月曜の顔合わせ
月曜日だった。
週の始まり、という言葉が持つ軽やかさとは、まるで無縁の朝だった。
水瀬は椅子に座り、モニターを見つめたまま、ほんの少しだけ息を吐いた。
昨日と同じ作業。
いや、正確にはここ一週間ずっと同じ流れの中にいる気がした。
インフラの設定。
サーバの構築。
確認。
修正。
また確認。
徹夜した日もあった。
休日も出た。
疲れは、もう抜けるとか抜けないとかいう段階ではなかった。
体の奥に、ずっと居座っている。
それでも作業は続く。
黒川は隣で静かに画面を見ていた。
村瀬と部長は、朝から何度も席を立っては執務室の端にある打ち合わせスペースへ向かっている。
戻ってきたかと思えば、また数分後には二人で何かを話しながら立っている。
スケジュール。
見積もり。
人員。
時折そんな単語だけが聞こえてきた。
水瀬はその様子を横目で見ながら思う。
(すごいな……)
体力なら、たぶん自分の方があるはずだった。
年齢だけで言えば、村瀬や部長より若い。
それなのに、どう見ても二人の方が元気そうに見える。
もちろん、本当に元気なわけではないのかもしれない。
だが少なくとも、表には出していなかった。
眠そうな顔をしない。
声も落ちない。
動きも止まらない。
そのことが、単純にすごいと思った。
水瀬は目の前の画面へ視線を戻す。
構築作業自体は、少しずつ終わりが見えてきていた。
大きな設定はだいたい入った。
あとは構築が正しくできているかの確認。
サーバの中で動くツールたちがちゃんと起動するかのテスト。
細かい詰めの段階に入っている。
ようやく、終わりが見えてきた。
そう思ったときだった。
(……いや)
水瀬は心の中で首を振った。
終わりじゃない。
インフラの先に、アプリ開発がある。
案件の全容を知ってしまった今では、ここを越えたところで楽になるとは思えなかった。
ふと、文字が揺れる。
モニターの中の設定項目が、少しぼやけて見えた。
まぶたが重い。
肩の力が、ゆっくり抜けていく。
そのまま意識が滑りかけたところで――
「水瀬」
声が落ちてきた。
はっとして顔を上げる。
村瀬が、すぐ横に立っていた。
「あ、すみません」
「大丈夫か?」
責める口調ではなかった。
ただ、本当に確認しているだけの声だった。
「……大丈夫です。ちょっとだけ意識飛びました」
村瀬は苦笑した。
「そりゃ飛ぶよな」
そう言って、自分のカップのコーヒーを一口飲む。
「でも、手はちゃんと進んでるじゃん」
画面をちらっと見て続けた。
「だいぶ終わり見えてきたな」
その言葉で、水瀬は少しだけ救われた気がした。
「はい。構築は大体いけそうです」
「じゃあ、あと少しだな。
詰めるとこ詰めていこう」
村瀬はそう言って、また打ち合わせスペースの方へ戻っていった。
水瀬は画面に向き直る。
ほんの少しだけ、背筋が伸びた。
午後も作業は続いた。
大きな山は越えつつある。
だが、細かい確認ほど神経を使う。
設定ファイルの一文字。
ツールのバージョン。
起動順序。
地味だが、こういうところで後々大きく詰まることもある。
そう思うと、雑には進められなかった。
時間だけが静かに流れていく。
そして、午後五時。
定時のチャイムが、執務室に響いた。
その音が消えるのとほぼ同時に、水瀬のPCが通知音を鳴らした。
画面を見る。
打ち合わせ通知。
18:00 第2会議室
定時を過ぎてからの打ち合わせ。
その事実だけで、案件の空気がにじんでいる気がした。
参加メンバーを確認する。
部長、村瀬、黒川、水瀬。
その下に、見慣れない名前が四つ並んでいた。
佐伯 健吾
結城 恒一
三浦 恒一
藤堂 真奈
(……増員メンバー?)
そう思いながら、何となく黒川の方を見る。
黒川も同じ画面を見ていたらしく、小さく言った。
「佐伯さんと結城さん、新人歓迎会で隣になった人だったと思う。」
水瀬は離れて座ってたせいもあって、全員の名前はわからないかった。
「たしか、うちらより三年くらい先輩だったはず」
それだけで、なんとなく実感が湧いてくる。
本当に増員されるのだ。
そう考えていると、少しだけ胸の奥がざわついた。
助かる、という気持ちはある。
だがそれと同じくらい、自分はついていけるのか、という不安もあった。
十八時が近づくころ、村瀬が席を立った。
その動きを見て、黒川も立ち上がる。
水瀬も慌ててノートPCを閉じた。
三人で第2会議室へ向かう。
廊下を歩いていると、反対側から四人の人影が見えた。
村瀬が軽く手を上げる。
「よっ」
「お疲れ様です」
「お疲れ様ですー」
声が行き交う。
佐伯は背が高く、少しラフな笑い方をする人だった。
結城は眼鏡をかけていて、落ち着いた印象がある。
三浦は無口そうに見えたが、会釈は丁寧だった。
藤堂は小柄で、しかし歩く速さに迷いがなかった。
会議室に入ると、すでに部長が中にいた。
それぞれ席に着く。
正面のスクリーンには、すでに工程表が映し出されていた。
大きく書かれた文字。
WBS
細かく区切られたタスクと日付が並んでいる。
部長が口を開いた。
「みんな集まったようだから、始めるか」
その一言で、部屋の空気が少しだけ締まる。
部長は案件の概要から説明を始めた。
現状の進捗。
インフラ側の状況。
追加要件による影響。
そして、ここから始まるアプリ開発の工程。
水瀬はスクリーンを見ながら、改めてその量に圧倒されそうになる。
やることが多い。
しかも、時間は少ない。
「今の担当案件が落ち着き次第、こちらへの合流をお願いしたい」
部長が四人へ向けて言う。
すると村瀬が、その横から補足するように口を開いた。
「WBS見てもらえば分かると思うけど、かなりタイトなスケジュールです。
そのあたりは、察してもらえると助かります」
少しだけ空気が和んだ。
佐伯が苦笑する。
「察するってことは、まあ、そういうことですよね」
「そういうことだな」
村瀬も苦笑した。
結城がスクリーンを見ながら言う。
「インフラ側で時間食ってる分、アプリは後ろが詰まってる感じですね」
「うん。
だから、最初から余裕ある想定では見ないでほしい」
三浦が短く尋ねる。
「仕様、どこまで固まってます?」
部長が答える。
「基本は固まっている。
ただし、追加要件分はまだ揺れる可能性がある」
藤堂が小さく息を吐いた。
「なるほど。
じゃあ、実装しながらの調整もありそうですね」
「その可能性は高い」
部長ははっきり言った。
少しだけ沈黙が落ちる。
だが、嫌な空気ではなかった。
むしろ、それぞれが“ああ、そういう案件か”と現実を飲み込んでいるような時間だった。
佐伯が笑いながら言う。
「まあ、でも人増えた分、回しようはありますよ」
その言い方は軽い。
だが、ただ軽いだけではなかった。
こういう案件を、何度か越えてきた人の声に聞こえた。
村瀬が少しだけ表情を緩める。
「そう言ってもらえると助かる」
会議は三十分ほどで終わった。
全員が立ち上がり、それぞれのPCを閉じる。
廊下へ出るころには、もう外はすっかり暗くなっていた。
顔合わせは終わった。
増員される。
それは、単純に頼もしかった。
少なくとも、今のまま四人だけで突っ走るよりは、確かに前に進める気がする。
けれど同時に、水瀬の胸には別の感情も残っていた。
(……ついていけるのかな)
自分より経験のある人たち。
これから一緒に走ることになる人たち。
その中で、自分はどこまで役に立てるのか。
不安は消えなかった。
だが、それでも。
案件は、また少しだけ次の段階へ進んだのだと思う。




