↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黎明のまほら~アルテミスの祈り  作者: 葵しん
第三章、 熊 曾
27/109

     三の一

     三


 タケルは痛めた脇腹の傷が癒えるまで姶良に留まる事にした。どうやら肋(あばら)が数本折れていたらしい。その間、三太夫を遣わし、豊国直に事の成り行きを報告し、熊曾国の造に任じた市鹿文の事などを紹介した。

 市鹿文が上手く舵取り出来るように、人選や色々な役職を決める手伝いなどもした。また、不平分子の意見も良く聴いて、納得するまで説得し和を図った。

 タケルはカウハォや日孁お婆が自分の御先祖様であることを市鹿文から聞いて大いなる衝撃を受けた。そこで、まだ傷も癒えず痛々しい状態ではあったが、市鹿文や三太夫と何人かの者を連れて社邑(やしろむら)(八代市)を訪れた。日孁(ひるめ)の塚、そしてその傍らに造られた社の長者の塚にお参りし、丁重にお礼をして事の成り行きを報告した。自分を救ってくれたことを深く感謝し祈りを捧げたのである。

 景行二九年(西暦一四四年)春、梅が咲く頃になってタケルは北上を開始した。帰路は来た道とは違う西側を通る事になる。社邑の西側の海に浮かぶ島々は、地図には何も記してない未知の地であった。北に回り込めば島に行き付けるかもしれないと思い、とにかく海沿いを進むことにした。

 まだ暗い明け方頃、社の海を西に見ながら海辺で朝食を取っていると、ふっと沖の方に目をやるタケルが何かに気付いた。

「おい、三太夫、何だあれは?」

「ええ、どうしなすった」

 見ると、海の彼方(かなた)に点々と篝火のように明かりが瞬いている。

「おや、あれは・・なにやら燃えているようですな」

「海が燃えるという事があるのか」

「さぁてねぇ、不思議ですなぁ。対岸に見える島よりは手前ですし、海の上ですからなぁ・・」

 炎は見えるが、近くに舟などが見える訳ではない、実に不思議な炎であった。この炎の事を不知火(しらぬい)という。

 …対岸の天草辺り、あるいはもっと遠くの島原辺りで漁師達が夜、漁をしているのか、その漁り火の蜃気楼現象とも言われる。本来は初秋の夜明け前に良く見られるが、特定の季節に限った事ではない。夜光虫に因るという説もある。…

「この辺りが火の国と言われるのはこのせいかな」

「左様ですな・・・」

 このほか火の国という名前の由来は火山の噴火が多いからとか、色々な説がある。有明の海を渡った西側にも太古の昔に噴火した跡があって、千々石(ちぢわ)カルデラと呼ばれ、ぽっかりと地面が無くなって湾(橘湾)を形成している。東側外輪山に雲仙普賢岳がある。十八世紀に噴火による地震と津波で日本史上最大の火山災害を起こした火山である。

 西に見える島(天草)の近傍にあった海辺の村のおさを海部直(あまべのあたい)に任命して倭に加え、五日ほど北に歩くと松浦(まつら)川という川の畔(ほとり)に出た。川の西側に大きな砦を持つ邑がある。

 川は火の国と筑紫国の境を流れ、川を東に渡り北東に半日も歩けば久志布流多気(くじふるたけ)(糸島市の山)という天孫降臨の地に行きつく。早く帰路に着きたいところだが、その前に南に向かう必要があった。

 邑は松浦川の西側、東松浦半島一帯に広がっている。魏志倭人伝には、この邑のことを末慮国(まつろこく)として紹介し、栄える国の存在が示されている。邑はその地形から篠原邑とも呼ばれていた。松浦(まつら)の長者という者が村おさである。白髪、白い山羊(やぎ)ひげの六十近い、細い目をした穏やかそうな老人である。綿入れのような分厚い単衣に、幅が一尺もある腹巻のような帯、裾がふっくらとした褌(はかま)姿で愛用の杖を突いている。支那風に髷を冠で覆ったせいもあるが、どこか異国の風が感じられる。

 大陸に近い良港のある土地ということもあって、日の本で最も古くから稲作を始めた土地として知られる。平地は殆んどなく緩やかな高台ばかりなのだが、養分に富む湧水も多く、水の便がいいために、古代では稲作の適地だったのであろう。治水の進まない古代にあっては、海抜の低い土地は水害が多く、むしろ稲作に向かない土地だった。当時の松浦川の河口は砂の堆積が少なく、天然の良港(唐津港)となっていた。

 稲作や漁業、貿易で栄えている邑である。

 こんな昔でも噂というものは早く伝わるらしい、既にヤマトタケルの熊曾退治の話をこの辺の者でもよく知っていた。タケル達が訪ねていくと、長者は喜んで倭に降ってきた。

 のちに褶振(ひれふり)の峰として知られる御山(みやま)(鏡山)という小高い台状の山が川の東に聳えている。この国にとって神聖な山であるらしく、祈りの場所であった。

 タケル達は長者に招かれて御山に向かう。

 杖を繰り出す歩みも素早く、歳に似合わず矍鑠(かくしゃく)とした足腰の老人である。長者と共に男ばかり十人ほどの供を連れて、綴れ折れの坂を登り始めた。西の海(玄界灘)の美しい景色が眼前に迫る、絶好の日和であった。壱岐(いき)島や対馬(つしま)はもとより、遥か向こうにタケル達にとって未知の国、韓国(からくに)の姿までがうっすらと望める。

 ようやく頂に辿り着いた一行は、奥にある社の祭壇に向かって、訪いを告げるべく皆で神を祭った。祭壇の傍らに湧水の注ぐ池がある。この山には宿泊の出来る小屋も在り、屋根付きの大きな食台のある四阿(あずまや)まで設えてあった。雨乞いの儀式などで巫(かんなぎ)が寝泊まりするためだそうで、稀に海外から来た貴人を招いて宴会なども催すという。

 春の山で匂いたつ梅花と西日を受けてキラキラ輝く海を見ながら酒肴となった。タケルは玉を授けて松浦氏を首に任命した。

 …余談だが、この松浦氏は後の戦国時代の松浦氏とは異なる。後者は平安時代に瀬戸内一円に水軍として勢力を持っていた渡辺党の分派と言われる。…

 酒肴もたけなわとなった頃、松浦首が語りだす。

「ヤマトタケルの命とは、実に良きお名前でありまするな」

「それはどういうことでしょうか」

 タケルは、まだ幾分慣れない呼び名に戸惑っているところなのである。

「倭とは、カゥハォ様の日の本での呼び名で御座います。カムヤマトイワレビコ様と呼ばれましてな」

「カゥハォ様?」

 タケルは予期せぬ名前を訊いて面食らった。

(この老人は一体どうしてカゥハォ様のことを知っているのか・・)

 タケルは松浦首の貌色を窺う。

「ほほぉ、カゥハォ様を御存知でしたか。左様、吾はカゥハォ様の御家来、宇受売命(うずめのみこと)の手の者で末慮(まつろ)という者の子孫で御座います。末慮は当時の舟頭(ふながしら)でしてな」

「なんと、カゥハォ様にゆかりの方か、よくぞカゥハォ様を覚えていて下さりました」

「なんの、忘れることなど出来ませぬ。カゥハォ様に命じられてこの土地に住みつき、村を起こしたと聞いております」

 長者は食台の上の器を脇にどかし、酒器に入った酒に指を湿し、黒く滑らかな食台に文字を書き始めた。タケル達は何かなと思い食い入るように見つめている。

「末慮という名はどうも縁起の悪い末路(まつろ)という文字と勘違いされやすいので、こういう風に末羅(まつら)と呼び名を変えたそうで。それがいつの間にか松浦(まつら)と表記が変わりましたのじゃ」

 と言って書いた文字を手で拭った。

「ははぁ、なるほど・・」

 松浦首が文字も書ける事にタケルは感心している。

「ヤマトタケルの命に、是非ともお聞かせしたい言い伝えが御座います。お聞き下され」

 皆が揃う前で松浦首の昔話が始まった。

「この話はカゥハォ様が語った話を、わが主、宇受売命が伝えし話で御座る。宇受売命の使者がやって来て、その時語った話を代々ずっと伝えてきたもので御座る。心してお聞きなされや」


 ――猿田彦口伝(宇受売命口伝)、その二


 吾の名はカゥハォ。

 われらはこの大きな島の北の外れにやってきた。皆と落ち合うことを約束した地だ。

 島ではなく途切れなく陸地が続いていたなら、いつ再会出来たか分からなかった。でもそれはそれでよいとも思っている。皆がそれぞれの土地に行って平和に暮らしてくれればよいのじゃ。

 それにしても一年あまりにも亘ってゆっくりと来てしまった。皆は吾に愛想を尽かしているのではなかろうか。

 見ると山の頂から合図の狼煙が上がっている、少しだけ安堵した、あそこに仲間がいる事だろう。狼煙の上がった辺りまで行ってみると、驚いたことに濠のある砦があった。中の櫓から手を振る者がいる、どうやら仲間じゃ。いつの間にかこのような現地風の砦を建造していたのだ。

 砦の入口まで来て九拝すると、懐かしそうに吾の名を呼ぶ者達、忘れずにいてくれて嬉しく思うぞ。思わず皆の手を一人一人取っては懐かしんでしまった。

 主立つ者達の所へ通された吾と宇受売は将軍達に九拝し再会を喜んだ。ところがここに居ない者がおる、気になって吾は尋ねた。

「玉祖(たまおや)と伊斯許理度売(いしこりどめ)はどこか? 迷ってまだ到着していないのか」

「玉祖の部隊は夏の嵐に遭い、北の地に去りました、残念で御座います」

 児屋(こやね)が返答した。

「伊斯許理度売は東の地に新たな島を発見し、その島を探査しに参りまして戻りません」

 共に東周りだった布刀玉(ふとだま)が言った。

「東に島じゃと・・大きい島か?」

「はい、あるいは島ではなく、大陸かとも思われます」

「何じゃと、大陸とな・・布刀玉よ、何故そう思うのじゃ」

「はい、伊斯許理度売と別れた時は島かなと思ったのですが、今通ってきたところは大河の河口に思えてきたので御座います、丸で長江のような大河で御座います」

「長江だと・・するとわれらはまだ支那の江南のどこかに留まっているというのか・・いや、それは何かの間違いじゃ、ここまで来るうちに民草の話を聞いて、ここはわが支那の大陸から二千里は離れているそうじゃ。東の地に何か別の大陸があるのやも知れぬな・・」

 …一支那国里は時代によって多少変わるがほぼ五百メートルに相当する。二千里というとおよそ千キロメートルになる。…

 民草の話では、この地のことを、

 『韓(から)国に向かう、朝日の直(ただ)刺す国で、夕日の日照る国(ところ)』

 と、話している。日向(ひなた)の地だというのだ。だとすればわれらは十日もかからず行けるようなごく身近な島に辿り着くのに、半年を費やしてしまったということじゃ。荒れる海が間にあるということか。いかに始皇帝とは雖(いえど)も、海を渡ってこの島まで攻めて来ることもあるまい・・・いや、そうとも言えんか、航路を知られたならこの場所は甚だ危険かもしれんな。場所を変えた方が身のためかもしれん。

 蓬莱山の行方についてはめぼしい話はなかった。ただ情報収集のため、寄港した土地の所々に船一隻八十人ほど人を残し、村を作って移住させた。その結果この島には既に五ヶ所ほどの拠点が出来た。南東の日向(ひむか)(宮崎市)、南西の末慮(まつろ)と社(やしろ)、東の速見、そしてここ高千穂(筑紫、福岡県糸島市付近)じゃ。

 …日向の民は水害と火山煤を恐れて北の地に徐々に移動した。そこが現在の宮崎県高千穂町付近と思われる。高千穂(・・・)という名は、奇跡の土地とか、新世界とかの意味を持つ尊い名前なのかもしれない。…

 われら三部隊はこれより東の大陸を目指して船出することにした。南東の河口は広かったが、こちらの北西の河口はいやに狭く、流れが速かった。

 通り抜けてしばらくすると両岸が見えなくなったのには驚いた、これほど広い川があるとは、よほど大きな陸地なのかもしれぬ。

 突然また幅が狭くなった、木が生い茂る島々が川を塞ぐかの如く点在し、どこを通ればよいのか迷ってしまう。仕方なく小船を先にやって水路を探しながら進むという面倒な羽目に陥った。夜は危険なので碇を下ろして停泊するという進み方で、二、三隻の者に南北の陸に向かわせ、村を築いて定住を命じた。船団はおよそ半分、千八百人に減っている。

 十日後、どうにかこの修羅場を抜け出た。それにしても何と木々の青が美しい景色であった事か。のんびり小船で行くのであったのなら、これ程良き所はなかろう。

 川幅は今までで最高といえる所に来た、こんな奥までこの広さとはどうしたものか。この広い川を塞ぐ如く大きな島が現れた。島をよけて北の細くなった所に差し掛かった時だった、急に流れが速くなり流されてしまった。

 どれくらい経ったことか、流れが落ち着いた頃、前方が急に開けた、川面以外に一面何も見えない所に出た。日はだいぶ西に傾いてきたというのに、停泊する場所があるのだろうか?

「どういうことだ・・ここは川ではなく海ではないのか?」

「道士、いかにも海のようで御座います」と、宇受売が答えた。

「何だと、われらは上流に向かっているのではなかったか・・」

「どうやら川ではなく、入り組んだ入江を通り抜けただけのようで御座います」

「なに? あの苦労して通り抜けたところは海だったのか・・」

 得心した。どおりで広くなったり狭くなったり、おまけに島をあれほどいくつも抱える川など見たことがない。海であればいくらでもありうる地形じゃ。

 しかるに海にしては波が穏やかで、道を良く知ってさえいれば便利な水路となりうるぞ。

「なんだ、どうしたのじゃ、急に波が・・」

 吾は水飛沫を浴びてよろめき、夢中で柱に抱き付いた。船が左舷側に傾(かし)いでしまった。主帆の天辺で宙吊りになって張り番が喘いでいるが、どうにか体勢を整え、命綱を手繰って持ち場に戻った。

「海流がはよぉ御座います、お気を付け下さい。このままでは陸から離されてしまいます」

 宇受売が船縁の欄干にしがみ付いて叫んだ。

「そ、そうか、ええい、ともかく着けられそうな所に船を乗り入れよ、急げ」

 船おさは水夫(かこ)達を叱咤して舵を切ると、皆掛け声かけて漕ぎだした。すると、どうにか海岸沿いに船が近づいた。海流に流されていたら永遠に陸とおさらばだったかもしれぬ。


 張り番の鉦が鳴る、左舷前方を指差している。

「よし、見つけたか、行け、進め」

 船団は次々に入り江に入って行く。入り江の入口に波止めとも思える小島(中の島)がある。穏やかな天然の良港じゃ、水面が魚麟の如くキラキラ輝いている。

 …和歌山県那智勝浦の港である。…

 助かった、吾はようやく片手が使えるようになった。手を翳して眩しい西日を避けながら遥か北の地を見渡した。至るところ山ばかりだ。その中で西日を浴びて赤く照り輝く山を見つけた。何か気になって仕方が無い。

 船おさが岸近くに碇を下ろした。

「皆の衆、見よ、あの赤く輝く山が見えるであろう。吾はあの山に登ることにしたぞ」

 そう宣言し宇受売を含め、五人の者を連れただけで上陸し、山を目指して歩き始めた。他の者は小舟に乗り換え陸に上がり、吾の帰還を待った。山は那智山と名付けた。

 …徐福の登った山は新宮市域のゴトビキ岩という霊験あらたかな場所だとする説もあるが、疑わしい。ずっと後になってからヒキガエルに似た変わった岩が頂に載っているのを見つけ、皆が神々しい山だと思い、信仰の対象になったものと思われる。…

 三日掛かってようやく山頂に辿り着いた。吾は四方八方に手を翳して見渡した。残念ながら北側は雲海に覆われた山並しか見えない。

 やがて、吾はお婆の鏡を背負子から取り出し、日を受けるようにそっと立てかけ、その前で杖を天に翳して呪文を唱えると、日差しを集めた鏡が一筋の光の道を作ってすぅっと伸びていく。吾一人にだけ見える道じゃ。杖を光の道の指し示す方向に向け、

「見よ、皆の衆、東に見える彼の地こそ蓬莱(ほうらい)であるぞ、われらの求める土地じゃ。高い山に登れば、自ずと最も良き地が見えるものぞ。神に祝福された土地じゃ」

 と叫んだ。そして宇受売に命じて布に地図を書かせ、下山することにした。

 あの川の河口辺りじゃ、周りは山ばかりで平地はあの河口付近しか見当たらない。あの土地なれば海以外からは滅多なことでは見つかるまいて。おまけに流れの速い灘が目の前にあるのじゃ。

 吾は蓬莱という山を探しているのではなく、蓬莱という祝福された土地を探して旅だったのじゃ。

 …その地は熊野川の河口付近に広がる海沿いの平地(ひらち)で、現在の新宮市から那智勝浦町付近に当たる。…


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。