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黎明のまほら~アルテミスの祈り  作者: 葵しん
第四章、 出雲タケル
30/109

     一の二

 タケルは一番鳥の声と共に飛び起きて、入り口の扉を持ち上げて外した。

「ああ、まだ暗いな。おお、寒い、鳥の奴め、刻を間違えたのではないか」

 外に出て震えながら腕を擦り、朝の冷たい空気を思いっきり吸い込んだ。うっすらと東の空が赤くなっている。

 家の中から三太夫が顔を出し、

「主、夏ではないのですぞ、扉を外したままでは他の者が迷惑で御座る」

 と、体を縮めながら外へ出てきて、扉をはめ込んだ。

 夏場は扉ではなく蓆を入り口に使うが、北風の強い冬場はぴったり蓋をする形の扉を使う。ドアのように開閉式ではないから、外したらまたはめ込んでおかないと雪や風が吹き込んで中の者が難渋する。

「おお寒い朝ですな・・」

「ははは、いやすまん、すまん。ここに長居するのも退屈だし、そろそろ腰を上げようかと思ってな。昨晩そう思いながら寝床に入っていたら、目が冴えて眠れなかったのだ」

「せっかちですな、まだ雪解け前ですぞ」

「もう解けるのもじきだろう、思い立ったが吉日だ、先に進もうや」

「しょうがないですな、主は・・」

 三太夫も欠伸をしながら大きく伸びをした。

 振り返ると村中の家の萱葺き屋根からもうもうと靄が立ち昇っている。凍えるような寒い朝にあって、不思議な静けさと穏やかなぬくもりを感じさせる光景であった。萱葺き屋根というものは適度に湿気や煙を排出してくれる、実に快適な建物なのである。

 こうして年明け早々、タケル達は穴門国の造の屋敷を発った。

 穴門国の造が、

 ――おやめなされ、まだ半月ほどはよぉ御座るぞ

 と言ってとどめた矢先のことだった。夢の事が気になって先を急ぐことにしたのだ。タケルは自分がここに居ると、何か禍が起きるのではないかと思えたのである。頭に菅笠を被り、背には衣類や食料のほかに薪を少し積んで、背負子の上から菅の葉を編んで作った蓑(みの)を被せている。穴門国の造の計らいであった。雪国ではこの蓑と笠が欠かせない。

 そして懐中には穴戸国の造から貰った火打石の入った袋を持っている。死ぬような寒さを経験したことで、当時の文明の利器である火打石をタケルは常に持ち歩く事を学んだのである。

 二日ほど歩いて穴門国の造が止めた理由がやっと分かった。北風が吹き荒れ、吹雪となった。どうにか雪穴を掘って休んだが、一面雪景色で道も分からず、とてもこの先進めそうにもない。三太夫の知恵で雪穴は横と天井に穴を空けた。そうしないと火を焚いた時、窒息の恐れがあるからである。

「三太夫、偉い天気になったな、こんな雪は近江でも見たことがないぞ」

 タケルは寒さに震えながら弱音を吐き、丸くなって堪えている。

「左様で、まだ冬ですからな。一旦穴門国の造の家に戻った方が良いかもしれませんな」

 雪穴の中で薪を燃やして暖を取り、一夜を明かしたあと吹雪が治まるのを待って、来た道を戻っていった。大変な行軍の末、何とか穴門国の造の家に辿り着いた。

 山陰の冬を甘く見ていたことにつくづく思い知らされ、またしばらくは穴門国の造の所に逗留する事にした。不思議とあの怖い夢はもう見なくなっていた。


 ひと月ほどしてようやく雪も溶け始め、そろそろ梅が咲こうかという頃、タケル達は海を左に見ながら北西に向かっていた。雪はまだどっさり大地を覆っている。

 穴門国の造にもらった扇のような足駄を穿いて雪道を十日あまり歩いた頃、大きな川に出くわした。中国地方で最も大きな江川(ごうがわ)(江(ごう)の川)である。中国山地の中央部から北の海(日本海)へと流れ出る大河で、安芸(あき)国では可愛川(えのかわ)と呼ばれる。

 ここは既に石見(いわみ)の地である。河口付近は低湿地なのに農家は少ない、農地があまり拓けないらしく、役立たずの川とあだ名された江川である。しかし、戦国時代から江戸時代にかけては、物資の輸送路としてとても役に立った川である。

 このところの好天のお陰で、雪は山々や日陰に残るだけとなっている。歩きにくい幅広の足駄も背中の荷物に変わった。川沿いを歩いていると、沢を流れる雪解け水がサラサラと春を告げる音を立てて江川に注いでいる。

 ちらほらと人家はあるが、有力者らしきものはいない。やっと川舟を見つけて対岸に渡ったが、じきに日が暮れてきて、折悪しく辺りに人家が見当たらない。

 すると、三太夫が、何やら鼻をひくひくさせている。

「主、どうやら近くに温泉があるようで、湯でも浸かってから野宿としましょうか」

「おお、いいな、でかしたぞ、三太夫。それにしてもここらは海が近いのに温泉があるのだな。前にも同じような湯があったな、どこだったか・・」

「ええ、それは明石で御座いましょう」

「そうだった、そうだった、新妻が面白い事を言っておったなぁ」

「おや、湯気が見えてきましたよ」

 三太夫が指を差す。

 歩きながら、タケルはふと湯気の立ち籠める水面(みなも)に目をやり、

「やや、何だ、見ろ、三太夫」

 と、立ち止まった。

 驚いたことに、毛むくじゃらの生き物が数匹湯に浸かっているではないか。

「ほほぉ、でかい狸が湯に浸かっていますな、ははは。猿や鹿が湯に浸かっとるのを見た事は御座るが、温泉好きの狸とはおもろい」

「どこか体でも悪いのかなぁ。脅かさないようにそっちに回ってそぉっと入ろう」

 この温泉はのちに温泉都(ゆのつ)温泉と呼ばれる。この頃はあまり動物も人間を怖がらなかったのか、二人が湯に入っても平気のようだ。

 タケル達が湯船の中の岩に寄り掛かって、手拭いで首筋を擦っていると、ざざっと水音を立てて誰かが入ってきた。短褌姿で頭に濡れ手拭いを載せて湯の中を這うように泳いでくる。

「いい湯ですぞ、爺さん。狸も温まっていますぞ」

 三太夫が声をかけた。

「ほんまに・・見かけん方ですな、旅のお方か」

「はい、西国をぐるっと廻って、今度は出雲方面に行こうと思います」

 タケルが答えた。

「ほぉ、それは大変な旅ですな」

 爺さんは近くに住む民草で、馬路(まじ)と名乗った。タケル達は旅の話などをしたり、この辺のことなどを訊いたりした。首筋や胸のあたりの皮膚のたるみ具合から、六十は超しているとタケルは推測した。

 馬路爺は手拭いをどけ、丸髷(まるまげ)に横から串刺しにした竹櫛を外して岩の上に置くと、頭を揺すって髪を下ろした。白髪混じりの長い髪が湯に浸かる。何をするのかと思えば、いきなりブクブクと湯船に潜ってしまった。

 驚いたタケルが呆気に取られて見ていると、馬路爺は湯の中で頭をガシガシ掻き毟っている。髪の毛を洗っているのであった。

 やがて水面に顔を出した馬路爺は、湯を口から吹いて、

「気持ち良いぞ、あんたらもやってみなされ」

 と言う。井戸水などで髪を洗う習慣はあったが、温泉の湯で洗うのはタケルは経験がない。言われるままにやってみて、なるほど手っ取り早いし、気持ちがよいと思った。あまり感心出来たことではないが、湯はこんこんと湧き出し、絶えず流れているから、さほど湯が汚れることもないのであろう。

 そのまま湯から上がり、馬路爺に一夜の宿を請うた。

 小高い森山の中に建つ萱葺きの家、井戸と家畜小屋、高床の物置などが木々で囲まれて立っている。馬路爺の家は妻に息子夫婦、孫娘が一人という所帯だった。家族の者は今日は既に湯を使い終わっているらしい。僅かばかりの畑に里芋を育て、魚獲りや狩猟、山菜採りなどをして暮らしているという。

 馬路爺の何代か前の御先祖様が大陸から渡ってきた。来たくて来たのではなく、漂流してしまって辿り着いたのだ。そのような人が多いせいか、どこからも支配を受けていない民家がこの地域にはたくさんあるらしい。

 …この辺りはのちに琴ヶ浜という鳴り砂で知られる石見国(いわみのくに)邇摩郡(にまごおり)の馬路村である。…


 タケル達は宿のお礼に珍しいアワビの干物を少し分けてやり、馬路爺の家族と囲炉裏を囲んで夕餉を共にした。干しアワビは石で削って、粉を出汁(だし)として使う。塩以外に調味料などというもののなかった時代にあって、香りがよく、旨味が凝縮され、最高級の食材であった。実に貴重な品なので、滅多なことでは丸ごと一つを水で戻して調理するというような贅沢なことはしない。

 焼いた芋と串に刺した魚を食いながら、タケル達は旅の話などを皆に聞かせた。情報の無い時代にあって、旅人の話は貴重である。少々地酒も頂いて和やかに話も弾んできた。

 すると突然、

「こりゃいかん、忘れとった」

 馬路爺が蒼白な顔をして、

「時間じゃ、皆しょん便して戸締りして早く寝ろや」

 大層慌てている。

「どうかしたかい、爺さん、まだ日が落ちたばかりだというのに、何をそんなに慌てて」

 タケルが気になって尋ねた。

「んん、その何だ、薪が勿体ねぇからな・・」

 何か様子のおかしい馬路爺は、視線が定まらない様子で、

「うう、満月の頃は暗くなったら寝て、明るくなるまで起きてはなんねぇ、ここらの仕来りだ。そして夜は絶対に外へ出てはなんねぇ、外を見てはなんねぇ、ええな。ほぉらおめぇ達も早く寝ろ、寝ろ」

 家族の者らを急(せ)き立てる。

 突上げ窓もピッタリ閉めて厳重に戸締りをし始めた。明かりは囲炉裏の熾火しか見えなくなった。

(外は満月の月明かりで明るい、少しぐらい風通しを良くしてもよかろうに)

 タケルは不思議でならない。

「妙な仕来りだな。まあ郷に入れば郷に従えって言うからな、三太夫、寝るとするか」

 あまり大きな家でもないので、入り口近くの地べたに蓆を敷いて干草を被って寝転んだ。皆の寝息が聞こえ、やがて二人もうとうとしてきた。

 すると、しばらくして遠くの方で地鳴りのような響きが聞こえてきた。息を三つするくらいの間隔で聞こえる。初めはかなり遠くなので気にもしなかったが、それが段々大きくなってくる。

 三太夫ががばっと跳ね起きて、

「何だ、何が起こった?」

 と叫んだ。タケルも気付いて起き上るが、

「何だよ、またあの夢か・・・三太夫、夢だよ、寝ろ寝ろ」

 と、寝ぼけている。

「主、夢なんかじゃねぇぞ、現実(うつつ)だ」

「これ、お客人、静かにしなせぇ、大きな声出すでねぇ」

 押し殺したような声で馬路爺が制止した。

「しかし、この音はなんだね、爺さん」

 三太夫もつられて声を殺して訊いた。

「何でもねぇです・・・寝る前に言ったでねぇか、寝たら明るくなるまで起きてはなんねぇって。じっとしとればなんてぇことねぇだから」

「おい、それは一体どういうことだな、爺さん」

 三太夫はなおも食らいつく。

「そんな事はあんた方に関係ねぇから、知らんでええだ」

「お爺さん、何か困っている事があるんじゃないのか、言ってごらんよ、なろう事なら手伝ってやるから」

 目が覚めてしまったタケルが言うと、馬路爺は囲炉裏の側に起き出てきて、だるそうに頭を掻きながら熾(お)き火を穿(ほじく)って火を大きくした。

「お節介な人達だ、しょうがねぇから話してやんべぇ」

 二人を手招きした。

「地酒でもやりながら聞くか。話はだいぶ長くなるぞ、そんでもええか」

「ああ、面白そうだ、話してくれ」

 タケル達は近寄って囲炉裏端に座った。他の者達は明日に差し支えるからと、後ろを向いて寝てしまった。

 やがて馬路爺の長い夜話が始まる。


 ――むかーし昔の話、この地にスサノオの命というえらーい神様が高天原(たかまがはら)から下向なされてやってきた。その時分、この辺は山に囲まれたとても狭い土地だったそうな。

 やがてスサノオの命の子孫がたくさんお生まれになり、その中で八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)という神様が御座った。

 八束水臣津野命が言わっしゃるには、

「この国は小さすぎるな、これでは気が休まらん、それに民の住む土地が少なすぎるわ。よし吾が大きくしてやろう。どこかに余っている土地はないか、良い所はないかな、どこかに・・・おお、あそこにあった、あれなら構わん」

 そう言われて見つけた所が、新羅の国の岬だ。

 大きな幅の広い鉏(すき)を取り出して、ながーい長い三つ縒(よ)りの綱をしっかりと引っ掛けた。

 その大鉏を、

「それっ」

 とばかり放り投げると、大魚のエラに鉾を突き刺して捌(さば)いた時のように、ぐさっと見事に新羅の岬に突き刺さって土地が伐り離れた。

「よし」

 神様はゆっくりと綱を手繰りだした。

「国よ来い、国よ来い・・・」

 そろーり、そろーり、壊れないようにおまじないをして。

 そうやって縫いつけた国は、小津(宍道湖の西側)の地より杵築(きづき)の岬(日御碕)までの土地じゃ。

 そして、以前との境にしっかりと杭を立てた。石見とこの土地を分ける杭じゃ、その杭こそが佐比売山(さひめやま)(三瓶山(さんべさん))だ。この時、杭を使って土地を固定させるために用いた綱は、薗(その)の長浜(稲佐の浜)であるということじゃ。

「まだまだ足らんのぉ、そうじゃ隠岐が良い」

 そう言われて、隠岐島(おきのしま)の島前(どうぜん)の地を、

「国よ来い、国よ来い」

 同じように大鉏を投げて綱を引っ張った。

 そろーり、そろーり、引き寄せて出来た所が、多久の狭くくびれた地(島根半島の鹿島町溝武付近)より狭田(さた)の国(宍道湖の北側)じゃ。

 同じく隠岐島の島後(どうご)の北側から余りをもらって出来たのが、宇波の狭くくびれた地(美保関町稲積)から闇見(くらみ)の国(松江)までだ。

 そして最後に見つけた所が北陸の都都(つづ)の岬(能登半島)じゃ。西側の余りを引っ張って来て、出来たのが三穂の埼(美保関)じゃ。

「やれやれ草臥(くたび)れたわい、こっち側にも目印を付けとくかな、せいのう、よっと・・」

 そうおっしゃって立てた杭が、伯耆(ほうき)の国にある火神岳(ひのかみだけ)(大山(だいせん))だ。この時、杭を使って土地を固定させるために用いた綱は、夜見の島(弓ヶ浜)であるということじゃ。

 全て終わって、

「うおぉー(意宇(おう))、よーし、これで出来たぞ」

 と、雄叫びを上げられた。

「どうだ、ここから見る景色のよい事、八雲立つ美しい国じゃ。今日からここを出雲(いずも)と呼ぼうぞ」

 そうおっしゃって国引きの印を立てられた。意宇の森の小山(松江市山代町の茶臼山)こそが印だそうで、こうして今の出雲国が出来上がったと言われておる。

 …以上、『出雲国風土記・国引』を参考。…

 ところがだ、その八束水臣津野命が未だにこの国をお歩きになって人間界を見て歩くという。決まって月の半ば、満月の頃、夜になると琴引山辺りから大多良坊(だいだらぼ)っちになって、のそっと現れるとか。その体は天に届くかと思えるほどにどでかい。

 琴引山から佐比売山を通って、南の仙(せん)の山辺りを徘徊して海に出る。北西の海の彼方をじっと眺め、しばらくしてまた仙の山辺りに戻って行くそうじゃ。

 三日続く時もあり二日の時もある。だから、仙の山は国神様のお休みになるところだということで、誰も近寄らないのだわ。――


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