部長と会議室と赤いバー
午後二時五十八分。
Outlookの通知が、控えめな音を立てた。
件名:第二開発部定例外打ち合わせ
参加者:高橋(部長)、水瀬
場所:小会議室B
開始:15:00
(……俺?)
第二開発部の新人が、部長と一対一。
しかも定例外。部長から俺に?
こんなことは初めてだった。
胸の奥が、じわりと熱を持つ。
隣では黒川が、いつも通り画面に向かっている。
キーボードの音は速い。一定のリズム。
乱れはない。だが、余裕もない。
水瀬は黙って席を立った。
小会議室B。
窓のない白い部屋。
天井のプロジェクターがすでに起動している。
壁に映っているのは、見慣れない資料。
「座って」
第二開発部長、高橋。
声は低く、無駄がない。
水瀬が座ると、部長はリモコンを押した。
画面が切り替わる。
ガントチャート。
いくつもの工程が並び、その中のいくつかが赤く染まっている。
「黒川の案件だ」
部長は言う。
「ベテランが抜けた影響が、ここに出ている」
赤いバーが、想像より長い。
「このままだと、リリース日が危うい」
断言だった。
「水瀬くん」
「はい」
「今の案件が終わり次第、インフラ側に入ってもらう」
空気が冷える。
「僕で大丈夫でしょうか」
自然に口から出た。
「インフラ経験は、ほとんどありません」
部長は数秒、黙る。
「正直に言う」
視線がまっすぐ向く。
「今、このタイミングで動けるのは君くらいしかいない」
それは期待ではない。
配置の現実だった。
「こちらでもフォローはする。
村瀬も、今の案件が落ち着き次第、合流させる」
つまり、最初は黒川と二人。
水瀬は息を吸い、ゆっくり吐く。
水瀬が「……やります」と言うと、部長は一度だけ頷いた。
「よろしく頼む」
その一言で、逃げ道が消える。
部長はノートPCに向き直り、何やらキーボードを打ち始めた。
短い入力音が数回続く。
送信ボタンを押す音が、小さく鳴る。
「これから村瀬と黒川にも来てもらって、現状を整理しよう」
部長は顔を上げた。
「今のままでは、誰がどこまで見えているのかが曖昧だ。
一度、揃える」
水瀬の胸が、また少しだけ高鳴る。
逃げ場はない。
でも、独りでもない。
数分後、二人が入ってくる。
黒川はいつも通り無表情だが、目の赤さは隠せない。
村瀬は軽い顔を作っているが、資料に視線を落とした瞬間、表情が引き締まる。
「現状共有する」
部長が言う。
画面が拡大される。
「遅延しているのは、この三工程だ」
赤いバーが強調表示される。
「サーバ更改後の接続確認、冗長構成の再テスト、ログ監視の再設計」
水瀬の頭の中に、聞き慣れない単語が並ぶ。
村瀬が黒川を見る。
「いま、一番詰まってるのはどこ?」
黒川は短く答えた。
「ログ監視です」
語尾に“です”がついたことで、逆に疲労がにじむ。
「理由は?」
「前提が変わりました。
ベテランが組んでいた監視設計が、いまの構成に合っていません」
プロジェクターの画面に、ログのサンプルが映る。
英字と数字の羅列。
「想定よりノイズが多くて、見るべきログが埋もれています」
水瀬は、ただ画面を追う。
「この状態で、アラートの条件を組み直しています」
黒川の声は丁寧だ。
でも、丁寧さの奥で、疲れが張り付いている。
「確認できる人がいないので、正解が分からない状態です」
会議室が静まる。
部長が水瀬を見る。
「水瀬くん」
「はい」
「まずはログ監視の整理から入ってもらう。
黒川の横で、設計の意図を言葉にして整理してくれ」
“言語化”。
それなら、できるかもしれない。
「分からないところは、その場で止めろ。
止めるのも仕事だ」
村瀬が続ける。
「レビューには俺が入る。
黒川くん一人で決める形にはしない」
黒川は、わずかに視線を上げる。
「……助かります」
小さな声だった。
部長が最後に言う。
「役割を整理する。
黒川は全体管理と判断。
水瀬はログ監視の再設計とドキュメント整理。
村瀬はレビューと優先順位調整」
一拍。
「他に共有はあるか?」
誰も口を開かない。
「よし。以上だ」
会議室を出る。
フロアの音が戻ってくる。
席へ戻る途中、黒川がぽつりと言った。
「……すみません。巻き込んでしまって」
その声は小さい。
申し訳なさと、疲れが混じっている。
水瀬は一瞬だけ考えてから、言った。
「巻き込まれてないよ」
少しだけ笑う。
「新人二人だけどさ、やれるところまでやってやろうぜ」
黒川が視線を向ける。
「多分、この案件を乗り越えたら、
僕ら、とてつもなく成長してると思うんだよね」
言いながら、自分でも少し青いと思う。
でも、それでもいい。
今は、きれいな理屈より、前を向く言葉の方が必要だった。
黒川は数秒黙ったあと、小さく息を吐いた。
「……だといいな」
それは否定じゃなかった。
ほんのわずかに、肩の力が抜けたように見えた。
フロアのキーボード音が、いつもよりはっきり聞こえる。
赤いバーは消えていない。
課題も減っていない。
それでも、ほんの少しだけ。
“孤立”は、薄まった気がした。




