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黎明のまほら~アルテミスの祈り  作者: 葵しん
第三章、 熊 曾
19/109

     一の二

 アルテミスは巣立ちを待つ小鳥のように目いっぱいに両腕を広げ、大きな欠伸をした。目尻の滴を指で拭うと、椅子から立ち上がり屈伸運動を始めた。

「ねぇハデス、前にも何度か見たけど、あの温泉というやつ、中々気持ちよさそうね」

「(ポーン)そのようですね、体を清めることは新陳代謝を促しますから、疲れがとれるのでしょうね」

「ねえ、今度作ってよ、たまには裸になってゆっくり湯に浸かってのんびりしたいわ」

「はい、いつでもご用命のままに致します。それにしてもアルテミス様、湯に浸かってのんびりしたいと申されますが、いつものんびりしているようにお見受け致しますが。たまには運動も致しませんと、老(ふ)け込んでしまいますよ」

「いやねぇ、ハデスったら。体はこのスーツ(肌着として着ている宇宙服)のお陰でカロリーコントロールされているし、寝ている間に勝手に運動させられているじゃないの。お陰でいつでもスタイルはこの通りよ」

 と、アルテミスはくるっと回って踊って見せた。

「体の事を言っているのではありませんよ、お気持の事で御座います。いつも同じサイクルばかり繰り返していると、退屈を致します。自然に気力が萎(な)えてきて老(ふ)け込んでくるもので御座います。一日一度は外に出て気分転換することをお勧めします」

「はーい、分かりました、先生」

 アルテミスは立ち上り、愛用のステッキで凝った首筋をトントンと叩いた。

「じゃあ、ミーはこれから美容のためにベッドに入らせていただきまーす。ハデス先生、あとは宜しくお願い致します」

 とかく宇宙船内での生活は退屈する。重力もあり森や演劇場、競技場も用意されているとはいえ、地球上の人間よりも五倍も長生きをする人達なのである、退屈との戦いが最大の課題といえる。

 しかるにこれも十億年というミノス、そしてタルタロスへと続いた人類の科学の積み重ねがなせる結果であった。宇宙空間から動力とエネルギーを得るエンジンや重力をコントロールする技術を持たない二十一世紀の地球人の科学レベルでは到底宇宙旅行など出来はしない。宇宙は危険に満ち満ちているのである、その危険をコンピューターが悉く計算し、回避したりシールドで守ったりしているからこそ、この船は平穏なのである。そのことを十分に心得てはいるが、つい居眠りしてしまうアルテミスであった。


 景行二八年(西暦一四三年)、年が明けてひと月ほどして小碓と三太夫は東の海岸沿いの道を南に向かった。途中豊国直の話に出た穂門(ほと)(佐伯)という村に立ち寄り一泊し、熊曾の情報を得た。

 やがて荒れる海、日向灘を左に見ながら、大淀という川の畔に達すると、地図にある神武大王宮(じんむおおきみのみや)(現宮崎神宮)に辿り着いた。それにしても宮とは言ったものだ、管理する宮司がいる訳でもなく、荒れ果てた廃墟だった。遠い昔に捨てられたのであろう。野宿よりはましと思い、この廃墟で数日泊まることにし、周りの土地を調べて回った。

 ぽつぽつ小部落はあったが、大淀川が度々暴れるせいか、村と呼べるほどの集落はない。熊曾の中でもこの辺りが一番海抜の低い地域なのである。水害さえなければ、東海岸の低地は中々に実りの期待出来る良い土地と思える。

 熊曾とは隼人族の住む国のことである。倭族は何度となく隼人族を屈服させる軍を起こしてきたが、時が経つとすぐまた離反するということを繰り返している。隼人攻略のための根拠地となったのがこの神武大王宮という仮の住まいである。都から最も遠い地ということが、隼人族を勝手気ままにさせることになった。また自然の厳しさが気性を荒々しくさせることも、倭から離反する要件であるのかもしれない。

 熊国と曾国を合わせて熊曾という。熊は火という国のほぼ南半分に当たる地域である。

 ――火を噴く山のある土地だから火国としよう

 と、十代崇神(すじん)大王が命名した。それ以外にも国の命名にはいくつか説がある。

 …のちに火が肥となり、二つに分かれて肥前と肥後になる。曾国の範囲は鹿児島県と宮崎県の全土に及ぶ。熊国は今の熊本県の南半分に当たる。…

 穂門村で仕入れた熊曾の情報は、ざっと以下の如くである。


 ――曾国は大隅半島中央部の鹿文(かや)(現在の鹿屋(かのや)市の北部)という所が拠点であった。しかし状況は良くない。縦に並ぶ四つの火山が共に噴煙を上げ、風向きの加減で主に東側一帯に粉塵を降らせていた。そのため民草が皆西に移動して東側には鹿文邑を除いて、村が無くなった。

 火山の西側には五つほどの村を従えている。いずれも隼人族の村である。

 かつては隼人村(霧島市)という漁村が隼人族の中心だったが、その村おさの何男だったか、ずっと末の者が家族と共に牛馬を引き連れて移住して作ったのが鹿文だった。

 中々に先の見える男だったらしく、海を渡って移住してくる者を快く受け入れ、人が増え、進んだ技術も大いに取り入れていった。そのため鹿文邑では早くから稲作や畑作、牧畜を行っていて、漁業はあまり好まなかったらしい。

 言わば分家の村の方が大きくなって、本家の村を従えるようになったものである。西側の村には串木野や隼人のような漁村が多く、当時の最先端である稲作をすることで生産性の上がる鹿文邑に比べて、人口が少ない。このことが鹿文邑を盟主に押し上げたといえる。

 勢力が広がり熊国を加えると、鹿文の地では南に偏り過ぎて不便を感じるようになる。 また火山灰のせいで作物が育たないため、さぞかし食べ物に困っていた事だろう。――


 小碓は豊国直が南で何かあったのではないかと言っていたのはこの事かと得心した。

 鹿文邑を遠巻きにして、西の果てまで行っては民草にそれとなく聞くうちに、熊曾の事がだんだん分かってきた。

 熊曾国は豪快な兄の厚鹿文(あつかや)、剽悍(ひょうかん)な弟の迮鹿文(さかや)という二人によって治められている。

 首領の厚鹿文は三十五の壮年で、四尺ほどもある堅い樫の棍棒を杖の如くに携え、身の丈六尺を超える色の黒い大男であった。腕の脛(すね)なんかは大人の女の胴周りほどもある。棍棒は厚鹿文の大事な武器で、どんな時でも携えている。誰にも扱えず、また誰にも触らせなかった。いつも風変わりな皮の服を原始人のように左肩に引っ掛けて着て、下は膝丈褌(ひざたけはかま)を穿き、足駄(あしだ)を履いている。やや茶色がかった散(さん)ばら髪を、藤蔓(ふじづる)で(鉢巻状に)纏(まと)め、竹箒(たけぼうき)を逆さにしたように逆立てて伸ばしている。

 厚鹿文の皮の服にはおぞましい噂がある。これまで斃(たお)してきた人間の生皮ではないかという噂が頻りなのである。そうだとしたらこれほど悪趣味なことはない。毛を毟(むし)って抜いたのか、それとも自然に毛が抜けたのか定かではないが、なめし革でもないのに白っぽい皮が剥き出しになっている。その代わりに半分露わになった胸板には、真っ黒い剛毛が獣のように生い茂っている。

 この皮の服を着ているのは厚鹿文だけで、それ以外の者は男も女も皆、袖のやや短い方領(たれくび)の単衣に膝丈袴である。年中温暖なこの地域では、薄物の上下を一枚ずつ着ているだけでよかった。海に漁に出るときは貫頭衣姿になるようだ。

 知恵袋の弟、迮鹿文は三つ下の三十二で背はずっと低く、すばしっこそうで、大きな目をギョロつかせて獲物を探す山猫のような、筋肉質の痩せた男である。剱の技は人並優れているとは聞こえるが、それ以上に頭が切れて抜け目がなくずる賢いとの評判である。

 二人ともかなり特徴のある首飾りを身に着けている。長さ三センチぐらいの牙の形をした翡翠を、紐を通して十個扇型に並べてある。翡翠一つ一つの紐通しの所に細かい細工が施してある。かなり貴重なもので、兄弟の宝なのであろうか。

 …翡翠と言えば装飾品の勾玉の材料にも使われる。つい最近まで日本では新潟県の糸魚(いとい)川でしか採れないとされていた鉱物であるが、熊本の八代(やつしろ)でも近年発見されている。事に依ると日孁(ひるめ)お婆の塚から出土したものかもしれない。ちなみに三種の神器の八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)はおそらく出雲産のメノウである。…

 部下に八十健(やそたける)と呼ばれる強者(つわもの)軍団がいて、従わぬ者を悉(ことごと)く斃(たお)してきた。八十とは八十人いるという意味ではなく、たくさんという意味である。八十健の男達は皆、トレードマークのように藤蔓巻きをして、毛を逆立てているからひと目で分かる。百姓(おみたから)や海人(あま)と違うのは髪型だけで、普段は首領の厚鹿文をはじめ、八十健達も農作業や狩猟などをして暮らしている。招集をかけた時だけ厚鹿文の指令を受けて軍隊のように動き出すのである。

 熊曾にはある掟があった。この地に居る者なら誰でも頭(かしら)に成る資格がある。つまり最も強いものが頭になるのだという掟である。自信のある者は、頭に挑戦して打ち勝てば、その時から次の頭となる。

 厚鹿文はそうやって頭になった。そして弟を参謀として二人で八十健を使い、熊曾を纏めてきたのである。成り立ての頃は何人かが挑戦してきたが、皆頭蓋を割られて死んでいった。あまりの強さに、挑戦する者もいなくなり、無敵を誇っている。

 厚鹿文と迮鹿文は偶然だがこの村の創始者の子孫である。村おさの地位をほかの者に奪われてから、何とかして復活したい、そう願って彼らの親は厚鹿文と迮鹿文を幼い頃から鍛え上げたのであった。残念ながら両親は二人の晴れの姿を見ずに死んでいる。


 この巨大な獣のような厚鹿文を見て、アルテミスは些か不安になった。

「どうやってこんな人を従えるつもりなのかしら。勝てる訳ないわよね」

「(ポーン)とても無理かと思われます。きっと話し合いで友好を深めようとしているのではないですか」

「そうかしら、とても人の言う事を聞きそうな相手には見えないけど・・・そうだわ、熊国を従えたと言っていたけど、その時の様子を見たいわ。どうせ小碓達も情報集めに出ていて退屈だし、ちょうどいいわ」

「畏まりました」

 ハデスは頭をくるんとひと廻りさせ、検索を始めた。

「(ポーン)御座いました、ちょうど一年前のことですね」

 そしてホログラムの映像がアルテミスの眼前に展開する。


 ――熊の地、火ともいうこの地に社邑(やしろむら)がある。球磨川を囲むように山が連なり、その一郭の山を崩した高台上にある村で、砦(環濠集落)を中心として周囲二十町ほどの範囲に百人からの民草が住んでいた。段々畑で粟や稗、麦などの穀物と里芋の二毛作を行っている。漁業も行なっていて、西国の中でも比較的豊かな土地である。

 砦には社の長者と呼ばれる人望のある者が住んでいた。長者の先祖は古くからこの地で、ある塚を守ってきた。大層偉い方の塚(墓)で代々巫(かんなぎ)として祭ってきたものである。暦を司り、吉凶の占いも出来る長者は、邑のかけがえのない指導者であった。

 …社は現在の八代(やつしろ)市である。市の海沿いの低地は後世になって埋め立てられたもので、当時は山ばかりの地域であった。…

 春先、社邑に曾国から八十健達が乗り込んできた。邑の作物を勝手に収穫し持ち去っていくのである。ここ数年繰り返されてきたことらしい。

 当時の曾国は悲惨だった、数年前から高千穂山、御岳(桜島)、耳成(みみなし)山(開聞岳)の三つの山が同時期に噴火して、噴煙のために日差しが翳(かげ)り、塵が積って作物がうまく実らなかったのだ。北の阿蘇山も噴煙を上げているが、こちらは遠すぎて影響が少ない。

 ゆえに仕方なく実りのいい土地に行っては略奪して、飢えをしのいでいたのである。

 昼過ぎ時分、砦の中に慌てて駆け込んできた民草が、吊り橋を渡り中庭を駆け抜け、社の長者の屋敷前までやってきて、どさっと地に座り込んだ。

 長者は放し飼いの鶏に餌をやっていたのだが、この騒ぎに鶏が驚いて逃げてしまった。相当慌てていて、酸欠で腹を上に向けて苦しんでいる魚のように口をぱくぱくやっている。

「どうしたのじゃ、そんなに慌てて」

 民草の様子を見て、長者は餌の入った笊を地べたに置き、側の井戸から水を汲んだ。

「ささ、水でも飲んで落ち着きなされ」

 民草は釣瓶に縋りついて水をガバガバ飲み始めた。

 その様子を穏やかな表情で見守る長者。五十前後の年かっこうで、真っ白な毛髪を首の後ろで束ねて背に垂らしている。広口の袖の単衣に踝(くるぶし)まで隠れる長くふっくらした褌(はかま)姿。白い口髭と顎鬚を垂らし、額には三本の深い皺、白いへの字眉に切れ長に垂れた細い目の姿などは如何にも人徳の高さを感じさせる。

「長者様、た、大変だで、また来おった」

 民草が息を弾ませながら話しだした。

「わしらの畑で勝手に芋掘って、持っていきよる」

「何、またやってきたじゃと。八十健どもか、困ったことじゃのぉ」

 長者は眉を顰(ひそ)めて、白い顎鬚を撫でている。

「よし、仕方がない、わしが行って交渉しよう。で、厚鹿文(あっかや)は今どこにいる」

「へえ、五作んとこの庭で家来に指図してると」

 社の長者は「よし」と言って立ち上がると、動きやすいように手足の裾を紐できりっと絞り込み、愛用の杖を掴んで大股に歩きだした。騒ぎを聞きつけた村の男衆が鍬(くわ)などを手に持ちパラパラと出て来ては長者の後に付いていく。

 道々村人の畑では竹箒頭の男達がせっせと収穫しているのが見える。側で女子供が怖がっておろおろしている。長者達は悲痛な面持ちで通り過ぎた。鍬を振り上げたい気持ちは山々なれど、何しろ荒々しい連中で、皆怖がって尻込みしてしまう。

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