二の一
二
「言っとくがな、この大多良坊っちを見たもんは、目が潰れ干からびて萎んで死んでしまうということじゃ、誰も助からねぇ」
馬路爺は急にタケル達に顔を寄せ、声を荒げた。
「だから見ないように戸締りしてお祈りしながら寝ちまうのじゃ。でかい声など出して、もしも国神様に聞かれたらどうなる事か」
さも尤もそうな顔をして語る馬路爺であった。
タケルは不思議な感覚を覚えて、口を開いた。
「おいおい、馬路爺さん、今の話に出てくる大多良坊っちを、以前夢で見た気がするぞ」
「主、穴門で夢にうなされた時では御座らぬか」と、三太夫。
「そうだ、あの時見た夢だ、大多良坊っちが海から上がって来て、どでかい剱を振り回し、山の木々を薙いで歩いていた。山奥まで来たところで、谷に剱を突き刺したのだ」
「お若いの、なるほど確かに似ておるのぉ、不思議じゃな」
「正夢ってやつかな」
タケルは不安になった。
「そうかも知れんのぉ。だから、じっとして籠っていれば何事もないのじゃ」
と言って、馬爺は酒をあおった。
「ふーん、どっちも不思議な話だが、でもなぁ爺さん」
三太夫が横やりを入れてきた。
「見た奴が皆死んじまうってのに、なんでその姿やなんかを知っているのだろうね」
「阿呆やな若いの、誰もすぐ死ぬとは言っとらんわい、見て数日は生きとるそうじゃ。わしゃな、一度見せてもろうた事があるだよ、その死骸をな」
「へぇ? 死骸を?」三太夫が驚いた。
「そうだ、わしと同じくらいの体躯つきだった者が、こんな赤子ぐらいに縮んでしまった」
馬路爺は大きさを示すごとく一尺ほどの幅に両手を広げた。
「へー、それは奇妙な話だ。吾もその死骸とやらを見てみたいものだな、どこにあるかねその死骸は」
タケルが割り込む。
「馬鹿言わねぇでくれろ、とっくに埋葬しただろうに」
「ああ、そうか・・・最近死んだ者はいないのかね」
「聞かねぇな、みんな噂知っとるだでな」
「どうも訝しいな、大多良坊っちが夜な夜な山から下りてきて徘徊するなんぞというのは、どうも引っ掛かる」
タケルは怖かったあの夢はきっと何かの暗示かもしれない、今日のこの事と関係があるかもしれないと思った。
「お若いの、悪い事は言わねぇ、たとえ噂や嘘でも、触らぬ神に祟りなしじゃぞ」
「うむ。おお、地鳴りが治まってきたな、明日も来るかな」
タケルはまだこだわっている。
「そうだな、まだ一日目だ、来るだろうよ、さあ、もう寝ましょうぞ」
「ああ、そうしよう、明日の為に・・・」
タケルは寝床に戻っていく。こうして三人は夜もすっかり更けた頃、寝静まった。
明くる日、タケルは家の者にそれとなく仙の山の場所を訊いて、三太夫と二人でそこいらを散策し始めた。しばらく馬路爺の所に厄介になることにしたのである。
仙の山の登り口にやって来ると、太い丸太を両脇に建てただけの鳥居があって、目の高さに縄が張ってあり、通せんぼしている感じがした。鬱蒼とした竹藪が道を塞ぎ、背の高い木が辺りを暗くし、何か近寄りがたい畏怖を感じさせる場所である。
仙の山は馬路爺の家からすぐ近くだが、琴引山はかなり遠い。佐比売山を間に挟んで、平地に直しても歩いて一日半はかかる距離にある。山ばかりで平地はこの海辺の温泉付近だけである。
この山々の尾根や谷を大多良坊っちがのっしのっしと地響きを立てて歩くという、考えるだに薄気味悪い。
歩きながら三太夫は昨日の寝しなに言ったタケルの言葉を思い出していた。
「(明日の為にか・・あんなに目を輝かせて・・)主、こないな所で道草食ってどうなさるつもりで」
何か不安げな三太夫はいつもの精悍さが消え失せている。
「まさか神の正体を暴こうなどと考えてはおりますまいな」
「当たりだ、よく分かったな、ははは」
「じょ、冗談はよして下せぇ、そない罰当たりな事をして・・見た者は皆死んじまうと言っとるのですぞ、およしなされ、どうか勘弁して下され」
現代とは違って、昔はとかく神仏は恐ろしいと思われていた。明治の頃になってすら神や仏が存在し、河童や山姥などという化け物が実在すると、誰もが信じていたのである。三太夫が怖がるのも無理はない。
「臆病だな、三太夫は、いいよ、吾一人で見に行くから。正夢なのか逆夢なのか、気になるではないか」
「そんな、主になんぞ遭ったら日巫女様になんと言ってお詫びしたらえぇのか。ねぇ、自重して下されや」
「ははは、心配するな、三太夫。だいいち大きな大多良坊っちが歩いたにしては、足跡が見当たらないぞ、木々が倒れていてもよさそうなものだ」
「そ、それはそうやけど、国神様の事やからね、わいら人間には考え付かないこともあるがな。ここはやっぱり触らぬ方が身のためやぞ、お願いやから考え直して下されや」
タケルは笑いながら三太夫の言うことを聞き流している。タケルは常日頃からなんにでも好奇心が旺盛な若者だった。不思議な夢は時折見るものの、夢は夢として捉える。不可思議なものの存在を否定する訳ではないが、実際に見てもいないものを素直に信用することはなかった。そして、臆病にも拘らず、タケルはそういう不可思議な存在がどんなものなのか解き明かしてみたいという欲望を常に抱いていたのである。
この日もタケル達は馬路爺の家に泊めてもらった。夕餉が済んで早くも戸締りを始める家族を尻目に、小用してくると言って出て行こうとするタケルに、三太夫が釘を刺す。
「主、すぐ戻って下されや。くれぐれも神様の正体を見定めようなんて気を起こさんとな」
「いいからお前は先に寝てろ。人の小便の心配などするな」
そう言うと、タケルは外に出て行った。他の者は既に家に入って寝る支度である。
三太夫の心配をよそに、タケルはいそいそと出掛けていった。
仙の山付近までやって来ると、木陰に身を隠して待った。今頃、馬路爺の家では大騒ぎになっている事だろうが、最早外に出る者はいない。
まん丸の月が中天に登るまであと一刻ほどであろうか、月明かりで周りの視界は悪くない。仙の山の鳥居付近は、梟の泣き声と蛙や虫達の演奏会のようだ。
すると突然、
ドドーン!
と、大地が揺れ動くほどの音がした。
来たか、と思ったタケルはさすがに背筋が縮こまり、寒くもないのにぶるると震えた。
辺りは地鳴りの余韻だけになり、蛙達の演奏会は中止となった。静寂が続く。
(おや、おかしいぞ、昨日は三つ息するくらいの間隔だと思ったが、もう十回分も経ったぞ。それにさっきの音はすぐそこだった気がする・・むむっ)
再び大地が震える音がした。しかし、一向に大多良坊っちは現れない。
(どうも変だ、これは足音などではないぞ、何かが落ちたような音だ。まさか雪崩では・・・いや仙の山にはもう雪がなかったはずだ)
三回目の音を聞いた時、タケルは音の正体を調べるために、仙の山の鳥居をそっと潜った。瞬間、体の中を刺すような気が通り抜けるのを感じた、同時に背中の刀を何者かに掴まれた気もして、思わずたじろぎ、柄を強く握り締めた。
(何だ、今のは?・・・三太夫の言った通りだ、ここは普通ではない)
タケルは別世界に踏み入ってしまった事を、今さらながら後悔していた。しかし、タケルは恐怖よりも好奇心の方が優先するたちだった。
(昨夜は確かにでっかい奴が歩いているような音だったが、今宵は同じ所からだけ聞こえてくる。よーし、きっと突き止めてやる)
既に月は中天に懸かっている。
半刻余りも登ったであろうか、不思議な事に途中から道が整備されていて歩き易い。
すると、前方に何か生き物の気配を感じて、タケルはそっと木陰に忍んだ。
(何か居る、足音が聞こえる・・・間違っても大多良坊っちの足音ではない)
地を這うようにして近づいてみた。また鳥居だ、番兵だった。一人長柄を持って鳥居の前を左右にうろつき、辺りをきょろきょろ窺っている。
(神の山の杖刀人なのか・・一体神はこの山で何をしているのだ)
さてどうしたものかと考えていたが、番兵が反対側を向いた隙に、そっと通り抜けてまた茂みに隠れ、様子を窺った。
(どう見ても人間だな、どういう事だ・・・)
タケルは隙を見て忍び足で奥に入って行った。
四半刻も歩いた頃、樹木に囲まれた大きな平屋の建物が現れた。板葺きの穀物倉庫のような建物だが高床ではない。人が入れ替わり立ち替わり出入りしている。
(寒村ばかりと思っていたが、ここには大勢の人が居る。一体どこから人が集まってきたものか。この者達は神の下僕なのか・・どう見ても人間としか思えんがな・・)
タケルはここが別の世界なのか、それとも現実の世界なのか、何が何だか分からなくなっていた。音はこの建物ではなくもっとずっと奥のように感じた。
タケルは気付かれないように身を隠し、隙を縫って音のした方向に移動する。
やがて急角度で切り立った崖が現れた。
(何だ、ここは? 大勢の者が崖の周りで何か作業をしているぞ。石を掻き集めて運んでいるのだな。おや、崖下から人が離れ始めた・・・)
十人ほどの人が崖から離れると、山の上にいる者が木槌を振り下ろし始めた。対面の一人はその振り下ろされる、太くて真っ黒な杭をしっかり地に付けて握っている。よく見えないが金属の杭、おそらく鋼だとタケルは思った。
(ここは神の住む別世界などではない、ただの鉱山だ)
トーン
ひと際力強く叩いた瞬間、二人は後ろに飛退いた。途端に崖が、
ゴゴゴゴゴゴ・・・ドドーン
と、崩れ落ちた。
(音の正体はこれだったか。頂付近の山の薄皮が、叩かれて剥がれ落ちる音だ。何だ、石を切り出していたのか。でも何でこんな夜中にやるのだ。んん、この白い粉はなんだ、この石の削りカスか、こんな石を何に使おうというのだろう)
タケルは隙を見てそっと小さい石のかけらを何個か拾い、袂に入れた。土埃がやんだ頃また人が集まって来て、崩した岩のかけらを麻袋に入れて、天秤担ぎで運び始めた。
採石場を後にして、タケルは先ほどの大きな建物に向かい、篝火や月明かりに当たらないように用心して屋敷内に忍びこんだ。背の高い木が塀のように立ち並び建物を隠している。その木の陰からこっそり中を覗いた。
建物の前庭で二メートル四方ほどの区画が十数ヶ所、二列に木の枠で仕切られている。その区画一つずつに運んできた岩のかけらをどさっと積んではまた石切り場に戻って行く。
事のあらましに納得したタケルはそっと抜け出し、戻っていった。
そして誰も居ない温泉にきて、服の土埃を落とし、ゆっくりと湯に浸かって、思案顔に目を瞑った。
アルテミスは立ち上がり、伸びをしながら首を左右に二、三度揺すった。
「ねぇハデス、これは何を採掘しているのかしら」
「少々お待ち下さい・・・分かりました、銀のようですね」
「銀・・・銀なんて何に使うのかしら」
アルテミスはステッキを握りながら腕組みをした。
「この時代に銀の器なんて、ローマかエジプト、あるいは支那ぐらいでしか作れないわよねぇ」
「はい、そのようです。過去の映像から、ここで採れた銀は海を渡って支那国や韓国に運ばれているようです。そして銀と、衣服や工芸品、器などと交換して戻ってくるようで御座います」
「それってもしかして銀が貨幣になるってことね」
「その通りです」
「へー、お金を採掘しているってわけだ。きっとここの人達、相当豊かに暮らしているのね、お金のなる山か・・・ああ眠い、タケルのお陰でまた夜更かしだわ、お休みハデス」
「お休みなさい、アルテミス様」
仙の山はのちに石見銀山と言われる。石見銀山は世界でも有数の銀山であった。戦国時代から江戸時代にかけて徹底的に採り尽くされて、現在では枯渇してしまった山である。
いつごろ発見されたかはよく分かっていない。
初期の頃は山の表面を見て黒ずんだ所を切り崩して、その岩のかけらから銀の粒を砕いて探す、そういう方法だったと思われる。表面付近には福石といって銀の粒がたくさん含まれる岩が多かったのである。
少し削った後は鉱脈がどこにあるか段々分ってきて鉱脈を直接掘って採掘したようだ。鉱脈の場合は岩石に溶けた形で存在するので、鉄などと同様に精錬の技術が必要となる。無論タケルの頃はそんな知識はなかったであろう。
東の空が白んできた頃、タケルは馬路爺の家に戻ってきた。
外の井戸で水汲みしている息子の女房が驚いて桶を落とし、家の中に掛け込んでいく。
馬路爺と三太夫が血相を変えて飛び出してきた。
「主、大丈夫やったか? 大多良坊っちと出くわさなかったかや?」
「何だ、何だ、みんなしてそんな顔をして。吾は温泉に浸かって待っていたけど、待てど暮らせど来なかったなぁ。おそらく大多良坊っちは満月になると温泉に入りに来ると踏んでいたのだが・・遠くで音はしたけど、わざわざ見に行くってのもなぁ。でかいのだったらどこからでも見えると思ったのだが、しゃがんでいたのかなぁ、見えなかったぞ」
「あー、そりゃよかっただ。お若いの、あまりむちゃな事するもんでねぇぞ、みんな心配しとったのだからな」
「そうだそうだ、主、手助け出来ないようなことはよして下せぇ、心臓に悪いわい」
三太夫は涙声で語った。
「いや、悪かった、悪かった」
タケルが大多良坊っちに出会わなかったことで、皆がほっとし、朝餉となった。
食後タケルは世話になった馬路爺一家に丁重に礼を言って別れ、次の行く先、邇摩という長者宅に向かった。馬路爺の話で、よく茸や薪、魚などを持っていくと着る物や米などと交換してくれる村が北西にある、邇摩の長者はその村のおさだと聞いたのだ。
道々三太夫に昨日のことを話した。一瞬真っ青になる三太夫だったが、石の採掘場の音だと分かると幾らかはほっとしたようだ。しかし、三太夫はまだ半信半疑の様子だ。二人は路傍の岩に腰を下ろし、しばし休息した。
タケルが袂から石を出して、
「この石だ、何だと思う三太夫」
と、三太夫に石を渡した。
「ほぉ、黒鉄ですかねぇ・・どうも分かりかねますな・・・何かキラキラ光る物がありますな、鉄なら黒いでしょうから、何でしょうね・・」




