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とあるエンジニアの備忘Log ― 新人SE、水瀬のデスマーチ記録 ―  作者: no name


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17/22

僕にできること

 部長の高橋が会議室を出ていくと、村瀬はすぐにホワイトボードの前へ戻った。

 さっきまで書かれていた構成図の横に、新しくマーカーを走らせる。

 大きめの字で、三つの項目が並んだ。

 ・テスト環境構築

 ・負荷テストの構築

 ・負荷テスト仕様書作成

 水瀬はその文字を見上げた。

 やることが、目に見える形になっただけで少しだけ落ち着く。

 だが、それがどういう作業で、どの順番で、何のために必要なのかまでは、まだ頭の中で綺麗につながっていなかった。

 村瀬はマーカーを持ったまま振り返る。

「ざっくり言うと、今日やるのは“検証できる状態を作る”ことだ」

 黒川が頷く。

 水瀬もとりあえず頷く。

「先方に見せるには、口だけじゃ弱い。

 キューを使った場合に、どのくらい遅延するのか。

 それを実際に動かして確認できるようにする必要がある」

 村瀬はホワイトボードを指した。

「そのために、まずテスト環境を作る。

 次に、そこへ負荷をかける仕組みを作る。

 最後に、どういう前提で、どういう値で、どういう検証をするのか

 を仕様書にまとめる」

 言っていることは分かる。

 だが、分かることと、頭の中で映像になることは別だった。


 テスト環境。

 負荷。

 仕様書。


 言葉だけが水瀬の前を流れていく。

 そこへ徹夜明けの疲れがのしかかっている。

 村瀬の説明は理路整然としているのに、頭の中に入ろうとした瞬間、眠気がそれを柔らかく崩していく。

 まるで呪文みたいだ、と水瀬は思った。

 聞き慣れない単語が、意味を持つ前に音として通り過ぎていく。

「水瀬、ついてきてるか?」

 村瀬が少し心配そうな顔で聞いた。

 水瀬は正直に言った。

「なんとなくは分かるんですが……イメージが全然掴めてないです」

 村瀬は「うーん」と小さく唸り、少しだけ考えたあとで頷いた。

「分かった。じゃあ、簡単だけど構成をここに書きながら説明する。

 途中で分からなくなったら止めていいから、ちゃんと聞いてくれ。

 ここで理解度の足並み揃えておかないと、後で手戻りになるからな」

 そう言いながら、ホワイトボードの空いた場所に四角い箱を描く。

 その中に、サーバと書く。

 次に、その横へもう一つ小さな箱を書き、その中にスタブと書き込んだ。

 さらに矢印を引く。

「まず、ここが今回の検証用のサーバだと思ってくれ。

 で、実際の先方システムには繋げられないから、その代わりになるダミーを置く。

 それがスタブ」

 水瀬は目を瞬かせた。

「ダミー……ですか」

「そう。本物っぽく受け取って、本物っぽく返す。でも中身は簡易的。

 検証したいのは“キューを使ったときに、どのくらい遅れるか”だから、全部本番と同じである必要はない」

 村瀬はさらに矢印を足す。

「ここで、ユーザー操作に見立てたリクエストを流す。

 そのリクエストを受けたアプリケーションが、いったんキューに積む。

 で、別処理が順番に取り出して、DB更新の代わりになる処理を走らせる」

 黒川が補足するように言った。

「つまり、画面の操作と更新処理を切り離すってことですね」

「そうそう」

 村瀬はペン先で黒川を指した。

「で、ここからが今回の肝。

 その“順番に処理していく部分”が、どこまで詰まらずに流れるかを見る」

 水瀬はその図を見つめた。

 さっきまで単語だったものが、少しずつ線でつながっていく。


 サーバ。

 スタブ。

 キュー。

 別処理。

 更新。


 疲れている頭でも、村瀬の説明は不思議なくらいすっと入ってきた。

 速いけれど雑ではない。

 必要なところだけ切り出して、映像として見せてくれる。

 最後まで描き終えると、村瀬はマーカーを置いた。

「……と、こんな感じになるんだけど」

 水瀬を見る。

「途中、質問なかったけど、大丈夫そう?」

 水瀬は思わず笑った。

「分かりやすすぎて、聞けること自体がなかったです」

 村瀬も笑う。

「お、そんなに分かりやすかった?」

 少し照れくさそうに言ってから、肩をすくめる。

「まあ、イメージが掴めたならよかった」

 そこからは早かった。

 村瀬はホワイトボードの三つの項目に、それぞれ役割を書き込んでいく。

「テスト環境構築は一番重たいし、経験上、俺がやる」

 そう言って、テスト環境構築の横に自分の名前を書く。

「負荷テストの構築は……黒川にお願いする。

 前回と同じ感じだし、あの人から手順は教わってるだろ?」

 “あの人”という言い方で、水瀬にもすぐ分かった。

 入院して離脱した、あのベテラン社員のことだ。

 黒川が頷く。

「同じように設定していけばいいんですよね?」

「そう。ただ、負荷をかける値は前提変わってるから、水瀬と相談しながら決めてくれ」

 突然、自分の名前が出てきて、水瀬は一瞬「え?」となった。

 黒川と目が合う。

 そのまま村瀬が続ける。

「それで、仕様書の作成は水瀬にお願いする」

 黒川が先に理解したように言った。

「仕様書を水瀬が作るから、値の前提を合わせながら作ってくれ、ってことですね」

 水瀬は、その言葉でようやく全体が繋がった。

 なるほど、そういう役割分担か。

 村瀬は満足げに頷いた。

「そそ、そういうこと」

 それから水瀬の方を見て言う。

「仕様書は以前やった案件の負荷テストドキュメントをコピーして使う。

 あとで場所教えるから、それをベースに今回用に直してくれ」

 水瀬は力強く頷いた。

「分かりました」

 村瀬はマーカーを置き、両手を軽く打ち鳴らした。

「さて、各々やること決まったし、始めるとするか。――よし、行こう」

 そう言って会議室を出る。

 村瀬が立ち上がるのとほぼ同時に、黒川も席を立った。

 水瀬も慌ててノートを持ち、二人の後に続く。


 会議室を出て廊下へ出たところで、水瀬は少しだけ不思議な感覚に襲われた。

 自分のやることがある。

 仕事で、役に立てることがある。

 最初に関わった案件では、先輩の仕事を覚えるためのサポートが中心だった。


 簡単な修正。

 用意されたテスト仕様書を使った確認。

 そして報告。


 もちろん、それも仕事だった。

 でも“自分が主軸で動く”感覚とは少し違った。

 今は違う。

 三人が三人とも、主軸としてタスクを任されている。

 まだまだ新人で、教えてもらわなければできないことだらけだ。

 それでも、自分の名前の書かれたタスクがホワイトボードにある。

 それが少し、誇らしかった。


 その日の時間は、驚くほど早く過ぎた。

 教えてもらったドキュメントをベースに、自分の言葉で仕様書を書き直す。

 黒川と負荷をかける数値について話す。

 書いたところを見せてレビューをもらう。

 直す。

 また見せる。

 その繰り返し。

 眠さも疲労も、かなりきついはずだった。

 なのに、徹夜明けで妙にハイになっているのか、頭だけはやたらと回る。

 書いて、直して、また書く。

 そんなふうに淡々と進めていたとき、メールの通知音が鳴った。

 先方からだった。

 水瀬は画面を開く。

 そこに書かれていたのは、こんな内容だった。


お世話になっております。

ご提示いただいたキューを用いた構成案について、弊社内で検討いたしました。

その結果、キューを使用した場合に想定される遅延時間によって、採用可否を判断したいという結論になりました。

つきましては、まず想定される遅延時間をご提示いただけますでしょうか。

また、あわせて、キューを利用しない代替案の有無についてもご検討をお願いいたします。

何卒よろしくお願いいたします。


 文面は丁寧だった。

 だが、読めば読むほど、要求されているものの重さが分かる。

 遅延時間の提示。

 代替案の検討。

 つまり、まだ逃がしてはもらえないということだ。

 水瀬がメールを読み返していると、部長の高橋が村瀬を呼んだ。

「村瀬、ちょっといいか」

 おそらく、報告がいつになるのか、そのあたりの相談だろう。

 水瀬は何となく黒川と顔を見合わせた。

 二人とも、つい村瀬の背中を目で追ってしまう。

 しばらくして、話を終えた村瀬が戻ってきた。

 水瀬と黒川の席の後ろまで来て、静かに言う。

「さっきのメールだけど、報告資料を持って、明日先方と打ち合わせする方向でまとめようってことになった」

 打ち合わせになるのか――。

 その言葉を聞いた瞬間、水瀬の胸の奥に小さな重さが落ちた。

 正直、あの打ち合わせの空間には苦手意識ができ始めていた。

 先方からの圧。

 言葉の重さ。

 自分に知識も経験もないせいで、言われたことの意味も、どう返せばいいのかも分からない感覚。

 それが、じわじわと堪える。

 理由は分かっていた。

 自分がまだ何も持っていないからだ。

 村瀬が続ける。

「お互い、打ち合わせで意見出し合った方が早いだろう、って部長からのお達しだ」

 そして少しだけ口元を緩めた。

「ということで、部長が調整に入る。

 俺らは、報告書まで作り切るところに集中しよう。

 部長も一緒に残ってくれることになったから、頑張ってここを乗り越えよう」

 その後、また作業が続いた。

 村瀬が作っている環境は、もう少しで出来上がる。

 黒川の準備も、水瀬の仕様書も、一通りの形にはなった。

 水瀬が大きく伸びをしたところで、黒川が立ち上がった。

「ちょっと休憩がてら、コンビニ行くか」

 村瀬も頷く。

「飯、買っとこう。今日の夜も長くなりそうだ」

 水瀬はその言葉を聞いて、小さく息を吐いた。

 今日もまた、長い夜になる。

 そう分かっているのに、不思議と足は止まらなかった。



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