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黎明のまほら~アルテミスの祈り  作者: 葵しん
第二章、 旅立ち
15/109

     三の二

 人懐っこい新妻が続ける。

「こん人んとこには面白ぇ話あるだよ、聞きてぇか」

 二人の女はいつの間にか岩陰を回り込んで、小碓のすぐ側までやって来て浸かっている。

「はぁ・・・」

 と、小碓は益々恥ずかしがって、言葉がつかえた。

「聞かせてやっぺ」

 応える間も与えず、若妻は話しだす。

「ある時、小人の神様と大汝(おおなむじ)の神様が出雲の泥田(どろた)を見て競争しようとおっしゃった。麻袋にいっぱいの泥を入れて背に背負いながらの旅と、糞(くそ)を我慢して旅するのとではどっちが勝つかのぉ、とな」

「ほぉ、大汝の神様ちゅうと出雲大社の大国主神か。で、それから?」

 と、三太夫も興味津津。

「そんでな、大汝の神様は、

 ――吾は糞を我慢して歩こう

 するってぇと小人の神様が、

 ――そんじゃぁ吾は泥をいっぱい入れた袋を背負って歩こう

 こうして遥か北の出雲から歩き始めたとさ。

 どれほど歩いたことだろうか、ふと大汝の神様が立ち止まった。

 ――待て待て、吾はもう堪らんわ、腹が張って腹が張って、ああ、もうあかん

 と言ってその場に蹲(つくば)り、ブリブリやり始めたそうや。

 小人の神様はこれを見て、

 ――勝った、勝った

 と大笑いや。そんで小人の神様はちゅうと、

 ――吾も御同様に苦しくてならんわい

 と言われて、この丘に背負っていた泥を投げ捨てたんや。そこでここを堲岡と名づけられたそうじゃ。そして大汝の神様が慌ててブリブリしたとき、小竹がその糞を弾いて、服に少し付いてしまったんじゃと。そこで波自賀(はじか)の村と名付けたそうじゃ。ここらじゃ泥の事を堲土というだよ」

 …堲岡とは現在の兵庫県の中央部で、姫路市に注ぐ市川の上流に当たる。『播磨国風土記・堲岡』より引用。…

 湯ぶねの中、郷土話で和やかな笑い声が響く。湯気で淡海が見えないが、と三太夫が訊くと、風上に良く見える場所があるのだと教えてくれた。まことに風流この上なし。

 二人が上がって涼みながら坂を登っていくと、旅の前途を祝福するかのように、赤い西日が小碓達を照らしだした。


 屋敷に戻ると、荷を解いた部屋とは違う大きな部屋に案内された。十数人の村の男達が集まって丸く大きな食台を囲んで車座になり、大層な膳を前にして待っていた。皆昼間の貫頭衣姿ではなく、丸髷を結って直垂(ひたたれ)に褌(はかま)姿。豊かな漁場の恵みのせいか、姿の美しい者達ばかりで、陽気な気質である。

 二人は一番上座に座らされて、鯛の活け造りを備前の塩と生姜のすりおろしで味付けしたものを肴に、地酒を振る舞われた。新妻自慢の地酒なのだろうが、小碓や三太夫にはまだ酒は口に合わないが、瀬戸内の海の味は満喫出来た。宴席中に海直らに土蜘蛛の情報を訊ねたが、この辺は皆倭に従っている者ばかりで、見知らぬ者はいないとのことだった。

 翌日から、念のために二日ほどかけて山の方にも行ってみては調べたが、怪しい者は見当たらなかった。三日逗留後、もう少し居て下されというのを丁重に断って、旅ごしらえをして先を急いだ。

 山陽道は早くから整備されていて、比較的通りやすい。しかし西国(九州)や山陰はそうはいかない。ましてや一歩山並にでも踏み込むと、あるのは獣道ばかり。近くに人が住む土地かどうかは、山の木々の様子を見れば分かる。自然のままで、間引きもせず、手入れの痕もない山林であれば人は殆んど住んでいないと見てとれる。

 途中、加古川の村に一泊した。地名と同じ広い川があり、橋もないゆえに渡るのに難渋した。萱原をあちこち探すうち、丸木の船を見つけてようやく対岸に渡った。

 実はこの村は小碓にとって生まれ故郷なのである。単に誕生の地というだけで、赤ん坊の時に纏向(まきむく)に引き移ったので記憶は何もない。

 ここまでは倭の勢力圏内である。母の実家に宿を頼みたいところであるが、大碓の事もあり、素通りした。隣りの村まで来てから、身分を伏せて村おさの家に泊めてもらった。

 …現在、加古川市加古川町に小碓誕生の時に産湯に使った石の盥(たらい)が残っている。大妃の安産祈願で有名な日岡神社もある。…


 翌日、昼過ぎ、川(市川)に出くわした。運悪く肌を刺すような篠突く雨になっている。さすがに嵩張る蓑笠などは用意していないから、秋の雨は身に応える。川の水嵩も多く、とても渡れそうもない。

 ここからはいよいよ土蜘蛛退治をせねばならない。加古川からは海沿いを半日歩いたせいかほとんど家がなくて、情報がない。すると三太夫が、

「主、あれを見なされ」

 と前方に指を差した。

「でっかい老木があるで、あのくらいならきっと根元に大きな空(うろ)でもありますぜ。まだ早いけど、今晩はあそこで泊まりましょうや」

「ああ、そうしよう、こう雨に打たれては体が冷えてならん、急ごう」

 小碓達は小走りになった。一町ほど先にこんもりと堆(うずたか)い小山(甲山(かぶとやま))が見える。その麓に山と同じほどの高さの老木が立っていた。半分褐色になって枯れかけている。

 草茫々の湿地帯を走り抜け、どうにか大樹の側にやってきた。川が氾濫するとこの小山を除いて辺り一面が水没するのかもしれない、危ないところだった。

 山を少し登ると、お目当ての木の空(うろ)が、確かに在るには在った。

「三太夫、あれを見ろ」

 小碓は小声で囁いた。

「おや、先客ですな、ははは。どうします、主、追い出しましょうか」

 空(うろ)の中に鹿が数頭と猿や兎達が固まって雨宿りをしている。

「いや、よそう、鹿は神様の使いだ、無体なことはしないに越したことはない」

「そうですな、神々の祟りは怖いですからな」

 生き物達を驚かせないように、二人はそっと立ち退いた。

「しかし、だとすると弱りましたな」

 三太夫はあたりを見回すが、雨をしのげるところは皆目見当たらない。木々のお陰で草地よりは幾分はましだが、濡れたままでは病んでしまう。

「おい、三太夫」と、小碓が前方を指差した。

「あそこに山の地肌が剥き出している窪みがあるがどうだ」

「駄目駄目、主、よく見なせぇ、あれは山が崩れた跡ですぞ。あんな所に行ったら、生き埋めになっちまう。まあ、もう少し上に登ってみましょう」

 二人は薄暗くなってきた山の獣道を尚も登り続ける。天の助けか一町と歩かないうちにほのかな明かりが見えてきた。思わず顔を見合う小碓と三太夫。

「しめた、こんな所に人が住んでいる」

 小碓は小躍りした。

「山賤(やまがつ)ですかね、鬼が出るか蛇が出るか、ともかく行ってみましょう。主、気を緩めてはいけませんぞ」

 急ぎ登っていくと、木々の空地(うろち)に伏屋根の家が三軒と家畜小屋が固まって立っている。周りに樹と蔓で造った柵のようなものを巡らせてある。僅かだが天辺の明かり取りから明かりが漏れている。突然、犬が吠えだし、山羊が鳴き出した。

 すかさず表で三太夫が、

「お頼み申す、雨に打たれて難渋しております者で御座る。どなたかおりませぬか」

 と、大声で呼びかけた。三軒ある家の入口の蓆が一斉に開き、年寄りから子供までが皆顔を出した。十数人は居るだろうか。

 中の一人、三十前後の色の黒いがっしりした男が棍棒を片手に、入り口にたかる人を掻き分けて出てきた。山の上だというのに、何故かこの男だけ単衣の上に貫頭衣を着ている。防具か雨具の代わりであろうか。

「何だね、あんた達は」

 男は二人の姿をじろじろ検分している。

 小碓も三太夫もびっしょりと濡れしょぼたれて、実に哀れな姿。その姿を見ながら幼い子供が犬を抱き寄せ、鳴かないように宥めている。

「ああ、旅の方かね・・」

 男はほっとしたようだ。蓑笠も着てないなんてと言わんばかりに、気の毒そうに見つめている。

「この雨で泊まるところも無く、困っております。山を登ってきたところ、明かりが見えましたもので、ひと晩の宿をお願い出来ないかと思いまして」

 三太夫が柄にも無く腰を低くして丁重に話した。

「それはそれは大変だったね。ささ、こっちへ来なせぇ」

 後ろを向くなり覗いているほかの者を追い払うように手を振って、

「まあ、せせこましいけど寝るぐれえは出来るだろ、ささ、入んなせえ」

 どうにか二人は雨露をしのげる場所を得ることが出来た。

 囲炉裏を前に荷を下ろし、小碓と三太夫は上半身を脱いで水を絞って乾し、火にあたる。

 女房らしき女が客人の前に白湯の入った椀を差し出すと、囲炉裏の右手側に女の子を膝に抱いて座った。左手側に五つぐらいの男の子とお婆さん。そして、正面奥に座った主らしき男が話し出した。

「腹も減ったことでしょう、芋が焼けとるで、おあがんなされ。山にはわしら家族しか住んでいない。わしらは樵や猟もするが、川や海で魚介なども獲って暮らしているのじゃ。この山以外の所は大昔に川が運んだどろ土で出来た砂地でな、今では草地になっているが水害が多くて住めんのですわ」

 小碓と三太夫は着替えをし、焼けた干し芋を齧り、熱い白湯をすすりながら聴き入っている。

 男が言うには、市川の向こうは北と西が山で囲まれた盆地になっている。その西北奥の山(書写山)の南麓に日女路(ひめじ)という村がある、細い谷川(夢前(ゆめさき)川)を越えた所である。蚕子(ひめこ)という虫のことや稲作りのことをよく知る年老いた村おさが皆を束ねているという。

 …蚕子(ひめこ)の名前から付いた名が日女路で、いつの頃からかそれが姫路になった。…

 話も尽きて、皆が乾草の臥(ふし)所(ど)に潜った。どうやら雨はあがったようだ。鬼でも蛇でもなく、用心するほどのこともなかった。三太夫は普段からの習性で、目を瞑って干し草に包まりながらも、神経を研ぎ澄ませていた。


 あくる朝、干し芋を少しお礼に渡し、家の者に丁重に礼を言って別れた。そして朝靄の中を主の男と共に山を下りた。雨のせいで至る所に水が溜り、湿地帯と化している。男に岸辺に繋いである舟で対岸に渡してもらった。

「気を付けて行きなせえまし。村はあの一番奥に見える山の麓だ」

「ああ、有り難う、世話になりました。お達者で」

 小碓達は礼を言って北に向かった。一刻ほど歩いた頃、細い川の対岸に点々と伏屋根の建物が見えてきた。

「主、ここらで少し休みましょうや」

「ああ、そうしよう」

 小高い丘の上まで来て、二人は荷を下ろして休息した。昨日とは打って変った好天で、あちこちに水たまりはあるものの、木々の葉や枝を潤した水滴もすっかり乾いている。対岸の一面に広がる桑畑では雨に洗われた桑の葉が青々と繁っている。

 しばらく村人の様子を川越しに眺めていたが、いたって勤勉そうな民草ばかり、皆がせっせと桑の葉を枝ごと摘んでは大きな笊に入れている。

「あの腰に手をあてて皆の仕事ぶりを見ている老人が村おさのようですな」

 と、三太夫が指差した。幼い子供らをあやす姿などを見ても、村おさは中々気さくな好人物で、みんなに好かれていることが良く分かる。

 桑の枝葉が何に使われるかは三太夫も小碓も分かっていない。炊きつけにするには湿り気が多い。三太夫に促されて意を決した小碓は川の浅瀬を渡り、早速訪ねて行った。

「ようこそお出で下さいました」

 村おさは小碓達に警戒することもなく歓迎してくれた。

「ささ、旅のお方、こちらに来てお坐りなさい、今桑の茶でも淹れましょう」

 村おさに先導され、小碓らは桑畑の脇に敷いてある茣蓙に誘われた。既に五十も半ばに達しようという痩せた老人で、白い顎鬚を生やし、髷を包んだ革製の小さな烏帽子を被っている。白い単衣に褌(はかま)を穿き、その上にさらに草色の直垂(ひたたれ)を着ている。

「たった二人きりで旅とは大変ですな、どちらまで行かれるのですかな」

「はい、西国まで行きます」と、小碓が答えた。

「ほほぉ、それはまた遠くまで・・若い方は羨ましいですな、ははは」

 色々話を聞いてみると、村人は皆韓国(からくに)からの移民の子孫であり、何代にも亘ってここに住み、穏やかに暮らしているとのことだった。

 蚕子(ひめこ)というのはどうやら真っ白な芋虫だった。桑の葉や小枝はこの芋虫の餌で、斯様な芋虫などを、何を有り難がって飼育しているのか、小碓達には皆目分からない。それが、帝が着ている煌びやかな服の材料となる絹、その絹の繊維をこの虫の作る繭から紡ぐのだと聞いて、小碓も三太夫も仰天してしまった。ごく僅かだが、ここ日女路では絹織物を生産するうんちくが存在していたのである。

 …蚕は春、初秋、晩秋に育てられる。晩秋に摘んだ桑の枝葉は春の蚕が食べる。春の蚕が一番育ちが良いとされる。温度管理が重要で、三十度を超えると蚕は食欲をなくすので、夏は養蚕を行わない。…

「その割にはここの民の着ている服は麻服ですな、どういうことやろか」

 と、三太夫が訊ねると、

「蚕子の繭から紡いだ生糸は、数年に一度、船でやってくる商人達に売っているので御座います。替わりとして革の装飾品や鉄の道具、薬、玉などをもらうのですわ。絹は売り物でしてな、わしらが着る服を絹で作るなどもったいないですわい」

 商人とは韓国の百済人(くだらびと)である。極めて高価な品なのであるが、値を叩かれて零細に甘んじているようだ。蚕子を丸でわが子を育てる如くに可愛がって、片時も離れずに面倒をみている。それほどに蚕子の飼育には手間がかかる。

 当時は布と言えばもっぱら麻である。木綿(もめん)などは九世紀になるまで日本では知られていない。絹のみが古くから大陸より入って来ている。当時の日の本では、玉や宝石を以って高価な絹製品を支那国や韓国から仕入れていたのである。

 小碓達はこの日女路の村おさの所に泊めてもらい、数日あちこち調べ歩いた。市川の下流部にもちらほらと民が住んではいたが、湿地帯が多く村らしきところはなかった。村の北側は山深く人跡未踏の地であった。

 小碓はこの村おさならば間違いないと思い、ついに切り出した。

「村おさ殿、吾は小碓と名乗りましたが、実は今上大王の息子で御座います。吾はこの日の本の地を倭に纏めるために旅に出ました。倭の一員になりませぬか、あなたを日女路の首に任命したい」

 村おさは快く了承した。そして年に一度絹織物を持参して纏向に伺候することを約束した。のちにこのことによって、日女路は倭にとって重要な切っ掛けを与えることになり、絹の生産拠点として屯倉(みやけ)(朝廷の直轄地)が設置され、絹生産を帝が独占する形となるのである。

 しかし日女路からくる絹織物ではいかにも量が少ない。そのため倭では高価な買い物をしたくなくて、百済から盛んに職人を呼んで帰化させ、河内辺りで絹織物を生産させたが、根付くまでには何世代にも亘ってしまう。百済人が生産技術を教えてくれないからである。

 生産量の少なさから日女路は次第に忘れ去られる運命にあり、次に歴史に登場するのは戦国時代の羽柴秀吉を待たねばならない。金や銀の存在を知らない時代の倭にとって、絹は鉄に次ぐ重要な品物となって行くのである。


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