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黎明のまほら~アルテミスの祈り  作者: 葵しん
第三章、 熊 曾
21/109

     一の四

「いやー、やめてぇー」

 市乾鹿文は思わず耐えられず、叫んでしまうが、塞いでも塞いでも音は聞こえてくる。

 どれほど経ったろうか、再び小夜の絶叫が響き渡り、続けて厚鹿文の狼のような咆哮が轟いた。そしてひと際大きく八十健達の鬨の声が上がる。終わったようだ。

 そおっと手を放し様子を覗う市乾鹿文は、小夜の身が心配でならないが、気を取り直し、涙を拭い、再び髪を結わえて、小夜と厚鹿文のために着替えの用意をし始めた。


 広場は騒然としている。ふっとよろめいて厚鹿文が吾に返った。昨年までとは全く違う感覚に些か戸惑っていた。見ると、目の前の贄台上に小娘が素っ裸でうつ伏せになって気絶している。そこいら中に引きちぎられた服が散乱している。

 厚鹿文は素っ裸のまま皆の方へ向きなおって両の拳を突き上げ、

「うおぉー、これで来年も豊作間違いなしじゃー、ふははははは」

 と、己が一物を自慢するかのように腰に手をあて、胸を張った。

「わいを斃したものが熊曾の頭となるのじゃ、いつでも誰であっても相手してやる、うはははは」

 と豪語するや否や、厚鹿文は疲れ果てて楼上で(くずお)れて寝てしまった。周りの者もしばらく踊りまくっていたが、いつの間にか皆ゴロゴロゴロゴロその場に寝てしまった。


 儀式が終わり、迮鹿文が自分の家に戻って来た。

「おい、戻ったぞ、市・・おい、市、どうしたんだ」

「どうも致しません」

 市鹿文は愛想なくそっぽを向いて応じた。

「楽しかったですか、ふん」

 既に白ずくめの衣装も着替えて、若草色の単衣に短い袴という姿。髪も普通に戻っているが、寝る前なので後ろではなく胸元に垂らしている。(うなじ)が際立ち、男心をくすぐるようだ。髪留めが変わっていて、小さな赤い色の帆立の貝殻が付いている。姉の市乾鹿文とお揃いらしく、市乾鹿文の方は青い筋が混じった帆立であった。

「おい、何だよ、その態度は、昔からやっている慣わしだぞ」

「そんなこと言っても、社邑ではあんなことしていませんでした。小夜(さよ)ちゃんはわてとおない歳なのよ、晒し者にして、よく平気でいられるものだわ」

「ぬしゃ、勘違いしておるな、あの小娘は果報者なのだぞ、神の子を授かるのだからな。これが隼人の仕来(しきた)りなのだ、文句を言うな」

 酔ったせいなのか、迮鹿文は薄気味悪くにやっと笑った。

「そんなに嫌なら、ぬしゃが熊曾の頭になって、仕来りを変えればいいじゃないか。ははん、どうだ、兄者に挑戦して勝てれば頭だぞ、ふふふ。まあ、ぬしゃのような小娘では到底敵わないだろうな、はっはっは」

 と、(あざけ)るように言い放った。

 市鹿文はぷいっとそっぽを向いて寝床の藁の中に潜ってしまった。その様子を流し目で追いかける迮鹿文は、酔った勢いなのか、刺激的な儀式のせいか、むらむらっとした気持ちを抑えきれず、よろけながら市鹿文に飛びかかった。

「きゃーっ、やめて、ちょっと何すんのさ、やめれってば」

 市鹿文は酔った亭主の頭を何度も何度も足蹴にして足掻いたが、所詮敵わぬ。藁屑が辺り一面に舞う。すぐにうつろな声を発し、抵抗出来なくなった。頭の中は煮え繰り返っているというのに、この体の反応は如何ともしがたい。無性に涙が込み上げて唇をかんで堪える市鹿文であった。

 姉の市乾鹿文に比べて気性の荒い市鹿文は、正義感が強く、小柄だが男勝りである。巫女としての能力は姉より上との評判で、感情を押さえ、冷静に行動する賢い娘だった。姉同様に何くれとなく人の世話を焼くことから、人受けはとてもよかった。

 亭主の迮鹿文はこうしていつも市鹿文を煽るようなことを言う。挑発に乗るほど愚かではなかったが、ずっと前から市鹿文には秘かに期するものがあった、事に依ると上手くやれないかしらと、機会を覗っていた。


 翌日早朝、広場では八十健達が皆雑魚寝していた。贄役の小夜は市乾鹿文が介抱して昨夜のうちに厚鹿文の家に連れ帰っていた。厚鹿文にも服が被せてある。南国ならではなのか、それとも皆丈夫なのか、冬だというのに腹を出して寝ている者ばかりだった。

 そこへ市鹿文が先導して、女どもが土鍋を担いでぞろぞろと出てきた。

「さあさ、みなさん、いい加減に起きて、身なりを整えて下さい。これから暖かい海鮮汁を配って参ります、握り飯もありますよ」

 すきっ腹で酔って寒い中寝ていた者達である、鼻をひくひくさせながら神妙に並んで座り出した。貝や蟹、サザエに海藻などを煮込んだ熱々の汁であった。何人かの女は大きな木の椀とおにぎりを配って回り、そこへ土鍋を持った女達が柄杓でよそって回る。厚鹿文も起きて服を着て階を下りてきた。

「ささ、お頭もおひとつどうぞ」

 厚鹿文に汁を進める市鹿文の視線が、厚鹿文の股間付近に注がれる。

 厚鹿文は市鹿文をじろっと見つめ、その場に座り込むと、汁を満たした椀を受け取り、口に持ってくる前に、そばにじゃれつく子犬に椀の中の大きな貝を手掴みで投げてやった。

 子犬が苦しみ出して悶絶するとでも思ったのだろうが、予想に反し小犬はクンクン鼻を鳴らし、お替わりをせがむ。

「まあ、嫌ですわ、お頭、毒など入っておりませんですよ、おほほ」

 市鹿文はもう一度汁を椀に入れてやった。厚鹿文は怪訝そうに首を傾げながらも、ほくほく言いながら椀を美味そうに平らげた。

 側に土鍋を置いて子犬を拾い上げる市鹿文が、ふと厚鹿文の足下を見て、

「まあ、大変、ここに大きな毛虫がおると」

 と、厚鹿文の股間付近に手を伸ばし、

「えいっ」と、抓みあげた。

「あいて。おい、こら、それは毛虫ではなく、わいの毛やがな、気を付けろ、本とに」

 と言って、片手を股間に宛がう厚鹿文。

「まあ、御免なさいな、お頭・・」

「それよりもう一杯くれや、わいは腹がすいて堪らんさけな」

「はいな」と、素早く袂に手を入れ、すぐに柄杓で鍋を掬って、

「そりゃ、どうぞ、たんと食って下さいまし」

 と言って、にんまりし、まだまだ食べたいだろうと思い土鍋ごと側に置いて、そっと市鹿文は立ち去った。

 途中子犬を放してやり、急いで広場を抜け出て家の後ろの物置に入った市鹿文は、開き戸をピタッと締めて、地べたにしゃがんで息を殺した。

 誰もいないことを確かめると、そこに呪文を封じ込めて用意してあった五寸ほどの泥の人形を握り締め、腹のあたりを指で掻き分けた。そして袂から、取ってきた厚鹿文の体液の付いた陰毛を取り出して、人形に植え込んでまた指で泥を被せて整えた。

 目の前には煮えたぎった鯨油の土鍋が熾火(おきび)に掛けて置いてある。その中へ泥人形をポーンと投げいれ、後ろへ飛び退いた。

 ジュワーッ

 と激しく音を立てて泥人形が揚がっていく。薄暗い物置で、かーっと明るくなった土鍋の明かりが、市鹿文の顔を照らし出し、ギラギラと不気味な表情に変わっていく。

「うふふ、あはははは、焼けろ、どんどん燃えろ。父の仇じゃ、思い知れ、あははは・・」

 狂ったような形相の市鹿文。

 と、その時開き戸がばたんと鳴って、迮鹿文が飛び込んできた。

 市鹿文は土鍋を隠そうと前を遮るが、ギロっと睨まれ、どかされる。煮えたぎった土鍋を見付けられ、すかさず迮鹿文の平手が飛んだ。

 迮鹿文は急いで土鍋を火から蹴り落とすと、鯨油がピチピチ跳ねている泥人形を、足で砂をかけて埋めてしまった。

 そして市鹿文は無理やり手を引かれて、無言のまま表の広場に引き摺られていく。


 広場では大変なことになっていた。厚鹿文が腹痛を起こし、もんどりうって苦しんでいる。迮鹿文達が近づいて行くと、引っ繰り返った土鍋から、香ばしい香りが漂ってくる。食中(しょくあた)りとは違うようで、嘔吐をしている訳ではなかった。体にはあちこちに火傷のような水泡が出来ているから不思議である。

「ちっ」と、口を鳴らして悔しがる市鹿文は、プイッと視線を逸らして歯噛みしている。

 幾分治まってきたのか、厚鹿文は起き上って息を荒げ、二人を見上げた。

「兄者、こ奴の仕業じゃ、物置で小癪なまねをしくさっていた」

 と言って、迮鹿文は市鹿文を投げ捨てるように厚鹿文の前に転がした。

 みるみる顔色が変わる厚鹿文は、立て膝のまま息を荒げて手を伸ばし、市鹿文の胸倉を掴んで引き寄せ、高々と持ち上げた。しだいに市鹿文の顔から血の気が失せていく。

 皆が卑怯なことをした市鹿文を、

「殺せ。殺しちまえ・・」

 と囃したてる。

 そこへ変事を知って駆け付けた市乾鹿文が、

「お願い、許してあげて」

 と、厚鹿文に縋りついて止めに入る。

 しかし、巨木の如くに厚鹿文は動かない。既に市鹿文は朦朧として、気絶寸前である。

 迮鹿文も驚いた。

「兄者、市は悪い事をした、罰を受けねばならんのは分かる。けど、考えてくれ、市はわいの女房や、わいに免じて命だけは助けてくれんか。頼む、二度とさせんから・・」

 市乾鹿文と迮鹿文の必死の説得が続く。

 やがて市鹿文を持ちあげて押し黙ったまま動かなかった厚鹿文も、にっこり笑って掴んでいる右手を開いた。

 下で気絶した市鹿文を迮鹿文が受けとめ、喝を入れて揺り起した。

 厚鹿文がゆっくりと立ち上がって市鹿文を睨んだ。見ると体中にあった水泡がいつの間にか目立たなくなっていた。

「市鹿文よ、ぬしゃのやったことは憎いぞ、その行為や憎しじゃ」

 そして、厚鹿文は周囲のみんなに視線を移し、

「ぬしゃが死ねば悲しむ者が多い。またぬしゃのその知恵と才能が惜しい。許してやる、二度とするな!」

 厚鹿文は高らかに宣言した。

 歓声が巻き起った。丸で演説をぶっているような光景。――


「くー、惜しかったわねー、もう少しであの厚鹿文が死んでいたかもしれないのに」

「(ポーン)アルテミス様、あまり野蛮なものを見て、御自身も残酷になっておりますよ」

「はは、本とに、今日はなんだか胸が悪くなるような画ばっかりだから、ついね・・でも、いいのよあいつなら、人でなしなんだから・・だけど市鹿文を助けるなんて、らしくないわよねぇ、どうしたことかしら」

「はっはっは、読みがあもう御座いますよ、アルテミス様。これは初めから仕組まれたことで御座います」

「ええ、なんですって、どういうことよ」

「これは迮鹿文が市鹿文のあまりの意固地さに、何か仕出かしそうだと思い、逆に敢えて煽ってやらせて、その現場を押さえて、大仰に芝居を演じたものでしょう」

「ええ、そうだったの。やな性格ねぇ迮鹿文って奴も、罠にはめてそれを利用するだなんて・・・んーん、中々手強いわね、や、やるじゃないの、ほほほ」

「アルテミス様、何故震えているのです」

「いや、こ、これから戦うと思うと、何だかこう、気が昂ってきてね、あはは」

「戦うのは小碓達で御座いますよ。ともかく、どうなるのかしっかり歴史を見ておきましょう。どっちが勝っても神の思し召しってところで御座います」

「やだなぁ、あんな奴・・・でも、どう見ても話し合いってことはなさそうだし・・ああもう、頑張れ、小碓」

 市鹿文は優れた巫女だったし熊の地での人望もあったので、厚鹿文達には初めから殺すつもりなどなかったようだ。怨みを忘れて、なんとかして熊曾の民に溶け込んで欲しいと迮鹿文は思ったのかもしれない。厚鹿文の参謀として、政治的で危険な駆け引きであった。

 しかし、芝居とはいえ今度のことには厚鹿文も身に(こた)えた。以来食べ物を口にする際は、必ず犬猫か水仕に毒味をさせるようになった。そして巫女の二人には絶えず八十健の眼が光ることにもなったのである。

 アルテミスにとっても、新嘗の秘儀といい、呪いの術といい、巫女の力がこれほどとは思わなかった。一歩遅ければ厚鹿文は間違いなく死んでいた事だろう。


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