ヘルクロウを食べたルゥが、急に高速で飛び回り始めました
視界の端で、ルゥがぱっと顔を上げた。
それと同時に、合図を合わせたように、ヘルクロウたちが一斉に急降下してきた。
〈うわっ、最後にまとめて来た!〉
〈全方位から突っ込んでくるぞ!〉
〈ひよりさん、上!〉
私は鎌と剪定ばさみを構え直した。正面からすべてを迎え撃つ必要はない。相手の動きを見極めて、こちらが対応できる範囲に、攻撃を集めればいい。
円を描くように一歩踏み出し、最初の一羽を鎌の背で弾く。続いて身体を回転させ、剪定ばさみで二羽目の嘴を受け流した。三羽目が背後から迫ったところで、腰をひねり、振り向きざまに鎌を走らせる。
その一撃で、三羽がまとめて軌道を乱した。
地面へ落ちる前に、ルゥが空中で進路を塞いだ。小さな翼を広げて、カラスたちの前へふわりと飛び出す。
ルゥの存在を認識した瞬間、ヘルクロウたちの動きが鈍った。先頭の一羽が急旋回し、後続がそれを避けようとして互いにぶつかる。群れの連携が崩れ、黒い影がばらばらになった。
「今度こそ、終わりかな?」
残った個体は、ルゥから距離を取るように旋回したあと、通路の奥へと飛び去っていった。もう、こちらへ戻ってくる様子はない。
〈薬草採取配信で、空中戦を見せられるとは思わなかった〉
〈ルゥちゃんは飛行戦闘、チィちゃんは地上支援。何この完成度〉
〈いや、一番おかしいのは、その道具で戦えるひよりさんだと思う〉
コメントを見て、少し困ったように後ろ頭をかく。
「えっと……。みんな、怪我はしてないので大丈夫ですよ。ルゥもチィも、よく頑張ったね!」
ルゥは嬉しそうに「みゃっ!」と鳴き、チィは小さく「みゃっ」と鳴いて、足元まで戻ってきた。しゃがんで、二匹の頭を順番に撫でる。
「ありがとう。おかげで助かったよ」
それから、周囲にほかの魔物が潜んでいないかを確かめた。私が倒したヘルクロウは光の粒子となって消え、いくつかの魔石が地面に残されている。
ところが、ルゥが倒した個体は違った。岩棚の下や壁際に、黒い羽根をまとった死骸がいくつも残っていたのだ。
「あれ? 私が倒した子たちは消えちゃったのに、ルゥが倒した子たちは残ってるね?」
一番近くの死骸を覗き込んでいると、ルゥがとことこと近づいていった。
「みゃう」
「ルゥ?」
ルゥは死骸に鼻先を寄せて、くんくんと匂いを嗅いだ。
そして、ぱくっとくわえた。
「……えっ?」
もぐもぐ。
「ええっ!? ルゥ、それ食べるの!?」
ルゥは一度だけ元気よく「みゃっ!」と鳴いて、そのまま夢中で食べ始めた。
〈食べたああああ!?〉
〈ルゥちゃん、カラス食べてるんだけど!?〉
〈ひよりさんも驚いてるw〉
「え、えっと……。お腹が空いてたのかな?」
モンスターの中には、ほかの生き物を捕食する種類もいる。食べること自体は、おかしくないのかもしれない。ただ、まさかルゥがヘルクロウを食べるとは思っていなかった。
この前の猫用フードは、ぷいと顔をそむけたのに、こっちは夢中で食べている。……こっちのほうが、好みだったのかな。
ルゥは最後の一口を飲み込んで、満足そうに口元をぺろりと舐めた。
「おいしかったの?」
目を細めて、ごろごろと喉を鳴らす。
「そっか。お腹いっぱいになったならよかったね」
〈いやいやいや、そこはもっと気にして!?〉
〈食べたら駄目なものじゃないのか確認してくれw〉
念のため、ルゥの身体をそっと確認してみたけれど、具合が悪そうな様子はない。むしろ、いつも以上に機嫌がよさそうだった。
その様子を、チィがじっと見ていた。耳を立てて、ルゥの口元を、何かを確かめるように。
そのときだった。
「みゃっ!」
ルゥが小さな翼を勢いよく広げた。
「わっ!?」
ふわり、と身体が浮かぶ。そこまではいつものことだった。けれど、ルゥはそのまま急上昇した。
「えっ、ルゥ!?」
さっきまで私の腰くらいの高さを飛んでいたルゥが、あっという間に頭上を越え、岩棚よりも高い位置へ上がっていく。さらに翼を動かしたかと思うと、今度は目にも留まらない速さで横へ飛んだ。
ひゅんっ!
砂色の小さな影が、岩壁のすぐそばを通り抜ける。壁にぶつかる寸前でくるりと向きを変え、天井近くへ一気に上昇した。
「ちょ、ちょっと待って!? ルゥ、そんなに速く飛べたの!?」
両手を口元に当てて、天井を見上げる。ルゥは楽しそうに「みゃっ!」と鳴きながら、天井近くを旋回していた。
ただ速く飛んでいるだけではなかった。岩壁のくぼみを利用して進路を変え、狭い場所を器用にすり抜けていく。まるで、最初からこのダンジョンの空を知り尽くしていたかのように。
〈ルゥちゃん、急に飛行速度が上がってない!?〉
〈食べたから? カラス型の能力を取り込んだとか?〉
〈さっきまでの飛び方と、全然違うぞ!〉
やがて、ルゥは天井近くからじっと、通路の奥を見つめた。そこへ飛び去ったヘルクロウたちが、曲がり角の向こうへ消えていく。ルゥは壁際へ沿うように高度を落とし、別の通路から回り込む動きを見せた。
まるで、相手がどこへ向かうのかを予測しているようだった。
〈今の動き、カラスの群れの進路を読んだのか?〉
〈単純に速くなっただけじゃなくて、動きそのものが賢くなってない?〉
でも、私にはただ、すごいとしか思えなかった。
「ルゥ、すごいねえ! 高いところまで飛べるようになったんだ!」
手を振って呼びかけると、ルゥは褒められたのが嬉しいらしく、「みゃっ!」と鳴いて、天井から私の目の前まで一気に降りてきた。けれど、顔にぶつかる寸前で急停止し、そのままふわりと膝の高さまで降りてくる。
「わわっ! びっくりしたぁ……。でも、上手に止まれたね。えらいえらい」
頭を撫でると、ルゥは嬉しそうに喉を鳴らした。
〈急停止までできるようになってる……〉
〈ひよりさんの感覚が平和すぎるw〉
〈この人、本当に黒甲獣をワンパンした人なんだよな……〉
「えっと……。まだ私もよくわからないけど、ルゥが元気なのはいいことだよね?」
〈まあ、そうなんだけどさw〉
さっきまで天井付近を目にも留まらない速さで飛び回っていたとは思えないほど、いつもどおり甘えん坊のルゥだった。足元に座り込んで、目を閉じて、ごろごろと喉を鳴らしている。
チィも、私の足元へ寄ってきた。
「チィも撫でてほしいの?」
「みゃっ」
チィの頭も優しく撫でてから、ぱんと手を叩いて立ち上がる。
「さて……。ちょっと騒がしくなっちゃいましたけど、薬草採取を続けますね」
〈続けるの!?〉
〈鎌と剪定ばさみで群れを撃退、ネッコは高速飛行を習得。それでも薬草解説に戻る女〉
〈ひよりさんの配信、毎回情報量が多すぎるw〉
月光草の群生地へ戻って、周囲にまだ危険がないかを確認する。それから採取袋を回収して、必要な分だけ摘み取っていった。
〈説明が頭に入ってこないw〉
〈でも、この解説が本来の配信なんだよな……〉
ルゥは私のすぐそばで、時々空を見上げて座っていた。飛び立つたびに、さっきまでとは比べものにならない速さで上昇し、戻ってくると、何事もなかったように私の足へ頬をすり寄せる。どうやら、飛ぶこと自体が楽しくて仕方ないらしい。
「でも、あんまり遠くへ行っちゃ駄目だよ?」
「みゃっ!」
……ちゃんとわかってくれているといいんだけど。
必要な分の月光草を採り終えて、最後にカメラへ向き直る。
「はい、今日の配信はここまでです。みなさん、見てくれてありがとうございました。それじゃあ、また次回!」
笑顔で手を振って、配信を終了した。
* * *
帰宅してしばらくすると、配信の切り抜き動画が、次々と投稿され始めていた。
『【意味不明】黒甲獣ワンパン女子、今度は薬草採取用の鎌と剪定ばさみで空中戦!?』
『【何者?】激カワ羽付きネッコ、飛行型モンスターの群れを相手に大活躍』
『【検証案件】羽付きネッコがモンスターを捕食した直後、飛行能力が急上昇した件』
「検証案件……。確かに、今日のルゥは、ちょっと不思議だったよね」
膝の上では、ルゥが買っておいたおもちゃを、前足で抱え込んでいた。さっきまで天井近くを飛び回っていたとは思えない、いつもの甘えん坊だ。
「ルゥ、これ好き?」
「みゃっ!」
その隣で、チィが自分の寝床から顔を出した。手を差し出すと、少しだけためらってから、そっと鼻先を寄せてくる。
「チィも遊びたいの? じゃあ、脚に負担がかからないように、少しだけね」
おもちゃを床の上でゆっくり動かすと、チィが前足でちょんと触れて、ルゥが横から勢いよく飛びついた。
「ふふっ。二匹とも、仲良く遊ぶんだよ」
二匹が遊ぶ様子を見守りながら、スマートフォンを手に取る。来週の相談の前に、今日のことも伝えておこう。協会へ、短いメッセージを送った。
――今日、ルゥがヘルクロウを食べました。そのあと、すごく速く飛べるようになりました。
送信してから、首を傾げる。これで、ちゃんと伝わるだろうか。
ふと気づくと、チィがおもちゃから離れて、寝床の端に座っていた。ルゥは夢中で遊んでいる。その背中を、チィはじっと見つめていた。
何かを、確かめるみたいに。




