。昔から物を運ぶ川としては使っていたが、それ以外にはあまり役に立たん。服を洗えば赤くなるし、塩辛くなくても飲むことすら出来ん。ただ、作物を育てるにはこの水が使えると分かったので御座る、たこ島の長老が考えましてな、ははは」
「なるほど、黒鉄ですな」と、三太夫。
「よう御存知ですな。左様、この上流に鋼の元となる粗金の採れる山がありますのじゃ」
「粗金ですか、中国には粗金や砂鉄の採れるところが多いようですね」
タケルは相槌を打った。
「左様で御座る・・どれ、そろそろ川に入ろうではありませぬか」
出雲タケルは皆を促し土手を西に向かって歩き始めた。東側の土手は既に草茫々で、かなり前から築堤に取り掛かっていることが分かる。
タケルは出雲タケルの話を聞くうちに、たこ島の宿禰が話してくれた出雲タケルの印象とはだいぶ違う感覚を持ち始めていた。物言いも至って謙虚な様子で、偉ぶるところもない。不吉な予感がしていたのは気のせいではないかと思えてきた。
やがて、葦の茂みを分けるように板敷きの小道が見えてきた。先導の仕丁がその小道に降りて行く。皆も続いて青々と背丈ほども育った葦の茂みに入っていった。
出雲タケルが前方を指差して、
「この先をまっすぐ行くとまた別の渡し場になっている。河原はこっちじゃ」
そう言うと、先導の仕丁に続いて右に折れた。
途端に、絶叫のような喚き声を上げながら、水鳥達が、
バサバサバサッ・・・
と飛び立った。一瞬皆の足が止まり、背筋が凍えた。
「兄上、今の鳥は一体何で御座ろう、酷い鳴き声でしたが」
タケルが問いかけた。
「ははは、意外に憶病で御座るな、弟よ。ただの水鳥じゃ。われらが急に現れたから驚いただけですわい」
先を促す出雲タケルであったが、幾分声に震えが混じった。
すぐに板敷きが途切れ、やや地面が盛り上がった枯れた葦の積み上がった道に変わった。疎らに茂った葦の根元には、昨年にでも枯れた葦の葉であろうか、乾いた藁のように散らばっている。葦を透かして前方には砂浜が見えた。
すると、突然、
「むっ」
と言って、三太夫が立ち止まった。
お陰で、最後尾の仕丁が三太夫にぶつかってしまう。
「ああ、これはすまんことをした、急に立ち止まって悪かった」
「どうしたのだ、三太夫」
タケルも振り返る。
「どうかしましたかな」と、出雲タケル。
「いえ、何でもありません、ちょいと躓いただけで」
三太夫が応えた。
皆は拍子抜けの貌をしていたが、すぐに元に戻って、
「おお、ここだここだ。ここに吾は良く泳ぎに来るのじゃ。汝らも存分に泳ぐがよいぞ。さあ弟よ、泳ぎましょうぞ」
出雲タケルは腰刀を抜き、枯れ葦の茂みに置いて手早く服を脱ぎ始めた。すかさず短褌ひとつでワァーと叫びながらうっすらと盛り上がった砂浜を駆け抜けていく。負けじとタケルも、急いで服を脱いで川に走って行った。二人は前後して、
バシャバシャッ
と、転げるように水の中に飛び込んで行く。年甲斐もなく無邪気な様子。
夏も近く、水は既に暖かい。肥河は水深が浅く背の立たない所は真ん中辺の幅九メートルぐらいで、全体の幅の三割ほどである。
砂州が盛り上がって、水辺からは着替えの場所が見えなかった。皆はばしゃばしゃと水かけをしたり、対岸まで競泳したりしていた。さすがに水に慣れているのか、出雲タケルは泳ぎが上手で、タケルは大きく引き離されてしまう。
その頃、三太夫ものんびり水に潜ったり、回転したりしながら泳いでいた。しかし、目だけはくるくるとあちら、こちらを捉えている。やがて二人の家来の目に入らない所に来ると、水に潜って岸辺に向かって泳いでいった。
三太夫はあの時、ふと茂みで人の気配を感じたのであった。他の者では気付かない、三太夫の特殊な鼻のお陰であろう。誰かがこっそり葦原に潜むなど、どう見てもおかしいと思ったから確かめに来たのである。
三太夫は砂州を回り込んで、着替えの場所に向かった。近くまで来てそっと覗き込むと、案の定見知らぬ男が何かを物色している。追い剥ぎかとも思ったが、その割に身なりがいい。どうも出雲タケルの家来に思える。三太夫はこれ以上何かされても困るので、わざと声色を使って彼方から聞こえたように咳払いをした。男はびくっとしてすかさず葦原の中に立ち去った。じっとその姿を目で追って、
(何だあいつ・・・こりゃあ、何かあるかな)
三太夫は男の気配の消えるのを待ち、着替えの場所に行った。
(一体あいつは何をしていたのじゃ・・)
三太夫が調べ始めた。
(やや、これは?)
三太夫が何かに気が付いた。
やがて三太夫は、素知らぬ顔をして仰向けになって水に浮かんでいる。辺りはまだタケル達の懸命にはしゃぐ声が聞こえている。
競争して陸に戻ってきた出雲タケルが得意げに胸を張る。タケルはまだ水の中で喘ぎながら横泳ぎをしていた。
「泳ぎでは吾の方が上で御座るな、はっはっは、弟よ、もちっと頑張りなされ」
これを機に皆が上がってきた。まだ初夏である、水から上がると幾分寒い。気のせいか天気が変わり始めているようだ。皆は気付かなかったが、この時北の山並にはもくもくと雲が立ち昇ってきていたのである。
出雲タケルの家来が浜辺に落ちている木屑や枯れ蘆などを拾い集めて火を焚いていた。そこへ串刺した魚に塩を振って、並べて焼き始めた。串は青い葦の茎である。あらかじめ決めていた出雲タケルの持て成しのようだ。
皆で火を囲み、体を乾かしている。
「んーん、いい匂いですね、鯖ですな、涎が出てきましたよ」と、タケル。
「ははは、水練もしたし、そろそろ腹の減った頃だと思いましてな、獲れたてで御座るぞ」
出雲タケルは得意げに言った。
「いつの間に獲ったのです?」
「この者達も泳ぎは得意でしてな、泳ぎながら、網を使って獲らせたのですわ。ああ、よく焼けたようですな、弟よ、ささ、どうぞ。皆も食べようぞ」
「これは忝い、兄上、遠慮なく戴きます」
タケルは串を受け取り、一口頬張った。
「うーん、これは旨い、最高ですねぇ」
こうして皆で中食を取り、そのまま砂浜に横になって昼寝となった。
・・・
半刻ほどして、皆が着替えた頃、出雲タケルが、
「どうで御座る、ヤマト殿」
と、急に改まった。
「腹ごしらえも出来たところで、ひとつ立合を願えませぬかな。吾も些か腕に覚えが御座いますゆえ、噂のお人と腕試しをしてみたいので御座るが」
「は? はぁ、宜しいですが、わたくしは未熟者ですので、兄上の相手が出来るほどでは御座いません、御勘弁下さい」
タケルは戸惑って三太夫の貌色を覗った。三太夫は下を向いて無表情であった。
出雲タケルも気になったのか三太夫をちらりと見ながら、
「そう言わずに、是非お立合を願います」
と迫った。
「まあ、それほど申されるのならば、一手だけお相手仕りますか」
タケルは已むを得ず受けて立つことにした。仕丁達や三太夫がささっと広がると、三メートルほどの間をおいて二人が対峙した。




