↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黎明のまほら~アルテミスの祈り  作者: 葵しん
第三章、 熊 曾
20/109

     一の三

 五作の家が見えてきた。このあたりでは比較的大きな家だ。周りを蘇鉄(そてつ)や棕櫚(しゅろ)などの防風林で覆った屋敷地で、現在のモンゴルのゲル(パオ)に似た半球形の家が三つ建っている。所々が簾(すだれ)の窓となっている風通しの良さそうな麻布張りの大きな竪穴の建物である。小さな高床の倉庫もある。三世代十人ほどが暮らしている屋敷地である。

 その敷地の中央で、芋俵にどっかと腰を下ろし、垂直に立てた棍棒の握りに両の掌を載せ、顎を置いてにんまりしている男こそ厚鹿文である。庭の中央に収穫物が山のように積まれ、迮鹿文が部下を指揮して麻袋に詰め込んでいる。

 社の長者が門を潜った瞬間、八十健達がみな手を止めた。異様な緊張が走った。

「厚鹿文殿」

 声に震えが混じる。それでも社の長者は努めて穏やかな顔をしてゆっくりと近づいた。

「これは一体どういう事じゃ、わしらの村で、わしらの畑で作ったものを勝手に収穫するとは。それとも収穫の手伝いをしてくれたのかな」

「ふはははは」と、高らかに嘲り笑う厚鹿文は、

「面白い事を言うじゃないか、ふふふ。わいらはただ野山で芋掘りをしていたまでの事、お前らの畑とは誰が決めた」

 と、声を荒げて恫喝した。

 が、社の長者には通じない。

「それはあまりに理不尽な言い方、わしらはここで丹精込めて作物を育てたのじゃ、それを全部持って行かれては飢え死にしてしまう・・・」

 一瞬ためらうそぶりの社の長者は邑の者達を振り返り見たが、意を決して言葉を発した。

「どうかな厚鹿文殿、毎年収穫の四割を汝(おこと)に治める、それで勘弁してくれまいかのぉ」

「ふふん」と、したり顔の厚鹿文は棍棒で一つ地べたを突(つつ)いた。

 そして横を向くと、迮鹿文に顎をしゃくって目配せをした。

 迮鹿文は首を横に振っている。厚鹿文が怪訝な顔をして迮鹿文を見るが、今度は向き直った迮鹿文が話しだす。

「いや、ここはわいら八十健の土地とする事にした。社(やしろ)の、汝(おの)れはこの厚鹿文様と勝負をしろ、勝てば曾と熊両方の種族の首領となるのだ」

「そ、それは・・・」

「嫌と申すか。嫌なれば汝れの首をもらうがいいか。そのかわりお前はどんな得物でも使ってよい。兄者は棍棒だけだ、一対一の正々堂々の勝負だ。社殿、あんたが勝てばわいらはあんたの家来になる、それが八十健の掟だ」

「ちょっと待って下され、わしは戦いは好まぬ、わしらは家来になると言っておるのだ、それで勘弁して下さらんか」

 哀願する社の長者に、迮鹿文は胸を反らせ、眉を吊り上げて睨み、

「臆したか社の、頭が二人では統制が執れんではないか。さあ、河原へ行こう」

 と強要した。厚鹿文は弟の苛烈さに少々面食らったが、随う事にした。

 西に少し行くと球磨川の蛇行した曲がり角に土砂が堆積して出来た河原がある。迮鹿文はそこで決着をつけようという。皆が立ち上がってぞろぞろ河原に向かい始めた。

 周りの民草達も気が気でなく、不安な面持ちで付いて行く。

 八十健達は横一列に広がって河原に座って見ている。

「社の、さあ、武器を選べ」と、迮鹿文は細い目を一層細くして不敵に笑った。

「兄者、御支度を」

 迮鹿文はそう言うと、長者の前に長山刀(ながなた)や刀、槍、色々な物を家来に放らせた。あとで卑怯と言わせないためである。問答無用の扱いだ。西国では大陸が近いせいか鉄の普及が早い、殆んどが鉄製であった。

 厚鹿文はにやにやしながら棍棒を肩に担ぎ、中央に進み出た。

 やがて諦めた社の長者も得物を持って出てきた。砂に近い玉砂利が広がる河原、足駄では動きが取れない、二人とも裸足になった。

 八十健の衆と社邑の衆がぐるりを囲む中、一騎打ちが始まった。

 長者は戦いなどした事がない、どんな得物を持ってもまともに使えるとは思えない。腰に長山刀を差し、右手に槍を構えた。一方厚鹿文は堅い樫の木で作った棍棒一つ。

 互いに刃先が届かない程度に間合いを空けて身構えた。

 じりり、じりり

 と、小石ほどもある大粒の砂の擦れる音が、静寂の中に響く。二人は得物を構え、お互いを食い入るように見つめながら回転している。

 中々勝負が始まらない、見物衆が生唾をごくりと呑みこむ。

 ふと午後の強い日差しが厚鹿文の顔に照りつけた瞬間、長者は勇気を振るって槍を撓らせ、掛け声をあげて飛びかかった。上から厚鹿文に槍を叩きつけたのだ。

 しかし、無残にもその槍は棍棒で弾き飛ばされ、

「ウォー!」

 と、雄叫びをあげて迫る厚鹿文。

 日差しの不利など関係がない。鬼の形相で棍棒を高々と振り上げ、慌てて構えた長山刀ごと社の長者の脳天を叩き割った。

 ぐしゃっ!

 という嫌な音と共に長者の体は人の形を失った。

 勝負は一瞬でついた。周り中から悲鳴と歓声がどっと巻き起こる。

 雄叫びをあげ、棍棒を高々と振り上げる厚鹿文が大音声で叫ぶ。

「皆の者、よっく聞け! 今日から熊の地はこの厚鹿文様が治める、そしてわれらは今日より熊曾となるのだ」

 一斉に八十健達の鬨の声が上がった。逆に社邑の衆は座り込んで項垂(うなだ)れきっている。

 これによって熊の地も厚鹿文の治める地となったのである。

 長者には二人の娘がいた。姉が市乾(いちふ)、妹が市(いち)という。まだ十六と十四という少女である。二人とも大層器量が良く賢いと遠くの村まで評判だった。しかも長者の人柄を受け継ぎ、民からも愛されている姉妹だった。祭事の事も既に父から受け継いでいて、暦も知り、筮竹(ぜいちく)の占いも出来るようになっている。

 この二人は不本意ながらのちに厚鹿文に引き取られ、姉が厚鹿文に妹が迮鹿文に嫁いだ。そして市乾鹿文(いちふかや)と市鹿文(いちかや)と呼ばれるようになる。――


 ここでアルテミスの見ている映像がとまった。

「どうしてあんなに残虐に殺したのかしら。社の長者は家来になると申し出たのに、何も殺さなくたって・・」

「(ポーン)どうやら迮鹿文は二人の娘達が欲しかったようですね。優秀な占い師が欲しかったのでしょう」

「だけどさ、あそこまでしなくても社の長者だけを追放すればいいはずでしょ」

「しかし、それでは娘達が手に入らない、どうしても社の長者を始末したかったのですよ。また彼女らは民草に慕われているから、妻にすることで両方の民を安心させる効果もあるとみたのでしょう」

「全く野蛮で勝手な奴らね」

 アルテミスは立ち上がり、体をぶるぶるっと強張らせた。

「ああ、気持ちの悪いもの見ちゃった、温泉にでも入って気分転換してこよう。あとは頼むね、ハデス」

「行ってらっしゃい」

 ハデスは頭を回転していつもの仕事に戻ろうとしたが、ふと右側に光を感じ、

「おや・・アルテミス様、ちょっとお待ちを、まだ続きがあるようですが・・」

「ええ、そうなの、しょうがないわねぇ、じゃもう少し見てようか」

 と、また椅子に座り直した。

「今度こそあんな野蛮な画でありませんように、頼んだわよ、ハデス」

 だがこれは些か無理な注文である。


 ――頃は冬、厚鹿文が熊の地を治めて初めての収穫祝いの時がやってきた。ちょうど小碓達が揖保村をあとにした頃である。鹿文邑(かやむら)の砦中庭の広場に集まる八十健達。篝火が四方八方に焚(た)かれ、広場の縁を囲むように円形に座って、賑わっている。

 昼間は近隣の民草達や国中の村おさ達も広場に集まり賑やかにお祭り騒ぎだったが、夜ともなると八十健達だけになり、宴会と新嘗(にいなめ)の神事が行なわれる。

 宴もたけなわとなり、女達もそれぞれの家に帰った頃、酔った八十健達が今度は北の端にある穀物倉庫の階(きざはし)の前にぞろぞろ集まってきて、思い思いに座り出した。

 白煙を上げる北の高千穂山を望む方向に立つ高床の穀物倉庫、幅二間(三メートル半)、二十段ほどの木造の階を登りきると、入り口まで二間四方ほどの高楼(壇)があり、入り口に祭壇が設けられている。祭壇には幣帛(みてぐら)(供物)が並べられ、その両脇に篝火が据えられている。また楼上の両端(りょうはし)にも篝火が煌々と焚かれ、用心のためであろうが、篝火の傍らにはそれぞれ丸木の内側を刳(く)り貫いた水桶が置いてある。

 四人の男女が横一列に並び、祭壇に向かって拝んでいる。四人とも裸足である。

 両脇に単衣を着て長い袴を穿き、その上に襲(おすい)を羽織っている市乾鹿文(いちふかや)と市鹿文、全身白ずくめで、長い髪を扇状にふっくらと丸くして背中で束ねて背に垂らしている。棕櫚(しゅろ)の葉を振り、時折、間の二人を棕櫚の葉で叩いたりしながら訳の分からない奇妙な呪文を唱えている。昨年までは巫女に扮しただけの八十健の者二人が立ち会ったのだが、今年からは正式な巫女二人が儀式を取り仕切っている。

 内側にはいつもの毛皮姿の巨大な厚鹿文、一人だけ倍ほどもある背丈。

 そして、白い単衣に短い袴姿の小娘、頭に白い頭巾を被り顔が殆んど見えない、髪だけが後ろから背に垂れている。小娘の顔を神役(・・)の者が化身する前に見てはいけないことになっていた。

 奇妙な取り合わせである。

 魚介や穀物などを祭壇に供え、神の御恵(みめぐ)みにより穀物の実りがあったことを神に報告し感謝する、そして来年もまたお願い致しますと贄(にえ)を捧げるのである。

 言わばこの小娘は幣帛(みてぐら)である。生娘を捧げ、神のお種を頂く儀式が新嘗祭の本来のあり方であった。生娘が見事神の子を生(な)せば、来年の豊作が約束されるというのである。

 …『列島の古代史 ⑦信仰』岩波書店を参考。…


 この日の昼、小娘は地方の村おさと共にやってきて、市乾鹿文に預けられた。名を小夜(さよ)と言い、村おさの娘である。妹の市鹿文と歳が同じなのだが、市乾鹿文には小夜が小柄なせいかもっと下に見えてしまう。

 体を井戸水ですっかり洗い清め、その上で高千穂の麓の川から頂いてきた聖なる水で性器を洗う。小夜という小娘が生娘であること、そして子を生すことの出来る状態かどうかも確かめる。この娘の世話は全て市乾鹿文の役目であった。

 そして厚鹿文はひと月の断食と女色(にょしょく)の禁を守ってきたのである。断食せねばならない理由が些か分からないが、ともあれ身の清めの酒だけが僅かだけ許され、すきっ腹でほろ酔いの状態の厚鹿文である。


 巫女である市乾鹿文と市鹿文の異様な祈りが終わり、市乾鹿文は小娘の頭巾を取り去った。小娘が小刻みに震えているのが見て取れる。そして、市鹿文に視線を送り、そのまま二人は後ずさりしてくるっと向きを変えて歩きだす。据えてある贄台(にえだい)を脇に見、二人は階(きざはし)を静かに降りて立ち去って行く。

 階の降り口近くの楼上に、直径(さしわたし)一間、高さ一尺半の頑丈な七分月(しちぶづき)の杉の台が据えられている。普段は使われず端に立て掛けてあって、おもに演説をぶったりするお立ち台なのだが、今日ばかりは全く違う。

 熊曾では、この一事のことのみで贄台(にえだい)と呼ばれている。

 むざむざか弱き小娘一人を修羅場に残して目を真っ赤にしている市乾鹿文と、きっ(・・)と唇を噛んで虚空を睨む市鹿文。やりきれない思いが込み上げる二人は、途中から小走りでそれぞれの家へと向かった。広場の東端に並ぶ厚鹿文と迮鹿文の家、高床の建物に掛け込んで中に入ると、ピタッと入り口を閉ざした。

 市乾鹿文(いちふかや)が手早く若草色の単衣と袴に着替え、髪を束ね直していると、

「吾こそは隼人の祖神なるぞ・・」

 と、広場の楼上で、神が化身した厚鹿文の声が響いてくる。

 市乾鹿文は思わずハッとして耳に手を当て、しゃがみ込んだ。束ねそこなった長い髪が宙にふわっと浮いて、巨大な茸のように床板上に広がった。祈りの後、ちらっと見た小夜の顔が目に焼き付いている。小刻みに震え、顔が火照り、恍惚となっていた。

(役目とはいえ、わては何て事をしたのだろう。御免ね、小夜ちゃん・・・)

 市乾鹿文は、小夜に媚薬の効果を現す術を掛けたのであった。

 すぐに小夜の絶叫が聞こえた。耳を塞いでも否応なしに響いてくる。

 むなしくて、悲しくて涙が止まらない。市乾鹿文はただひたすらに耳を押さえ、泣きながら時が経つのを待った。

 妹の市鹿文の方は隼人神を呼び出して厚鹿文に化身させたのである。

 しかし、娘の小夜を差し出した地方の村おさにとっては、むしろ光栄なことなのだろう。子を生せば小夜にとっても必然的に側女(そばめ)として首領のもとで楽に暮らせることになるのだ、悪いはずはない。そう割り切るべきであったが、中々理性が許さない市乾鹿文であった。

 八十健達の淫らな囃しの声が止めどなく聞こえる、踊りながらリズムを取っているのがはっきり分かる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。