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とあるエンジニアの備忘Log ― 新人SE、水瀬のデスマーチ記録 ―  作者: no name


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8/22

部長と会議室と赤いバー


 午後二時五十八分。

 Outlookの通知が、控えめな音を立てた。


 件名:第二開発部定例外打ち合わせ

 参加者:高橋(部長)、水瀬

 場所:小会議室B

 開始:15:00


(……俺?)

 第二開発部の新人が、部長と一対一。

 しかも定例外。部長から俺に?

 こんなことは初めてだった。

 胸の奥が、じわりと熱を持つ。

 隣では黒川が、いつも通り画面に向かっている。

 キーボードの音は速い。一定のリズム。

 乱れはない。だが、余裕もない。

 水瀬は黙って席を立った。


 小会議室B。

 窓のない白い部屋。

 天井のプロジェクターがすでに起動している。

 壁に映っているのは、見慣れない資料。

「座って」

 第二開発部長、高橋。

 声は低く、無駄がない。

 水瀬が座ると、部長はリモコンを押した。

 画面が切り替わる。

 ガントチャート。

 いくつもの工程が並び、その中のいくつかが赤く染まっている。

「黒川の案件だ」

 部長は言う。

「ベテランが抜けた影響が、ここに出ている」

 赤いバーが、想像より長い。

「このままだと、リリース日が危うい」

 断言だった。


「水瀬くん」

「はい」

「今の案件が終わり次第、インフラ側に入ってもらう」

 空気が冷える。

「僕で大丈夫でしょうか」

 自然に口から出た。

「インフラ経験は、ほとんどありません」

 部長は数秒、黙る。

「正直に言う」

 視線がまっすぐ向く。

「今、このタイミングで動けるのは君くらいしかいない」

 それは期待ではない。

 配置の現実だった。

「こちらでもフォローはする。

 村瀬も、今の案件が落ち着き次第、合流させる」

 つまり、最初は黒川と二人。

 水瀬は息を吸い、ゆっくり吐く。

 水瀬が「……やります」と言うと、部長は一度だけ頷いた。

「よろしく頼む」

 その一言で、逃げ道が消える。

 部長はノートPCに向き直り、何やらキーボードを打ち始めた。

 短い入力音が数回続く。

 送信ボタンを押す音が、小さく鳴る。

「これから村瀬と黒川にも来てもらって、現状を整理しよう」

 部長は顔を上げた。

「今のままでは、誰がどこまで見えているのかが曖昧だ。

 一度、揃える」

 水瀬の胸が、また少しだけ高鳴る。

 逃げ場はない。

 でも、独りでもない。


 数分後、二人が入ってくる。

 黒川はいつも通り無表情だが、目の赤さは隠せない。

 村瀬は軽い顔を作っているが、資料に視線を落とした瞬間、表情が引き締まる。

「現状共有する」

 部長が言う。

 画面が拡大される。

「遅延しているのは、この三工程だ」

 赤いバーが強調表示される。

「サーバ更改後の接続確認、冗長構成の再テスト、ログ監視の再設計」

 水瀬の頭の中に、聞き慣れない単語が並ぶ。

 村瀬が黒川を見る。

「いま、一番詰まってるのはどこ?」

 黒川は短く答えた。

「ログ監視です」

 語尾に“です”がついたことで、逆に疲労がにじむ。

「理由は?」

「前提が変わりました。

 ベテランが組んでいた監視設計が、いまの構成に合っていません」

 プロジェクターの画面に、ログのサンプルが映る。

 英字と数字の羅列。

「想定よりノイズが多くて、見るべきログが埋もれています」

 水瀬は、ただ画面を追う。

「この状態で、アラートの条件を組み直しています」

 黒川の声は丁寧だ。

 でも、丁寧さの奥で、疲れが張り付いている。

「確認できる人がいないので、正解が分からない状態です」

 会議室が静まる。


 部長が水瀬を見る。

「水瀬くん」

「はい」

「まずはログ監視の整理から入ってもらう。

 黒川の横で、設計の意図を言葉にして整理してくれ」

 “言語化”。

 それなら、できるかもしれない。

「分からないところは、その場で止めろ。

 止めるのも仕事だ」

 村瀬が続ける。

「レビューには俺が入る。

 黒川くん一人で決める形にはしない」

 黒川は、わずかに視線を上げる。

「……助かります」

 小さな声だった。


 部長が最後に言う。

「役割を整理する。

 黒川は全体管理と判断。

 水瀬はログ監視の再設計とドキュメント整理。

 村瀬はレビューと優先順位調整」

 一拍。

「他に共有はあるか?」

 誰も口を開かない。

「よし。以上だ」


 会議室を出る。

 フロアの音が戻ってくる。

 席へ戻る途中、黒川がぽつりと言った。

「……すみません。巻き込んでしまって」

 その声は小さい。

 申し訳なさと、疲れが混じっている。

 水瀬は一瞬だけ考えてから、言った。

「巻き込まれてないよ」

 少しだけ笑う。

「新人二人だけどさ、やれるところまでやってやろうぜ」

 黒川が視線を向ける。

「多分、この案件を乗り越えたら、

 僕ら、とてつもなく成長してると思うんだよね」

 言いながら、自分でも少し青いと思う。

 でも、それでもいい。

 今は、きれいな理屈より、前を向く言葉の方が必要だった。

 黒川は数秒黙ったあと、小さく息を吐いた。

「……だといいな」

 それは否定じゃなかった。

 ほんのわずかに、肩の力が抜けたように見えた。

 フロアのキーボード音が、いつもよりはっきり聞こえる。

 赤いバーは消えていない。

 課題も減っていない。

 それでも、ほんの少しだけ。

 “孤立”は、薄まった気がした。


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