二の一
二
月日は流れ、花も散った新緑の頃、厚鹿文は拠点を鹿文から姶良という場所に移す為大きな砦を建設中であった。村人を使わず、男女合わせて数百人の八十健達のみで進めている。百姓には作物をせっせと作って欲しいという事であろう。
まだ租税という形ではないが、既に収穫の何割かは納めさせていたようだ。その代わりに民の身を守る、道や用水堀を作ってやる、不作の時には施しをするなどを厚鹿文は約束した。好戦的で荒々しいとはいえ、支配地の百姓や漁夫、八十健達のことはとても大事にしているのである。
小碓達が物売りなどに身をやつして二月余も調べた結果、熊曾の事情が良く分かってきた。とてもの事にあの厚鹿文と迮鹿文の二人が降参するとは思えない。熊曾を倭に批准させるには首領の厚鹿文を倒すほかはないようだった。豊国直らに協力を要請し、兵を挙げて攻め立てれば国土を傷つけ百姓達を苦しめる。日の本が纏まっていない時期にする事ではない。帝の権威が失墜する恐れがある。また誰しも死ぬのは怖いのだから、多少の欲得では動かない。したがって、余程のことがない限り、大軍が奇声を上げてぶつかり合うという戦はめったに起こらない。
歴史の浅い時代においては、首領を破るか殺した者が次の首領になるという傾向がある。首領の条件は強くて一番頼りになる指導者であることだ。首領を倒した者だからこそ誰も反発せず従うのだ。このことはあらゆる生き物が持つ本能かもしれない。
かといってあの厚鹿文はまともに向き合って倒せる相手とも思えない。小碓らはとにかく邑に潜入して弱点を探し、より良き作戦を立てようと考えた。姑息な小細工などは大嫌いな小碓ではあったが、この際やれることは何でもやるしかないと覚悟した。
もうじき田植えという頃、鹿文の地にやって来た小碓達は、海辺で見つけた洞窟に住み着き、漁夫や薪拾いに身をやつし邑に入り込んだ。鹿文邑は農業と牧畜を生業としているから、魚売りは尊ばれる。折しも姶良で砦を建設中のため、人が少ない時期でもあり、雑用をしてくれる者も有り難がられた。
桜島の御岳は噴火が小康に入り穏やかだった。御岳のすぐ東にあるこの鹿文邑も、ようやく一息つける年がやってきていた。鹿文邑は砦を中心に、外側に伏屋根の家が五十棟ほど散らばっていて、南国特有の椰子の木や棕櫚、蘇鉄があちこちに生えている。周りに田畑や牛馬の放牧地が広がり、点々と散らばる厩のような建物も見える。
厚鹿文達の住む砦は特に見張りがいる訳でもなく、昼間は吊り橋が下りている。勿論外堀の門までのことで、内堀の門にはさすがに見張りがいて、勝手に中には入れない。
砦の外堀と内堀の間の領域にはあちこちにひと回り大きな伏屋根の家が立っている。丸で巨大な虫籠を思わせる、半球形のドーム状の涼しげな建物である。八十健の有力者達の家だ。中に柱が何本も建ててあり、外壁は麻の布を張り合わせたもので、一間おきに葦の簾が使われているため、中はいたって明るい。南国特有の造りであろう。ただし台風などの災害には弱そうだ。砦の外に散らばる伏屋根の家は、これとは異なり、萱葺きのがっしりした暑苦しい造りとなっている。
小碓も三太夫も大人風の丸髷にし、愛用の着込みの姿になった。小碓の髷は髪が長いせいもあり、襟足が後ろに垂れて幾分幼さを感じさせる。二人は兄弟という事にして、兄が三太夫で弟が小次郎と名乗った。東の海辺から火山の噴煙を避けて移り住んだ者という触込みである。
昼前、小碓の小次郎は漁を生業とする海童として魚を竹で編んだ籠に入れて鹿文邑の砦に向かった。小次郎は内堀までやって来ると、顔馴染みの門番に挨拶し、吊り橋を通してもらった。
内堀の内側は南端の吊り橋を潜るとすぐに広場で、北奥に高床の巨大な穀物倉庫がある。高千穂山を背にして立ち、階の上は前述の如く祭壇にもなっている。共同の穀物倉庫には災害時の備蓄と来年のための種が保管されている。なお、百姓達の穀物は世帯ごとの倉に備蓄される。
東西に共同の厠と物見櫓があり、広い東側一帯は首領たちの居住区で、奥から順に厚鹿文、迮鹿文の高床の家が並ぶ、その周りにも小さな倉などがあり、共同の炊事場がある。
入ってすぐ右手の炊事場の入口にやって来た小次郎が、
「毎度、魚はいらんかね、獲れたてのイサキだよ。アジもあるでよぉ」
と、威勢のいい声を張り上げた。すっかり海童になりきっている。
「おや小次郎はん、今日も元気でよかじゃね。さあこっちに来てお魚見せてたも」
振り返った水仕の小母さんが、前掛けで手を拭きながらにこにこ微笑んでいる。小次郎も笑顔を返しつつ近寄り、魚籠を下ろした。
すると、
「どれどれ」
と、小母さんが魚籠を覗いて、顔をしかめた。
「なんやなんや今日は、こんだけかいな、もっと獲ってこなぁ、おかずが足らんがな」
「どうも今日は魚の食いが悪くて・・・勘弁して下さい、そのかわり何でも手伝ってゆきますから」
「まあ、しゃあないか。けど、このイサキはいい型だな」
一尺ほどのイサキが一尾に小アジが五尾、それにワカメがひと山あった。イサキはここらでよく獲れる魚である。片手に余る大きな粟のお握りと夕飯用の芋や米などと交換してもらう。そしてそれとなく家の様子などを聞き込んで、情報を集めるのである。
小次郎の威勢の良さが好感を呼んでいるのか、大層女子衆に人気があった。普段は内堀の内側には厚鹿文と迮鹿文の家族と仕丁達が、全部で三十人から住んでいるが、今は姶良の工事のために殆んど出払っていて十人ほどしかいない。
湾に沿って一日半ほど北西に歩くと姶良である、隼人村のやや西に当たる。昨年秋から八十健達はずっと姶良で砦の建設に当たっている。前述したように熊国を加えたため、南に偏った鹿文ではなく姶良を新しい拠点と定めたのである。尤も厚鹿文や迮鹿文は時々戻ってくるので、小碓の小次郎とは既に面識があった。
小母さんは早速魚を捌き始めた。小次郎は土間に座って握り飯を食べながら世間話をし始めた。小母さんは嫌がるそぶりもなく話に応じてくる。
ふと、そこへ見目麗しい娘があたふたと走ってきて、炊事場を覗いた。
「ああ、小次郎さん、よかった、待ってたのよ、こっちこっち、早く」
「へ? ああ、はいはい」
小次郎は陽気に返事をした。
「どうしました、おふうはん、そんなに慌てて」
「いいから早く来て」
「へい、分かりました」
慌てて残った握り飯を口に詰め込むと、手に残った飯粒をついばみながら立ち上がって出て行った。水仕の小母さんもポカンとして入口から出て見ている。
おふうに促されて付いて行くと、何やら焦げ臭いにおいが漂ってくる。
「なんか臭いますね、どうしたんです」
「そうなのよ、昨日の夜、御岳山が怒ったらしくて、屋根が焦げてしまったと。なんとかしてよ」
「へぇー、山がねぇ、でもどうしておふうはんのとこだけなんでしょう。他の所も焦げてもいいはずなのに」
「そんなん、知らんわ」
家の前にやって来ると、おふうは屋根を指差して、
「ほら、あそこ。はよぉ見てくれる」
「へい、分かりました、ともかく火元を消しとかないと。梯子を用意しますから、みんなで水桶を回して下さい」
他の者も手伝って水を汲んでは桶を廻し始め、梯子に登った小次郎が屋根に水を撒いた。
じゅじゅっ
と音がして水煙が上がる。一ヶ所ひどく燻ぶっている所がある、でっかい噴石が飛んで来たと見える。
「あと数回水をかけたら消えそうですね。もうじき兄貴が来ますから二人で屋根を直しておきましょう。家の中に水が垂れたでしょうから片付けといて下さい」
「御苦労さま、助かるわ、小次郎さん。終わったら晩御飯食べて行ってね」
「へい、有り難う御座います」
小次郎は嬉しそうに答えた。このおふうとは何故かうまが合い、小次郎にはお気に入りの人だった。ちょうど火が消えた頃、下で三太夫がにこにこしながら見上げていた。
それから二人で焼けて傷んだ萱葺を張り替えて、夕暮れまで掛かってようやく修繕が完了した。二人は水浴びをして体を洗い、夕飯を頂いてから帰って行った。
洞窟に戻ると小碓の小次郎はいつものように三太夫と情報の交換を始めた。
小碓は、初めおふうと呼ばれる娘を首領の厚鹿文の娘とばかり思っていたが、どうやら奥方だと分かった。あまりに歳が離れ過ぎていて、それと分からなかったのだ。小碓の二つ上で、十七歳になっている。
彼女こそ市乾鹿文、そして二つ下の妹市鹿文の二人は、父の敵に無理やり連れて来られて妻にされたのである。
時々悲しげな眼をして天を仰いでいる姿を何度か見かけた小碓は、彼女達を何とかしてやりたいと思った。しかもこの姉妹は倭姫の語った古い言い伝えにある社の長者の遠い子孫に当たる。偶然とはいえ、小碓にも少なからず縁のある家柄の者なのであった。
「倭姫のお告げに現れた乙女とは、彼女達のことかな」
「味方になってくれそうやけど、それだけでは何とも・・」
三太夫は顔をしかめた。
小碓にはこの姉妹がお告げとどう繋がるのか皆目見当が付かない。ただ、彼女達は今幸せなのか、そうでなくても現状を嫌がってないのであれば、余計な世話をする事になる。帝の詔勅がある以上やるしかないのだが、どうすべきか悩む小碓であった。
「主、悩んでいても始まらぬ、とにかく二人の気持だけは確認しておきましょうや。こちらの素性を迂闊に明かしてはいけませんぞ。主は姉のおふうはんの方を、わいは妹の市やんの方にそれとなく訊いてみましょう」
翌日昼過ぎ、砦で物置の屋根を修理していた二人は、下からおふうに声を掛けられた。
「御苦労さん、三太夫さんも小次郎さんも、少しは休みなはれ、お芋蒸かしたと」
間食の里芋である、この時代薩摩芋は存在しない。
「ああ、これは有り難い・・・」
と言って、三太夫が小碓の小次郎に目配せをした。二人は梯子を下りていく。
すると、三太夫は小用と言ってどこかへ行ってしまった。
階に小次郎とおふうの二人が腰掛けるだけで、辺りは誰もいなくなった。手拭いで汗を拭いながら、小次郎は茶碗に白湯を注ぐ市乾鹿文をちらりと見つめ、そして側の器に盛ってある芋の山に視線を移した。
「おお、こいつは旨そうだ、頂きます」
小次郎は竹串で芋を突き刺した。そして一口齧ると何気なく、
「なあおふうはん、あなたは社の長者の娘さんだってね」
と話し掛けた。
「え?」
ピクンと反応して顔を上げた市乾鹿文が、思わず土瓶を落としそうになる。
「そうだけど・・・」
「あなたは厚様を憎くはないのかい」
「え? 亭主の厚様・・・べ、別に厚様はよくしてくれます、そんなこと、ありません」
平静を装う市乾鹿文だが、急に貌色を変え、妙に力んで言葉づかいもいつもと違う。
「も、もう忘れた事です、思い出させないで」
俯く市乾鹿文の、
キッ
と、一瞬小碓を睨んだ目にキラッと雫が光ったのを小次郎は見逃さなかった。
「小次郎さん、何でそんなこと聞くの。迮鹿文に頼まれたの。あんた、何者?」
まさかとは思ったが、一瞬市乾鹿文は小次郎が迮鹿文の手先ではないかと疑った。
この時、二人を遠くで凝視する者がいた。小柄な男が蘇鉄の陰からこっそり覗いているのだが、二人は皆目気付いていない。
「わいはただの海童です。よくしてもらっているからおふうはん達の役に立ちたくて・・迮鹿文というと、市やんの旦那で。あの人が何か?」
急に市乾鹿文は小次郎の眼をじっと凝視する、丸で睨めっこのようだ。小次郎の大きい目は曇り一つ無く、正義感に燃えていた。
「そうか、違うんか・・」
と言って、涙ぐむ市乾鹿文であった。
「ごめん、つらい事を思い出させてしまって」
そう言って、そっと彼女の肩に手をやると、彼女は涙ぐみながら小次郎に抱きついてきた。予想外のことに小次郎は面食らった。どうして良いのか分からず、とりあえず背中をそっと撫でてやり彼女の涙が引くのを待った。
小次郎は、市乾鹿文がまだ相当に厚鹿文達に恨みを持っていると確信した。
三太夫の話では、妹の市鹿文はさらに根深いらしく、隙有らば寝首を掻きたいというほどの強い意志を感じたという。ただ、市鹿文は呪いによって厚鹿文を斃そうとしたが失敗し、殺されかけたのでかなり慎重になっているという。
その後小次郎らは、ともかく手荒なことは控えるように、そのうちきっといい事があるからと二人に自重を促した。素性を話すにはまだ時が早過ぎると思ったのである。




