二の五
日は中天に輝いている。
円陣の端で、支度をする小碓は腰紐の木綿を結び直し、両の袖口の紐を引き締めた。褌の裾と深靴の紐は三太夫が締めてくれた。
「主、大丈夫か、用心なされよ」
三太夫が念を押す。
「大丈夫だ、迮鹿文だけは生かしておけん。三太夫、手出しはするなよ、一対一の勝負だからな」
三太夫は些か不安になった。市乾鹿文を失った怨みで怒り狂っている小碓に対し、迮鹿文は兄の仇などというのではなく、千載一遇の好機とみているようだ。
(主よ、落ち着け、五感を研ぎ澄ませ)
三太夫は心の中で言い続けた。
そして、小碓は背から刀を抜いて進み出た。
迮鹿文も構えた、腰に長山刀、左肩に矢筒を括り付けて矢を入れているが、弓は持っていない。そのまま矢を手で放る気かと小碓は推察した。そして両手には丈夫そうな綱を持っている。
「用意はいいか、海童」
迮鹿文は輪になった綱をくるくる回し始めた。
さささっと近づく迮鹿文に、警戒して距離を保つ小碓は刀を八双に構え、相手の動きに付いていく。隙あらばいつでも斬りおろそうという構えである。
今度は小碓の方から飛び付くように近づいて上段から斬り下ろし、横に二度三度と斬り払った。しかし、迮鹿文はいとも簡単にすっと避けて間合いを空け、小碓の周りを回り始めた。動きの良さは小碓に匹敵するようだ。
迮鹿文が小碓の周りをだんだん早く回り始めた。小碓は目を離さないように自分も回る。
その時だった、迮鹿文が急に止まって逆に回り、小碓は一瞬遅れをとってよろめいた。すかさず迮鹿文が綱を放った。
(あうっ、ちっ、しまった)
不覚にも小碓は八双に構えた腕ごと体を締め付けられて、綱で縛られる形となってしまった。刀の柄と手首、左腕を締めあげられて、動きが取れない。左手で外そうともがけば、もがくほど綱が食いこんでくる。
「ほれほれ、どうした、海童、あっはっは」
綱を引絞って迮鹿文は小碓を嘲りながら、再び回り始める。
「これでどうだ、ぬしゃ、付いて来れるか、へっへっへ」
小碓は必死に絡まれないように付いて回るが、またも迮鹿文が止まって、不意に強く引かれて地べたに叩きつけられ、前のめりに倒れた。
(ううっ・・ぺぺぺっ・・)
倒れながら地べたを曳きずられる小碓に、迮鹿文は矢をパッと投げつける。慌てて回転して躱す小碓。手が痺れてきて刀を落としそうになる。また放った、二の矢、三の矢。小碓は地を転がってひたすら避けた。
地を転がる小碓を中々仕留められない迮鹿文は、今度は力ずくで綱を手繰って小碓を引き寄せ、長山刀を取り出した。そして思いきり綱を引っ張った瞬間、飛びあがって、
「えーい」
とばかりに、小碓の胸を目がけて山刀を振り下ろした。
「きゃーっ、危ない、小碓!」
アルテミスが叫んだ。
小碓の左手をかすめ、左胸の辺りをザックリと斬られて、
「ギャッ」
と叫んで動かなくなった。お陰で小碓に絡みついていた綱もぷっつりと切れてしまった。
心配そうに身を乗り出すアルテミス。
「もう三太夫ったら、何で助けないのよ、バカバカバカ」
「アルテミス様、そう興奮しないで、これも彼の運命ですから、仕方がありませんよ」
「ハデスったら、酷い事言うのね。ああん、悔しい。それにしても、この迮鹿文っていう奴、憎たらしいわね、どうなっちゃうのかしら、この邑は・・それに市鹿文は・・」
伸びてしまった小碓に、迮鹿文が引導を刺そうと近づく。三太夫が固唾をのんで見守るが、いくら手を出すなと言われているとはいえ、助けないのは不忠としか思えない。
――何故助けないのよ、三太夫さん
楼上から市鹿文の怒鳴り声が聞こえてきそうだ。
「兄者の仇だ、死ねぇ」
と叫び、迮鹿文は山刀を小碓の首筋に振り下ろす。
キーン
と、鋼のぶつかる音。
小碓はからくも山刀を跳ね返した。左手と胸に血が滲んでいるが、どうやら無事だった。刀を地に刺してやっと立ち上がるが、老婆のように腰を曲げ、脇腹を押えて喘いでいる。
迮鹿文は跳ね返されて尻餅をついた。十分手応えあったはずなのに、まだ無事でいる小碓を見て狼狽した。すかさず山刀を拾って立ち上がると、
「おのれ化け物め、これでもかー!」
渾身の力を込めて山刀を振り下ろした。
小碓は間一髪で右にさっと躱して迮鹿文の胴を払って駆け抜ける。ぞっとするような背筋の凍える音がした。
「うぐっ」
崩れる迮鹿文、どさ、どさっと二度音がした。
小碓が刀を杖にして、喘ぎながらも迮鹿文に近づいていく。
迮鹿文はうつ伏せになって体が二つになっていた、瀕死の状態。血がドクドクと流れ出て、乾いた土の上を滑っていく。
小碓は迮鹿文の右手を踏みつけて、長山刀を払いのけ、足蹴にするように迮鹿文の上半身を仰向けにさせた。その瞬間、小刀が、
ピュッ
と飛んだ。小碓は反射的に頭を躱すと、小刀は首筋の皮を抉って遠くに飛んで行った。
「ちっ」
と舌打ちをし、迮鹿文はぐたっと手を下ろした。
小碓は迮鹿文を真上から覗き、
シャキーン
と鍔鳴りさせて、刀を首に当てた。
「待て・・待ってくれ」
息絶え絶えであえぐ迮鹿文。
「ぬしゃ一体・・・ど、どこの誰だ?」
「聞かせてやろう。吾は、倭の小碓なり! 大王の息子だ!」
と名乗った。
「な、なんと、倭などに、わいらに挑んでくるほどの強者がいるとは・・わ、わいらはこの日の本で情け容赦ないと恐れられた熊曾健じゃ。それを斃して首領となった、お、汝れに、名を授けよう・・そ、その名は、倭健! 今日より汝れを皆がヤマトタケルと呼ぶ事だろう」
言い終わるや迮鹿文は目を瞑った。小碓はすぐさま引導を刺した。健とは猛猛しい者、強い者の称号である。
「わぁー、小碓が勝った、勝ったのね。生きてたのね、助かったのね」
アルテミスは万歳し、小躍りして喜び、思わずハデスの手を取って踊り始めた。
「ちょっとアルテミス様、そんなに引っ張られると目が回って・・・それにしても驚きましたね、アルテミス様。さっきあれほど勢いよく斬られたのに、無事でいられるとは・・」
「そうよねぇ、ミーったらてっきり小碓が死んじゃったと思ってしまって・・・(くすん)えーん、心配させるんだから」
アルテミスはハデスに抱き付いた。
「(ポーン)アルテミス様、小碓を嫌いと言っていたのに、どうなさりましたか」
「だってこの子ったら、この子ったら・・・すっごく気になるんですもの」
さて、この勝負を分けたのは武器の選び方であろう、迮鹿文が長山刀でなく刀を選んでいれば、小碓は刀を突き刺されて死んでいたであろう。しかし、長山刀は先が尖っていないので斬り下ろすしかない。
小碓の麻と木綿で作った頑丈な着込みが刃物に強かったから、からくも助かったのであった。それと三太夫が、用心のためと戦う前にこっそり知られぬように、腹にもう一枚同じ素材の腹巻を巻いてくれたのである。巻きながら防具のない腕や足、首を用心なされと、しきりに言っていた。三太夫様様だったのである。
無事と知っていたから手を出さなかった。ただ、あのとき小碓が気を失ってしまって目を覚まさなかったらと考えると、背筋が寒くなる三太夫であった。
小碓は跪き、迮鹿文の首から首飾りを取り去ると、立ち上がり、振り返って楼上を見上げた。よろつきながら歩き出し、階を登り、市乾鹿文の亡骸に近づく。
首飾りを握り締めたまま、小碓はその場にへたり込んでしまった。愛するものを失うことの悲しみを、この時初めて味わったのである。三太夫も傍らに控え、項垂れている。
仕丁に命じて死んだ二人を丁重に葬むるために、広場の端に穴を掘らせた。
日が傾いてきた頃、そっと死体を安置し、土饅頭を作った。
市乾鹿文の塚の前で、小碓と市鹿文がしゃがんで手を合わせている。その少し後ろに三太夫も控えて拝んでいる。
小碓は突然握った拳を地べたに叩きつけた。市鹿文がその姿を見つめ、再び眼が潤んだ。
人命は尊い、ましてや愛するものを失えば悲しみはずっと続く。小碓はつくづく考えた。争いとは已むを得ずに起こることもある、さりとて本当に避けられないことなのか、穏やかに済ます方法がないのか。小碓は常にそのことを自問しようと心に決めた。
市鹿文は自分の首から外したものをじっと見つめ、やがて小碓に向かい、
「ヤマトタケルの命、これを受け取って下さい、姉の宝物です」
市鹿文は首飾りを小碓に渡した。
「これは・・」
小碓が受け取って、市鹿文を見つめた。
「それは御岳山が吐き出した石のかけらで作ったものです。綺麗だったので削って、姉とわたくしとで同じものを作りました」
浅葱色の紐に水晶のような石の細工物を吊るした首飾りであった。
「これはあなたが持っていた方が・・・」
「いいえ、姉はきっとタケル様に持っていて欲しいと思っているはず、受け取って下さい」
小碓は市鹿文をじっと見つめ、にっこり頷いて首飾りを首に掛けた。
翌朝、小碓ことヤマトタケルは広場に皆を集めて、穀物倉庫の楼上で高らかに宣言する。
「吾は倭の小碓である、帝の命を受けて熊曾を倭に加えるためにここに来た。これからは無駄で野蛮な争いは一切許さん、皆倭の一員として、仲良く助け合って暮らすのだ」
歓呼の嵐が巻き起こり、右手を突き上げて、
「ヤマトタケル、ヤマトタケル・・・」
の合唱となった。
この日を契機に小碓自身も自らをヤマトタケルと称するようになった。
あたかも傷一つなく無事であるかのように振舞っているタケルではあるが、三太夫に見てもらい、着こみの内側には添え木をあてて厳重に腹巻を巻き付けて堪えているのである。
しばし待って、タケルは両手を広げて皆に静粛を促す。おもむろに後ろを向いて手招きをした。つかつかっと進み出る者。
「皆の者、よっく聞け、この熊曾国の造は、この社の長者の娘、市鹿文に任す。皆の者、よいな、よく補佐して、より良き国に致せ」
タケルは市鹿文に微笑み、正面を向いた。熊曾健兄弟の象徴であった、迮鹿文の付けていた首飾りを高々と掲げ、それを皆の前で市鹿文の首にかけてやった。
市鹿文が前に進み出て、皆に微笑み、手を上げると、再び歓呼の嵐となった。
奇しくもカゥハォ(徐福)がその祖母日孁貴妃、のちの神名である天照大御神を社の地に葬って、塚守に任命された舟おさの、遠い子孫に当たる市鹿文。その市鹿文が、再びこの隼人族の地の首領、造に任命されたのである。
余談だが、市鹿文の子孫は火山の被害を逃れ西の島、現在の島原付近に拠点を変えたという有力な説がある。これより百年ほどのちに日の本中が飢饉で混乱している時代に、良く国を治め民を導いた。そして支那国との交易を通じて国の存在が広く知られるようになった。邪馬台国の卑弥呼の話である。
初代神武大王、十代崇神大王という偉大な二人の大王の礎を受けて、倭の威信を天下に示すという天命を授かった若者、その名は小碓、ヤマトタケルの大いなる旅路はこの時から始まったのである。




