↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黎明のまほら~アルテミスの祈り  作者: 葵しん
第二章、 旅立ち
16/109

     四の一

     四


 暁闇、日女路をあとにして海岸沿いを一刻も行くと、また幅の広い川にぶつかった、揖保(いぼ)川という大河である。昨夜の雨で濁った水が滔々(とうとう)と流れ、飛沫を上げている。橋などあるはずもなく、小碓達は途方に暮れて辺りを見回すが、人っ子一人いない。止む無く上流に向かうこと半刻余、流れは心持ち緩やかになってきた。ようやく見つけた漁夫に舟で渡してもらった。だいぶ上流まで来てしまったようで、辺りは山深い。

 漁夫の話しでは、川沿いを南に向かって小山を二つ越えた所に、数十戸規模の村(たつの市御津町)が在るという。漁夫に礼を言って、早速海辺の村に向かうことにした。

 日が中天に懸かった頃、村に向かってひとつ目の山を下っていると、沖の方から、

 ドワーン!

 という、大きな銅鑼のような音が響いてきた。何だろうと思い、二人は足を速めた。

 ようやく丘の上から村が見える所に辿り着いた。小碓はその有様をひと目見て仰天した。

 棍棒を振り回して人を追い立てたり、家を壊したり、付け火をしている者がいる。かと思うと河口では村の女達を担いだり、食料と思しき麻の袋を担いだりした男どもが、岸に付けてある小舟にどんどん積みこんでは、沖の大船に向かって出航していく。

 ぶたれて血を流し呻いている者、泣きながら逃げ惑う子供らや家畜。村はあちこちから火が立ち昇り、惨憺たる有様。明らかに海賊共が村を襲っている図であった。

 小碓はあまりの有り様に呆気に取られて見ていたが、段々怒りが込み上げてきた。

「三太夫、助けに行こう」

 と、小碓は立ち上がろうとしたが、

「待ちなせえ、主」

 三太夫が小碓を制した。

「今立回りをすれば却って村の者を巻きこんで、死人がぎょーさん出るがな。ちびっと様子を見ましょうや」

 やがて海賊共は皆海に去った。小碓達は丘を降った。

 三太夫が傍らに蹲っている老人に、

「おい、爺さん、何があったんだ」

 と、尋ねたが、震えるだけで要領を得ない。怪我人は多いが、幸い死人は出ていないようだ。見ると腰の曲がった老人が子供や年寄り、怪我人を一ヶ所に集めて避難させ、その老人の指令のもとに動ける者は建物の消火や後片付けに奔走している様子であった。小碓達も消化を手伝った。

 一段落した頃、小碓達は指令をしていた村おさらしき老人に歩み寄った。白髪頭を天辺で纏めた総髪で、泥鰌髭を生やした皺だらけの穏やかそうな老人である。

 その老人に何があったのか訊ねると、

「わしは揖保村のおさですじゃ。旅の方かね、手伝って頂き忝(かたじけの)ぉ御座る。今朝方、天日槍(あめのひぼこ)とか申す新羅の王子の家来がやってきて水と食糧が欲しいゆえ、上陸させてくれと言ってきたので御座います」

「天日槍?」

 聞き慣れぬ名に小碓は小首を傾げて三太夫を見るが、

「新羅とは国同士の交わりはないはずですな。天日槍ねえ・・」

 と、三太夫も同じ表情をしている。

「へえ、どうも他国の者らしいので危ういと思いまして、港に係留は許すが上陸は許可出来ない、あとで水と食料を持っていこうと申しました。ところがその態度にかっとなったのか、天日槍が家来を連れだって、大挙して襲って来たので御座います。食べ物を持っていくだけでなく、若い女達まで連れ去りました。全く荒っぽい奴らですわい。家族を失って、わしらこれからどうすればよいのか・・」

 村おさは泣き崩れた。

「これは見過ごせない・・見過ごせないけど、どうしようか、三太夫」

 あまり気乗りしない様子の小碓である。

「見たところ相手は数十人は居ますぞ、わいら二人じゃ到底かないませんやな。また出来たとしても、そのことが新羅本国に知られたら、戦は必定ですわい」

「困ったな、出来ることはないのか、女達がさらわれたというのに・・」

「お願いで御座います、どうかお助け下さいまし」

 村おさが三太夫に縋りつく。

「まあ待ちなせぇ、今どうするか考えとるから」

 三太夫はこのまま放って置いても、おそらく新羅の連中は女達を返してくるだろうとは思っていた。連れていけば食い扶ちが余計に減るし、足手まといだ。

 思うに新羅の者らは生理的欲求で行動しただけなのであろう。上陸し村を乗っ取ろうと考えているなら、言う事を聞かない者を見せしめに殺戮していたはず。

 しかし、このままいいようにさせとく訳にはいかない、懲らしめておかなければ倭が侮られる。倭の威信に賭けてもなんとかせねば、そう三太夫は思った。

「村おさ、確か天日槍は新羅の王子とか言っとったな、王子が船に乗っとるのか」

「へえ、二十五ぐらいの若くて背の高い、威勢のいいのが頭のようで、そいつが王子だろうと思いますが・・」

「ふむ、なるほど・・よし、なんとかなるかもしれん」

「おいどうするんだ、三太夫、女達を一人一人助け出す、なんて言わないだろうな」

 小碓はどうやっていいか分からず、不安で腰が引けている。しかし、連れ去られた女達が今頃どんな目に遭っているかと思うと気が気でないのも事実であった。

「まあ、わいに任せて下さいな。夜になったらわいが新羅の船にこっそり忍び込みますさかい、小舟一艘と船頭を一人貸して下され。村おさは、いつでも出られるように得物を持って浜の近くで皆を待機させて下され」

「おい三太夫、吾はどうすればいいのだ、一緒に行くのか」

「危険だからよしますか」

 と、三太夫は小碓を煽った。

「ば、馬鹿なことを言う。だがなぁ、旅に出て早々危ないまねというのもなぁ、あまり気がのらないがな」

「ははは、怖いのですな」

「そ、そうではない、もう少し用心せんといかんと言っとるのだ、ぶっつけ本番では危ないぞ」

「なるほど、そういうことで・・・では、夜まで、まだだいぶ間があるから、どうするか作戦を練りましょう。村おさも加わって下され、船頭と村のおもだった者も集めて」

 こうして三太夫が皆を集めて作戦会議を始めた。残った村人は荒らされた村のあと始末に奔走している。


 夕暮れになり小碓と三太夫は浜辺に半分埋まった大きな迷子石の上に座って新羅の船を眺めている。長さが三十メートルほどもある大きな船で、帆柱が二本で帆は下ろされている。網代(あじろ)帆といって、竹を薄く削ったものを編んで作った帆が使われている。高さ二十メートルほどの主帆の天辺に物見台がある。畳むときは後世の扇子やアコーディオンのように畳まれ、帆を下ろすのに帆柱を登らなくてもよく、布の帆より丈夫であるのが特徴である。

 艪杭(ろぐい)の穴も片側に七ヶ所あり、かなり速く走れそうだ。甲板上に三ヶ所、切り妻屋根のある小さな櫓(やぐら)があり、下の船倉も二重の甲板になっている。

「んーん」

 息遣いに震えが混じる。小碓はただじっと目を凝らして船を見つめている。

「落ち着きなされ、わいらが行く頃には相手はきっと油断して寝こんでいますわい。天日槍(あめのひぼこ)さえ虜にすればこっちのもんですがな」

「そうは言うがな、何しろ荒っぽい連中だったからな、捕まえる前に見つかったら・・・」

「だから慎重に事を運ぶのですわい、もう腹を決めなされ」

「あ、ああ、それは分かっているのだが・・・ええい、分かったわ、やるしかないか」

 小碓は決して怖じ気付いている訳ではなく、のちの言葉で言うところの武者震いを起こしているだけである。

 今頃新羅の船では酒と女と食べ物があるから、さぞどんちゃん騒ぎをしている事だろう。女を抱き、酔いつぶれて寝てしまう。その隙を衝こうというのである。女達には気の毒だが、そこまで助ける術(すべ)はない。


 夜陰に紛れて小碓と三太夫は小舟に乗り込んだ。身には小刀(さすが)だけを腰に差し、あらかじめ音の出そうな刀や靴などは陸(おか)に置いた。船頭が音をたてずにゆっくりと艪を漕いでいく。

 大船には船首と船尾、それに中央に篝火が煌々と輝いている。三太夫は夜目が利く、小碓もある程度は夜目が利く。電気という文明の利器の無い時代では、たいていの者はある程度夜目が利いたのである。

 明かりを灯さず、船尾側にやや迫った所で舟を止めた、まだだいぶ距離がある。

「三太夫、これでは見つかってしまうぞ、上から弓でも射られたら終わりだ」

 と、小碓は小声で囁いた。

「主、分かっとるがな、主はここで合図を待っていなはれ。幸い物見台には人の気配がないようだ。わいが船尾側の見張りをやっつけてきますわ」

 三太夫は用意した麻縄を襷(たすき)に引っ掛け、短褌一丁の姿になって小刀を口にくわえた。ひたひたと水に入ると船まで音をたてないように泳いで行った。既に初冬であったが、三太夫は意にも介さない。

 ピーンと張った碇の付いた太綱に取り付くと、一度短褌の水気を絞り、猿(ましら)の如く身軽に這い上って、そぉっと甲板上を窺う。

 見張りは前と後ろに一人ずついる。後ろの一人が前方に向きを変えた瞬間、さっと音を立てずに船に乗り込み物陰に隠れた。もう一度見張りが近づいた時、木箱の上から飛びかかった。左手で口を押さえ、首の後ろに当て身を食らわした。相手はもがく暇も無く、

「うっ」と言って、伸びてしまった。

 そして前方の見張りに気付かれないように船尾側の松明に近づいて、身を乗り出し手を振って合図をした。その後忍び足で船首の方に向かい、もう一人も手際よく転がした。

 小碓が登って来た。三太夫は麻縄を小碓に渡し、服を受け取り手早く着こんで、

「主、一人も殺してはならんぞ、拗(こじ)れるさかいな。手筈道理にわいは下の船倉の方を、主は上の船室を。見つけてもわいが来るまで手を出さんように、いいですな」

「ああ、分かった」と、小碓は肯いた。

 手分けして天日槍(あめのひぼこ)を探し始めた。二人は天日槍がおそらく甲板上の艫(とも)の船室に居ると目星をつけているが、念のために他の所も見ておこうというのである。

 小碓は船首側の船室から調べ始めた。何人かの男女が寝台上に雑魚寝している。部屋は酒と汗の臭いが混じって、気分が悪くなりそうだ。夏であったなら藪蚊に襲われて寝られたものではなかろうが、もうその季節は過ぎている。

 その時、眠そうに伸びをして起き上った物見の見張りは、下の奴らはどうしたのかと首をもたげて覗き込んだが、なぜか誰も見えない。

(おや、どうしたんだ。畜生、あいつらきっと怠けて酒を飲みに行ったな・・)

 と、またひとつ伸びをした。

(うう、寒い。浜の様子も変わりないし、どれ、おいらもひとつ酒でもかっくらって、暖(あった)まって来るか)

 見張りは物見台を降り始めた。

 甲板に降り立ったちょうどその時、中央の櫓から出てきた小碓とピタリと目が合ってしまった。

「お、お前は・・」

 と、仰天する見張りの者。

 小碓が素早く飛び込み、鳩尾(みぞおち)辺りに肘鉄を浴びせ、蹲(うずくま)るところを肩口に当て身を食らわした。あっと言う間に伸びて倒れ込む見張りを抱え込む小碓は、すかさず物陰まで引き摺り横たえた。周りを覗い、耳をそばだてるが変化はなかった。

(危ないところだった。物見台を忘れていたぞ、三太夫)

 苦笑する小碓は、念のためにもう一度物見台を見上げたが、二人が登れる広さではないと分かりほっとした。

 そして三つ目の船尾の船室にこっそり忍んだ時、篝火でうっすらと室内が見えた。上等な寝台に寝そべっている男女二人が目に入った。娘は今日さらわれたうちの一人であろう。明らかにほかの二部屋の者とは違う、一眼でこいつが天日槍だと睨んだが、じっと三太夫が来るのを待った。三十(みそじ)にはまだ届かないであろうか、細い泥鰌のような口髭の生えたがっしりした大男である。

 部屋の外でじっと待つ小碓は、甲板に上がって来た三太夫を手招きした。やがてやって来た三太夫が小声で囁く。

「下の船室には水夫の寝る大部屋や物置ばかりで、王子に相応しい部屋はあらへんし、天日槍らしき者も居りまへん」

 小碓が天日槍はここだと目配せをすると、忍び足で二人は部屋に入って行く。三太夫は小碓に目配せをして、そっと男の背後に回り、さっと口を塞いで起き上らせ、羽交い絞めにした。首筋に当てた小刀が松明の火灯りを反射させ、男の眼もとにちらついた。

「動くな、動くと痛い思いをするぞ。言うことが分かるか」

 と、三太夫が耳元で囁いた。

 男はこくんと肯いた。言葉は通じるようだ。物音で目を覚ました女は小碓の当て身を受けて伸びてしまった。そして小碓が急いで男を持ってきた麻縄で縛り始める。

 新羅人に三太夫の言葉が通じたのは、ある程度交易の盛んなるが所以(ゆえん)である。

 辺りの様子に気を配りながら、おもむろに男の正面に小碓が屈んで向き合った。三太夫が男の耳元で、低く野太い声を上げた。

「騒ぐなよ、汝(おの)れが天日槍(あめのひぼこ)か。そうであるなら床板を二度指で叩け」

 言われるままに男は、寝台の縁を指でこつこつ鳴らした。三太夫が小碓に向き直り合図すると、小碓も肯き、話しだした。

「よいか、吾は争いを好まん、このまま奪った女達を置いて引き揚げて欲しい。食料などほかの物は返さなくてもよい、友好の印として差し上げよう、どうかな」

 小碓が言い終わると、三太夫がおもむろに口から手を離した。

「くっ」と、天日槍は不満そうに口を歪めた。

「汝は何者だ。吾を誰だと思っているのだ、友好を結び、貿易の道を開きにここまで来たのに、上陸すらさせないとは」

「こちらにおわすは小碓命、倭の帝の御子様でおわす」

「何だと? 汝は倭の王子なのか」

「そうだ、たまたま旅の途中で斯様な事に遭遇したのだ。民のした非礼はお詫びする。とは言うものの、倭と新羅は未だ繋(つな)がりがないはず、警戒するのも当然ではないか」

「そ、そうか、そう言うことか、いや済まん事をした。われらも腹が減っていたので少し機嫌が悪かったのじゃ、許して欲しい。よかろう、女達を今すぐ返して、明日の朝早くここを退こう」

「そうか分かってくれたか。だが念の為に汝の縄目はこのままにしておいてもらおう、汝の部下が翻意しては困るのでな」

 船は煌々と篝火が焚かれ、ざわざわしだした。天日槍の命令で家臣達が女達を甲板に連れてくる。三太夫が松明を振り回し外に合図して、浜辺に人が集まって来た。新羅の船から小舟が下ろされ、女達がどんどん浜へ運ばれていく。

 船上に残ったのは小碓と三太夫だけとなり、天日槍を縛った綱を解いてやった。最早天日槍は抵抗していない。

 天日槍はここにきてようやく気付いた、小碓のあまりに幼そうで小柄な事にである。髪は女形に首の後ろで束ねて垂らしている。顔立ちや肌のつや、どこを見ても少年にしか見えない。その少年が何とも大人びた物言いをする。

 多分に三太夫との打ち合わせどおりに演じていただけなのだが、やはりこれも血筋の良さなのであろうか。いざという時ほど腹が据わる小碓であった。

 小碓は首に下げた小袋をはずし、中から空色や瑠璃色の混じった玉(ぎょく)を三つ取り出した。

「王子、友好の印にこれを差し上げよう、珍しい玉だ」

 受け取って天日槍は見る見る目を見開いた。そして玉を一つ抓んで片目を瞑って篝火に照らして覗きこんだ。

「これは・・な、なんという輝きじゃ、こんな貴重な物を吾に? 有り難い。しかしこんな貴重な物がこの国で採れるのか」

「いや、それは支那国から来た客人からの贈り物だと聞いた」

「んん、左様か、支那のぉ・・・この玉を手に入れただけでも来た甲斐があったというものだ。ではこれで、さらばじゃ、明日の朝にはここを発つ」

 支那国式の九拝をして、小碓と三太夫は小舟に乗って立ち去った。


 アルテミスは相変わらずリクライニングチェアーに寝そべって中空に映る映像を見ていたが、どうもすっきりしないのか、頭の中で小碓と天日槍の会話のことを考えていた。すると、ポーンと鳴って、見ていた画像が小さく後退し、自動的に録画画像が再生しだした。映像は再び村おさと新羅の者との交渉の場に移る。

 椅子を起こして、アルテミスは映像を注視する。

「ねぇハデス、この天日槍って何しに来たのかしら? このまま素直に帰ると思う」

「(ポーン)シミュレーション致しましたところ帰る確率が六十パーセントと出ました。どうやら百済(くだら)と親しい倭が、どれほどの国か確かめに来た模様です。国が統一されているのかとか、国土の大きさはいかほどかとか、珍しい物があるかなどですね」

「なーるほど、下調べをしに来たってことね、だからあまり事を荒立てたくないし、調べている事も知られたくないってわけだ」

「そう言うことでしょう」

「フムフム、よく分かったわ。ハデス、あとは宜しく、あぁ、寝む寝む。今日はだいぶ夜更かしになっちゃった、お肌に悪いわ」

 納得してアルテミスは席をはずした。お休みの刻限。


 翌早暁、小碓達は岡の上に登って船の立ち去るのを見届けた。

 小碓の背に積んだ干し芋などは皆村人に配ってやった。それでも食料は十分ではない。小碓は日女路首に揖保村の民に食べ物の援助を要請するべく、玉をひとつ持たせて三太夫を遣わした。同時に新羅の王子の船が現れた事を伝え、注意を喚起した。

 三太夫が使いから戻った翌日、揖保の主だった衆と共に村の北にある見晴らしの良い丘で朝の食事をした。小碓が上座に座った。多少の酒肴も出され、村おさはいたく感謝している。小碓は村おさを正式に揖保首に任命し、日女路首と同様に玉を一つ与えた。

 その時小碓の食べた米のおにぎりから飯粒がポロポロっとこぼれ落ちた。もったいないとは思ったが、いずれ鳥達が食べるだろうと思い、捨て置いた。この出来事を目聡(めざと)い者が見ていたものであろうか、以来この丘を粒丘と皆が呼ぶ。

 …粒丘とはたつの市揖保町中臣(なかじん)付近である。『播磨国風土記・粒丘』を参考。…

 また、丘の上で食事をとる行為は、古代の主従の契りを交わす儀式の意味を持っていた。揖保の村おさはこうして小碓に、ひいては倭の帝に臣下の礼を執ったのである。

 そして小碓は来年早々にでも帝に挨拶の為の人を出すことを揖保首に命じた。


 小碓達は村の復興の手伝いをしながら揖保川の上流付近へ土蜘蛛探しに出向いた。同時に山芋や野うさぎなどの食べ物も探して歩く。揖保村付近を除いて上流部は山深い。それでも僅かな平地を見つけては所々に伏屋根の人家が数軒ぐらいで固まって立っていた。家族ごとに暮らしている村とまでは言えない集合体であろう。とても土蜘蛛とは言えない。立ち寄っては土蜘蛛の情報を聞き出し、また揖保首を造に任命した事を伝えて回った。

 その情報では時折揖保川を大層な荷を積んだ船が通るという。事に依ると上流に有力者がいるのかもしれないと感じ、背負子を担いだ旅姿のまま、道なき道を北に向かい、揖保川のかなり上流までやって来たが、原生林が生い茂り、全く人の気配を感じなかったので諦めて進むのをやめた。

 その帰りの道である。風を切る音を感じて、小碓は咄嗟に身を屈めると、目の前を矢がかすめて、トーンと音を立てて木に突き刺さった。ハッとして矢が飛んできた対岸を見た時、もう一本飛んできたやつが左の腕に突き刺さった。

「あぅっ」

 と言って、小碓は蹲(うずくま)った。

「主、大丈夫か」

 一間ほど前を行く三太夫が、木陰にしゃがみ込んで振り返った。

 小碓は苦しげに、

「大事ない・・」

 と呻き、首を振って行けと目配せした。三太夫は矢の飛んできた方向をじろっと見て気配を覗い、背負子を下ろして刀を抜いて飛び出して行った。

 痛いのを堪え、小碓は思い切って矢を引き抜いた。

「ううっ、くっ・・」

 喘ぎながら矢柄を握り、血の付いた鏃(やじり)を凝視した。そして悔しそうに地べたに投げ捨てた。体中から大粒の汗が浮かぶ。陸(おか)に上がった魚のように、口を開けて息継ぎをしている。当時は鏃を石か動物の骨で作っていたものだが、珍しく貴重な鋼(はがね)の鏃が付いていた。小碓は自分を狙ったものが誰なのか気になって仕方がない。

 やがて三太夫が浮かぬ顔をして戻って来た。手に草をたくさん握りしめている。

「逃げられもうした、向こう岸を獣のように南に逃げ散りました。逃げ足の速い奴らで・・・主、大丈夫か。どうだな主、体が痺れるとか、おかしいところはねぇかえ」

「あ、ああ、大丈夫だ。骨に当たって止まったらしい、さほど深くはない」

 毒の心配はないらしい。小碓は顔を引きつらせながら、右手で左腕の傷口の上部をきつく握りしめている。

 三太夫が髷の紐を解いて、替わりに細竹を髷に挿して留めると、紐で小碓の腕をきつく縛り、血を止めた。次に竹筒の水で傷口を洗い、蓬(よもぎ)をすり潰すようにしてなすり付けた。採ってきた血止め草である。そして背負子の袋の中から布切れを出し引き裂いて、草を載せたまま傷口を縛った。この蓬という草は古くから知られている菊科の多年草である。

「これで大丈夫とは思うが、念のため村に戻った方がええやろ」

「ああ、そうだな、有り難う・・・一体誰だろう、鏃が鋼だった」

 小碓が顎をしゃくって捨てた矢を指すと、三太夫が矢を拾い、じっと見ながら考え込む。

「二十四、五の熊のような毛皮を着たすばしっこい男が二人だったが・・」

「あるいは天日槍が裏切ったかもしれん、こうしてはおれん、すぐ村に戻ろう」

・・・

 青ざめた表情で、三太夫に肩を借りながら村の近傍まで戻った小碓は、木陰に蹲(うずくま)って、

「どうだ三太夫、何か変わったところはないか?」

「へぇ、どうやら新羅の奴らではねぇようで、皆農作業で忙しそうですわ」

「そうか、それは良かった」

 安心した二人は宿所の揖保首の家に向かった。

 この時から小碓は自分を付け狙う者がいることを知り、用心せねばと思うようになる。三太夫のように、常に五感を研ぎ澄まし、注意を怠らないようにせねばと思った。川のせせらぎ、滝を登る小魚、風で落ちる木の葉などを相手に五感を養い、己の刀の切れ味を試す習慣を、この頃からやり出したのである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。