表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
とあるエンジニアの備忘Log ― 新人SE、水瀬のデスマーチ記録 ―  作者: no name


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/26

進捗いかがですか

 翌日、午前十時。


 会議室Aの壁面モニターには、オンライン会議の待機画面が映っていた。薄い青の背景に、参加者の枠だけが並んでいる。

 参加者は以下。


 先方インフラ責任者:森本

 先方担当:吉岡

 第二開発部:高橋、黒川、水瀬


 水瀬は会議室の端に座り、ノートPCを開く。メモ画面を立ち上げ、入力欄を空のままにしてカーソルを点滅させた。

 ただ待っているだけなのに、指先が少し冷たく感じる。

(今日は、聞いてメモを取るだけ。そういう役割だ)

 自分に言い聞かせてみるが、胸のあたりに張りつく緊張はなかなか消えない。

 黒川はモニター正面寄り、部長の高橋はその隣。二人とも背筋が崩れていない。普段のフロアと同じ姿勢なのに、会議室だと妙に“覚悟”に見えるから不思議だった。


 接続音が鳴る。

 ピロン。

 画面に先方の顔が並ぶ。インフラ責任者の森本。表情は穏やかだが、目の動きが速い。隣に担当の吉岡が映り、軽く会釈した。

「おはようございます」

 挨拶は丁寧だった。

 しかし、そのあとに続く言葉の温度が、最初から低い。

「では、早速現在の進捗を教えていただけますか」

 森本の声は落ち着いている。落ち着いているからこそ、質問が“確認”ではなく“査定”に聞こえる。

 黒川が一呼吸置き、資料を共有した。

「はい。現状、インフラ構成の最終調整を進めています。

 昨夜の負荷テスト結果を踏まえて、接続数周りの設定と、ボトルネック候補の洗い出しを行いました」

 モニターに構成図が映る。Web、AP、DB。矢印が交差し、数字が添えられている。

 水瀬は画面を追うが、全部は理解できない。それでも、黒川の説明が“綺麗に”整えられているのは分かった。整えて話さないと、この場の空気に飲まれる。そういう緊張感がある。

「なるほど」

 森本が頷く。


 そのまま一拍置いてから、森本は続けた。

「一点、こちらから相談があります。昨夜、役員レビューがありまして」

 水瀬は無意識に背筋を伸ばす。

 この前置きが来たとき、話が軽くなることはほとんどない。

「想定アクセス数を、現状の1.5倍に引き上げたいという話が出ています」

 黒川の表情がわずかに固まった。ほんの一瞬、目が細くなる。

 水瀬はその変化を見逃さなかった。数値の話なのに、これは“依頼”というより“条件変更”だ。

「……影響範囲の確認が必要です」

 黒川が言う。声は落ち着いているが、言葉の選び方が慎重になっている。

「現状の構成前提が変わる可能性があります。増設が必要になれば、設計の見直しや再試験の工数も発生します」

 森本は頷き、少しだけ視線を下げた。何かを確認しているように見える。

「その点は理解しています。

 もしサーバ増設などが必要になる場合、費用が上がることも想定しています」

 そこで一度、言葉を区切る。

「概算で構いませんので、影響範囲と費用感を整理いただけますか。こちらでも、社内決裁の準備が必要でして」

 黒川は答えかけ、ほんの一瞬だけ部長を見る。

 その視線に“相談”の色はない。ただ、判断の責任を正しい場所に置くための確認だ。

 高橋が静かに口を開いた。

「承知しました。

 本日中に方向性を整理し、明日午前中までに一次回答をお送りします」

 森本が短く頷く。

「助かります」

 そこから先は、形式の確認が続いた。

「次回定例は金曜で問題ありませんか」

「問題ありません」

「議事録は御社で」

「はい、こちらで作成します」

 淡々としたやり取りなのに、会議室の空気は軽くならない。

 最後に森本が会釈し、画面が一つずつ消えていく。モニターが暗転した瞬間、空調のサーッという音だけが残った。

 しばらく、誰も動かなかった。

「……1.5倍、か」

 黒川が小さく言い、ペンを机の上で転がす。

 たった四文字の“か”が、重かった。

 高橋は椅子に座ったまま、黒川を見て言った。

「方向性の整理には杉本にも入ってもらう。合間を見て、こちらから声をかける」

 それから視線が水瀬へ移る。

「水瀬くん。いつから入れる?」

 胸が一瞬だけ詰まる。

 自分の案件は終盤とはいえ、まだ残っている。だが、“残っている”と言った瞬間に、ここでの信用が目減りする気がした。

 水瀬は息を吸い、腹の底で言葉を固める。

「……今日中に、いまの案件を終わらせます」

 口に出した瞬間、現実味が増す。

 高橋は頷いた。

「よろしく頼む。終わり次第、黒川と合流してくれ。」


 午後。

 水瀬は自席に戻り、画面と向き合い続けた。

 チェック、修正、確認。やること自体は難しくない。だが、終わらせるためには“止まらないこと”が必要だった。

 時計を見るたび、時間が削れていく。

 夕方になっても、終わる気配が薄い。集中しているはずなのに、作業の合間に会議室の言葉がよぎる。

 ——本日中に方向性を整理。

 ——費用感も含めて。

 ふと視線を上げると、黒川の席に杉本が立っていた。

 二人はモニターを覗き込みながら、短い言葉を交わしている。

「この構成なら、まだ持つ」

「DB側、逃がしますか」

「先に接続数。落ちるならそこからだ」

 専門用語の断片が飛ぶ。

 水瀬は理解できる部分だけ拾いながら、手元の作業を続けた。今は、とにかく自分の案件を終わらせる。それしかない。

 十八時を少し回った頃。

 黒川が席を立ち、短く言った。

「方向性、送ります」

 その声には、迷いがなかった。

 数分後、先方にメールが飛んだのだろう。黒川が席に戻り、杉本が腕を組んで問いかける。

「これから構成を組んで、テストまでだ。いけるか」

 黒川は少しだけ口角を上げた。

「終わらせます」

 そして、何事もなかったようにモニターへ戻っていく。

 “終わらせます”という言葉が、決意というより習慣に聞こえた。


 水瀬が自分の案件を終えたのは、日付が変わったあとだった。

 0:03。

 フロアにはもうほとんど人がいない。

 画面を閉じた瞬間、肩の力が抜ける。

 疲労が、遅れて全身に乗ってきた。

 水瀬はメールを作り、杉本宛に送る。

 ——本日の作業、完了しました。明日朝、最終確認します。

 送信。

 それから、黒川の席へ向かった。

「……どこまで進んだ?」

 黒川は画面から目を離さず、短く答える。

「インフラの構築が終わったところ」

「じゃあ、まだ試験だね」

「まだまだ」

 その“まだまだ”は、愚痴ではない。

 事実の報告だった。

 水瀬は椅子を引き寄せ、黒川の画面の端に目を落とす。

 ログ、設定、数字、時間。目が滑りそうになるのをこらえながら、二人で同じ画面を見る。

 時計は二時に近づいていた。

 黒川がふいに椅子を引いた。

「コンビニ、行こうぜ」

 それは命令でも提案でもなく、単純な“必要”に聞こえた。

 水瀬は頷く。


 夜中のコンビニは、昼とは違う音がする。

 自動ドアが開くと、店内の蛍光灯がやけに白くて眩しい。客はほとんどいない。レジの前だけが、妙に現実的だった。

 水瀬は夜食のパンを選び、黒川はおにぎりとコーヒーを手に取った。

 会話は少ないが、沈黙が重くない。むしろ、こういう沈黙が今はちょうどいい。

 店を出ると、冷たい夜風が頬を撫でた。

 黒川が缶コーヒーを持ち直し、ぽつりと言う。

「ありがとな」

 水瀬は少しだけ戸惑う。

「……何が?」

「残ってくれてること」

 黒川は前を向いたままだ。

「一人だと、さすがにキツい。判断が、だんだん怖くなる」

 水瀬は短く息を吐き、笑う。

「僕、まだ分からないことだらけだけどさ」

「分からないなら、一緒に分からないって言える。

 それが助かる」

 黒川はそう言って、歩き出した。

「夜食食って、もう一踏ん張りだな」

 二人は会社のビルへ戻っていく。

 街は静かで、通りは暗い。閉まっている店が多く、明かりが少ないせいで、いつもの道が別物に見えた。

 それでも、足は止まらない。

 モニターの白い光が、まだ自分たちを待っている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ