薬草解説配信者、怪我をしたネッコを拾う
ダンジョンの中で、今日も私は薬草の解説をしていた。
「はい、というわけで、今回はヒールリーフとポイズンリーフの見分け方です。葉っぱがよく似ているので間違えやすいんですけど、葉の縁と裏側を見ると違いがわかります」
カメラに向かって、二種類の葉を並べて見せる。
片方は傷の治療に使える薬草。もう片方は、食べると厄介な症状を引き起こす毒草だ。
「それと、採取するときは根っこから引き抜かないでくださいね。必要な葉だけを切り取れば、また新しい葉が育ちますから」
ハサミで葉を一枚切り取り、採取袋へ入れる。
配信画面の隅には、現在の視聴者数が表示されていた。
同時視聴者数、七人。
うん。今日も平和だ。
私は小鳥遊ひより、二十歳。ダンジョン探索者をしながら、こうして動画配信をしている。
派手な戦闘も、珍しいモンスターの討伐もない。薬草の見分け方や採取方法、モンスターの生態といった、地味な解説ばかりの配信だ。登録者数はなかなか増えないけれど、気にはしていない。たまに「わかりやすい」「初めて薬草を採取できました」とコメントが届く。それだけで、私には十分だった。
「このあとは、もう少し奥で月光草を探してみます。見つかったら、採取するときの注意点も説明しますね」
そう言って、採取道具をしまった、そのときだった。
「……みゃう」
茂みの向こうから、かすかな鳴き声が聞こえた。
「ん?」
足を止める。今のは、猫の鳴き声に似ていた。
でも、ここはダンジョンだ。普通の猫が迷い込むような場所ではない。
「ネッコ系のモンスターかな……?」
ネッコ。猫に似た姿をしたモンスターの総称だ。ただ、ダンジョンで鳴き声を聞いたという話は、あまり耳にしたことがなかった。
周囲の気配を探る。近くに強い敵はいない。襲いかかってくる気配もなかった。
「みゃう……」
もう一度、鳴き声。さっきよりも弱々しい。
私は周囲を警戒しながら、カメラを向けたまま茂みへ近づいた。そして、葉の隙間をそっと覗き込んだ瞬間。
「……えっ?」
思わず、間の抜けた声が出た。
そこにいたのは、子猫だった。いや、正確には子猫によく似たネッコだろう。
砂色の毛並みはふわふわで、丸っこい顔には、きらきらした金色の瞳。頭の上には、黒い房毛のついた大きな耳がぴんと立っている。
そして背中には、体に不釣り合いなほど小ぶりな二枚の翼。
翼の生えたネッコなんて、私の知っているモンスター図鑑には載っていない。
けれど、見とれている場合ではなかった。
この子は、怪我をしている。
片方の翼が力なく垂れ、前足には擦り傷。脇腹の毛は血で汚れ、泥にまみれた体は小刻みに震えていた。
「大丈夫? 痛かったね……」
その場にしゃがみ込み、できるだけ優しい声で話しかける。
すると、子猫は金色の瞳を見開き、こちらを睨んだ。
「シャーッ!」
「わっ、ごめんね。怖いよね」
体を精いっぱい膨らませて威嚇している。耳を伏せ、前足を踏ん張って。けれど、体力が残っていないのか、その動きには力がなかった。
無理に触るわけにはいかない。私は両手を見える位置に置き、少し距離を取った。
「私はひより。あなたをいじめたりしないよ。怪我の手当てをしたいだけなの」
言葉が通じるかどうかはわからない。それでも、落ち着いた声で何度か話しかけてみる。
子猫は警戒したまま、私の手と顔を交互に見ていた。やがて疲れたように、ぺたりと座り込む。その拍子に、垂れた翼が地面に触れた。
「……みゃう」
かすかな鳴き声に、胸がきゅっと締めつけられた。
私はそれ以上近づかず、その場にじっと座ったまま、子猫から視線を外した。猫は目を合わせ続けられると緊張してしまう。ネッコも同じかはわからないけれど、試してみる価値はある。
しばらく、静かな時間が流れた。
葉擦れの音だけが聞こえる。
そっと視線を戻すと、子猫はまだ私を見ていた。金色の瞳が、じっとこちらを観察している。
私は、ゆっくりと瞬きをしてみせた。一度だけ。
子猫の耳が、ぴくりと動く。
しばらくして――子猫も、ゆっくりと瞬きを返した。
「……!」
声が出そうになるのを、必死にこらえた。
威嚇の気配は、もう消えていた。
鞄から清潔な布と応急処置用の薬液、止血に使える薬草を取り出す。
「少しだけ、手当てさせてね。嫌だったら、ちゃんと止まるから」
まずは布を近くに置き、薬液の匂いを嗅がせた。子猫は鼻をひくひくさせたあと、私の顔を見上げる。
逃げようとは、しなかった。
ゆっくりと手を伸ばし、傷の周りの泥を拭き取る。
「痛かったらごめんね。すぐ終わるから」
「みゃっ……」
びくりと震えたので、いったん手を止めて、落ち着くのを待った。焦る必要はない。怖がらせないことが一番大事だ。
少しずつ傷を清潔にして、出血しているところを押さえ、薬草を当てていく。翼は無理に動かさず、骨や関節に異常がないか、確認できる範囲で様子を見た。
ひと通り終えるころには、子猫の震えも少し収まっていた。
「よし。これでひとまず大丈夫かな」
ほっと息をつく。ただ、片方の翼はまだ垂れたままだ。動けるようになるまでは、安静にさせたほうがいいだろう。
正体のわからないネッコを連れ帰るのは、本来なら慎重になるべきことだ。
でも、目の前の小さな体は、まだ震えている。
怪我が落ち着くまでは、私が面倒を見よう。
そう決めたところで、視界の端に配信画面が映った。
コメントが、いつもよりずっと増えている。
〈羽の生えたネッコ?〉
〈めちゃくちゃ可愛いんだけど!〉
〈ネッコは猫型モンスターの総称だけど、羽付きは見たことないぞ〉
普段は、薬草への質問がぽつぽつ来る程度なのに。今日は見慣れないコメントで画面が埋まり始めていた。
「あ、みなさん。この子、怪我をしているみたいなので、少し休ませてあげようと思います」
それから、探索中に食べるつもりだった保存食を取り出し、硬い部分を避けて細かくちぎる。
「お腹も空いているよね。食べられそう?」
そっと差し出すと、くん、くん、と鼻が動いた。金色の瞳が、食べ物に釘づけになる。
「みゃっ!」
子猫は前足をそろりと踏み出し、ぱくっ、と一口分をくわえた。
もぐ、もぐ、もぐ。
……食べてる。
両前足で食べ物を押さえて、一生懸命に。口の端から欠片が落ちると、慌てて鼻先を地面に近づけ、きれいに食べ直す。最後の欠片を飲み込むと、満足そうにぺろりと口元を舐めた。
「…………」
思わず口元を押さえる。この子、食べているだけで絵になる。
食べ終えた子猫は顔を上げ、私の指先に鼻を押しつけてきた。
くんくん。
ぺろっ。
「……っ!」
舐められた。指先を、ちょっとだけ。
怪我をして、さっきまであんなに警戒していたのに。今は、ほんの少しだけ、私を信じてくれているのかもしれない。そう思うと、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「ふふっ。くすぐったいよ」
頭の上をそっと撫でてみる。子猫は一瞬だけ耳を動かしたが、嫌がる様子はない。それどころか、手に額をぐいぐいと押しつけてきた。
ごろごろ、ごろごろ。
「……これは、反則だよぉ」
いつもの配信では出さない声が漏れた。
〈ひよりさん、顔が緩んでますよ〉
〈いつもより声が高いw〉
〈名前つけよう、名前!〉
「名前かぁ……」
この子が何という種類のネッコなのか、私にはわからない。でも、呼ぶ名前くらいは必要だ。金色の瞳を覗き込みながら、少し考える。
「……ルゥ、なんてどうかな?」
「みゃっ!」
子猫の耳が、ぴんと立った。
「えっ、気に入ったの?」
「みゃっ、みゃっ!」
翼がぱたぱたと動く。けれど、怪我のせいかうまく力が入らず、体が少し浮きかけただけで、ぺたんと地面に戻ってしまった。
ルゥは不思議そうに、首をひねって自分の翼を見る。それから何事もなかったように、私の手へ額を押しつけた。
「……ふふっ。まだ無理しちゃ駄目だよ」
頭を撫でると、ルゥは気持ちよさそうに目を細める。
「じゃあ、ルゥ。怪我が治るまで、私が面倒を見てあげるね」
そっと抱き上げると、ルゥは一瞬だけ体を硬くしたものの、暴れも威嚇もしなかった。私の腕の中で丸くなり、鼻先を服に埋める。やがて、喉の音が再び聞こえ始めた。
ごろごろ、ごろごろ。
そのうち、前足を私の服に押し当てて、ふみ、ふみ、と踏み始める。まるで、ここが自分の居場所だと言うように。
こんな可愛い子を、ダンジョンに置いていけるわけがない。
「よし。今日は予定を変更して、帰ろうか」
カメラに向かってそう告げると、コメントが流れた。
〈月光草は?w〉
〈薬草解説配信、突然の保護ネッコ配信へ〉
〈これは仕方ない〉
「帰ったら、温かい寝床を作ってあげようね。ご飯も、食べられるものを調べないと」
「みゃう……」
返事をするようにルゥが鳴く。
歩き出そうとしたとき、コメントが流れた。
〈ひよりさん、さっきルゥちゃんの目、一瞬光ってなかった?〉
〈え、見間違いじゃなくて?〉
〈羽付きって、そもそも図鑑に載ってないよな……〉
目が、光った?
腕の中を見下ろす。ルゥは、金色の瞳を細めて、ごろごろと喉を鳴らしているだけだった。
「……気のせい、だよね」
とりあえず、そういうことにしておく。ルゥが元気になってくれるなら、理由は後からでいい。
その日の配信は、予定していた月光草の解説をすることなく終了した。
胸元では、ルゥが安心しきった様子で丸くなっている。ときどきぴくぴくと動く耳を眺めているだけで、帰り道も退屈しそうになかった。
――こうして、私とルゥの生活が始まった。
この子が、ただの怪我をしたネッコではないことを、私はまだ知らない。




