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とあるエンジニアの備忘Log ― 新人SE、水瀬のデスマーチ記録 ―  作者: no name


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11/21

時間が消えていく

 午前三時。

 オフィスの照明は、自分たちの席の周りだけが点いていた。

 それ以外のエリアはすでに落とされていて、フロアの半分は暗い。

 昼間とは、まるで別の場所みたいだった。

 ついさっきまでコンビニにいたはずなのに、もう椅子に座っている。

 モニターの光だけが、顔を白く照らしていた。

(改めて……深夜なんだな)

 静かだった。

 空調の低い唸り。

 キーボードを叩く音。

 ときどきログが流れる通知音。

 それだけが、この広いフロアに小さく響いている。

 昼間は電話や会話でざわついている場所なのに、今はまるで別のオフィスのようだった。

 黒川がモニターを見たまま言う。

「ちょっと前提から整理しよう」

 画面に構成図が開かれる。

「アクセス1.5倍で、どこに影響が出るか」

 水瀬は半分冗談で言った。

「全部、じゃないのか?」

 黒川は小さく笑う。

「全部って書いたら怒られるだろ」

「それは確かに」

 構成図を拡大する。


 Webサーバ。

 アプリケーション。

 データベース。


 矢印と数字が交差している。

 昼間見たときより、少し複雑に見えた。

「まず再試算だな」

「どうやる?」

「昨日の試験結果を基準にして単純増加で見る。

 それで、どこから先に苦しくなるかを拾う」

 水瀬はノートを開いた。

 数字を書き出す。

 簡単な式を書き、計算する。

 だが、頭の中が追いつかない。

 眠いというより、思考が少し鈍くなっている感じだった。


 五分。

 十分。

 二十分。


 時間が、静かに流れていく。

「……思ったより伸びるな」

 黒川が呟く。

「どのくらい?」

「ピーク時の応答時間、許容値超える」

 モニターのグラフが赤く染まる。

 水瀬は画面を覗き込む。

「これ、結構ダメじゃないか?」

「今のままだとな」

 黒川は次の画面を開いた。

「AP側の設定、少しいじる」


 保存。

 再起動。

 試験。

 ログ確認。

 また設定変更。


 同じ作業を何度も繰り返す。

 単純な作業なのに、終わりが見えない。

 時計を見る。

 四時四十分。

(まだ四時か)

 そう思ったはずなのに。

 次に見たときには、もう五時半だった。

 時間が、消えている。

 水瀬はふと窓の外を見る。

 夜だったはずの空が、少しだけ明るくなっていた。

「……黒川」

「ん?」

「外、明るくなってきてる」

 黒川は一瞬だけ窓を見る。

「やばいな」

 そう言いながらも、キーボードを叩く手は止まらない。

 もう一度テストを回す。

 ログが流れる。

 数秒。

 十秒。

 結果が表示される。

 黒川が画面を見つめたまま言う。

「……これなら説明できる」

「影響範囲?」

「うん。どこが詰まるかは見えた」

 水瀬は画面を見る。

 グラフは、限界の少し手前に収まっていた。

 完全ではない。

 だが、判断材料にはなる。

 その瞬間だった。

 ガチャ。

 フロアのドアが開く音がした。

 二人とも顔を上げる。

 入ってきたのは、部長の高橋だった。

「お疲れ」

 手にはコンビニの袋。

 机に置くと、ホットコーヒーの缶が二本出てきた。

「メールは確認した」

 高橋が言う。

「方向性はあれでいい」

 一拍置く。

「で、影響範囲と費用感はどこまで出た?」

 黒川が答える。

「影響が出る範囲は整理できました。

 追加が必要なサーバも見えています」

「費用は?」

「概算なら出せます」

 高橋は短く頷いた。

「よし」

「一回会議室で整理しよう」


 会議室のホワイトボードに構成を書き出す。

 変更前の構成。

 アクセス増加時の影響範囲。

 追加が必要になるサーバ。

 設定変更箇所。

 そして、概算費用。

 黒川が説明し、水瀬が数字を書き込む。

「方向性は昨日のメールの通りです」

 黒川が言う。

「追加で整理したのが、この影響範囲と費用感です」

 高橋は腕を組んだまま頷いた。

「いい」

「先方が欲しいのは、その判断材料だ」

 水瀬はメモを見返す。


 影響範囲。

 追加構成。

 概算費用。


 ようやく、この徹夜の意味が見えた気がした。

 高橋は時計を見る。

「俺は出張がある」

「あと頼んだ」

 それだけ言って、会議室を出ていった。


 席に戻る。

 もう一息だった。

「ここまでまとめよう」

 黒川が言う。

 水瀬は頷く。

 グラフを整える。

 試験結果を表にする。

 説明文を書く。

 キーボードの音だけが、フロアに響く。

 そして。

「……ここまでで出そう」

 黒川が言った。

 時計を見る。

 午前八時。

 黒川がメール画面を開く。

「件名これでいいか」

 水瀬は覗き込む。

 アクセス増加時の影響範囲および概算費用について(一次回答)

「いいと思う」

「送るぞ」

 Enterキーが押される。

 送信。

 二人はしばらく画面を見つめたままだった。

 そのときだった。

「おはよー」

 聞き慣れた声がする。

 村瀬だった。

 フロアに入ってきて、二人の席を見る。

 そして一瞬止まった。

「……もしかして」

 黒川が笑う。

「朝です」

 村瀬は小さく笑った。

「朝までお疲れ」

 机を軽く叩く。

「よく頑張ったな」

 そして続ける。

「今日送れたなら、先方も確認する時間あるだろう。しばらくは時間稼げる」

 一拍置く。

「今日は帰れ」

 少し笑いながら続けた。

「どうせ午後にはメール来る」

 水瀬は苦笑する。

「……来ますか?」

 村瀬は肩をすくめた。

「来る来る」

 黒川が小さく笑う。

「言い切りますね」

 村瀬はコーヒーを机に置きながら言った。

「この仕事長いからな。だいたい分かる」

 その軽い言い方とは裏腹に、水瀬の胸の奥には小さな不安が残った。

  もしまた条件が変わったら。

  昨日から今日までの試験が、半分やり直しになるかもしれない。

 だが、そのときの水瀬はまだ知らなかった。

 このプロジェクトが、ここから本当に長い夜に入っていくことを。


 エレベーターを降りる。

 ビルの外に出ると、朝の光が強かった。

 夜通し作業した目には、少し眩しい。

 出社してくる人たちとすれ違う。

 自分たちは、逆方向だ。

 黒川が背伸びをする。

「あー……疲れたね」

 水瀬も小さく笑う。

「ほんとだね」

 二人は並んで歩き出す。

 朝の空気は、夜より少し軽かった。

 ただ、身体は重い。

 それでも。

 確かに一つ、乗り越えた気がしていた。

 まだ終わっていないとしても。


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